構造的暴力
Structural violence, violencia estructural
解説:池田光穂
暴力行使において行為者が特定しにくいも のを構造的暴力(structural violence)とよぶ。行為者が特定しにくい暴力行使の特徴は、力の行使と力の観念の間に複雑な関係があり、行使と観念の間に明確な区別がつきにくい ために、ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung, 1969)は人為的暴力や直接的暴力[→彼は後に行為者暴力とまとめる]との対概念として、この概念を提唱している[ガルトゥング 2003:117]。
ちなみ、トーマス・ホッブスによると、戦争は単に武力衝突が行われている状態の
ことではなく、継続する時間と、それを継続させようとする志向性があることが、その定義に含まれるという。したがって、戦争とは、ホッブスに従うと、極めて「構造的なもの」である。
通常暴力の行為者は、特定の個人や政治集 団、警察や軍隊などの国家暴力[執行]装置、あるいは国家そのものや社会制度(司法や裁判)などがある が、それらの主体が特的できうる暴力の行使は、それぞれ、政治暴力、国家暴力、軍事的暴力、司法的暴力(一般の法学者や政治学者はこの概念を容認しないか も知れないが)など、暴力主体や暴力の目的という形容詞を暴力に冠することで、暴力の行為者や意図を指し示すことができる。
それに対して構造的暴力は、どの特定の行 為者のどのような意図が、その暴力行使であるか、特定しにくいのが特徴である。つまり、構造的暴力は、 被害者に「非直接的に」はたらくというのだ。ただし、このようなガルトゥングの二分法は曖昧でほとんど「権力」の概念と区別がつかない点で問題がある。
構造的暴力は、国家や権力集団が、合法性 を装い持続的におこなわれる、人権・道徳・排外的な暴力の行使である。それゆえ、構造的暴力は、国家、 民族、人種、権利、正義、性別、宗教的ドグマの名の下に行使され、平和的や人道的であると正当化されることがある。
ガルトゥングは構造的暴力の形態を次の3 つに分類する[ガルトゥング 2003:118]
1)抑圧——政治的なるもの
2)搾取——経済的なるもの
3)疎外——文化的なるもの
平和維持のための軍隊の派兵や、途上国に おける当事者たちの同意なしの不妊手術や投薬は、典型的な構造的暴力である[と私は考える]が、このよ うに構造的暴力を捉えると、構造的暴力がはたして通常の暴力的行使と同じものであるがどうかという点については、いまだ議論の余地があり、また、誰がそれ を構造的暴力と認定するかという点で、極めて論争的な概念である。
ガルトゥングの構造的暴力の概念が、権力 概念と区別をつかないとか、あらゆるタイプの間接的暴力に適用可能であるということは、彼の理論が、い かに理性 的合理的モデルに依存しており、そのモデルの限界についてガルトゥングは自覚が足らず、これらの概念を鍛えようとも、その背景には奇妙な神学的弁論(=暴 力を理性により理解し、統御する)が見え隠れしている。
この点で考えると、ガルトゥングをより深 く理解するためには、その対極的な参照点として、大衆を動員するための神話的暴力あるいは象徴的暴力の 必要性を説いたジョルジュ・ソレルの暴力論について[も]考えることが重要になるかも知れない[→リ ンク]。
「現代の国家観における暴力装置概念をグレマス[1992]の「意味の四角形」に配列してみたのが図2である。暴力(S1)の相反項は
もちろん非暴力(S2)である。国家は社会契約にもとづき個々の人民が武装し暴力(S1)を行使する権利を国家権力を介して回収する。権力(‾S2)は暴
力装置を維持するために不可欠なものにほかならないが、それは国家が人民の合意にもとづき行使されるべきものである。暴力装置が不要になる状態(=警察や
軍隊のない社会)とは、権力が極小化された状況すなわち平和(‾S1)に他ならない。このような理想的状況においては、国内の秩序維持に暴力装置(=警
察)を行使することは不要になり、ただ国民を守るためのもの(=軍隊)だけが必要となる」(出典:池田光穂「政治的暴力と人類学を考える——グアテマラの
現在——」『社会人類学年報』,第28巻,Pp.27-54,2002年)
ここから、力の発露としての暴力がなくて
も、それが「低強度」でおこなわれていることは、構造的暴力の前駆的状態(precursor)であ
り、そのような状態を構造的不正義(structural injustice)と命名してもよいだろう(Young 2006)
リンク
文献
◆ 練習問題
リア充の焚書や芸術の破壊の写真をみていると、まさにデジタル書籍における焚書や検閲というものは、どのようにして成立するのだろう かのか?と 考えてみたくなる。そして、1817年にドイチェ・ブルンシャフト愛国学生団体の大学における焚書があったことは、1933年5月10日のドイツにおける 焚書に十分立派な先駆形態であることがわかる。しかしながら、前者の事件にはプロシア政府は、その愛国的行為の拡大を阻止しようとし、後者のナチは、積極 的に人民を動員して、反ナチ思想とレッテルづける書籍を焚書破壊する。
左はナチスによる焚書のための図書の搬出。右はピノチェトの軍隊による共産主義・社会主義思想の弾圧。
◆ 構造的暴力・戦争をテーマにする内部リンク集
◆ その他の情報
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