先住民の世界
World of Indigenous Peoples
ター ルサンドに関する先住民族の権利(国連大学のサイトより)ここからの解説:池田光穂
【はじめに】★『研
究』という言葉自体が、先住民の言語の中で最も汚れた言葉の一つである——リンダ・トゥヒワイ・スミス『脱植民地化の方法論:研究と先住民』(1999:
1).——The word itself, 'research', is probably one of the dirtiest words
in the indigenous world's vocabulary(Smith 1999:1 ).
■先住民(indigenous peoples)とは?
"The term indigenous peoples generally refers to those ethnic groups descended from populations that were present in a geographic region prior to the colonial era." - "indigenous peoples" in Jay Kinsbruner and Erick D. Langer (eds.,), Encyclopedia of Latin American history and culture, Detroit: Gale , 2008.
「先住民(ないしは先住民族)は、植民地時代よりも以前にあった地理的領域に存在したことがある人びとに由来する民族グループの一般的な総 称のことをさす」キンズブルーナー他編『ラテンアメリカの歴史と文化百科事典』ゲール社、2008年
池田光穂「先住民(先住民族)」の項目を参照してください。
■ラテンアメリカの先住民がなぜインディアン (インド人)と呼ばれるようになったのか?
"In Latin America it has come to replace the term Indians, which was a misnomer applied by Columbus that is also generally taken as a pejorative term. Although most Latin Americans could claim some pre-European ancestral link, those who are identified and selfidentify as indigenous also share a set of distinguishing traits." - "indigenous peoples" in Jay Kinsbruner and Erick D. Langer (eds.,), Encyclopedia of Latin American history and culture, Detroit: Gale , 2008.
「ラ テンアメリカでは、インディアンを先住民(ないしは先住民族)と呼ぶようになったが、このインディアンはコロンブスが[西インド諸島で 東方のインド人と]間違えて呼称したことに由来するのであり、また一般的にインディアンという呼称は侮蔑的な意味合いをもつからである。多くのラテンアメ リカの人はさらに古いヨーロッパの祖先と繋がっていることを当たり前のものと主張しているにもかかわらず、明白な形質の一連のセットで表される先住民とし て同一視されたり、また自らを同一視することもまた容認している」
■【番外・脱線】ジジェク・ジョーク 「俺 たちはネイティブ・アメリカンと呼ばれたくない」
私 (池田)の大好きな哲学者にスラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949- )さんがいます。その彼が、講演会で使うジョーク「俺たちはネイティブ・アメリカンと呼ばれたくない」です。そのお話はざっと以下のようなものです。みな さんは、このジョークを(うまく・あるいは・へたくそに)笑えるでしょうか?
「私 (ジジェク)の米国のモンタナ州の(先住民の)友人は、こういう。『俺たちはインディアンだ、俺たちはネイティブ・アメリカンと呼ばれ たくない』。どういうことでしょうか?友人の言によれば、こういうことです。なぜ、ネイティブが嫌なのか?テイディブは自然の領域に属する(→註:これに は「自然と文化の二分法」 についての知識が必要かもしれません)。だが俺たち(先住民)は、野生で自然ではない、俺たちは『文化的』なのだ。アメリカの白人は、先住民をもちあげ て、先住民は自然を尊重する、元祖エコロジスト、つまり、先住民はすばらしいと賞賛するが、それは俺たちが『野生で自然』と思い込んでいる。俺たちの側こ そが『文化』なのだ(→註:これには「自民族中心主義」に関する理解が必要かもしれ ません)。それゆえにネイティブなどとは呼ばれたくない。むしろ、俺たちをインディアンと呼んでほしい。どうしてか?(南北両大陸の先住民をインド人と間 違えて白人たち呼んだゆえに)インディアンという呼称は、実は『白人たちのバカさ加減』を証明することだからね!!!」
【なぜこのジョークは面白いのか?】ジジェクのこのジョークは、コケにされていない日本人や東洋の人には、それほど面白くない
でしょう。おもしろくない理由はこうです。すなわちみなさんは「自分たちは自分たちがそう呼ばれたいように自称」するという自民族中心主義=エスノセントリズムをすでに脱構築している可能性があるでしょう。しかし、先住民の場合は異なります。「自分たちは自分
たちがそう呼ばれたいように自称」する機会が奪われ、いつも支配民族か
ら呼ばれることに満足しなければならないからです。そのようななかで、なぜ、先住民が(文化や文明から排除された)ネイティブアメリカンと呼ばれるのを嫌
がり、呼ばれるたびに白人自身が「俺は愚かなことに君たちをインディアンと呼ぶ」と間抜けであることを都度、自称しているのを聞くのは、先住民にとって胸
の掬いがとれる思いであるからです。
■「先住民(族)の権利に関する国際連合宣 言」の歴史的意義(→「先住民族の権利に関する国際連合宣言(A/RES/61/295)」2007 年)
先住民/先住民族の定義において、欠かせないのが2007年(9月13日)に 国連で採択された「先住民(族)の権利に関する国際連合宣言」です。しかし、興味深いことに、この宣言では、明確な先住民の定義はおこなわず、《先住民が その 外側の世界からどのような扱いを受けてきたか?》ということが、比較的延々と述べられています。以下ではその前文(北海道大学アイヌ・先住民研究センター 訳,Ver.2.2, 2008年8月)の部分を引用し、番号を付して、下線を示します。つまり、その外側の世界から歴史的にそのようにあつかわれてきた /あつかわれている《実際の具体的に存在する集団》であることが、この宣言から読み取れる《先住民/先住民族の潜在的定義》ということになります。
UNDRIP の日本語の簡潔な解説は、ウィキペディ ア「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を参照のこと。条文を除いた、宣言 文は下記のとおりである。(ボールド=太字は引用者である)
総会は、 国際連合憲章の目的及び原則並びに憲章に従って国が負う義務履行に係る誠意を指針と し、 すべての民族が、他と異なっている権利、自己を異なるとみなす権利、かつ、そのよう なものとして尊重される権利を有することを認識しつつ、先住民族が他のすべての民族と 平等であることを確認し、 また、すべての民族が、人類の共同の財産である文明及び文化の多様さ及び豊かさに寄 与していることを確認し、 さらに、国民的出身又は人種、宗教、民族若しくは文化の違いに基づく民族又は個人の 優越性に基礎を置き、又はそれを主張するすべての教義、政策及び慣行が、人種差別的で あり、科学的に誤っており、法的に無効であり、道義的に非難されるべきであり、かつ、 社会的に不正であることを確認し、 先住民族が、その権利の行使に当たり、いかなる差別も受けてはならないことを再確 認 し、 先住民族が、特に植民地化並びにその土地、領域及び資源のはく奪の結果として 歴史的に不正に扱われてきたこと、それによって特に自己の必要と利益にしたがっ て発展の権利を行使することを妨げられていることを憂慮し、 先住民族の政治的、経済的及び社会的構造並びにその文化、精神的伝統、歴史及 び哲学に由来する先住民族の固有の権利、特にその土地、領域及び資源に対する権 利を尊重し、及び促進することが緊急に必要であることを認識し、 また、条約、協定及びその他の国との建設的な取決めで確認された先住民族の権 利を尊重し、及び促進することが緊急に必要であることを認識し、 先住民族が、政治的、経済的、社会的及び文化的向上のため、並びにあらゆる形 態の差別及び抑圧が生じたときはどこでもそれを終わらせるため、団結しているこ とを歓迎し、 先住民族並びにその土地、領域及び資源に影響を及ぼす開発に対する先住民族に よる管理が、先住民族が、その制度、文化及び伝統を維持し並びに強化し、並びに その願望及び必要に合致する発展の促進を可能にすることを確信し、 先住民族の知識、文化及び伝統的慣習の尊重が、持続可能で衡平な発展及び環境の適正 な管理に寄与することを認識し、 先住民族の土地及び領域の非軍事化が、平和、経済的及び社会的な進歩及び発展並びに 世界の諸国及び諸民族の間の理解及び友好関係に寄与することを強調し、 特に、先住民族の家族及び共同体が、子どもの権利と調和するように、子どもを 養育し、訓練し、教育し、及び福利を増進することについて共同の責任を持つ権利 を有することを認識し、 国と先住民族の間の条約、協定及びその他の建設的な取決めで確認された権利 は、 場合によっては、国際的な懸念、関心、責任及び性質を有する問題であることを考慮し、 また、条約、協定及びその他の建設的な取決め並びにそれらが示す関係が、先住 民族と国との間の強固なパートナーシップの基盤であることを考慮し、 国際連合憲章、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権 利に関する国際規約並びにウィーン宣言及び行動計画が、すべての民族をしてその政治的 地位を自由に決定し、経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求することを可能ならし める自決の権利の基本的重要性を確認していることを認め、 この宣言のいかなる記述も、国際法にしたがって行使されるいかなる民族の自決の権 利 も否定するために用いられてはならないことに留意し、 この宣言における先住民族の権利の承認が、正義、民主主義、人権尊重、非差別及び 信 義誠実の諸原則に基づく国と先住民族の間の調和的で協力的な関係を強化することを確信 し、 国に対し、関係する民族と協議及び協力して、国際文書、特に人権に関する国際文書の 下で国が先住民族に対して負うすべての義務を遵守し、及び効果的に履行するよう奨励し、 国際連合が、先住民族の権利を促進し、及び保護するにあたって重要かつ継続的な役割 を果たすべきであることを強調し、 この宣言が、先住民族の権利と自由の承認、促進及び保護のための、並びにこの分野に おける国際連合体制の関連する活動を発展させるための、より重要な一歩であることを確 信し、 先住民である個人が、国際法が承認するすべての人権を差別されることなく享有する こ と並びに先住民族が、その生存、福利及び民族としての全体の発展のために不可欠な集団 的権利を有することを認識し、及び再確認し、 地域ごと及び国ごとに先住民族の状況が異なること、並びに国及び地域の特殊性並びに 多様な歴史的及び文化的背景の重要性が考慮されるべきであることを認識して、 パートナーシップ及び相互的尊重の精神をもって達成すべき基準として、先住民 族の権利に関する国際連合宣言を次のとおり厳粛に宣言する。 (以下条文が続く)http://www.cais.hokudai.ac.jp/wp- content/uploads/2012/03/indigenous_people_rights.pdf |
すこし煩瑣ですが、ここから得られる《先住民/先住民族の像》がどのようなものであるのか解説を加えます。
(a)すべての民族が、他と異なっている権利、自己を異なるとみなす権利、かつ、そのようなものとして尊重される権利を有すること
異なった独自のスタイルをもつ集団(人々)であること。
(b)人類の共同の財産である文明及び文化の多様さ及び豊かさに寄与していること
人類の多様性に貢献している集団(人々)であること。
(c)国民的出身又は人種、宗教、民族若しくは文化の違いに基づ く民族又は個人の優越性に基礎を置き、又はそれを主張するすべての教義、政策及び慣行が、人種差別的であり、科学的に誤っており、法的に無効であり、道義 的に非難されるべきであり、かつ、社会的に不正であること
異なった独自の生活スタイルにもとづいて歴史的に差別されてきた集団(人々)であること。
(d)いかなる差別も受けてはならないことを再確認し、先住民族が、特に植民地化並びにその土地、領域及び資源のはく奪の結果として歴史的 に不正に扱われてきたこと、それによって特に自己の必要と利益にしたがって発展の権利を行使することを妨げられていること
社会経済的に差別されてきたのみならず、居住地やその周辺の環境や資源が奪われてきた集団(人々)であること。
(e)先住民族の政治的、経済的及び社会的構造並びにその文化、精神的伝統、歴史及び哲学に由来する先住民族の固有の権利、特にその土地、 領域及び資源に対する権利を尊重し、及び促進することが緊急に必要であること
精神的伝統、歴史および哲学——つまり「文化」において——独自性を保ってきた集団(人々)であること。
(f)条約、協定及びその他の国との建設的な取決めで確認された先住民族の権利を尊重し、及び促進すること
歴史的に、法的保護の対象になったり、法的に独自の集団として条約などの取り決めを国家や周辺の共同体と取り決めができる法人格をもっ た集団(人々)であること。
(g)先住民族が、政治的、経済的、社会的及び文化的向上のため、並びにあらゆる形態の差別及び抑圧が生じたときはどこでもそれを終わらせ るため、団結していること
自分たちの権利を守るために独自の組織と運営方針をもち団結した/している/しようとしている集団(人々)であること。
(h)先住民族並びにその土地、領域及び資源に影響を及ぼす開発に対する先住民族による管理が、先住民族が、その制度、文化及び伝統を先住 民族の知識、文化及び伝統的慣習の尊重が、持続可能で衡平な発展及び環境の適正な管理に寄与すること
居住地やその周辺の環境や資源を独自に管理することができる権限をもった集団(人々)であること。
(i)先住民族の土地及び領域の非軍事化が、平和、経済的及び社会的な進歩及び発展並びに世界の諸国及び諸民族の間の理解及び友好関係に寄 与すること
周辺の共同体、それを包摂する複数ないしは単数の国家、ならびに国際社会との友好な関係を持とうとする集団(人々)であること。
(j)子どもの権利と調和するように、子どもを養育し、訓練し、教育し、及び福利を増進することについて共同の責任を持つ権利を有すること
次世代の集団の育成に責任をもち、人類の普遍的な子供の養育や福利について責任をもつ集団(人々)であること。
(k)国と先住民族の間の条約、協定及びその他の建設的な取決めで確認された権利は、場合によっては、国際的な懸念、関心、責任及び性質を 有する問題であること
周辺の共同体、それを包摂する複数ないしは単数の国家、ならびに国際社会との友好な関係をもつ際には、さまざまな次元における統一性を もたせることができる集団(人々)であること。
(l)条約、協定及びその他の建設的な取決め並びにそれらが示す関係が、先住民族と国との間の強固なパートナーシップの基盤であること
自らの先住民性を意識し、条約、協定及びその他の建設的な取決め並びにそれらが示す関係に対して友好的であろうとする集団(人々)であ ること。
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これらのことから、先住民/先住民族は、その外側 の世 界から、一般的に言うと政治経済的な暴力や搾取、貧困などを強いられてきた具体的な集団で あることがわかると同時に、移動や文化変容とおして固有の言語や生活習慣がなくても、具体的に差別や搾取の対象になっている限り、当事者がそこには帰属し ていないことを明確に意識し宣言しない限り、《その存在を否定できない具体的集団》であり、世界の人々は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に書かれ ている「先住民族の権利」擁護のためにさまざまな行動をおこすのみならず、帰属している国や共同体に対して、それらの具体的な方策や政策を実行するように 促す責務があることを意味します。
この事態は、いったい国際社会のなかで「先住民」という集団に対して、どのような影響を与えるでしょうか? 私は、それは2007年9月の 「先 住民(族)の権利に関する国際連合宣言」以降、先住民は、国際連 合が考える国際社会の社会のなかで、国民国家イデオロギーから自由になり、国境内の先住民問題を内政問題として国際社会全体から免責させておくような「先 住民問題」など有り得なくなったということです。それは、国際社会が難民問題に対してその問題を無視することができなくなっていることと同 様なことです。言い換えると「先住民」という人間集団のカテゴリーが(国際)政治化したということになります。そして、そのような政治的カテゴリーによっ て定義される人たちは、その歴史・社会的文脈のなかで、自らの「政治的アイデンティティ」を獲得することになります。
■政治的アイデンティティとは?
政治的アイデンティティ(Political identity)とは、狭義には(1)法やイデオロギーが要請した「集団」に対して、政治権力構造が画一的な対応 をする際に、その構成員とみなされる人々のなかに生まれるアイデンティティのことである。そして、この法やイデオロギーの社会的機能から派生する、広義の 政治的アイデンティティの定義とは、(2)法やイデオロギーがつくりだす秩序や抑圧構造に抵抗する人たちが、集団的行 動や実践をおこなう際に、その人たちの間に生まれる連帯感や一体感あるいは価値観の共有を構成するものもまた、そのように呼ぶことができる。(→出典:「政治的アイデンティティ」)
■先住民問題を訴える民衆メディアの重要性
下記の雑誌はメキシコで出版された風刺雑誌の表紙である。雑誌の名前は『座り込む人たち(los agachados)』と読める。
そして次の疑問文はこうである;「君は自分の可愛い娘を《ごっくん!—擬音語》インディオと結婚させるのか?」その下の男性は顔の上部斜め 1/3が白人で、下が赤銅色の先住民の血による混血を(自分の中で)分離したイメージを提示している(このイラストの作者はたぶんルイス[Ruis]だろ う)。そして、一番下の青色の文字は【メキシコにおける差別】である。
社会的差別の問題を、自分たちの子供の身近な結婚問題から考えるというメッセージがそこから窺える。
■先住民と先住民族に関する用語法について
さて、Indigenous peopleについての日本語訳には、現在2つの呼び方があります。それは先住民(せんじゅうみん)と先住民族(せんじゅうみんぞく)です。
文化人類学では、比較的むかしからIndigenous People のことを先住民(せんじゅうみん)と呼んできました。他方、この訳語に対して先 住民族(せんじゅうみんぞく)と呼ぶべきであるという主張があります。
文化人類学者のなかにも先住民族と呼ぶ人たちがおり、現状の使い方では、先住民/先住民族いずれの使い方でも受容されています。
この言葉の使い分けを、単純に帰属する集団にあわせた個人を先住民、帰属する集団を指し示す先住民族という区分もなりたちます。しかし、先 住民たちを表わすのに、たんに先住民という表現があるように先住民は単数で、複数は先住民族であるという表現は、2つの表現を一つの著者が用いることで、 読者に不必要な混乱を招く危険性があります。
人類学者が、先住民族よりも先住民を使う傾向がつよい理由の一つは、日本では「民族=みんぞく」を「我々日本民族」というようにあたかも人 種的カテゴリーや国家構成員として使ってきた経緯(例:民族主義者=ナショナリスト、民族解放戦線=National Liberation Front)があり、それをethnic group(民族集団)を表現する形容詞や修飾語抜きの「民族」としばしば混乱を招く——とくに一般の人たちに説明する際には——ことを危惧するからで す。[→ミンゾクの定義][→先住民と人類学]
他方、これまでの国民国家政策における先住民族に対する文化的抑圧(改名や土地の権利の剥奪、人種的劣等視など)の歴史をふまえ、先住民の 権利擁護の立場からみれば、まず民族(Nation)として人々の権利主体を認めなければならないという観点からすると、先住民共同体の国民 (Nation)としての呼称は先住民族であるのだ、という主張も肯けます。現にカナダでは、先住民をFirst Nations(最初の国民=国家)の人たちであるという表現が公的になされています。
私は先住民族と先住民の呼び方についての以上のような歴史的政治的経緯をふまえた上で、先住民と使っていることをご理解ください。
《注意》:その後、私はこの用語法の選択について、以前とは微妙に違った考え方をもつように、な りまし た。「先住民(先住民族)」をごらんください(2016年1月26日)
民族学や人類学の概念ではないとしても、民族学や人類学は「先住民(ないしは先住民族)」を自称したり、また他称されている人の集団(=民 族)を研究する のであり、民族学や人類学が、上村英明さん(2008)のいう「政治的概念としての先住民族」を研究対象にできないわけではない。むしろ、上村の指摘を、 民族学者や人類学者が引き受けるとすると、それまでの民 族学や人類学が、少数民族ないしは先住民族の「政治的問題」を避けてきており、政治学領内での議論、あるいは政治学者たちと真摯な議論をおこなってこな かった歴史的可能性すらある。そのために、この「先住民か、先住民族か」という問題は、どちらの呼称に「正しさ」があるのか、ということではなく、民族学 者や人類学者は、「先住民(ないしは先住民族)」の政治的問題に果敢に取り組んでいくことが重要なのである。(→出典:池田光穂「先住民か? 先住民族か?」)(→「政治的アイデンティティ」)
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