On
anthropology of Science, Technology, and Society, STS,
日本の科学技術政策は1990年代に大きく変わった。特に1995年11月15日に施行された科学技術基本法(平成7年法律第130号)の影響は大きい。またそれは、他にも大学院重点化など様々な形で大学と研究に関する体制の変更が行われていることにも関連している。この立法化の背景には、いくつかの事情が絡み合っており、1980年代までは「強い」日本経済的背景からくる影響のもとであった。しかし1990年代に入ってから生じた事情は1991年初頭のバブル経済の崩壊などを受けて日本経済そのものの「弱さ」から来るものだと言われている。
1990年代は、この科学技術基本法やポスドク一万人計画のほかにも、様々な改革が行われた。例えば大学設置基準の大綱化(1991年)、大学 院重点化(1990年)、国立大学法人化(2004 年)、21世紀COEプログラム(文科省/日本学術振興会)等の大型資金の投入、といったことである。 まとめると、これらの改革 は、(1)シンメトリカル・アクセスや基礎研究の強化という米国からの要望へ の対応、(2)科学技術関連予算を増やしキャッチアップ型の経済から世界経済 のフロントランナーとして「科 学技術創造立国」(平成11年6月学術審議会答申)を実現するという、大きく分けると二つの目的が混在していたと言える。
そして、その無知蒙昧な政策の延長上に「科学技術・イノベーション基本法」(平成七年法律第百三十号→令和二年法律第六十三号による改正)とそれに基づく「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律」(平成二十年法律第六十三号)がある。
このようなトレンドの背景にあるのは、〈科学技術イノベーション〉おこすインキュベータ(孵卵器)は、経済界の動きに呼応して、大学などの高等 研究機関と企業の人材育成が研究開発(R&D)の先導的駆動ための両輪であり、それを適切に誘導するのは政府などの公的機関である、という日本独 自の発想である。事実、上掲の基本法にもとづく政策誘導をしてきたのは、かつての科学技術庁(1956-2001)であり、中央省庁の再編後は、それを引 き継いだ文部科学省(科学技術・学術政策局、研究振興局、研究開発局)とそれが所轄する国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST, 1996-)である。
このように日本政府が科学技術振興に積極的に取り組むようになったのは、ニューミレニアム以降、米国におけるバイ・ドール法(the Bayh-Dole Act;1980年:連邦政府の資金で研究開発された発明でも研究成果に対して大学や研究者が 特許権を取得することを承認した法)など、西欧先進国では20世紀の最後の四半世紀以降、科学者の営為に潤沢な民間および公営の研究介入が進み、研究と開 発(R&D)への国家介入以降の後追いのトレンドをなぞるものである。実際、日本では、1999年産業活力再生特別措置法第30条が、 バイ・ドール法に相当するもの(「日本版バイ・ドール法について」経済産業省)ともてはやされるものの、政府による研究の委託を受けた研究者と公営あるい は民間の技術移転の促進化の歴史には、20年近いハンディがある(→「日本における科学技術政策の人類学:科学技術基本法以降の大学と研究開発(R&D)」)。
この状況のなかで、演者は、国立大学大学院教育における高度教養教育(16 研究科の9割に開かれた研究科横断共通教育)を担当する部署において 学問領域間を超えて専門家と市民が対話できるコミュニケーション・デザイン教育に 12年以上関わってきた。大学院共通教育は、それ自身の独自の理念を設定 できるが、大学執行部当局からは、国立大学の運営経費予算取得、科学研究費補助金や各省庁が提供する競争的研究資金を含む種々の外部研究資金調達、そして 学内の寄附講座・寄附研究所等を通して流入する研究教育運営資金等を、積極的に獲得するように、さまざまな学内の運営上の指導がおこなわれてきた。そこで の純粋な「科学的な調査研究」の動機と内容とは裏腹に、その研究費取得過程や研究成果の発表、さらには学内外の組織との連携模索という、研究のアウトカム には、ミクロ・マクロを問わず、さまざまな政治的プロセスがあることがかいまみえる(→現在では「科学技術イノベー ション基本計画と総合知」)。
演者は、所属部局の研究プロジェクト「次世代イノベー ション人材育成にむけた企業現場における高度汎用力教育の具体像に関するニーズ調査」とい う調査研究教育資金を2017年度に取得して、全国の「地域技術活性化のための共通の課題、および各地域の課題をとりまとめ、その実現をはかり、地域技術 の振興ならびに産業の発展に寄与すること」を目的に1987年に設立され今日まで続いている全国地域技術センター連絡協議会の国内10箇所の技術・研究セ ンターを対象として、大学と地元企業と地元社会における、人間と人の情報循環を通して、それらの間の新たな関係構築という応用人類学的な関心をもって調査 研究をおこなっている。
文化人類学的な興味と関心をもって、さらに民族誌的な観察を通してときに、従来の日本の科学技術史、科学技術社会論(STS)、科学技術批判の
政治経済学では指摘され、かつ十分に論じられてこなかった「現場の事情」を数多く観察することができた。それらの視点は、エズラ・ボーゲル『ジャパン・ア
ズ・ナンバーワン』(1979)の描写のように外部からの視点——例えば中小企業経営者の叙勲、業者間の談合というコミュニケーション、「前市場
経済的」
な贈与関係——ではあるが、それに文化相対主義的な観点を加味したものであった。人類学が科学技術政策に反省的作用をもたらす試論を展開する。
キーワーヅ:科学技術基本法、科学技術政策、研究開発(R&D)、大学院教育、イノベーション
2018年の春に、僕(池田)は春日さんと一緒に、知恵と心に満ちた社会の創り方:イノベーション神話を乗り越えて(共 著:春日匠・池田光穂)、Co* Design、3:1-12, 2018年3月(査読有)info:doi/10.18910/67891 cod_03_013R.pdf という論文を書きました。その論文の章立ては以下のとおりで す。
謝辞
本研究は、大阪大学COデザインセンター機能強化経費から支援をうけた調査研究プロジェクト「次世代イノベーション人材育成にむけた企業現場における高度
汎用力教育の具体像に関するニーズ調査:大阪科学技術センターと大阪大学の連携強化にむけて」からの支援をうけているものである。大阪大学の関係
者に深謝
すると同時に、本調査事業に関わったすべての関係者(全国地域技術センター連絡協議会傘下の各地の公益財団法人ならびに一般財団法人関係者)に感謝する。
クレジット:池田光穂「日本における科学技術政策の人類学」科学技術基本法以降の大学と研究開発(R&D)2018年6月2日 第
52回日本文化人類学会研究大会、弘前大学総合研究棟(文京区地区)
■資料:「科学技術総力戦体制」の継続
日本における科学技術政策は「科学技術総力戦体制」が明治維新以降150年間続いてきたという主張(山本義隆 2018年)もある。したがって、政府による闇雲で性急で実利のみを要求する科学技術振興政策の継続という観点からみると、日本の政府は第二次大戦から現 在に至るまで何も学んでいないことになるが、私(池田)も多いにその主張に同意する。
山本義隆『近代日本一五〇年:科学技術総力戦体制の破綻』の図書紹介:「黒船がもたらしたエネルギー革命で始まる近代日本は、国主導の科学技術振興による「殖産興業(Breeding industry)・富国強兵(Fukoku kyōhei; Enrich the Country, Strengthen the Armed Forces)」「高度国防国家建設(→白鳥敏夫「転換日本の諸政策」)1941」「経済成長(繊維産業の実例)・国際競争」と国民一丸となった総力戦(Total war)体制として一五〇年続いた。近代科学史の名著と、全共闘運動、福島の事故を考える著作の間をつなぐ初の新書。日本近代化の歩みに再考を迫る」https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB25313153)
第1章 欧米との出会い |
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第2章 資本主義への歩み |
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第3章 帝国主義と科学 |
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第4章 総力戦体制にむけて |
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第5章 戦時下の科学技術 |
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第6章 そして戦後社会 |
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第7章 原子力開発をめぐって |
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