コンセンスス・ゲンスィウムなど存在しない
There is not
consensus gentium such a thing!!!
■コンセンスス・ゲンスィウム(全人類の一致)という「合致」などは存在しない。※Consensus Gentium is Latin for "agreement of the people."
「「コンセンスス・ゲンスィウム(全人類の一致)と いう考え、すなわちあらゆる人びとが正しく、真実で、公正で、魅力あると等しく認めるものが存在し、そし てそれらが実際に正しく、真実で、公正で、魅力的であるという考え——は、啓蒙主義の時代に存在し、またおそらくは何らかの形態であらゆる時代と地方を通 じて存在してきた。これはかれ早かれ誰でも思いつく考え方の一つである。しかしながら、現代の人類学におけるこの考え方の発展には新しい要素も加わった。 それは「普遍的文化類型」を提唱した一九二〇年代のクラーク・ウィスラー(Clark Wisler)に始まり、ブロニスラフ・マリノフスキーによる四〇年代初期の「普遍的制度類型」のリスト・アップを経て、戦中戦後におけるG・P・マー ドック(G.P. Murdock)の「文化の公分母」に至っている。人類学の付与した新しい観念とは、コンセンスス・ゲンスィウムの理論のうちでおそらく最も説得力をもつ 理論家であるクライド・クラックホーンの言葉を引用すれば、「文化のある側面は全く歴史的偶然の結果によって特定の形態をとり、他の側面はまさ しく普遍的 と名づけられる諸力によって織りなされている」というものである」(pp.67-68訳語は変えた)
"The notion of a
consensus gentium (a consensus of all mankind)-the notion that there
are some things that all men will be found to agree upon as right,
real, just, or attractive and that these things are, therefore, in fact
right, real, just, or attractive-was present in the Enlightenment and
probably has been present in some form or another in all ages and
climes. It is one of those ideas that occur to almost anyone sooner or
later. Its development in modern anthropology, however-beginning with
Clark Wissler's elaboration in the 1920s of what he called "the
universal cultural pattern," through Bronislaw Malinowski's
presentation of a list of "universal institutional types" in the early
forties, up to G. P. Murdock's elaboration of a set of
"common-denominators of culture" during and since World War II-added
something new. It added the notion that, to quote Clyde Kluckhohn,
perhaps the most persuasive of the consensus gentium theorists, "some
aspects of culture take their specific forms solely as a result of
historical accidents; others are tailored by forces which can properly
be designated as universal.""(pp.38-39).
文化に関する概念カテゴリーの一般化(普遍 化)が現実の多様性による一般化を破綻させるという齟齬(矛盾)を引き起こすこと
「提出された普遍性が実体的なものであって、空虚 な、あるいは空虚に近いカテゴリーではないという、条件の第一点が満たされない理由は、それが不可能だ か らである。たとえば「宗教」「婚姻」「財産」などが経験的普遍性 であるという主張と、それに特定の内容を付与する こととの間に論理的な矛盾がある。という のは、それらが経験的に普遍的であるということは内容が同一であると いうことであり、それらの内容が同じであるということは、実際にはそういうものが存 在 しないという否定し難い事実にまつこうから対立することになるからである」(p.69)。ギアーツ『文化の解釈学』
"The reason the first of these requirements-that the proposed universals be substantial ones and not empty or near-empty categories-has not been met is that it cannot be. There is a logical conflict between asserting that, say, "religion." "marriage." or "property" are empirical universals and giving them very much in the way pf specific content, for to say that they are empirical universals is to say that they have the same content, and to say they have the same content is to fly in the face of the undeniable fact that they do not."(pp.39-40). (Geertz, 1974)
■「この場合無意味なのはつぎの点である、すなわち、それは、これらの民衆が自然の運行 に関して完全にまちがった(それどころか狂気の)イメージを抱いているかのようにフレーザーはそれを叙述しているのだが、彼らは自然現象についての注目す べきひとつの解釈をもっているに過ぎない、ということである。すなわち、彼らの自然についての知識は、彼らがそれを文章に記せば、われわれのものと根本的 には区別されないであろう。彼らの呪術だけが別のものである」ウィトゲンシュタイン「フレーザーの『金枝篇』について」(ウィトゲンシュタイン全集6、大 修館書店版、411ページ)
■ 「これらの異なった慣習はすべて、この場合問題になるのは一つの慣習の他の慣習からの由来ではなく、ある共通の精神である、ということを示している。そし て、人はみずからこのような儀式をすべて考え出す(創作する)ことができよう。そして、それを考え出す精神はまさにこの共通の精神であろう」——ウィトゲ ンシュタイン「フレーザーの『金枝篇』について(1931)」(ウィトゲンシュタイン全集6、大修館書店版、420-421ページ)
「私の主張したい点は、実際存在しないコンセンス ス・ゲンスィウムを求めて世界中の人びとの世論調査を行なうような、文化の普遍的要素を求めるベーコン的 方法によっては、そうした一般化の理論は見出されないということであり、さらに、そうした試みは方法全体が明らかに避けようとした他ならぬ一種の相対主義 になってしまうということである。」(p.71)
"My point is that such generalizations are not to be discovered through a Baconian search for cultural universals, a kind of public-opinion polling of the world's peoples in search of a consensus gentium that does not in fact exist, and, further, that the attempt to do so leads to precisely the sort of relativism the whole approach was expresslydesigned to avoid."(p.40)(Geertz, 1974)
■クレジット:文化に関
する概念カテゴリーの一般化(普遍化)が現実の多様性による一般化を破綻させるとい
う齟齬(矛盾)を引き起こすこと:あるいは、ベーコン的方法批判
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