はじめによんでね

池田光穂


フィー ルドワーク (field work)とは、研究対象となっている人びとと共に生活をしたり、 そのような 人びと[インフォーマン ト(informant, 情報提供者)]と対話したり、インタビュー(interview, 面接問答)をしたりする社会調査活動のこと、である。また、フィールドワーカー (fieldworker)とは、フィールドワークをして調査をする人のことをさす。しかしながら、現地にいけば、誰でも「対象社会を理解することができ る」と思い込むことは危険で ある。そもそも、対象社会とはなにか? そして「社会や文化を理解することができる」とは何かについて、ここでは十分に検討されていないからである。(→ 解釈人類学者クリフォード・ギアーツの「意味のパターン」)フィールドワーカーは、しばしば自分の母国で学んだ調査方法論やその知識を使って、対象社会や 調 査対象となる人々のつきあいの中で、フィールドから帰って、その人たちがいないところでは、人々の気持ちや生活を代弁してやろうという気持ちになる。たと え、それが善意にもとづくとしても、これは無反省に行えば知識の使い方を誤ることになる。人類学者は、自分が学んで得た知識を使って、調査対象者の人びと を代弁=表象(represent) できる特権をもつと[人類学者たちは]思っているが、それはしばしば自分が現地社会 から学んできた過程を忘却することと関連している。彼/彼女らを代弁できる特権は、しばしば、調査者と調査さ れる人にとっての双方にとっての損失(=マイナス・サム・ゲーム)になっていることを自覚することが重要だ。フィールドワークの倫理とは、他者から知識を 得ることではなく、他者との間の関係性のこ とを 意味する。他者との間の倫理を〈取り戻す〉ということは、フィールドワークにおいて自分がもつ特権を忘れ去る(自分が学んできたことを捨て去る= unlearning)ことであり、他者たちについての知識について「必死に学ぶこと」 を意味する。映画『スターウォーズ』のなかで、ジェダイの騎士になるべくヨーダ師のもとに赴いたルーク・スカイウォーカーは、師からこのように忠告され る:You must unlearn what you have learned.(→「フィー ルドワークとはなにか?」)

実践知とは、人が与えた現場で適切な判断をくだ すことができる認識と能力の総体のことである。実践知(古代ギリシャではフロ ネーシス[知慮]practical wisdom)とは、実践の現場(→現場力)で適切な判断をくだすことができる認識と能力(知識に由来するので〈知〉と冠されて いる) の総体ことです。しかし、ここでは、このような言葉を編み出した古代ギリシャの人々のみならず、我々にもまず 考えることができる事実を整理しましょう。

ちゅうい!:実践知を考えるのに、それは実践的な知恵(practical wisdom)であり、その語のみなものになっているプロネーシス(ないしはフロネーシス)だと考え、プロネーシスについて議論したアリストテレス『ニコ マコス倫理学』をいきなり紐解くという、みなさんの頭の中の回路を、とりあえず中断させてくださいね。実践知は「10センチ」ではないのと同じぐらいに、 日本語の用法としての「実践知」と古代ギリシャの「プロネーシス」は違うかもしれない、という疑りの態度[=無知の知]で臨んでください。ペダンチックな実践知の議論はこちらへ!

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