か ならず読んでください

文化決定論

Cultural determinism


写真は左は、フランツ・ボアズ、右はルース・ベネディクト:このページの解説は:池田光穂

文化決定論とは、我々の生活慣習や行動様式などは、後天的に学習される「文化」 を通して学ばれることで形成されると考える立場である。

フランツ・ボアズルース・ベネディク トたちが先鞭をつけて、アルフレッド・クローバーロバート・ローウィらが1910年代中葉以降に大きく展開させた人類学理論である。その うち ローウィのものは「すべての文化は文化から」という一種のテーゼ(命題)化がおこなわれ、アメリカの文化人類学の学問的自律性を象徴する出来事となった(池田  2005:116)。

左から:アルフレッド・クローバーとイシ:ロバート・ローウィ(カラー写真)

クローバーによると、われわれの感情経験は、われわれが属する社会生活と歴史の形式の産物である。文化の違いは、精神生活の違いにあらわれ る。

〜決定論(determinism)とは、なにかの構成原因をひとつのものとしてみなす傾向がある。そのために、文化決定論は、過度の一元 的な決定論のニュアンスを薄めて、文化主義(culturelism)とよぶこともある。

(文化/社会)人類学者がとる立場には、文化や社会による生活様式や人間の行動様式の決定も含まれるので、社会決定論という言い方も可能で ある。

文化決定論は後天的な学習形成を、その重要な論拠とするので、育児やしつけの研究、社会的性差(ジェンダー)の構築に影響を与える社会的諸 制度の民族誌や比較研究に力点がおかれてきた。

文化決定論の古典的な代表は、フランツ・ボアズルース・ベネディクトマーガ レット・ミードなどのアメリカの初期文化人類学者たちである。彼女たちがこのような立場をとったのは、アメリカ合州国およびヨーロッパの生物学に もとづく人種主義——これを生物学的決定論(biological determinism)とよぶ——に対抗する政治的意味もあった。文化決定論がアメリカ合州国の社会において、政治的批判として再び登場するのは、社会 生物学論争が起こった1970年代である。また今日では遺伝決定論あるいはDNA決定論(gene determinism, DNA determinism)に対抗する文化決定論という立場もある。このような強い論争姿勢を打ち出す立場を「つよい文化決定論」と呼んでおこう。

こんにち、文化人類学を学ぶものは、基本的に文化決定論をとる。その理由は、フィールドワークやそれにもとづく理論研究をおこなう際に、文 化相対主義という方法論的反省の立場をとることと関係しているようである。つまり、人種主義や(遺伝子あるいはDNAなどの)生物学的決定論などの本質主 義を論破する意図よりも、我々の生活様式や行動様式の中に文化による決定力を正確に評定するために、本質主義的な見方はフィールドワークや文献的精査の際 に、不要なノイズとなるとなることを警戒する、マイルドな反省意識に根ざしている。このような立場を「よわい文化決定論」と呼んでおこう。

よわい文化決定論は、後天的に影響を与えた文化のことを問題にするので、その研究者の文化観が多元主義的であれば、基本的には(本質主義と は対比的な)構築主義的な立場をとることが多い。

生物決定論について、つねに疑問符をつきつけたリチャード・ レウォンティン[またはルーウォンティン]について(→「社会生物学」からの再掲)

"In this powerful lecture from 2003 given at Berkeley, you can see Richard Lewontin start by acknowledging emphatically that race is a social reality, and then systematically, using an overwhelming amount of quantitative genetic data, dismantle notions of there being any genetic basis to race that goes deeper than skin deep:...Lewontin was also the rare scientist who recognized the influence of society and ideology on science and the academy. He showed not only the importance of understanding the historical and sociocultural contexts in which any particular science is conducted but also, for the field of biology, how one can enhance our understanding of nature by being explicit about these sociological and ideological influences in our work. His books Not In Our Genes (coauthored with psychologist Leon J. Kamin and neurobiologist Steven Rose), The Dialectical Biologist, and Biology Under The Influence (both coauthored with Richard Levins), and the short classic Biology as Ideology (a lecture published as a book), are ones I rank highly among those that have played a deeply formative role in my own growth as an evolutionary biologist and as a public scientist pushing for decoloniality in science." -Remembering Richard Lewontin: A Tribute From a Student Who Never Got to Meet Him.

「2003年にバークレー校で行われたこ の力強い講義では、リチャード・ルーウォンティンが、人種が社会的現実であることを力強く認めることから始まり、圧倒的な量の定量的遺伝学的データを用い て、人種に肌感覚以上の遺伝的根拠があるという概念を体系的に解体していく様子を見ることができる。彼は、特定の科学が行われている歴史的・社会文化的背 景を理解することの重要性を示しただけでなく、生物学の分野においては、私たちの研究においてこのような社会学的・イデオロギー的影響を明示することに よって、いかに自然に対する理解を深めることができるかを示したのである。彼の著書『Not In Our Genes』(心理学者レオン・J・カミン、神経生物学者スティーブン・ローズとの共著)、『The Dialectical Biologist』、『Biology Under The Influence』(いずれもリチャード・レヴィンスとの共著)、そして短編の名著『Biology as Ideology』(書籍として出版された講演)は、進化生物学者として、また科学における脱植民地主義を推進するパブリック・サイエンティストとして、 私自身の成長に深く形成的な役割を果たしたものの中で、私が高く評価しているものである。」

The Concept of Race with Richard Lewontin

Richard Lewontin, 1929-2021. he was a student of Theodosius Dobzhansky.

リンク

文献

その他の情報

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

池田蛙  授業蛙  電脳蛙  医療人類学蛙