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社会生物学

Sociobiology debate for Medical Anthropologists

池田光穂

社会生物学(しゃかいせいぶつがく; sociobiology)あるいは 行動生物学(こうどうせいぶつがく)とは、現代生物学の成果をもとに動物の「社会的行 動」の進化を研究する分野である。社会生物学者は、ほとんどの生物種の集団的な振舞い、その集団の組織化(=生態学者たちはこれを「社会」と呼ぶ)などを 長大な進化論の枠組みに位置づける。この分野はもともと、生態学の一分野として出発したが、現在では動物社会学の研究領域の主流を形成している。

動物の本能行動の比較研究(ethnology)、 蟻や蜂などの群れをつくる社会性昆虫の研究、高等哺乳動物の社会構造の解明などによって、 それらを総括的に論じる機運が高まった。そのなかで、利他的行動についての説明はひとつの難問であった。利他的行動とは、ちょうど「働き蜂」が自らは子を 作らず自分の親や兄弟などの子育てを行なうような、<自己の個体の遺伝子の保持することを犠牲にして他者に利するような行為>をいう。現代進化論では、行 動は遺伝子に支配されると考えるが、この場合、利他個体は子孫を作らないので、その行動を発現させる遺伝子は子孫に伝わらず、利他行動の進化は不可能とな る。この問題は1964年にW・ハミルトンが、自分の遺伝子を直接子孫に残さなくても、その血縁者を助け血縁者が多数の子を作るならば、利他行動は進化す る、という数学的理論(包括適応度)を提示して「解決」をみた。これ が刺激となって、社会生物学における理論的研究が飛躍的に発展した。

人間は他の動物に比べてかなり特殊な形態 と生活様式を有しているにもかかわらず、生物種である以上、それらの一般的諸法則からは逃れ られないとするのが生物学的な観点である。そして、一九七〇年代中葉に米国で活発に論戦がなされたのが「社会生物学論争」である。「論争」の震源であり、 そのことによって社会生物学の名を一般に知らしめたのは、一九七五年に出版された昆虫生態学者E・O・ウィルソン(E. O. Wilson, 1929- )の著書『社会生物学−新総合学説』である。こ れは、それまでの膨大な野外および実験研究の生態学を中心とする文献を網羅し、この分野の方向性を決定づけた。論争の火種となったのは、その著書の最終章 や別の著作『人間の本性について』(一九七八)において、この考えを人間にまで敷衍したことである。彼によれば、人間の倫理性とは遺伝子の保持しようとす ることに由来し、人格は哺乳動物のなかに既にみられるものであるという。また宗教や芸術は脳の進化の産物であるので、系統的に分析すら可能という。さらに *同性愛者は、それが家族を持たないにもかかわらず、近親者の育児を援助する機能を持つゆえに、同性愛の遺伝的素因(遺伝子)が人間集団に保存されるとい うのだ。

また、リチャード・ドーキンスは『利己的 な遺伝子』(1976)において、先のハミルトンを援用しながら、人間の利他行動を一般の人に もわかりやすく説明し、〈文化〉という名の自己複製子であるミームの産物こそが人間であるというビジョンを提示した。

これらの主張に対して米国ボストンの社会 科学者や遺伝学者を中心にした研究者たち、「人民のための科学」グループからは激しい反論が 続出した。ウィルソン一派にたいする批判は、科学的妥当性−遺伝学モデルの理論は完成したものではなく、内部でも様々な議論が起っている−と、人間の集団 の理解にたいする生物学主義的な決定論−あらゆる行動の源泉を生物学的原理、ここでは遺伝子に還元しようとすること−に向けられた。特に後者の決定論にた いする反発は強く、社会生物学を「疑似科学」、ウィルソンを「ファシスト」呼ばわりするまでにエスカレートした。戦争やファシズムが動物の本性に由来する と主張する生物学者はウィルソン以前にもいたし、現在の我々の周囲にもいる。しかし、彼はそれを生物学的説明で「理論化」することを試みた。人間は行為の 自己決定権を持つと信じ、それを主張する近代合理主義者としての「人民のための科学」者たちにとって、社会生物学は戦争やファシズムという事実を合法化す るように見えたのは当り前である。

社会生物学側のメイナード=スミス (1920-2004, 進化ゲーム理論の創設者のひとりで、進化的安定戦略(Evolutionary Stable Strategy, ESS)をジョージ・プライスとともに提唱した)も主張するように、ウィルソンたちが使う「生物学的に自然で本性的であること」は、人間社会にお ける「倫 理的な正しさや正当性」とは全くの別物である。また「社会」や「利他行為」などの日常用語とそれを借用した専門語との間に概念の混乱があることも事実であ る。しかし、仮にそのようなことを認め、理論的枠組みをより整備し、未熟なことを改善することで社会生物学の主張は「擁護されるべきもの」となり得るだろ うか。

■氏か育ちか論争としての社会生物学論争

社会生物学論争は、自然か文化か、環境か 遺伝か、氏か育ちか(Nature/Nurture)等の二元的な論争のひとつの「到達点」 である。そして、論争は生物学者のみならず人間を研究するあらゆる学問に潜んでいる生物学的決定論がどのような末路をたどるのかを明らかにした。「科学を 倫理的に中立」であると信じる科学者のユートピアが現実の社会との齟齬を起こすことは明かであり、「ウィルソンは学問的良心から自説を述べた」と弁護して も説得力を持たない。

氏か育ちかの議論の系譜は古く、Charles Cooley, 1896. Nature versus Nurture' in the Making of Social Careers, Proceedings of the 23rd Conference of Charities and Corrections: 399-405, というものがある。

この論争は、とどのつまりは、過去に幾た びか繰り返されてきた、<自然か文化か><環境か遺伝か><氏か育ちか (Nature/Nurture)>などの一連の論争と共通する部分がある。それは「生物学主義」と「文化決定論」の対立図式に当てはめるものである。

生物学主義とは、文化や社会をこえた人間 の行動様式を生物学的な特性に求める主張である。これに対して文化決定論は、人間の行動様式 は、その人びとが属している社会や文化によって決まることを強調する。例えば、人間が戦争をおこなう理由を、動物そのものが持つ「攻撃性」から説明し、そ の結果引き起こされる人口の減少を、人口増加を抑えるために予めそのような行動パータンが遺伝子にプログラムされている、という見方をとる。

文化決定論は、さまざまな社会や文化に よって、人間の行動がいかに多様であるかを、正反対の事例を挙げて説明する。例えばM・ミード は南太平洋の諸民族を比較して、私たちが「自然」だと感じる<男性>の<たくましさ>と<女性>の<やさしさ>という性のありかたが逆転した社会があるこ とを示唆した。すなわち、性のあり方は、社会の数ほど多様であり、それが社会的・文化的に決定されていると考えるほかはない。

この二つの立場の論争を見てみると、生物 学主義は人間の集団の「共通点」を強調するために用いられ、文化決定論はそれらの「多様性」 を説明するために使われていることが明らかになろう。

生物決定論についてつねに疑問符をつきつけたリチャード・ レウォンティンについて

"In this powerful lecture from 2003 given at Berkeley, you can see Richard Lewontin start by acknowledging emphatically that race is a social reality, and then systematically, using an overwhelming amount of quantitative genetic data, dismantle notions of there being any genetic basis to race that goes deeper than skin deep:...Lewontin was also the rare scientist who recognized the influence of society and ideology on science and the academy. He showed not only the importance of understanding the historical and sociocultural contexts in which any particular science is conducted but also, for the field of biology, how one can enhance our understanding of nature by being explicit about these sociological and ideological influences in our work. His books Not In Our Genes (coauthored with psychologist Leon J. Kamin and neurobiologist Steven Rose), The Dialectical Biologist, and Biology Under The Influence (both coauthored with Richard Levins), and the short classic Biology as Ideology (a lecture published as a book), are ones I rank highly among those that have played a deeply formative role in my own growth as an evolutionary biologist and as a public scientist pushing for decoloniality in science." -Remembering Richard Lewontin: A Tribute From a Student Who Never Got to Meet Him.

「2003年にバークレー校で行われたこ の力強い講義では、リチャード・ルーウォンティンが、人種が社会的現実であることを力強く認めることから始まり、圧倒的な量の定量的遺伝学的データを用い て、人種に肌感覚以上の遺伝的根拠があるという概念を体系的に解体していく様子を見ることができる。彼は、特定の科学が行われている歴史的・社会文化的背 景を理解することの重要性を示しただけでなく、生物学の分野においては、私たちの研究においてこのような社会学的・イデオロギー的影響を明示することに よって、いかに自然に対する理解を深めることができるかを示したのである。彼の著書『Not In Our Genes』(心理学者レオン・J・カミン、神経生物学者スティーブン・ローズとの共著)、『The Dialectical Biologist』、『Biology Under The Influence』(いずれもリチャード・レヴィンスとの共著)、そして短編の名著『Biology as Ideology』(書籍として出版された講演)は、進化生物学者として、また科学における脱植民地主義を推進するパブリック・サイエンティストとして、 私自身の成長に深く形成的な役割を果たしたものの中で、私が高く評価しているものである。」

The Concept of Race with Richard Lewontin

Richard Lewontin, 1929-2021. he was a student of Theodosius Dobzhansky.

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文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099