白熊の三段論法
On Syllogism on Polar Bear
解説:池田光穂
問題
以下の5つの会話はアレクサ ンドル・R・ルリア(Alexander Luria, 1902-1977)の研究グループが1930年代にウズベク地 方で調査した資料からの抜粋である。被験者が個人的経験を持たないような状況を想定した三段論法を提示し、そこから推論するように指示されている。これら の会話例では「(i)雪の降る極北では熊はすべて白い。(ii)ノーバヤ・ゼムリヤーは極北にある。(iii)そこの熊は何色をしているか?」という質問 [文中では<白熊>の三段論法と呼ばれている]が与えられている。
5つの会話を(a)発話の内容それ自体、および(b)発話の社会的文脈という2つの観点か ら分析しなさい。と、図書館長ホルヘは電脳大の学生の君に以上のように 質問した。
【1】被験者ルスタム、47歳(パルマン村農民、非識字者)
——北方の熊はどんな色ですか?
「大いに経験もあり、あちこち行ったことのある人ならその問いに答えられるだろう ね。」
——では私が話したことからその質問に答えられますか?
「寒い国に何度も行ったことや居たことがあって、何でも見た人ならその質問に答えられ るだろうし、そこでは熊がどんな色をしているかも知っているだろうね。」
——シベリアの北のほうではいつも雪があります。私はあなたに、雪のあるところでは熊は 白いといいましたね。シベリアの北では熊はどんな色をしているんでしょうか?
「私はシベリアのほうには行ったことがないな。去年死んだタバジイ・アカならシベリア を見たことがあるんだが。彼は私に、そこには白熊がいると話してくれたが、それがどんなものなのか言ってはくれなかった。」
【2】被験者アブドゥラフム、37歳(カシュガル村出身、非識字者)
(<白熊>の三段論法が与えられる。)
「いろいろな獣がいる。」
(三段論法がくり返される。)
「わからないな。黒い熊なら見たことがあるがほかのは見たことがないし……。それぞれの 土地にはそれぞれの動物がいるよ。白い土地であれば白い動物、黄色い土地には黄色い動物が。」
——ところでノーバヤ・ゼムリヤーにはどんな熊がいますか? 「われわれは見たことだけを話す。見たこともないものについてはしゃべらないのだ。」
——さっきの話からはどうなりますか?
(三段論法がくり返される。)
「どういうことなんだろう。われわれのツアーは君たちのツアーとは似ていないし、君た ちのツアーはわれわれのツアーには似ていない。君の話に答えられるのは見たことのある者だけだね。見たことのない者は君の話を聞いても何も言うことはでき ないよ。」
——いつも雪のある北方では熊は白いと私は言いましたが、そこからノーバヤ・ゼムリヤー の熊はどのようだと結論づけられますか?
「60歳とか80歳の人で、その人が白熊を見たことがあって喋るならば信用してもよい だろうが、私は白熊を見たことがないんだよ。だから話すことはできないんだ。私の言うことはそこに尽きる。見たことのある者は話せるが、見たことのない者 は何も話すことはできないんだよ!」
【3】被験者ガスル・アクバル、26歳(識字者)
(<白熊>の三段論法が与えられる。)
「君はそこは寒くて雪があると言ったね、ということはつまりそこの雪は白いということ だ。」
【4】被験者イシャンクル、63歳(村で最も尊敬されている者の1人、非識字者)
(<白熊>の三段論法が与えられる。)
——北方のAという町では熊は何色でしょうか?
「熊が寒さで白くなるというのならそこでは白いに違いない。恐らくはそこでは熊はロシ アのよりももっと白いだろう。」
【5】被験者アブドゥル、45歳(コルホーズ長、識字者)
(<白熊>の三段論法が与えられる。)
——北方のAという町では熊は何色でしょうか? 「もし風がよく吹いて涼しいところなら、そこの熊はさまざな色をしているだろう。」
——私の話したことからはどうなりますか?
(三段論法がくり返される。)
「君の言葉に従うならば、みな白色でなくちゃいけないね」
【出典】ルリア(ないしはルリア)、アレクサンドル『認識の史的発達』森岡修一訳、明治図書、 1976年
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■ルリア略伝——アレクサンドル・R・ルリア(Alexander Luria, 1902-1977)
1902 7月16日カザンで生 まれる。
---- ギムナジウムを6年間で卒業(通常は8年)
1918 カザン大学(Kazan (Volga region) Federal University)入学(ロシア10月革命時)
1921 カザン大学社会科学部卒業
1923 クルプスカヤ名称共産主義教育アカデミーで研究開始
1925 1925年よりモスクワ大学心理学研究所でコンスタンチン・コルニーロフ の助手
1925 以降「この研究所でレフ・ヴィゴツ キーおよびアレクセイ・レオンチェフとともに文化的および歴史的視点から精神発達を論ずる文化歴史心理学 (cultural-historical psychology) を創始」ヴィゴツキーの影響をうけること大。
1928 『激情的反応の研究における随伴運動の方法』
1930 (スターリン粛正期)『行動の歴史に関する試論』をヴィゴツキーと共著
ca.1930 モスクワ第一医科大学 (First Moscow Institute of Medicine) 入学
1937 教育学博士
1943 医学博士
1944 脳外科研究施設。神経心理学 (neuropsychology) を創始。
1947 『外傷性失語症』公刊。後に、反パブロフ主義とみなされて糾弾され、同施設を辞任。
1953 モスクワ大学教授として学者としての活動を再開(同年、スターリン死去)
1977 8月14日死去(75歳)
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