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心身二元論

しんしん・にげんろん: Mind-Body Dualism


 René Descartes (1648), by Frans Hals (1581?-1666)/ Brain in a vat, or Brain in Mokoto's Brain in the Shell

池田光穂

心身二元論(しんしん・にげんろん)とは、心すなわ ち精神と、身体=肉体を切り分けて別々のものとして考察すべきだ、あるいは、心と肉体は別物である、する哲学上の立場のことを言います。俗に、「心は許さ ないのに身体は許してしまう(=気持ちは離反しているのに相手との肉体をもつ)」という言い方がありますが、これも、心と肉体は別ものという立場を表明す るので、俗流心身二元論という言い方をすることができます。この心身二元論の立場を、より哲学的に厳密化しようとしたルネ・デカルト(上掲の肖像画の男性)は、心身二元論という立場の 代表格のような人です。

これに対して、身体と精神は、同一である、あるいは俗流二元論から逃れて、同一でありたいあ るいは同一であるべきだ(=心身一如[しんしん・いちにょ])という立場を、心身一元論(しんしん・いちげんろん)あるいは、心身合一派(しんしん・ごう いつは)と言います。

デカルトの 『省察』は、アリストテレスの霊魂、ある いは「魂」概念の概念を完全に葬り去ったと言われる。その根拠となると言われるのが、『省察』のうち、第二省察と呼ばれる部分である。アルキメデスの不動 のポイントを彼は、私は考える(cogito)の中に発見したと宣言する。考える私は、身体をもち、栄養を摂取し、動き、そして感覚することができる。し かし、それらの要素や動態は、私から切り離すことができる——確実な根拠をもって本質がそこにあるとは信じられない。しかしながら、私と考えることは、私 が考えているかぎり、この2つは不可分で切り離すことはできない。私は、考えるもの(res cogitance)であり、これが精神(mens) だ。身体は、延長するもの(es extensa)として、精神と切り離 すことができる。これが有名な、デカルトの心身二元論である。この2つの実体か ら構成される、自我観、身体観、さらには宇宙観には、アリストテレス的な魂の概念が入る余地がない。

さらに、状況を複雑にするのは、アリストテレスによ る魂と身体に関する「理論」(らしきもの)の曖昧さと、それを正典とみて、夥しい解釈が齎されてきたことにもある。古代ギリシャによって、魂の崇高さと不 滅性は、ソクラテスにおいて最初に力づよく指摘された。それを受け継いだプラトンは魂に欲求・気概・理知に3つの部分を与えた。しかしながらアリストテレ スの考察は、観察に基づいた考察や、独特の目的論や運動論的解釈がもとになったより総合的な観点で、魂と肉 体の区分をおこなう二元論的な解釈というよりも一元論的なものだった。さらに複雑化するのは、中世におけるキリスト教解釈との「共存」の問題だった。アリ ストテレスの霊魂観では、どう考えても、個々の魂は身体=肉体が終わる以上、死後は消滅してしまうことが明白だったからだ。1513年ラテラノ公会議は哲 学者に対して「魂の不死性を自然理性に基づいて証明せよ」と命じるものだったという[中畑 2006:216]。

デカルトの『省察』も、このラテラノ公会議の要請に 応え るものであり、第二 省察に関する記述でも魂の不死は、私は考える(cogito)の確実性とは対照的に、ほとんど無条件に当たり前のものとしてされている。この設問というか 課題は、我々の常識からみて全く馬鹿馬鹿しいものであるが、逆に、下記にみるような理性の(再)出発を「私は考える=私は在る・有る」というラディカリズ ムを今更ながら感じる。林達夫(1896-1984)は「デカルトのポリティーク」で、デカルトの 著述が彼がおかれていた歴史的背景を考慮する彼自身の修辞戦略の意味について考 えることを強調している(ということは、応用問題としてジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)やガリレオ・ガリレイの著述と彼らの命運にも思いを馳せる必 要があるという ことだ)。

さて、デカルトにまつわる、もうひとつの問題は、エリザベートのデカルトに対する1643年 5月16日の手紙(A.T.,III, 661)である(→「心身二元論のジレンマ」 を参照のこと)。

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——このように,わたし自身は心では神の律法に仕えていますが,肉では罪の法則に仕えているのです(ローマ人への手紙, 7:25)

リンク

文献

おまけ

当時(1973年)新訳のデカルト著作集(4巻)が 白水社から出版さ れる時に初回配本の時に挟まれていたチラシがある。格安古書で手に入ったがこれまで30数年間誰にも読まれた経緯がないようだ。そのチラシに天文対話の邦 訳者の故・青木靖三さんがエッセーを書いている。真贋不明なデカルトと称される頭骨の望まざる土地=フランスへの帰郷と、当時鬼の首をとったように学者ど ころか「女子供や猿まで」(←当時はまだこの蔑称が赦されたが、これは青木の言葉ではなく私の言葉)がデカルト批判の唱和をしていた社会状況を絡みあわせ て『デカルトの責任を(時代と事由を事後的に好き勝手に操作できる)俺達は追求できるのか?』という、あまり論理的にはシャープではないけど、批判という か皮 肉を書いている。僕は生前会ったことのない、ガリレオヲタの青木靖三先生だが、この教授の生涯がどんなものだったのかについて興味をもった(→descartes130213.pdf)。


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