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文化決定論

Cultural determinism


写真は左は、フランツ・ボアズ、右はルース・ベネディクト:このページの解説は:池田光穂

文化決定論とは、我々の生活慣習や行動様式などは、後天的に学習される「文化」 を通して学ばれることで形成されると考える立場である。

ボアズベネディク トたちが先鞭をつけて、クローバーローウィらが1910年代中葉以降に大きく展開させた人類学理論である。その うち ローウィのものは「すべての文化は文化から」という一種のテーゼ化がおこなわれ、アメリカの文化人類学の学問的自律性を象徴する出来事となった(池田  2005:116)。

左から:クローバーとイシ:ローウィ(カラー写真)

クローバーによると、われわれの感情経験は、われわれが属する社会生活と歴史の形式の産物である。文化の違いは、精神生活の違いにあらわれ る。

〜決定論(determinism)とは、なにかの構成原因をひとつのものとしてみなす傾向がある。そのために、文化決定論は、過度の一元 的な決定論のニュアンスを薄めて、文化主義(culturelism)とよぶこともある。

(文化/社会)人類学者がとる立場には、文化や社会による生活様式や人間の行動様式の決定も含まれるので、社会決定論という言い方も可能で ある。

文化決定論は後天的な学習形成を、その重要な論拠とするので、育児やしつけの研究、社会的性差(ジェンダー)の構築に影響を与える社会的諸 制度の民族誌や比較研究に力点がおかれてきた。

文化決定論の古典的な代表は、フランツ・ボアズルース・ベネディクトマーガ レット・ミードなどのアメリカの初期文化人類学者たちである。彼女たちがこのような立場をとったのは、アメリカ合州国およびヨーロッパの生物学に もとづく人種主義——これを生物学的決定論(biological determinism)とよぶ——に対抗する政治的意味もあった。文化決定論がアメリカ合州国の社会において、政治的批判として再び登場するのは、社会 生物学論争が起こった1970年代である。また今日では遺伝決定論あるいはDNA決定論(gene determinism, DNA determinism)に対抗する文化決定論という立場もある。このような強い論争姿勢を打ち出す立場を「つよい文化決定論」と呼んでおこう。

こんにち、文化人類学を学ぶものは、基本的に文化決定論をとる。その理由は、フィールドワークやそれにもとづく理論研究をおこなう際に、文 化相対主義という方法論的反省の立場をとることと関係しているようである。つまり、人種主義や(遺伝子あるいはDNAなどの)生物学的決定論などの本質主 義を論破する意図よりも、我々の生活様式や行動様式の中に文化による決定力を正確に評定するために、本質主義的な見方はフィールドワークや文献的精査の際 に、不要なノイズとなるとなることを警戒する、マイルドな反省意識に根ざしている。このような立場を「よわい文化決定論」と呼んでおこう。

よわい文化決定論は、後天的に影響を与えた文化のことを問題にするので、その研究者の文化観が多元主義的であれば、基本的には(本質主義と は対比的な)構築主義的な立場をとることが多い。

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