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731部隊と石井四郎

The Uniit 731 and Lieutenant general Shiro ISHI, 1892-1959

池田光穂

Major, later General Shirō Ishii (1892-1959),

ウィキペディア《石井四郎731 部隊年譜》による。

1892 石井四郎:0歳。6月25日千葉県山武郡芝山町(加茂)の地主 兼 酒造家である石井桂の四男として生誕する。

nd. 千葉中学(現・千葉県立千葉中学校・高等学校)、第四高等学校(金沢市)

1920 石井四郎:28歳、京都帝国大学医学部を卒業。指導教官は清野謙次(1885-1955):清野は1938年京都帝大の辞職後に 731部隊の病理顧問に就任。

1921 石井四郎:29歳、陸軍二等軍医(中尉相当官)に任官し、近衛歩兵第三連隊附。同年8月、東京第1衛戍(せいじゅう)病院

1924 石井四郎:32歳、京都帝国大学大学院に派遣(〜1926年3月);陸軍一等軍医(大尉相当官)に進級

大学院時代に微生物学教室の向かいにあった京大総長の荒木寅三郎の官舎を毎日訪ねてはその娘の浩子との結婚を懇請し、結婚に至った(常石敬一『七三一部隊』講談社、p.9, p82)

1925 

1926 石井四郎:34歳、京都帝国大学大学院に派遣終了(3月);京都衛戍病院(4月より)

1927 石井四郎:35歳、京都帝国大学から医学博士号を授与。博士論文は「グラム陽性双球菌について」

1928 石井四郎:36歳、欧米出張を2年間命じられる。

1930 石井四郎:38歳、帰国(4月)。8月、陸軍三等軍医正(少佐相当官)に進級。陸軍軍医学校教官。

1932 石井四郎:40歳、8月陸軍兵器本部附 兼 陸軍軍医学校附(防疫研究室)。

1933 石井四郎:41歳、4月陸軍軍医学校部員。9月防疫研究室主幹

1935 石井四郎:43歳、8月陸軍二等軍医正(中佐相当官)に進級。

1936 

1937 石井四郎:45歳、2月陸軍武官官等表の改正により陸軍軍医中佐

1938 石井四郎:46歳、陸軍軍医大佐に進級(→「厚生省1938年」)

1939 石井四郎:47歳、兼 参謀本部附(4月)。同月、兼 中支 那派遣 軍防疫給水部長(〜1941年1月);

1940 【この年の後半は、中国大陸での細菌戦が実際におこなわれ、731部隊と659部隊はデータの収 集に動員されている

防 疫給水部(ぼうえききゅうすいぶ)Epidemic Prevention and Water Purification Department】 とは大日本帝国陸軍に置かれた、疫病対策を目的とした医務、ならびに浄水を代表するライフライン確保を目的とした部隊である。自然に存在する病原体に対し ての防疫活動のほか、生物兵器に対する防護としての防疫も任務であった。また、軍直属部隊として常設されたものは、陸軍軍医学校と共同で生物兵器や化学兵 器の研究開発機関としての役割も担っていたとされる。

組織

防疫給水部は、各軍直属部隊や各師団隷下部隊として 編成された。師団の平時編制には含まれておらず、戦時にのみ臨時に動員された。第14師団のように、師団防疫給水部が復帰解隊され、師団野 戦病院の防疫給水班に縮小された例もある。独立部隊の野戦防疫給水部という編制もあり、軍直轄などとして運用された。

軍直属部隊として編成された例としては、以下のようなものがある。

関東軍防疫給水部(通称号:満洲第659部隊、所在地:平房) - 関東軍直属
防疫給水部本部(通称号:満州第731部隊 Unit 731)- 石井四郎(後、陸軍軍医中将)が創設し、「石井部隊」とも通称される。
北支那防疫給水部(通称号:甲第1855部隊(Unit 1855)、所在地:北京) - 北支那方面軍直属
中支那防疫給水部(通称号:栄第1644部隊(Unit Ei 1644)、所在 地:南京) - 中支那方面軍直属
南支那防疫給水部(通称号:波第8604部隊(Unit 8604)、所在地:広州) - 南支那方面軍直属
南方軍防疫給水部(通称号:岡第9420部隊(Unit 9420)、所在地:シンガポール) - 南方軍直属
それぞれ、水質の分析や薬品の取り扱いなど専門的な作業を担当する軍医・衛生兵と、水の輸送など一般的な業務を行う普通の兵科の将兵から成っていた。ま た、関東軍防疫給水部本部のような研究部門を持つ場合、研究員となる多数の民間医師などが軍属として加わっていた。

装備

飲用水を浄化殺菌するための濾過機や、浄化した水を前線の各部隊へ給水するための輸送車両などを装備していた。濾過機としては、石井四郎軍医(731部隊 創設者)が開発した石井式濾水機が主力のひとつとして使用された。

その他

1942年(昭和17年)06月03日 朝日新聞報道 ペスト撲滅隊が組織され涙ぐましい活躍続けている防疫給水班


1941 

1942 

1943 

1945 

石井四郎:53歳、3月陸軍軍医中将に進級。関東 軍防 疫給水部長に再任。

1945年5月、満洲第731部隊は「満洲第25202部隊」 と改称された。

厚生労働省の集計によれば、1945年(昭和20年)の終戦直前における所属人員は3560人(軍人1344人、軍属2208人、不明8人

1945年8月10日 大本営参謀の朝枝繁春(あさえだ・ しげ はる)は満州に派遣され石井四郎らに速やかに生物兵器研究の証拠隠滅を指示。 

ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し、内地へ帰還。この頃、石井は終戦メモを執筆。部隊関係者の一部は侵攻してきたソ連軍の捕虜とな り、ハバロフスク裁判で戦争犯罪人として訴追される(→『細菌戰用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人 ノ事件ニ関スル公判書類』)。731部隊で人体実験の犠牲になった総数は、3000名といわれるのは、ハバロフスク裁判によるものといわれてい る。

USSR, The War criminal court report, 1950 written in Japanese.

1945 

9月連合国軍最高司令官総司令部Supreme Commander for the Allied Powers): アメリカ太平洋陸軍総司令部(GHQ/U.S. Army Forces, Pacific) の命でつくられた科学情報調査団(Scientific Intelligence Survey to Japan、団長カール・コンプトン、通称コンプトン調査団)が編成。

11月1日付「サンダース・レポート」マレー・サンダース(Murray Sanders, 1910-1987) は、アメリカ合衆国の細菌学者、軍医、アメリカ陸軍中佐。のちのコロンビア大学細菌学教授)による第1次731部隊調査(同年9月-10月)。

「1945年9月、アメリカ太平洋陸軍総司令部(GHQ/U.S. Army Forces, Pacific) の命でつくられた科学情報調査団(Scientific Intelligence Survey to Japan、団長カール・コンプトン、通称コンプトン調査団)の一員として横浜に上陸。元軍医内藤良一や政治家亀井貫一郎を窓口に、関東軍防疫給水部本部(731部隊)の本格 調査に入った。紹介された関係者を尋問しても、みな実態についてほとんど何も知らないことに業を煮やし、連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部部長チャールズ・ウィロビーCharles Andrew Willoughby, 1892-1972)を介して連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーから731部隊の戦犯免責の保証を得て[5]、内藤に対し「皆がもし真実を語るならその秘密を守り戦争犯罪人として訴追しないことを約束する」 と述べた[6][7]。内藤らとの交渉ののち、アメリカ合衆国旧陸軍省による継続調査を経て、人体実験の資料など研究成果の提供を交換条件に731部隊関 係者は戦争犯罪に問われないこととなった[5][注釈 1]。サンダースは1983年のインタビューで、内藤との交渉の際人体実験はしていないと再三言われこれを信じていたが、最近真相を知って彼に裏切られた 思いだ、と述べている[5]。同年10月に日本での調査を終え帰国、11月1日付で調査報告書(「サンダース・レポート」)をアメリカ国防総省に提出した [8]。」サンダース)ただし、これには部隊組織や実験内容を詳述、人体実験への言及なし。

Vol.01, "Report on scientific intelligence survey in Japan, Vol. I, September and October 1945. Report No. 8-a(3), USSBS Index Section 6"

Vol.02,

Vol.03,

Vol.04,

Vol.05, Report on Scientific Intelligence Survey in Japan, September and October 1945 Vol. V (Biological Warfare).

Vol.06,


1945年12月、予備役編入

1946 

1947 

1949 

1949? 

1953

1959 

2003 ジャーナリスト青木冨貴子により、石井本人が1945年に書いた大学ノート二冊に及ぶ「終戦メモ」が発見。

2011 

2016 山本武利「対ソ・インテリジェンス機関としての731部隊の謎」『日本のインテリジェンス工作』Pp.218-235、新曜社、 2016。

2018 国立公文書館に保管されていた、1945年1月現在の所属全3605人(軍医52人、技師49人、看護婦38人、衛生1117人他) の氏名・階級・当時の連絡先が記された名簿が開示

2020 細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記(京都新聞 2020年2月7日)

++

《余滴》

石井四郎の受洗:「死の直前、父は上智大 学の学長になられたヘルマン・ホイヴェルス神父に洗礼をお願いしていました。ホイヴェルス神父とは戦前 から個人的に親しかったのです」(娘・石井春海の発言)猪野修治「書評:ピーター・ウイリアムズ/デヴィド・ウォーレス『七三一部隊の生物兵器とアメリカ −バイオテロの系譜』(西里扶甬子訳、かもがわ出版)/書評:西里扶甬子著『生物戦部隊731−アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(草の根出版会、 2002年5月7日)/2004年9月15日『化学史研究』第31巻第3号(通巻108号)掲載」朝日新聞 2007年6月12日にも掲載。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/peter.htm

◆クレジット:グローバル化する近代医療 と民族医学の再検討:近代合理化の袋小路

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  • 1.はじめに
  • 2.人類学の役割
  • 3.コスモポリタンの思想圏
  • 4.コスモポリタン医療
  • 5.普遍化する方法としての帝国主義
  • 6.日本という問題系
  • 7.未完的継続の諸特性:コスモポリタンの探求
  • 8.近代合理化の袋小路
  • 9.理想追求の継続
  • 10.結論——未完のコスモポリタニズム——

■731部隊は果たして悪魔集団だったのか?(常石敬一)

リンク(細菌戦関連)

リンク(人体実験)

リンク(731関係:サイト内リンク)

リンク

文献