「現地人の視点から」というスローガンは植民地主義的か?
Is colonialistic the slogan of "from the native's point of view"?
このページの目的は、「現地人の視点(from the native's point of view)」からエスノグラフィーを部外者が描き出すのだという 視点からの脱却をめざす。
まず「現地人の視点」か
らという命題を最初に提出したブロニスラウ・マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』(1922)から引用する。
"These
three lines of approach lead to the final goal, of which an
Ethnographer should never lose sight. This goal is, briefly, to grasp the native's point of view, his
relation to life, to realise his vision of his world. We have to study
man, and we must study what concerns him most intimately, that is, the
hold which life has on him. In each culture, the values are slightly
different ; people aspire after different aims, follow different
impulses, yearn after a different form of happiness. In each culture,
we find different institutions in which man pursues his life-interest,
different customs by which he satisfies his aspirations, different
codes of law and morality which reward his virtues or punish his
defections. To study the institutions, customs, and codes or to study
the behaviour and mentality without the subjective desire of feeling by
what these people live, of realising the substance of their happiness
is, in my opinion, to miss the greatest reward which we can hope to
obtain from the study of man." - Malinowski (1922:25) - SUBJECT, METHOD
AND SCOPE, in "Argonauts of the Western Pacific." Routledge.
「これら3つのアプローチは、エスノグラファーが決し
て見失ってはならない最終目標へとつながっている。この目標を簡単に説明すると、先住民の視点、彼の人生観、彼の世界観を把握することである。人間を研究
し、彼にとって最も重要なもの、つまり彼の人生に与える影響について研究しなければならない。それぞれの文化において、価値観は微妙に異なる。人々は異な
る目標を追い求め、異なる衝動に従い、異なる形の幸福を渇望する。それぞれの文化において、人間は自らの関心事を追求するさまざまな制度、自らの願望を満
たすさまざまな習慣、人間の美徳を称えるあるいは逸脱を罰するさまざまな法や道徳規範を見出すことができる。制度や習慣、規範を研究すること、あるいは彼
らの生き方を感じ、彼らの幸福の本質を理解したいという主観的な欲求を持たずに彼らの行動や心理を研究することは、私が考えるに、人間研究から得られる最
大の恩恵を逃すことになる」。
次に、オリエンタリズム
批判から、フィールドワーカーの視点だけが批判されていたのではなく、それを可能にしかつ継続的なもの(=持続可能)にする社会文化的状況を批判している
のだという、エドワード・サイードの指摘を以下に記す。
"At this point I should say something about one of the frequent criticisms addressed to me, and to which I have always wanted to respond, that in the process of characterizing the production of Europe’s inferior Others, my work is only negative polemic which does not advance a new epistemological approach or method, and expresses only desperation at the possibility of ever dealing seriously with other cultures. These criticisms are related to the matters I’ve been discussing so far, and while I have no desire to unleash a point-by-point refutation of my critics, I do want to respond in a way that is intellectually pertinent to the topic at hand.What I took myself to be undertaking in Orientalism was an adversarial critique not only of the field’s perspective and political economy, but also of the sociocultural situation that makes its discourse both so possible and so sustainable. Epistemologies, discourses, and methods like Orientalism are scarcely worth the name if they are reductively characterized as objects like shoes, patched when worn out, discarded and replaced with new objects when old and unfixable. The archival dignity, institutional authority, and patriarchal longevity of Orientalism should be taken seriously because in the aggregate these traits function as a worldview with considerable political force not easily brushed away as so much epistemology. Thus Orientalism in my view is a structure erected in the thick of an imperial contest whose dominant wing it represented and elaborated not only as scholarship but as a partisan ideology. Yet Orientalism hid the contest beneath its scholarly and aesthetic idioms. These things are what I was trying to show, in addition to arguing that there is no discipline, no structure of knowledge, no institution or epistemology that can or has ever stood free of the various sociocultural, historical, and political formations that give epochs their peculiar individuality."
「ここで、私に向けられる批判の1つについて触れ、それに対して私は常々反論したいと思っていたことを述べておかなければならない。それは、
ヨーロッパの劣った他者の生産を特徴づける過程で、私の研究は新しい認識論的アプローチや方法論を提示するものではなく、他文化を真剣に扱う可能性に対す
る絶望感だけを表現する、否定的な論争にすぎないというものである。これらの批判は、私がこれまで述べてきた内容と関連しており、私は批判者たちに対して
論点ごとに反論するつもりはないが、知的観点から、 私が「オリエンタリズム」で取り組んできたのは、この分野の見方や政治経済に対する批判だけでなく、その言説を可能にし、維持させている社会文化的状況に対する批判でもあった。オリエンタリズムのような認識論、言説、方法は、履き古して穴が開いたら修理して履き続けるのではなく、穴が開いたら捨てて新しいものに買い替える靴のようなものと単純化して特徴づけるのであれば、その名称に値しない。オリエンタリズムのアーカイブとしての威厳、制度としての権威、家父長制としての長寿は、これらの特質が集合体となって、容易に払拭できないほどの政治的な力を持つ世界観として機能しているため、真剣に受け止めるべきである。
したがって、私の考えでは、オリエンタリズムは帝国主義的な争いの渦中に築かれた構造であり、その支配的な翼は学問としてだけでなく、党派的なイデオロ
ギーとしても表現され、精緻化されてきた。しかし、オリエンタリズムは学問的、美的表現の下に争いを隠していた。私が示そうとしていたのは、時代を特徴づ
ける独特な個性を生み出すさまざまな社会文化、歴史、政治的な形成から自由である、あるいは自由であったことのある学問、知識の構造、制度、認識論は存在
しない、という主張に加えて、これらのことである」。
- Edward
W. Said is Parr Professor of English and Comparative Literature at
Columbia University. His most recent contribution to Critical Inquiry
is “An Ideology of Difference"- Edward W. Said, Representing the
Colonized: Anthropology's Interlocutors. Critical Inquiry 15
(2):205-225 (1989)
サイードの批判を、
フィールドワーカーの知識生産と現地への還元という観点から考えるとどうなるだろうか?(→「フィールドワークと民族誌の民主化」) フィールド
ワーカーは「現地人の視点」
という認識論を会得するのみならず、現地で調査する人たちをどのようにみて、また現地人の人たちが様々な観点から感じるような政治経済的な不均衡状態に置
かれていること、等々の政治的・社会的・文化的状況についての把握も可能になる道も拓かれる。それを人類学者の個人的共感や同情のレベルに留めておくので
はなく、フィールドワークの成果である民族誌記述(あるいは制作)に盛り込むとすれば、どのようなアウトカムが期待できるだろうか、ということなのであ
る。
「「現地の人々の視
点」から、これまで民族誌的仕事を人類学者は行ってきている(と信じていた)のに、それが評価されるどころか、新植民地主義
的であるとして厳しく非難される。サイード(Said
1989)がいうように、マリノフスキーが主張した「現地の人々の視点から」というスローガンの意味は、いまでは人
類学的認識論の基盤ではなく、代弁=表
象する権利を分配してほしいという現地側からの要求となっているのである。これを不条理な経験として処理する
か、それとも学問それ自体の存在意義を再考す
るための重要な経験として生かすか、意見は別れよう。ここでは「文化について語る権利」、ならびに「言説の個別性」について、人類学者も真剣に考え始めて
いることをとりあえず確認したい」(太田 2009:46)。
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