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ゲリラ部隊の組織化について

Through ethnographic approaches we can understand peoples' own survival methodologies against oppressive power

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解説:池田光穂

ゲリラ戦士やゲリラ戦争について不案内の方はまずこ ちらを参照してください。

実践共同体については、こちらを ご参照ください。

ゲリラ部隊は、いうまでもなく、その性格上、実践共同体として位置づけることができる。あるい は、実践共同体的機能を持たない場合、それはもはや「匪賊」や「盗賊」ないしは正規兵から逸脱した「反乱分子」から区分することができないからだ。田辺繁 治(2002)は言う、

さて、M・ウェーバーによると18世紀においてないしもなお、ヨーロッパの近代武装した正規兵た ちは、戦争状態においては、日常的に私略行為を「自分たちの兵隊」を維持するために繰り返していた。その理由は、基本的に、この時点では、戦争のロジスティクス(兵站)のシステムが完成していなかったからである。つまり、18世紀のヨーロッパ 兵たちは、いまだ実践共同体性を維持していたことになる。

そして、時代は過ぎ、田辺のエッセーを収載した書物を編纂した、松田素二はその7年後の2009 年に、自著論文を編纂したものを1冊の書物に纏め『日常人類学宣言!』と題した、社会科学における、より認識論的な観想に傾斜した、革命戦士としての人類 学者像をうちだすことになる。

彼(松田)は、市井の人たちが、日常生活をおくるその中でこそ、世界の(抑圧を含む)ダイナミッ クな変動に対処し、かつ飼いならそうとする実態が見えてくると考えているからである。

松田の所論によると、まさに人類学者は、フィールドワークを通して、そのような市井の人びとの 「抵抗の」実践のあり方に直接触れることができることになる。

他方で、テロリストたちがいう自分たちの実践論には、独特の美学がある。三菱重工爆破事件 (1974年8月30日)で勇名を馳せた東アジア反日武装戦線——さまざまなフラク(連携するが別々の分派)にわかれる——の機関紙『腹腹時計』には下記 のような記述がある。

1962年当時のグアテマラMR13(11月 13日の抵抗運動)の若い戦士(El Movimiento Rebelde 13 de Noviembre (MR13) y el surgimiento de la lucha armada en Guatemala, ca.1962)

しかし、よく考えてみると「ゲリラ」ないしは「ゲリラ戦争」は、古くはナポレオン戦争時に遡れる とはいえ、奴隷たちの軍事的反乱(スパルタクス) から、今日のサパティスタまで、単に戦争状態というわけでも臨戦態勢というわけでもなく、日々の日常性を取り戻さねばならない。それは「正戦論」が、戦争 の目的が国と国(または軍事的まとまりのエージェンシー)の交戦状態を終わらせ、平和を希求するものであるという意味でも、倫理的な実践の系譜につながる のである

●旧クレジット「実践共同体としてのゲリラ部隊」

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