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研究倫理の3つの公理

Three Axioms on Research Ethics


池田光穂

研究倫理とは,研究活動が何らかの社会性をもち, かつその成果が社会に影響を与える時に,社会がその成員とりわけ科学者集団に対して,何らかの規範を与えて,それを適切に制御することを意味する。通常, 人が考えたり,研究したりすることは,研究する人の独自で自由な活動であり,それが外部から何らかのかたちでコントロールされることは,一見理不尽なこと と思われる。しかし,研究が社会の他の成員に何らかの危害を及ぼすことは,その量や数の多寡,その質の多様さにかかわらず,常に起こりえる。研究倫理は, そのような危険性に対する介入であるので,なんらかの未来予測や,それを踏まえた「危害の予防」が必要になる。さらに,研究が「人類を幸せにする」という 社会的使命を標榜し,社会から承認され研究費や声援——モラルサポート——を受けている場合においては,研究倫理上の規範を,研究者自身あるいは研究集団 が作り,それを遵守し,その姿勢を社会に示してゆくことは避けられない。

他方で,研究の正しさ,客観性の担保,そして「人類の福利」などの基準などは,時代や社会によって相対的に決まるという性質がある。それゆえ,研究倫理 上の正しさや正当性の基準もまた変化しうる。研究倫理は,研究者集団およびそれを見守る社会によって,定期的に管理,点検され,必要に応じて改訂してゆく 作業が不可欠となる。これを「研究公正(Research Integrity)」と言います。

研究倫理を習得するために特別の奥義——とっておきの秘密の知識や技法——があるわけではない。単純に次の3つの約束について考えてみよう。これらは経 験的に研究倫理上の公理(axiom)を構成する。なぜなら,この3つのうち一つでも欠けてしまったり,逆のことがおこったりすると研究上の倫理が保証で きなくなると考えられているからである。

A.研究者どうしの信頼

B.専門家に与えられた規範の遵守

C.公衆に奉仕すること

このうちB.が狭義の研究倫理に該当する。そして A.は科学者集団という(社会の)下位集団内における道徳的規範を示し,C.は,A.をも含む,社会全体 に対する道徳的規範のことを示している。それぞれの上の3つの公理から逸脱することが,どのような社会的帰結をもたらすか想定できるだろうか。それぞれ が,破綻したことを想像してみよう。次のような弊害が生じるはずである。

A’.研究者間での疑心暗鬼の みならず,研究者に対する社会的信頼がなくなってしまう。

B’.嘘や不正(あるいは不正確)な情報が社会に流布する余地を作ってしまう。

C’.人々に害が及び,研究の実践および研究の成果を社会が承認してくれなくなる。

このような説明をすると「これは当然で,研究倫理 の以前の問題である。研究する人間が正しくあれば,研究倫理上の問題はおこらないはずだ」と反論される かもしれない。しかし,個人が正しく正確に職務を遂行していても,集団(ここでは研究者集団)全体の行為が不正であると判断されれば,個人の倫理的責任が 問われることがある——戦争犯罪のことを想起してほしい。

その端的な逸脱の例を,ここでは「C.公衆に奉仕すること」に反する例として,原子爆弾の製造に考えてみることができる。それぞれの研究者は科学的に正 しく推論し,設計し,理論的に正しく研究を行い,また個人生活の上では倫理的に正しい人たちであっても,またその「成果物」が「不正で間違った敵」を降伏 させるために使われる目的で開発されても,それらのことと無関係に,開発されたものは無垢な人たちを大量に殺戮することができると,「正しく」推論できる はずだ。もちろんここでの「無垢の人たち」の犠牲というのはあらゆる空爆と同様つねに被害者(国)側の申し立てによるものである。仮に「不正で間違った敵 国」の対外戦争行為をしているからといって,その国の人々のすべてがとんでもない鬼畜であるというステレオタイプも誤っている。研究者は爆弾を製造しただ けでその殺戮に責任はなく,軍人やその国の大統領が使用を許可した人たちが悪いと切り分けることもナンセンスである。なによりも開発した研究者自身が最初 の核実験をしたときに(それがもたらすものがどのような意味をもっているのか)驚愕したほどなのである。科学者が倫理的であっても,その巻き込まれた状況 がヨハン・ガルトゥングの言う「構造的暴力」を形成する時に,科学者だけが無罪で免責されるわけではない。皮肉なことに世界的に権威のあるノーベル賞は, スウェーデンのアルフレッド・ノーベルによるダイナマイト発明の巨額の特許を原資にして,世界の知識人による科学的業績の顕彰が始められたと言われてい る。

戦争と科学技術の倫理が結びつくことはABC(核・細菌・化学)兵器以外の「通常兵器」にも認めることができる。日本の家屋に木造の家が多いことを知り 焼夷弾を使い戦略爆撃をしかけ,その破壊の効果を評価していた経営学専攻だった米軍の将校ロバート・S・マクナマラがいる。彼は,その結果,日本で何が起 こっていることをその作戦遂行中から正確に把握していた。彼は半世紀後のインタビューのなかで,日本への戦略爆撃が明らかに「戦争犯罪」なりえたことを認 識し,もし日本が戦争に勝利していたら,自分たちが戦犯軍事法廷にかけられて戦争犯罪人になっていただろうということを述懐している。マクナマラは戦後, アメリカの国防長官になり,ベトナム内戦への米国の介入に関わる。そして,あの悪名高き「枯葉作戦」——2,4-D等の有機塩素系の除草剤を空中散布して ゲリラの潜む森林を破壊したが同時に散布地域に多くの奇形児が発生することになる——の実質的責任者となる。この作戦は国際的に非難されたが,ベトナム戦 争で敗北した当事国の軍事作戦責任者である彼は国際的な法廷において審理にかけられることはなかった。「戦争において除草剤を使うこと禁じるという文言は 無かった」というのが戦後の彼の弁明である(ビデオドキュメンタリー:E. Morris (Dir.), The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara, 2003)。

リンク

文献
- 池田光穂(2010)実践を生み出す論理の可能性:対話論ノート.Communication-Design. 3:210-224.
- 池田光穂(2014)医療人類学.伏木信次・樫則章・霜田求(編)生命倫理と医療倫理(Pp.224-233).京都:金芳堂.
- カント,I.(1969)実践理性批判.東京:角川書店.
- 和辻哲郎(2007)人間の学としての倫理学.東京:岩波書店.

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