多文化共生はじめの一歩
Introduction
to Multicultural Symbiotic Societies, TABUNKA-KYOSEI
SHAKAI
日本はこれまでも、またこれからも着実に多民族かつ多文化の社会に移行しつつあります。日常生活においても多民族多文化の共生つまり多文化共生なしにしては、もはや存立できないことも確実です。
地方自治体の多文化共生への取り組みは、教育や医療など切実な問題を現実に抱えている地方自治体のほうが、政府より早い対応をしており、その過 程のなかで多文化共生への取り組みを続けてきましたが、その理念には大きな違いはありません。多文化の「共生」は、それにむかって行動する市民にも、また 支援しなければならない行政府にとっても、実現されなければならない理念として込め られていることを確認する必要があります。いわば、多文化共生はじめの一歩、市民社会プログラムなのです。
他方で、多文化共生という言葉には落とし穴があります。支配民族と被支配民族という対立区分をここで立ててみましょう(→「エスノクラシー」)。支配民族にとっては多文
化状態であること共生することの多文化「強制」は差別を固定化するのに都合いいということもできます。多文化共生とはいいことではないかと一方的に思って
いると、そのことに支配民族も被支配民族も、その背景で行われている「差別」や「排除に」無自覚で当たり前になるということになりかねません。これは支配
民族である強者による分割支配には都合がいいわけですね。したがって、おざなりの多文化共生ではなく、同化思想や、分割して統治するという発想ではない
「真の」多文化共生が、いま、まさに、求められています。
高等教育機関における多文化共生社会を推進する次世代育成プログラム(研究課題)
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