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感情労働

emotional labour


解説:池田光穂  医療人類学辞 典

感情労働とは、相手(=顧客)に特定の精神状態を創り出すために、自分の感情を誘発し たり、逆に抑圧したりすることを職務にする、精神と感情の 協調作業を基調とする労働である。

この用語は、社会学者A・R・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild, 1940-)による。感情労働の典型として表されたのは、航空機における白人女性の客室乗務員であるが、現在で は、医療者をはじめ、ファストフードの販売担当者、コールセンターの対応員、企業のクレーム処理担当者など、さまざまな生活の局面で感情労働に従事する人 たちを観察することができ る。あるいは、交渉相手の個人情報が入手できなかったり、あるいはその必要がない、私たちの日常生活の中では、感情労働は、誰しもが身につけている「作 法」の一部と言うこともできる(→これは、現代社会における「労働の女性化」ないしは「労働のジェンダーフリー化」と関係あるかもしれない。→「労働のジェンダー化」)。

アーリー・ホックシールド理論のテーゼは、感情は社会的に構成されるものであるが、その社会の構成員が理解しているフォークセオリー=エスノサ イエンス(民族知識)としてのルールを内面化し、外部表出を管理しているということである。彼女は、感情に関して、内部に抱くものと外部に表出されるもの に齟齬があるとすると、それを修正(「感情管理」)しようとする。こ の修正には浅いレベルもの(「表層演技」)と深いレベルのもの(「深層演技」) の2種類のものがある。前者「表層演技」は、齟齬があるのを自覚したまま、それを相手に気づかれないようにする操作=「感情管理」である。他方、「深層演 技」は、心の中の対話のようなもので、つねに「正しい感情」を抱こうとする「感情管理」である。後者のものは、私(池田)にとって、神父や坊主——時には 学校の教師——などの聖職能者が言うような胡散臭いものである。しかし、彼女に言わせれば、「正しい感情」や「ほんとうの気持ち」(トリリング 1989)は、行為者がリラックスできるような私的領域では表出しやすい(私は古臭いゴフマニアン[ゴッ フマン主義者]なので、死体にも敬意をはらう人間特性からみて非現実だと思う)。そして、公的領域では、感情表出(感情管理)は、エスノサイエン ス(民族知識)としてのルールが優先しやすいことは、ゴッフマンが明らかにしたとうりである。

理論用語としての感情労働が意味するものは、労働力商品として感情を表出したり制御することが労働者に要求されていたり、日常生活の 「普通」の 感情表出が阻害(疎外でもある)されているということである。

したがって、この用語の理論的難点は、感情の商品化の測定が果たして可能 であるのか、あるいは、感情労働に対するストレス負荷の個人的差異 を、 労働にともなう疎外と考えるかという、感情労働の負荷の測定に関わる問題である。現代社会が抱える質的な問題として、感情労働を議論する際 には何の問題も ないだろうが、感情という曖昧で、歴史的社会的文化的に相対的な概念を、量的に評価することは難しいだろう。

純粋に社会学的議論だった感情労働論が、ビジネス管理という観点からは、労働者へのストレスマネジメントが可能なのか、あるいは労働組合が感情 労働に対する付加的な対価(賃上げ)を求めることが正当化なのかという議論に展開しやすい。また、感情労働というものが、ビジネス・グローバリゼーション の広がりのなかで、どれだけ多文化状況に対して理論分析にとって「有効」なのか、あるいは、労務管理においてどれだけ「役に立つ」のか、ということについ ては大いに議論の余地がある。言い方を変えると、この用語は労働者の不満の用語法、クレームメイキングの手段にもなってしまった。

もともと、「ホックシールドの感情労働論」は、社会学のゴッフマン と、マルクスを節合させるという、スリリングな議論であったが、日本国内で感情労 働を議論する場合は、その多くはジェンダー論での枠組みの話になりやすい。しかし、マルクスの『資本論』(1867,1885,1894)の時代と異な り、労働環境もジェンダーに関する社会的意味付けも変化してきたことから、先に述べた ように、現代社会における「労働の女性化」ないしは「労働のジェン ダーフリー化」から、今一度、感情労働の議論を、精査してみることも必要だと思われる。女性に感情労働がもとめられやすいのも世界的動向である。言い方を 変えると、女性の感情労働は、より「自然化」されやすい。

感情労働について考えるためには、私的価値と公共的価値、私的疎外と公的疎外という2極から始めるのがいい。また、下の図は、パーソンズの医師-患者関係を図式化した時に使ったものだが、当然、これらの時相の間にはさま ざまな感情労働がみられることは、明らかであろう。

ドメイン
私的領域(心理的領域)
公的領域(労働あるいは社会学領域)
エージェント
自己あるいは客我(Me)、我
社会的存在としての私あるいは主我(I)、汝
パフォーマンス
本物の自分
演技(表層演技、深層演技)

 

そして、ビジネス管理と感情労働の結びつきは、ますます、高まってきている。

●感情労働の現場は、意外と多様性がある

● 私の感情労働論批判

●客我(Me)と主我(I)の違い

★キャバクラ嬢の感情労働(→出典「新宿タワマン殺人事件」)

「キャバクラ嬢が隣に座り、接待する。通常のキャバクラでは性的な行為などは禁止され ている。ハウスボトル(ブランデー・ウイスキー・焼酎等)は飲み放題であることが多い。料金は時間制でのセット料金である。他に指名料、キャストドリンク 等が発生する。店舗によっては「テーブルチャージ・税金・サービス料」等として5~20%程度割増となることがある。延長確認の有無は店舗によって異な る。また店外デートについては「同伴」出勤や店の閉店後にキャバクラ嬢と客で酒などを飲みに行ったりカラオケに行ったりする「アフター」がある。同伴出勤 の回数はキャバクラ嬢の給与体系の中に組み込まれており、同伴回数にノルマを設けている店なども存在する。また同伴回数と指名(本指名・場内指名)本数や ドリンクの売り上げ等は給与にインセンティブとして上乗せされる。客の指名が被った場合には一方の客に指名以外のキャストが付くが、これをヘルプという。 どの客にどのキャストを付けるかといったことも重要なホール業務となってくる」

「女性従業員(キャバ嬢・キャスト)には「笑顔での応対」や「相手に話を合わせながらいい気分でお酒を飲ませる」など、感情労働を求められる。」

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文献