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永劫回帰のジレンマ

Dilennma of Ewig Wiederkehren (Eternal Recurrence)

君は、アンナ・カレーニナを轢いた機関車の運転手の気持ちになったことがあるのか?『パースペクティヴィズムの実習問題集』より

池田光穂

【永劫回帰のジレンマ】Dilennma of Ewig Wiederkehren (Eternal Recurrence)

我々は永遠の命が欲しい、永遠の思惟が可能になれ ば、誰しもが考えるはずだ。そのような唯脳あるいは唯意識論の代表がシンギュラリティ論者のレ イ・カーツワイルである。彼は、運動をし、多種のサプリメントを摂るが、それは、自分の脳のデータをブレインマシンインターフェイスの完成をもっ て「アップロード」したいがためなのだ。哲学的 に言うと主知主義。でも無意識もアップロードされることを、カーツワイル先生はご存知ない。だからカーツワイル先生は主知主義のバカ決定と言わざるをえな い。さらに、思考実 験としてのシンギュラリティがもし「成功」だとしても、電脳世界で不死の思考能力を得た カーツワイル先生は、永劫回帰——「存在の耐えられぬ軽さ」——を 未来永劫に経験することになる。つまり、シンギュラリティの時代の辞書に自己嫌悪の文字はニャイ! あるいは、シンギュラリティ帝国の時代は、ナルシストどもがうじゃうじゃいる?! 難儀さを抱えることになる。

永劫回帰(Ewig Wiederkehren)とは、フリードリヒ・ニーチェの思想で、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確 立するという行為実践のことであるが、一般には、一回限りの経験がなんどもなんども繰り返されるという意味にとってもよい。そうしてきたときに、人間はそ のような退屈さとこっぱずかしさに耐えることができうるだろうか?その人の人生は、永久に続くのである。意図的に死ぬこともできず、永劫回帰に耐えること ができるのか?そこで、ニーチェは、それを耐えうるためには、人間には「超人的な意思」備わっていなければならないと、論理的かつ弁証法的にはニーチェの 思想に繋がるのである。

「優秀な外科医トマーシュは女性にもてもて。しかし 最初の妻と別れて以来、女性に対して恐怖と欲望という相反する感情を抱いている。彼は二つの感情と折り合いをつけ、複数の愛人とうまく付き合うための方法 を編み出し、愛人たちとの関係をエロス的友情と呼んで楽しんでいた。そんな彼のもとにある日、たまたま田舎町で知り合った娘テレザが訪ねてくる。『アン ナ・カレーニナ』の分厚い本を手にして。その時から彼は、人生の大きな選択を迫られることとなる—「プラハの春」賛同者への残忍な粛正、追放、迫害、「正 常化」という名の大弾圧の時代を背景にした4人の男女の愛と受難の物語は、フランス亡命中に発表されるや全世界に大きな衝撃を与えた」存在の耐えられない軽さ(L'insoutenable légèreté de l'être) / ミラン・クンデラ)。

このように考えると、僕にとって必要なのは、「骨太 の」の教養の精神を復権することではないかと思われるのだ。

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文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099