はじめによんでください
政治的アイデンティティと先住民運動
Las Identidades
políticas y sus movimientos del pueblo indígena
解説:池田光穂
政治的アイデンティティとは、自己の存在を政治的存在
(political being)として意識するとき、その主体(=個人)が同一化(=アイデンティファイ)する政治的思想、党派、イデオロギー、政治家などの個人やその生き方などのことをさす(私たちは「人種」や「先住民」
の概念もまた政治的アイデンティティのひとつだとも考えています)。後者の表現
にあるような、政治的アイデンティティの内実(上掲の下線部)をさす場合と、前者にあげたのような政治的存在という、その個人が規定する存在様式について言及している時がある。
過去20年間における中米先住民運動にとってエポックメイキングなことを挙げるとすれば、それは1994年元旦のサパティスタ(国民解放軍)の
チアパス州における蜂起と、1996年12月29日のグアテマラ国民革命連合と政府の和平合意である。
これらの出来事はさまざまに解釈できるが、とりわけ国際社会における先住民の位置づけが、周辺化された人びとの代名詞からある種の政治的主体
——本演題でアイデンティティと名付けるのはこの理由による——へと変化していることを如実に表す。
先住民を政治的アイデンティティとして理解することには「当事者でない民」はおろか「当事者」においてもなお困惑の原因であり続けている。この
困難は、2007年9月13日国連総会における先住民の諸権利の国連宣言の採択において先住民の定義を付すことができなかったという事情に間接的に表現さ
れている。
これらの民の政治的アイデンティティの勃興の社会的起源について考察するためには、政治的主体によるアリーナとしての国家が先住民を包摂してい
く過程から解きほぐさねばならない。
メキシコとグアテマラという2つの国家における先住民政策とりわけ耕作地への開放という「土地問題」という視[地]点を取り込み、「文化」と
「政治」の三角測量から先住民とは何かというこれまで繰り返し問われてきた課題を再度問い直す。
中米先住民運動の民族誌学的研究を通した「先住民概念」の再検討
●連携研究機関
日本ラテンアメリカ学会第31回定期大会(京都大学・京大会館
2010年6月5-6日開催)における予稿集原稿を改造したものです。
この研究は日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)海外学術調査「中米先住民運動における政治的アイ
デンティティ:メキシコとグアテマラの比較研究」(平成22年度〜平成25年度:研究代表者:池田光穂)の進捗報告です。関係各位の皆様、研究班のメン
バーのみなさまに感謝いたします。
+++++++《以下、その後の展開》+++++++
メ
キシコ
|
グ
アテマラ
|
・恭順に同化を抵抗に弾圧を
・独裁リベラリズム
・メキシコ革命(1910-20)
・La Raza Cosmica
・インディヘニスモ政策
・一党独裁体制
(1940-2000)
・全国農民連盟(CNC)
・農都人口の逆転(1960)
・EZLN蜂起(1994〜)
|
・herencia de la
Patria del Criollo
・グアテマラ革命(1944-54)
・先住民問題の「不在」
・文化的インディヘニスモ
・軍事独裁と形式的政党制
(1954-1993)
・農民統一委員会(CUC)
・農村人口65%(1994)
・政府とURNG和平合意(1996)
|
+++++++《以下、研究ノート》+++++++
- 1994年元旦のサパティスタ(国民解放軍)のチアパス州における蜂起と、1996年12月
29日のグアテマラ国民革命連合と政府の和平合意が示す兆候の理解
- 国際社会における先住民の位置づけが、周辺化された人びとの代名詞からある種の政治的主体へ
と変化している
- 2007年9月13日国連総会における先住民の諸権利の国連宣言の採択において先住民の定義
を付すことができない「困難」の理由でもある
- 政治的主体によるアリーナとしての国家が先住民を包摂していく過程とメキシコとグアテマラと
いう2つの国家における先住民運動特色の違いについて予備的に考察する。
- 先住民=先住民族→民族・文化→文化的アイデンティティ
- ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)言語の神授説を批判し、文化の基盤
概念としての言語の意義を主張し、文化の多様性と個々の集団帰属の結びつきから民族語の意義を明らかにした。
- 侵略ではなく合意(妥協,Ausgleich)としてうまれたオーストリア=ハンガリー帝国
期(1867-1918)にオーストロ・マルクス主義者オット・バウアーやカール・レンナーらの民族=国家論が、今日の民族(国民)帰属意識や文化言語の
関係、ならびに政治的自己決定の考え方の基礎になる。
- ハンナ・アーレント
「国民国家の没落と人権の終焉」ノート
- 他方で1920年代以降本格化する社会・文化人類学の近代的民族誌の蓄積は、民族集団と文化
の結びつき複雑な関係を明らかにしたが、同時に「文化」を民族集団の帰属物として識別・認定する能力をもつ専門家の知的権威の確立にも寄与するようにな
る。
- 近代国民国家の臨界
- 国家認定による、国民の権利の〈「自然法」授説〉と〈国民主権〉の循環論法
- 政治的主体の「自然法」授説にその存在論的意味をもって挑戦し国民国家の概念に対して反省的
自覚をもたらす人たち
- 国民の概念にそぐわない人たちの存在の扱いをめぐる政治的領域の課題
- 犯罪者・禁治産者(→制限行為能力者)
- 国内に留まる無国籍者・外国人・難民
- 先住民(→「先住民の世
界」)
- 先住民への「支援」と「連帯」
- 地域開発と引き換えに国家への〈同化〉を受け入れるタイプの「支援」=対立ではなく共存化プ
ログラム
- 開発とセットになった〈掬い上げ人類学〉の実施:〈掬い上げ人類学〉=サルベージ人類学
- 差異の根拠を〈言語や文化〉にもとめ、その保存を支援し、国内政治には関与(→干渉)しな
い。
- 普遍的人権としての生存権(→先住民権)の尊重と保全を先住民の帰属する国家に求めてゆく
「連帯」
- この両者の間には先住民性の〈本質〉を彼ら自身が保有しているはずだという前提があり、前者
では「同一化」を、後者では「差異化」という点で〈本質〉に介入しようとする社会実践である。
- 先住民を本質化することの逆説
- 「先住民は客観的に存在する」というイデオロギーは、保護主義的な非先住民からも主張され
〈先住民性〉を保持しながら、同時に帰属国家の経済的あるいは政治的抑圧からの解放を目論む言説としてしばしば使われる。
- 「先住民は客観的に存在する」という信念は、先住民と非先住民の区分を固定化する信念を派生
する(cf. jew/gentile)。←アーレント「全体主義の起源」
- 「先住民は客観的に存在する」という信念の正しさは、当事者と非当事者の双方の見解の一致を
要求するが、どちらか一方の否認により客観性の根拠を失う。
- 「先住民は客観的に存在する」という信念と「先住民の文化的アイデンティティによる自己定
義」は矛盾しないが、この考えは先住民と非先住民のハイブリッドを容認する方向には向かわず排除へと向かう。そこで引かれる線引きは客観的なものになりえ
ず、両者の境界は双方に対して被抑圧的/抑圧的に働く。
- 「民族=文化」を結びつける発想の客観仮説は、先住民文化の性質をより本質化し、「非先住民
の自由でフレキシブルなアイデンティティ形成」と対比した区分として際立たせる働きをもつ。恣意的で、意識的/無意識的な取捨選択の結果として、本来客観
的ではなかったものを客観的なものとして錯認してしまう。
- 異質性の強調=慣習法を復古する首長
- 政治的主体=市民になるための先住民運動
- マルクスによれば、フランス革命の「人と市民の権利宣言」の人と市民とは自らを養う財産と教
養をもつ人[ブルジョア]のことであり無産者階級は除外されていた。
- 1848-49年革命は、無産者階級の市民への帰属をめぐる再確定[=市民に含まれる人の境
界の改定]を求める運動でもあった。
- オーストロ・マルクス主義やカウツキーによれば、異同や相互批判はあるものの、民族=文化=
言語=国民という多元性とそれらの集団の自治能力を認めた上での、連合体としての連邦制や差異を乗り越えた統合の可能性を模索していた。
- 20世紀後半のメキシコとグアテマラで起こった先住民運動は、文化的アイデンティティの復権
運動と理解されているが、同時に同化を強要する国家に対する多元主義にもとづく文化的主権をもつ市民への帰属をめぐる再確定を求める(=政治主体になる)
運動ではなかったか?
- 先住民兵士の「国民」としての死
- ポストコロニアル近代国家からみた先住民
- 1970年代までの農民運動:左翼運動を基盤にした土地回復を求める階級闘争
- 1990年代以降の先住民運動:文化的アイデンティティ承認のみならずより広範囲の自己決定
権を求める解放闘争(=差異化の政治学)
- 国民(nation)の統一を妨げ、先住民の分離独立を目指す国家統治の根幹を揺るがす存在
- 国際社会からみた先住民
- 2007年9月13日国連総会「先住民の諸権利の国連宣言」の採択
- 先住民が誰であるのか実質的定義をおこなわない(93年草稿には「自称による決定権」条項が
あったが07年の正式文書には消失[清水昭俊 2008])
- 帰属国家へ完全な政治参加や自己決定権に加えて、諸権利の保全について国家と交渉する権利を
有する
- 国家と社会的信頼関係をむすぶことが期待された国家内における政治主体として独自(sui
generis)の地位をもつ
- 政治的主体としての先住民
- 政治主体としての先住民は、国家が先住民を国民として包摂する際に生じる過程が構造的に生み
出した集団であり、先住民の社会参加への要求は、当該国家における市民権の境界画定をめぐる民主化闘争であると解釈できる。
- 先住民運動は、差異の政治学を具現化している闘争よりも、来るべき近代国家の民主制にむかう
改善のための挑戦ではないか?(参照:サパティスタは反乱分子ではなく自らこそが「正統なメキシコ国民」であると主張)
- 《今後の課題》
- 1970年代までの階級闘争と、冷戦の終結以降エスノナショナリズムの勃興とアイデンティ
ティを基盤にした差異の政治学が、同一の目標を目論んだものなのか否か?
- 農民運動組織の形成や国家が実施した農民への土地取得政策という歴史的先行条件が、後の先住
民運動や「闘争」にどのような影響を与えているかについての検討。
- 反革命勢力であるスラブ民族を「歴史なき民族
GeschichtloseV?lker」として統治能力の本質的な欠如として断罪するマルクスとエンゲルス 1849年
- カール・レンナーによるマルクスの主張への批判と、レンナーが考案する民族(Nation)
の属人主義的定義[民族=アイデンティティ論の嚆矢]と[言語以外の]文化にもとづく民族=国民自治論
- マルクスらとレンナーの主張の違いは1848年革命勢力の担い手としての民族=国民の評価、
つまり前者の「歴史主体か否か」に対して後者の「歴史主体になれるか否か」の問いの違いにもとづく。
- オーストリア=ハンガリー帝国の遺産として、今日における国民=国家論(多民族・多言語・多
文化国家)
- 歴史的産物としての民族=国民(nation)の用法
- 文化構築主義者の挑戦(伝統の創造、想像の共同体論)
- トークンとしての「民族」「文化」「国民」
- なぜ政治的主体の概念が置いてきぼりにされたか?
- 国家認定による、国民の権利の〈「自然法」授説〉と〈国民主権〉の循環論法
- オーストリア=ハンガリー帝国末期:オーストリア=ハンガリー帝国の圏外(=対戦国)でお
こった出来事
- 1915年 英国は、アラブ人指導者フサインにアラブ国家建設を支持する(フサイン=マクマ
ホン協定)
- 1916年 英国はフランスとロシアとのパレスチナ分割領有を密約する(サイクス・ピコ秘密
協定)
- 1917年12月 英国はシオニストの働きかけを受け、パレスチナでユダヤ人ナショナル・
ホーム建設を支持する(バルフォア宣言)
- 麻薬戦争を変数に加えた先住民運動やマルクス主義運動との歴史的関係と、その帰結
文献等
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