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歴史生命倫理学/医療史倫理学演習

Exercise for Extrime case on Bioethics/ Medical Ethics

Collection bus for killing patients, during the Nazi regime

池田光穂

以 下の事例は、生命倫理学あるいは医療倫理学(→「歴史生命倫理学」)の演習課題としては、その倫理的逸脱 度が極端であり、現在の日常の倫理的判断の問題を考えるには「不適切」かもしれない。しかしながら、生命倫理学あるいは医療倫理学上の問題は、時代や社会状況今日が変わればそれまで適切であったもの が、異常な倫理的逸脱になったり、逆に、かつて問題視された行為が、適切な手続きを経れば適法になることもある(例:動物を使った生体解剖実験や、人類史 においてはかつては常食であった犬肉の消費を想像せよ)。というわけで、異常な行為の中にも、検討すべき課題があるということで、以下の事例について、真 剣に取り組んでいただきたい。

1939年12月厚生省会議室での北海道帝国大学理学部教授・小熊捍(Mamoru OGUMA, 1886-1971)講演「人類の染色体」速記録中の記録である。

「私、ふと考えたことがあるのです。満州では匪賊討伐をしておりますが、こんどはその 匪賊の睾丸を材料に、遺伝学的研究をしてみたらどうだろうか。どのみち匪賊は殺してし まうのだから、と考えついたのです。/ しかし、匪賊の睾丸をしらべるからという理由で文部省の出張命令を受けるわけにもゆ きません。それで、鳥類を研究するということにして満州へ渡りました。そして特務機関 と連絡をとり、奉天の医科大学にも協力をお願いして時機到来を待っていますと、非常に よい材料を手に入れることができました。もとより捕えてきた匪賊の一人です。/ この材料をどういう方法で薬品処理をしたか、お話をすれば学問の進歩をはかる一つの 歴史上のエピソードになるとは思いますが、重大な問題でもありますので、しばらくは口 をとざしておきます。/ 産賊を一人犠牲に供しましたことは、天地神明に誓って無意義ではありません」(引用は吉村 1986:256)。[→生命倫理学関連年表

問 題:上掲の小熊の発語の中から、なにが生 命倫理学あるいは医療倫理学なのか、そして、政府系組織の人間としてなにがコンプライアンス(服務規程)違反に該当するのか、それぞれの問題の箇所を指摘 して「なぜ問題なのか」について検討しなさい。

■Quentin Tarantino監督の映画"Inglourious Basterds" (2009)は、ブラックユーモアあふれる戦争活劇であるが、ユダヤ人虐殺が行われているナチスに対してユダヤ人部隊を送り込み非常識な超法規的手段でナ チスを出し抜くというテーマに貫かれている。問題は、冒頭のナチスの兵士の捕虜を残虐な仕方で惨殺することである。この冒頭のシーンは、あるい意味でス キャンダルであるし、戦争の問題をまじめな視点で考えようとするものには、不快で嫌なものにみえる。しかし、他方で、ナチの集合的な残虐さの大きさにくら べて、このような個人的な嗜虐趣味は小さいユーモアとして免責したいような欲望にも駆られる。しかし、それこそが、スラヴォイ・ジジェクのいうところの主 観的(=主体的かつ従者的)暴力と客観的暴力を峻別しようとして、暴力そのものを容認してしまう罠なのである。そのことについて考えてみよう。(→「ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論(1920/1921)」ノート」)

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