科学社会学入門
Introduction to the Sociology of Science
池田光穂
科学社会学(か がく・しゃかいがく、 Sociology of Science)とは、科学者と彼らが実践する科学的営為を、社会的営為としてみな し、それを社会学の理論や方法を使って分析する学問である。
サイエンス・スタディーズの短い歴史は、1996年 にSocial Text 誌において、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal, 1955- )が、その2年に投稿し、前年に公刊された同誌の論文"Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity"をめぐって編集者にでっち上げを暴露した、ソーカル事件あるいはサイエンス・ウォーズの前後に大きな分水嶺をもつ。科学社会学も同じよう な流れのなかに位置づけられる。つまり、1996年以前の科学社会学は、ロバート・キング・マートンらに代表される、牧歌的な科学者集団の社会的エートス の形式主義的分析であり、それ以降は、研究費と社会的名誉をめぐる熾烈なドッグレースをくりひろげる一流研究者と、(科学史家トーマス・クーンのいう)パ ラダイム内で、大学や高等研究機関という制度的枠組みのなかで、ルーティン・ワークをつづける、ノーマルサイエンスを再生産する研究者たちである。
前者の牧歌的時代は、形式主義的アプローチと呼んで もよく、科学者の思弁的な議論と、研究の現場を混同する貧弱なアプローチである。池田は、その細かい細部な事情の以下のように表現している。
「このような科学的進歩概念の相対化とそれと
関連する科学者集団もつ「意識」に着目する流れは、研究者の関心を、科学研究者の著作や論文のみな
らず、実験ノートや私信などへと移し、さらには科学者自身がどのように実験データから知識を構成していったのかという——「あまりにもカント的」な名称の
——知識社会学の細部への関心を生むにいたった[ギアーツ
1999:267]。その結果、科学者自身が生きた社会との関係、すなわち科学の社会史という研究下位領域の再活性化の契機にもなった[マルケイ
1985; 松本 1998]。もっとも有力なものがエジンバラ大学の科学研究グループ(ブルア[David Bloor, 1942-
]、バーンズ[S. Barry Barnes, ]、シェイピン[Steven Shapin, 1942-
]ら)のストロング・プログラムである。「科学的知識の社会学[Sociology of Scientific Knowledge,
SSK]」のひとつであるストロング・プ ログラム[the strong
programme]では、科学知識の信念や知識に関する社会的条件(因果性)、その時代におこった真偽、正否、合理/非合理の説明を価値判断ぬ
きに行う(不偏性)、
それらの対立する要素の説明が同じ論理のなかで対称的に説明できる(対称性)、および説明がみずからの正しさを証明できる(自己反射性)という原則におい
て科学の説明を試みようとした[ブルア 1986; バーンズ
1989]。ストロング・プログラムに代表される——科学論ではこれにバース学派が加わる——科学知識の社会学(Sociology of
Scientific Knowledge,
SSK)は、科学の社会現象を認識論的相対化によって理解しようとした立場である。さらにその認識論的な相対化ゆえに、あらゆる知識表象がその現
場の知識 生産のプロセスと無媒介的に認識論的に自由に操作されるという危険性を孕んでいた。
しかし、サイエンス・ウォーズの勃発と、アラン・ ソーカルとジャン・ブリクモンという火付け人たちの、内省性のない中途半端な問題提起だけに終わり、サイエンス・スタディーズは死ぬことはなかった。なぜ なら、その研究対象であるメイン・ストリームのサイエンスのほうが、現在もなお隆盛を保っているからである。形式主義的アプローチにも数多くの新しい課題 が生まれている。
The term physics envy is
used to criticize modern writing and research of academics working in
areas such as "softer sciences", philosophy, liberal arts, business
administration education, humanities, and social sciences.[1][2][3] The
term argues that writing and working practices in these disciplines
have overused confusing jargon and complicated mathematics to seem more
'rigorous' as in heavily mathematics-based natural science subjects
like physics.[4][5] |
物理学の嫉妬(physics envy)という用
語は、「ソフトサイエンス」、哲学、リベラルアーツ、経営学教育、人文科学、社会科学などの分野で働く学者の現代的な文章や研究を批判するために使用され
る[1][2][3]。この用語は、これらの分野での文章や仕事のやり方が、物理学のような数学を多用する自然科学科目のように、より「厳格」に見えるよ
うに、紛らわしい専門用語や複雑な数学を多用していると主張している[4][5]。 |
Background The success of physics in "mathematicizing" itself, particularly since Isaac Newton's Principia Mathematica, is generally considered remarkable and often disproportionate compared to other areas of inquiry.[6] "Physics envy" refers to the envy (perceived or real) of scholars in other disciplines for the mathematical precision of fundamental concepts obtained by physicists. It is an accusation raised against disciplines (typically against social sciences such as economics and psychology) when these academic areas try to express their fundamental concepts in terms of mathematics, which is seen as an unwarranted push for reductionism. .[6] For example, Eugene Wigner remarked "The miracle of the appropriateness of the language of mathematics for the formulation of the laws of physics is a wonderful gift which we neither understand nor deserve."[citation needed], while Richard Feynman said "To those who do not know mathematics it is difficult to get across a real feeling as to the beauty, the deepest beauty, of nature ... If you want to learn about nature, to appreciate nature, it is necessary to understand the language that she speaks in."[citation needed] Evolutionary biologist Ernst Mayr discusses the issue of the inability to reduce biology to its mathematical basis in his book What Makes Biology Unique?.[7] Noam Chomsky discusses the ability and desirability of reduction to its mathematical basis in his article "Mysteries of Nature: How Deeply Hidden."[8] Chomsky contributed extensively to the development of the field of theoretical linguistics, a formal science. |
背景 物理学の 「数学化 」の成功は、特にアイザック・ニュートンの「プリンキピア・マテマティカ」以来顕著であり、他の学問分野と比較して不釣り合いであると考えられている。こ のような学問領域が、その基本概念を数学的に表現しようとするとき、(典型的には経済学や心理学などの社会科学に対して)学問に対する非難であり、還元主 義を不当に推し進めるものとみなされる。 .[6] 例えば、ユージン・ウィグナーは「物理法則の定式化に数学の言語が適しているという奇跡は、私たちには理解も値しない素晴らしい贈り物である」[要出典] と述べ、リチャード・ファインマンは「数学を知らない人に、自然の美しさ、最も深い美しさについて実感を伝えるのは難しい...。自然について学びたい、 自然を評価したいと思うなら、自然が話す言語を理解することが必要だ」[要出典]と述べている。 進化生物学者のエルンスト・マイヤーは、その著書『生物学をユニークにするものは何か』の中で、生物学を数学的基礎に還元することができないという問題に ついて論じている[7]。ノーム・チョムスキーは、その論文『自然の神秘』の中で、数学的基礎に還元することの能力と望ましいことについて論じている: チョムスキーは、形式科学である理論言語学の発展に大きく貢献した。 |
Examples The social sciences have been accused of possessing an inferiority complex, which has been associated with physics envy. For instance, positivist scientists accept a mistaken image of natural science so it can be applied to the social sciences.[9] The phenomenon also exists in business strategy research as demonstrated by historian Alfred Chandler Jr.'s strategy structure model. This framework holds that a firm must evaluate the environment in order to set up its structure that will implement strategies.[10] Chandler also maintained that there is close connection "between mathematics, physics, and engineering graduates and the systemizing of the business strategy paradigm".[10] In the field of artificial intelligence (AI), physics envy arises in cases of projects that lack interaction with each other, using only one idea due to the manner by which new hypotheses are tested and discarded in the pursuit of one true intelligence.[11] |
例 社会科学は劣等感を抱いていると非難されてきたが、それは物理学への嫉妬と関連している。例えば、実証主義の科学者たちは、自然科学が社会科学に適用でき るように、自然科学に対する誤ったイメージを受け入れている。このフレームワークは、企業が戦略を実行する構造を設定するためには環境を評価しなければな らないとしている[10]。チャンドラーはまた、「数学、物理学、工学の卒業生とビジネス戦略のパラダイムの体系化の間には密接な関係がある」と主張して いる[10]。 人工知能(AI)の分野では、1つの真の知性を追求するために新たな仮説が検証され、捨てられるというやり方が原因で、1つのアイデアしか使わず、互いの 相互作用が欠如しているプロジェクトの場合に物理学的羨望が生じる[11]。 |
Scientism Academese Newtonianism Philosophy of biology Philosophy of physics Philosophy of science Reductionism Unreasonable ineffectiveness of mathematics |
科学主義 アカデミズム ニュートン主義 生物学の哲学 物理学の哲学 科学哲学 還元主義 数学の不合理な非効率性 |
https://en.wikipedia.org/wiki/Physics_envy |
しかし、さらに重要なのは、科学社会学の方法論的核 心である。それは、エスノグラフィー的方法である。もちろん、20世紀の初等からはじまったこの方法の科学の営為の現場での応用はサイエンス・ウォーズの 勃発以前からあった。しかし重要なことは、この第二世代の科学社会学は、エスノグラフィー的方法を身にまとうことで、科学人類学とおよびサイエンス・スタディーズとシームレスになり、科学の新 しい研究ジャンルを生み出したことにあるからである。それを池田は次のように描写する
科学研究への関心は歴史的発見から科学者自身が実験 室で行う日常的実践へと移動した。それは科学の発見のような歴史的事実の再構成では得られ ないような、より詳細で正確な情報が手に入るからであった。その背景には、会話分析やエスノメソドロジー、エスノサイエンスなど隣接経験科学(社会学や人 類学)の研究分析手法の発達があったこともその流行に拍車をかけた[ブラニガン 1984; ギルバートとマルケイ 1990]。科学の民族誌学研究の代表にあげられるのは、ラトゥールとウールガー『実験室の生活』[LATOUR and WOOLGAR 1986]、クノール=セティナ『知識の製作』[KNORR-CETINA 1981]、先にも触れたリンチ『実験室における技と人工物』[LYNCH 1985]、ラビノウ『PCRの誕生』(1998[1996])などである。今日では科学の人類学研究は、知識の権力性[e.g. NADER 1996; GOODMAN et al. 2003]に焦点があてられたものが多いが、この実験室から社会性への関心の移行は、後述するようにアクターネットワーク理論進展による(よい、そして悪 い)影響であることは明らかである。」(出典:池田光穂「科学的事実の産出と研究者の実践について」)
科学社会学は、このようにして、2つの重要な遺産を
受け継いで、研究領域としては、十分に成熟した領域を形成するに至った。
有益なリンク
文献
For all undergraduate students! - Do not paste our message to your homework reports, You SHOULD [re]think the message in this page!!