すべての道徳哲学者はハンプティ・ダンプティである!!
All moral scientists are
Humptistic-Dumptistic
left; Unknown artist, Richard III; center; Punch and Judy
Comics Volume 1, #1, Page 30 1944; right picture; Cover of a 1904
adaptation of Humpty Dumpty by William Wallace Denslow.
★ハンプティ・ダンプ ティ(『不思議の国のアリス』より対話態にした)
アリス(A):「『名誉』という言葉をあなたがどう いう意 味で使っているのか、よくわからないわ」
ハンプティ・ダンプティ(HD):「もちろんわからないだろうさ、僕が説明しな いかぎりね。僕は「もっともだと言って君が降参するような素敵な理由がある」という 意味で「名誉だ」と言ったんだよ!」
A:「でも、『名誉』という言葉に『もっともだと言って君が降参するような素敵な理由がある』なんて意味は ないわ」
HD:「僕が言葉を使うときはね……その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだ よ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね。問題は……僕と言葉の うちのどちらが相手の主人になるかということ、それだけさ。……言葉っていうのはね、それぞれに気性があるものなんだ。あいつらのいくらか は、とりわけ動詞はだが、とても高慢ちきだ。形容詞だったら君にでもどうにかなるかもしれないが、動詞は無理だね。でも僕なら大丈夫、なんでもござれさ!」
●純粋実践理性の根本法則(=定言命法)
「なんじの意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理 として妥当しうるようにおこなえ」(Kant 1787, S.54: 1969:30)
※格率(Maxime)とは、カントの規定による
と、意欲の主観的原理、もしくは行為の主観的原理であり、個人が自らの行為の指針として自らに設定する規則のこと(有福孝岳ほか編『カント事典』弘文堂よ
り)
■すべての道徳哲学者(=倫理学者)はハンプティ・ダンプティのよ うな推論をするのか?(→「帰結主義」批判)
「カントは実際的な助言を与えるのにあまり熱心では ないが,常に真実を述べることが定言命 法の適用によって導かれる格率の例であると考えているように見える.合理性は帰結にかかわりなく常に真実を述べることを要求する,という信念を強調するた め,彼は,隣人がどこにいるかを尋ねる殺人犯の木こりに対しでも嘘をついてはならな い,と主張した.嘘をつくのは非合理的ということにされる.なぜなら, 皆が常に嘘をつくとしたら,嘘をつくという行為に意味がなくなるからである. しかし,だからといって,カントの定言命法により私は常に真実を述べなくてはならな い,というのは単純に間違いである.どんな子供にでもわかるように,無 理なく推定できるのは,人々が時には真実を述べなければならない,ということぐらいである」(ビンモア 2015:59).
★ハンプティ・ダンプティのようなイマヌエル・カント
俺たちは世界について、ある事柄を「すでに」知って いるだろう?そのことを疑う奴はいない。では、俺たちは、そうした事柄を知っていることが「可能」であるためには、いったいなにが、俺たちに要求されてい るのだろうか?
このカントの要求を、彼自身の定言命法に当てはめて みて解釈しよう。俺たちは世界について、ある事柄つまり「具体的にどのよう振る舞い が道徳的であるか」を「すでに」知っているだろう?そのことを疑う奴はいない。では、俺たちは、そうした事柄を知っていることが「可能」す なわち「自分が道徳的に正しい=真理である=普遍的である」ようにす るためには、俺たちが実現可能な「いったいなにが、すなわち実践の原則として要求さ れている」のだろうか?
■用語法
仮言命法(hypothetical imperative):もし〜なら、〜せよ、というタイプの命令法。スリムになりたければダイエットしなさい、は典型的な仮言命法である。
定言命法(categorical imperative):もし〜なら、という条件のいらない命令法のこと。つまり、つねに〜せよ、と命題化されるもの。カントによると合理的な人間には、 いくつかのタイプの定言命法を遵守しているはずだということになる。したがって、カントの定言命法は、真実や普遍という概念と結びつく。
★カント『実践理性批判』
「実践理性批判』(じっせんりせいひはん、ドイツ
語: Kritik der praktischen
Vernunft)は、イマヌエル・カントが1788年に発表した3つの批評のうちの2番目である。カントの最初の批評である『純粋理性批判』に続くもの
で、彼の道徳哲学を扱っている。カントはすでに道徳哲学の重要な著作である『道徳の形而上学の基礎づけ』(1785年;『人倫の形而上学の基礎づけ』)を
発表していたが、この『実践理性批
判』は、より広い範囲をカバーし、彼の倫理観を批判哲学の体系という大きな枠組みの中に位置づけることを意図していた。第2批判すなわち『実践理性批判』
は、その後の倫理学・道徳哲学の発展に決定的な影響を及ぼし、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテの『科学の教義』に始まり、20世紀には非本質論的道徳哲学
の主要な参照点となった。」カント『実践理性批判』ノート)
■ハンプティ・ダンプ ティ(『不思議の国のアリス』より対話態にした)
アリス:「『名誉』という言葉をあなたがどういう意 味で使っているのか、よくわからないわ」
HD:「もちろんわからないだろうさ、僕が説明しな いかぎりね。僕は「もっともだと言って君が降参するような素敵な理由がある」という 意味で「名誉だ」と言ったんだよ!」
アリス:「でも、『名誉』という言葉に『もっともだと言って君が降参するような素敵な理由がある』なんて意味は ないわ」
HD:「僕が言葉を使うときはね……その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだ よ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね。問題は……僕と言葉の うちのどちらが相手の主人になるかということ、それだけさ。……言葉っていうのはね、それぞれに気性があるものなんだ。あいつらのいくらか は、とりわけ動詞はだが、とても高慢ちきだ。形容詞だったら君にでもどうにかなるかもしれないが、動詞は無理だね。でも僕なら大丈夫、なんでもござれさ!」
以上のくだりは、イギリス貴族院が法令文書の意味を捻じ曲げたことの是非を
めぐってなされたLiversidge v. Anderson [1942]の判決において裁判官ロード・アトキンによって引用された部分である[
Lewis, G. (1999). Lord Atkin. London: Butterworths. p.
138]。その後の行政の自由裁量をめぐる議論において大きな影響力を持ったイギリスのこの判決のほか、上記の場面はアメリカ合衆国でも裁判の法廷意見に
おいてしばしば引用されており、ウエストローのデータベースによれば2008年4月19日の時点までに、2件の最高裁における事例を含む250件の判決で
同様の引用が記録されている[Martin H. Redish and Matthew B. Arnould, "Judicial
review, constitutional interpretation: proposing a 'Controlled
Activism' alternative", Florida Law Review, vol. 64 (6), (2012), p.
1513.]。
●Readings in moral philosophy / Jonathan Wolff, W.W. Norton & Company , 2017. の解剖(→詳しくは「ウォルフ『道徳哲学入門』の解剖」)
クレジット
旧クレジット「すべての道徳哲学者はハンプティ・ダ
ンプティか?」→現行クレジット:「すべての道徳哲学者はハンプティ・ダンプティである!!!」
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文献
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Remind Wittgenstein's phrase,
"I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein
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1996-2099