On Dialogism by Prof. Shin-ichi Muraoka
村岡晋一『対話の哲学:ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜』(2008)は、大阪大学コミュニケーション・デザインセンターで12年以上働き、臨床コミュニケーション教育に長年携わってきた文化人類学者(医療人類学専攻)の僕にとってはとても重たい本である。この10年間はハンナ・アーレント(Hanna Arendt, 1906-1975)の導きによりヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin, 1892-1940)やゲルショム・ショーレム(Gershom Scholem, 1897-1982)の思想に少しづつ触れ、ユダヤの精神——アイザック・ドイッチャーの「反ユダヤ的ユダヤ人」による思想も含めて——の奥の深さに憧れに近い興味をもつこともあいまって、いろいろなことを教えてくれる本である。
あとがきは興味深い:ヘーゲルに心酔した村岡が、最後に「絶対精神」や「絶対者」の概念に戸惑い、メンターである、木田元にであい、西洋哲学の
「常識から離れた考えかた」であるという炯眼に触れ、ローゼンツヴァイク『救済の星』に出会い。ユダヤ的思考の常識や経験の思想に触れた結果がこの書物で
あると......。そしてこれは、多くのユダヤ思想を扱う人たちが関連付ける「宗教哲学」という用語は使っていないと。この最後の仁義は、ローゼンツ
ヴァイクを受け取ったものだともいう。
章立て
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序章 現代の思想状況と二〇世紀転換期のドイツ・ユダヤ人
第1章 ドイツ・ユダヤ人と啓蒙主義
1. ユダヤ人の歴史
2. ヨーロッパ的〈教養〉の理想とユダヤ人
3. 啓蒙主義とモノローグの思考
第2章 関係は関係なきもののあいだになりたつ—ヘルマン・コーヘン
1. あるユダヤ人のカント主義
2.『ユダヤ教の源泉からの理性の宗教』
3. カッシーラーとローゼンツヴァイク
第3章 西洋哲学はモノローグの思考である—フランツ・ローゼンツヴァイク
1. ローゼンツヴァイクの西洋哲学批判
2. 新しい思考とメタ倫理的人間
第4章 モノローグの言語から対話の言語へ—プラトン、オースティン、フンボルト
1. 伝統的な言語理解:プラトンの言語論
2. オースティンの言語行為論
3. フンボルトの対話的言語論
4. 20世紀におけるフンボルト・ルネサンス
第5章 対話の一般的構造
1. 呼びかけと応答の文法
2. 対話者という〈他者〉
3. 対話の時間的構造
4. 現代における「対話の哲学」
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序章 現代の思想状況と二〇世紀転換期のドイツ・ユダヤ人
「ドイツ人が一般にユダヤ人との......対話をはじめたときには、ユダヤ人たちがユダヤ人としてはますます多くみずからを放棄する心構えをもつという前提のもとにことをおこなってきた」ショーレム「ドイツ人とユダヤ人との〈対話〉という神話に反対して」『ユダヤ主義と西欧』高尾利数訳、河出書房新社、14ページ(村岡、7ページ)
同一性の強制力(「モノローグの思考」)から自由になるということ(9-11)
ドレフュス事件(The Dreyfus Affair):寛容性への「破壊」事件
第1章 ドイツ・ユダヤ人と啓蒙主義
1. ユダヤ人の歴史
ユダヤ人解放
2. ヨーロッパ的〈教養〉の理想とユダヤ人
ゴビノー問題
解放の方法:1)啓蒙主義の徹底、2)社会主義への道、シオニズムの道
3. 啓蒙主義とモノローグの思考
啓蒙主義の陥穽としてのモノローグの思考(→プラトンに遡る西洋思想へのコーヘンの批判)
カントの啓蒙=未成年の状態から抜け出ること。
啓蒙主義がもつ排外主義(30ページ)//それをモノローグ的思考と同一視する?
第2章 関係は関係なきもののあいだになりたつ—ヘルマン・コーヘン
1. あるユダヤ人のカント主義
ヘルマン・コーヘン(コーエン,Hermann Cohen, 1842-1918)(→「ヘルマン・コーヘンからローゼ ン・ツヴァイクへ」)
さまざまな優秀な注釈書を通して、コーエンは、新カント派の総帥(創設者)になる。
オットー・リープマン『カントにもどれ』(37)
コーヘンが、カントの全集の編集に携わらせず、ベルリン大学のディルタイが編集する、アカデミー版『カント全集』の編纂が進む。これに反発して、カッシーラーは(コーヘン派の)マールブルグ学派による、カッシーラー版『カント全集』の編纂に着手(41)
コーヘン自身のユダヤ教への回帰(42-43)
2.『ユダヤ教の源泉からの理性の宗教』(ヘルマン・コーヘンの晩年の思想)
一神教としてのユダヤ教:存在神学、単一性と同一性、神概念、西洋形而上学との決別、
創造
啓示:従来の倫理学の限界(→定言命法に真の「他者」がいない。ないしは、私の分身にすぎぬ)(53-55)
ともに苦しむこと:〈君〉の発見(56)——「説明の可能性が放棄されたときにはじめて、人間と人間の真の関係、つまり他者の『苦しみ』に『共苦=同情する』という関係が生まれてくる」(村岡 2008:56)
同情における奇妙な人間関係(65)
西洋思想における「私の絶大的同一性」と、ユダヤ思想における事実に向き合い「悔い改める」わたくし......(69)
救済における「新たな時間」概念——メシアニズム(70-72)
「時間が未来に、ひたすら未来になり、過去も現在もこの未来の時間のうちに沈み込む」(コーヘン、『理性の宗教』?、291ページ)※『ユダヤ教の源泉からの理性の宗教』
3. カッシーラーとローゼンツヴァイク
前者がコーヘンを啓蒙の範疇のなかでとらえ、その最終形態とみるのに対して、後者は、それを対話の思想としてとらえるという(77)
第3章 西洋哲学はモノローグの思考である—フランツ・ローゼンツヴァイク
1. ローゼンツヴァイクの西洋哲学批判
ローゼン・ツヴァイク(Franz Rosenzweig, 1886-1929):キリスト教への改宗をまえにシナゴーグにいき、そこで「生きた宗教」としてのユダヤ教にめざめる。(81)
『ヘーゲルと国家』から『救済の星』へ
ALSとして夭折。晩年、ブーバーとともに、旧約聖書の新しいドイツ語に訳に着手。
言語的思考、文法的思考の復権(83)
LWとの共通点(ヒラリー・パットナムの指摘)
死の事実の回避、死への恐怖に向き合わないこと(84)の問題性——死からの逃走(85-87)
驚嘆経験(タウマゼイン)——『形而上学』982b12「人間は驚嘆することによってはじめて哲学をはじめる」
村岡によるその批判の骨子3項目:1)伝統哲学は、言語に対する信頼を欠き、2)時間に敵対であり、3)他者の存在を無視してしまう。(92)
2. 新しい思考とメタ倫理的人間
ヘーゲルに対峙する、キルケゴール、ショーペンハウアー(96)
哲学の完成と新しい哲学/人間の事実性/死の経験/自由な意思と反抗的な意思(意志)/性格と「自己」/悲劇の英雄と沈黙/ローゼンツヴァイクとハイデガー/
第4章 モノローグの言語から対話の言語へ—プラトン、オースティン、フンボルト(※このあたりはお勉強ノートという感じで、印象に残らない)
1. 伝統的な言語理解:プラトンの言語論
言語本性説と言語習慣説/真理を語ることとしての言語/模倣としての言語/沈黙の思考/記号表記の体系としての言語/コードモデル/「語ること」と「聞くこと」/伝統的言語観の第四の前提/
2. オースティンの言語行為論(→「行為遂行的発話と事実確認的発話」「「考えることの自由」と「経験的事実の認定経験」について」)
行為としての言語/言語遂行的発言の判定基準/行為遂行的発言と一人称/行為遂行的発言と「聞きて」/////
3. フンボルトの対話的言語論
双数について/人称代名詞と言語/人称の欠如としての三人称/人称代名詞としての表現方法/対話としての言語/世界観としての言語//
4. 20世紀におけるフンボルト・ルネサンス
宗教への回帰/民族主義(フェルキッシュ?)と宗教/パトモス・サークルとフンボルト/宗教的啓示と対話//
第5章 対話の一般的構造
1. 呼びかけと応答の文法
ユダヤ性を乗り越える/出会い/呼格/命令法/愛の文法/固有名詞/クリプキ『名指しと必然性』//
2. 対話者という〈他者〉
応答可能性/絶対的〈他者〉としての対話者/形而上学的な〈他〉/異他性と他性/弁証法はモノローグである/〈私〉と〈君〉の関係/対話世界の構造////
3. 対話の時間的構造
「そこにある」とはどういうことか/シェリング『世界時間論』/時間が完全に現実的なものになる/「新しい思考」へ/対話の時間性/対話における主体性と自由/『待つこと』
4. 現代における「対話の哲学」
鷲田清一の「聴くこと」の哲学が持ち上げられる——ただし、ユダヤ的伝統とは接点をもたないことも指摘しつつ。
対話はまずもって「聞くこと」であるという、凡庸?な終わり方で締めくくられる。
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