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オッカムのウィリアムから学びうること


Teaching of William of Ockham

池田光穂

◎オッカムのウィリアム(→「妄想(知)から行為(行動)へ」よ り移植)[→類似のページに「オッカムのウィリアム」]

「オッカムは、若い人が本格的な神学研究 をするには、解けない難問や誤謬に陥ったり、真なる論証を詭弁だと思い込むことがないよう、まず論理学 の学習が必要であると考え、神学や哲学を例にして論理規則を示した。また彼は『大論理学』によって論理学一般を語るのではなく、スコトゥスの共通本性と個 体化の理論、そして同時代の学者たちが主張した、量は実体や性質から独立し、実在的に別のものであるという量独立説に対する批判、さらに述語づけの表示態 と遂行態についての議論と、存在エッセと本質エッセンチアに関する議論などを繰り返し展開している。ばらばらのテーマに見えるこれらの議論は、実は“心の 内の言葉と、心の外のものとの区別”というオッカムの一貫した視点からなされていることを鮮やかに解明することにより、オッカム哲学の真の意義と哲学史上 の位置が自ずと明らかになる、画期的な業績」——渋谷克美『オッカム哲学の基底』2006年の図書紹介より

生涯
オッカムのウィリアム(英: William of Ockham、1285年 - 1347年[1])は、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者、哲学者。通例オッカムとのみ言及されるが、これは下記のように姓ではなく出身 地で呼んだものである。哲学や科学における節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者として知られている。1285年、イングランドのオッカム村[2]に生ま れる[3]。オックスフォード大学で学ぶ。30歳を過ぎても命題集講師[4]の職にとどまっていた。と言うのは、ボナヴェントゥーラ系フランシスコ会士と して、トミスト(トマス・アクィナスの継承者)の立場をとる学長、ジョン・ラットレルと対立していたからである。フランシスコ会の会則の解釈をめぐり、い わゆる清貧派の立場をとる。普遍論争では急進的な唯名論の立場に立つ。1323年、ジョン・ラットレルから異端だとして当時アヴィニョンにあった教皇庁に 訴えられる。ローマ教皇・ヨハネス22世と対立、1324年、異端審問のためアヴィニョンの教皇庁へ召還される。1326年、教皇は、オッカムの学説を異 端として破門を宣告する。 このときマイスター・エックハルトも異端の容疑で告発され、オッカムはエックハルトと会ったことを書き残している。 オッカムはフランシスコ会総長チェーザナのミカエルとともにアヴィニョンからミュンヘンへ逃亡し、聖職叙任権などをめぐり教皇と対立していた神聖ローマ帝 国皇帝ルートヴィヒ4世の保護を受けた。その後ミュンヘンに居住したオッカムは、同地でペストによって没し、市城壁外のペスト死亡者用墓地に葬られた。
信仰と理性
オッカムのウィリアムは「信仰によってのみ人間は神学的真理に到達でき る。神の道は理性に開かれていない、というのは神は何物にも縛られずに世界を創造することを選択して、人間の論理や合理性が物事から覆いを取るのに必要な 法則に頼ることなくその世界での救済の方法を打ち立てるからである」と信じていた[5]。オッカムの神論は個人的啓示と信仰のみに基づいていた(彼は信仰 と理性が矛盾しないという考えを支持していた)。科学のみが発見の方法であり、科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができると彼は信じていた [6]。
哲学的思索
スコラ派において、オッカムは方法と内容の両面において改革を唱道した が、その狙いは簡易化にあった。オッカムは数人の先行する神学者の著作、特にヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの著作、の多くを統合した。オッカムはスコ トゥスから、神の全能性や恩寵といった概念、認識論や倫理学的意見を受け継いだ。しかし、予定説、受難、宇宙の理解、「ex parte rei」(つまり、「物の側の」)の特性、節約の原理といった分野では、オッカムはスコトゥスに反する意見を持った。
哲学的思索【唯名論】 個物を超越した普遍、本質、形相といったものではなく個物のみが存在す るものであり、普遍は人間の心が個物を抽象して生み出したものであって心に外在する存在ではないという立場を強く主張したために、唯名論の開拓者である オッカムを近代的認識論の父とみなす者もいる[7]。彼は形而上学的な普遍が実在することを否定して、存在論の縮小化を唱道した。オッカムは唯名論よりも むしろ概念論の唱道者とみなされることもある。というのは普遍は名前に過ぎない、つまり存在する実在物ではなくむしろ言葉に過ぎないと唯名論者が考えるの に対して概念論者は、普遍は心的な概念である、つまり名前は概念の名前であると考えるからである。ここで概念は心の中にのみであるが存在するものとみなさ れている。それゆえに、普遍概念は、人間の外部に存在する実在物ではなく、それ自体を理解することによって生まれ心の内で心がそれを帰するものを「前提」 する内的表象としての対象を持つ。つまり、それはさしあたって自身が表す物の場所を持つのである。それは心を反映する行為を表す術語である。このゆえに普 遍は単なる言葉でもなければ、コンピエーニュのロスケリヌスが言うような「セルモー(羅:sermo)」やアベラールが言う文の中で使われる言葉でもな く、実在物に対応する心的な代替物であり、反映の過程を表す術語である。このため、オッカムは唯名論者とも概念論者とも区別されて「記号論者」と呼ばれて きた[8]。
哲学的思索【存在論的倹約】 オッカムが近代科学および近代の知的文化に対してなした一つの重要な貢 献として、オッカムの剃刀と呼ばれるようになる、説明や理論構築の上でのケチの原理がある。バートランド・ラッセルの解するところでは[9]、この格言 は、ある仮定された存在がなくても現象を説明できるならば、その存在を仮定する理由がない、つまり、常に原因、要因、変数が可能な限り最小となる説明を選 ぶべきだということを言っている。彼はこの原理を存在論的倹約に用いた。この原理によれば必要以上に存在を増やすべきでない―「Entia non sunt multiplicanda sine necessitate」―ということになる。ただし、この著名な原理の定式化は現存するオッカムの著作のどこにも見出されない[10]。彼は次のように 定式化している: 「自明(語義上は、それ自体を通じて知られる)であるか、経験によって知られているか、権威や聖典によって証明されるかしていない限り、理由がないなら何 ものも仮定されるべきではないので[要出典]。」 オッカムにとって、唯一の本当に必要な存在は神であった。他のすべてのものは不確定である。そのため彼は充足理由律を受け入れず、本質と実在の区別を否定 し、能動的知性と受動的知性というトマス・アクィナスの学説に反対した。彼の存在論的倹約の要求によって導れる彼の懐疑論は、人間の理性は魂の不滅性も神 の存在、唯一性、無限性も証明できないという彼の学説の内に現れる。彼の説くところによればこうした真理は啓示によってのみ知られる。
哲学的思索【自然哲学】 オッカムは自然哲学に関する膨大な量の著作を書いており、そのなかには アリストテレスの『自然学』の長い注釈書もある。存在論的倹約の原理に従って、アリストテレスの十のカテゴリーのすべてを使う必要はないとオッカムは述べ ている。たとえば、数学的存在が「現実」ではないために量のカテゴリーは不必要である。数学は実態や質といった他のカテゴリに適用されなければならず、そ のため近代科学のルネサンスを予期する一方でアリストテレスが「メタバシス」を禁止したのを破る。
哲学的思索【知識の理論】 知識の理論においては、オッカムはスコラ学の種の理論を不必要で経験に よって支持されていないとして否定し、普遍(羅:abstractum)の理論のほうを好んだ。これは後期中世認識論における重要な発展である。さらに彼 は直観的認識(notitia intuitiva)と抽象的認識(notitia abstractiva)とを区別した。直観的認識は対象が存在するか否かに基づいているが、抽象的認識は対象を存在するという述語から「抽象」する。こ の二つの認識活動の果たす役割に関しては、解釈者の間でもいまだに評価が定まっていない。
哲学的思索【政治理論】 西洋を形作った理論、特に責任の制限された政府という理論を発展させて きた功労者としてもオッカムは徐々に認知されつつある。彼は中世で初めて教会と国家の分離という形式を唱道しており、所有権の概念の初期の発展においても 重要である。彼の政治思想は「自然な」つまり「世俗的」だとみなされていて、世俗絶対主義の立場に立っている。君主が責任を負うという発想は 『Dialogus』(1332年-1348年に書かれた)で支持されており[11]、公会議主義運動に大きな影響を与え、自由民主主義思想の発生を助長 した。
哲学的思索【論理学】 論理学の分野では、オッカムはのちにド・モルガンの法則と呼ばれる公式 を書き残しており[12]、3値論理、つまり三つの真理値を持つ形式体系について考察したこれは19・20世紀に数理論理学の分野で再び取り上げられた。
文学的唯名論
オッカムとその作品は数人の文学作品や人物、特にジョフリー・チョー サー、他にジャン・モリネ、詩人のガーウェイン、フランソワ・ラブレー、ジョン・スケルトン、ノリッジのジュリアン、ヨーク市の劇、ルネサンスのロマンス 文学などに対する影響を与えたのではないかとして議論されている。実際にはこれらのうちごくわずかなものだけがオッカムと彼の著作との関係を説明できる。 しかし、オッカム主義者・唯名論者の哲学・神学と中世からポストモダンにかけての文学作品との間の対応関係は文学的唯名論という学的パラダイムのもとに議 論されている[13]。

オッカム のカミソリ(Occam's razor)

"Occam's razor, Ockham's razor, or Ocham's razor (Latin: novacula Occami) in philosophy is the problem-solving principle that recommends searching for explanations constructed with the smallest possible set of elements. It is also known as the principle of parsimony or the law of parsimony (Latin: lex parsimoniae). Attributed to William of Ockham, a 14th-century English philosopher and theologian, it is frequently cited as Entia non sunt multiplicanda praeter necessitatem, which translates as "Entities must not be multiplied beyond necessity",[1][2] although Occam never used these exact words. Popularly, the principle is sometimes paraphrased incorrectly as "The simplest explanation is usually the best one."[3] This philosophical razor advocates that when presented with competing hypotheses about the same prediction, one should select the solution with the fewest assumptions,[4] and that this is not meant to be a way of choosing between hypotheses that make different predictions. Similarly, in science, Occam's razor is used as an abductive heuristic in the development of theoretical models rather than as a rigorous arbiter between candidate models.[5][6] In the scientific method, Occam's razor is not considered an irrefutable principle of logic or a scientific result; the preference for simplicity in the scientific method is based on the falsifiability criterion. For each accepted explanation of a phenomenon, there may be an extremely large, perhaps even incomprehensible, number of possible and more complex alternatives. Since failing explanations can always be burdened with ad hoc hypotheses to prevent them from being falsified, simpler theories are preferable to more complex ones because they tend to be more testable.[7][8][9]" https://en.wikipedia.org/wiki/Occam%27s_razor

「哲学におけるオッカムの剃刀、オッカム のカミソリ、(ラテン語: novacula Occami)と は、可能な限り小さな要素の集合で構成された説明を探すことを推奨する問題解決原理で ある。パーシモン(parsimony)の原理、またはパーシモンの法則(ラテン語:lex parsimoniae)とも呼ばれる。14世紀イギリスの哲学者・神学者ウィリアム・オブ・オッカムに由来し、Entia non sunt multiplicanda praeter necessitatemと 訳されることが多いが、オッカムはこの言葉を正確に使ってはいない。一般に、この原則は "The simplest explanation is usually the best one "と間違って言い換えられることもある。この哲学的なカミソリは、同じ予測について競合する仮説が提示された場合、仮定が最も少ない解を選ぶべきだと提唱 しており、異なる予測をする仮説の間で選択することを意味するものではない。同様に、科 学においても、オッカムの剃刀は、候補となるモデル間の厳密な判断材料としてではなく、理論モデルを開発する際の帰納的なヒューリスティックとして使われ る。科学的手法では、オッカムの剃刀は反論の余地のない論理原理や科学的成果とはみなされず、科学的手法における単純性の優先は、反証可能性の基準に基づ いている。ある現象について認められた説明には、非常に多くの、おそらく理解不能な数の可能性のある、より複雑な代替案が存在する場合があ る。失敗した説明には常にその場しのぎの仮説がつきまとうため、より複雑な理論よりも単純な理論の方が検証可能性が高く、好まれる」

[リンク先]

  • ︎オッカムのウィリアム『大論理学』︎妄想(知)から行為(行動)へ▶︎︎存在論〈対〉唯名論論点先取︎▶︎︎オッカムのウィリアム▶︎決疑論▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎
  • Powers of Ten with Japanese translation「ちゅうすたい」と はなにか?︎︎倫理学と美学はひとつである▶︎メアリー・ダグラス▶︎︎論点先取︎文化人類学 用語300▶︎︎ゴシック様式研究▶︎▶︎︎▶︎▶︎
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