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正戦論

On Just War Theory


池田光穂

正戦論(Just War Theory)、つまり、戦争の前の準備状態あるいは、実際に戦争を遂行する際の倫理原則は主に「戦争のための法(Jus ad Bellum)」と「戦争における法(Jus in Bello)」というもののなかにまとめられている(バジーニ 2015:219-221)。

正義の戦争理論(正戦論)は、どのように、そしてな ぜ戦争が行われるの かを正当化することを扱っている。正当化には、理論的なものと歴史的なものがある。理論的側面は、戦争を倫理的に正当化すること、および、戦争が取るべき 形態と取るべきでない形態に関わるものである。歴史的側面、すなわち「正しい戦争の伝統」は、時代を超えてさまざまな戦争に適用されてきた規則や協定の歴 史的体系を扱うものである。例えば、ジュネーブ条約やハーグ条約のような国際協定は、ある種の戦争を制限することを目的とした歴史的ルールであり、弁護士 が違反者を訴追する際に参照することができる。しかし、こうした制度的協定の哲学的一貫性を検証するとともに、協定の側面を変更すべきかどうかを検討する のは倫理の役割である。正義の戦争の伝統は、時代を超えて様々な哲学者や法律家の考えを検討し、戦争の倫理的限界(または不在)についての彼らの哲学的ビ ジョンと、彼らの考えが戦争と戦争を導くために発展してきた一連の慣習に貢献したかどうかの両方を検証することも可能である。

戦争のための法 (Jus ad Bellum)
 戦争に おける法(Jus in Bello)
・大義があること
・正しい意図をもつ
・正当な権利をもつ
・成功の可能性をもつ
・最後の手段(ultima ratio)であること
・軍事力に釣り合いがとれている
・非戦闘員を尊重し 危害を加えない
・捕虜の権利をみとめ、虐待しないこと
・必要最小の武力行使であること
出典:両サイドとも に(バジーニ 2015:221)より

◎宗教と正戦論

「正 戦論はアウグスティヌスが一定の戦争の正当化をキリスト教神学で基礎づけたことに始まる。トマス・アクイナスは同じくキリスト教的立場 から正戦の体系化を進めた。神学的正戦論ではキリスト教的正義を守る側の行為だけが正当化された。要するに正当なキリスト教だけが正義で、それ以外はすべ て悪だとするものだった。これは後の十字軍や非ヨーロッパ地域への侵略と植民地支配の理論的根拠ともなった。グロティウスは『戦争と平和の法』などを著 し、戦争自体の正当性(ユス・アド・ベルム)だけではなく戦争中の行為の正当性(ユス・イン・ベロ)について論じた。正当性に関するこの二段構えの議論 が、後に形成されていく戦時国際法の構造の土台をなすことになる。一八世紀以降、植民地でのヨーロッパ諸国間の争いが始まるに至って、当事国を平等なもの とみなす無差別戦争観が主張されるようになった。これは正戦か否かを区別せずに、戦争を主権国家の正当な権利として認めるというものであり、正戦論は衰退 していった。二O世紀に入ってからは、二度の世界大戦があまりに甚大な被害をもたらしたため、無差別戦争観は戦争違法観に取ってかわられ、ジュネーヴ議定 書や国際連合憲章などでは戦争を含む武力行使が国際法に違反すると明言された。だが、国違憲章には軍事的制裁や自衛権について定めた部分があり、これは一 定の条件下での武力行使を正当化すると解釈することも可能なために、正 戦論の復活だと考える意見もある」(訳者、脚注)(モレノ 2008:314-315)

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