人間社会の「空気」を入れ替えて、人間に喜びをもたらす「息」をもたらす斬新な方法について
On Changing our university atmosphere to Challenging campus!
◎このページは、ダイキン工業株式会社による「基礎 検討フェーズ報告書・研究テーマ提案」から「2020年度共同研究委受託研究」のフィージビリティ調査研究である。調査研究班は、池田光穂・松浦博一(大 阪大学COデザインセンター教員)と宮本友介(大阪大学大学院人間科学研究科)である。そして、このページは大学の空気を変えて教室に「やる気」を もたらす方法や研究法について考えるページである(→「ダイキン工業とコラボして新しい風をつくる研 究」「大学のキャンパスを変えるための12の哲学」「プレーリードックとベルヌーイ効果」)。
ダイキンが考える重要なカタカナ用語 |
それに対する具体的な説明 |
イ
ンフラシェアリング |
・基地局など、通信網を作るための設備
を、複数の事業者で共同利用すること。あるいは少し拡大解釈をして、通信以外の設備の共同利用も含めることも考えられる。 |
環
境マスカスタマイゼーション |
空調機など、大量生産の機械を使いなが
ら、個人個人の望みに合わせた環境を提供すること。例えば、現状の空調機を使って、部屋の中で意図的に温度差を作るなどをして、暑がりの人、寒がりの人に
合わせた、環境を提供する制御技術研究をも含めることができる。 |
デ
ジタルツインシティ |
都市全体を仮想空間の中に再現する技
術。仮想空間の中に、都市を再現することで、解析技術を使って模擬実験や模擬災害などを発生させ、事前に課題を見える化することができる。また、都市全体
を俯瞰してみれるようになるので、例えば、エネルギーの偏りなどを見える化することができるようになり、余っているところから、不足しているところへ、移
動することなども可能になるはずである。 |
命題10:人間社会の「空気」を入れ替えて、再び人
間に「息」をもたらす斬新な方法について
研究班の代表者の池田はかつて大学の「空気」について、次のように書いた。「大学では、社会的経験をもつ大学以外で育った「知識人」や「専門家」を、特
任教授の名で多く雇用しはじめた。大学の空気を入れ替えるためである。それは、とりもなおさず、大学という穴蔵に暮らす大学人は、そのような世間の知恵に
は疎く、てっとりばやく、実践知系の知識をほどよくアウトソース(=外部資源利用)化しようとした」からである)。しかし、それは、大学キャンパスに、そ
れまでにない空気をもたらしたが、それは大学キャンパスに住まう学者が求めている空気ではなかった。コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエン
ガー教授は『選択の科学』において、そのようなキャンパスの「空気」を以下のように表現している。
「学者ってのは、檻の中で、サイクリングマシンのペ ダルを漕いでる、ラットみたいなもんだ。ますます強く速くペダルを踏むのに、1インチも前に進みやしない。しまいには、あまりにも必死に漕ぎすぎて、こ りゃ死ぬなと思う。もしラッキーなら、ペダルを漕いで車輸を回しているきみの姿を、だれかが気に入ってくれて、絶好のタイミング、まさに倒れようというそ のときに、檻の戸を開けてくれる。奇跡に奇跡が重なって、息ができるようになる。それだけじゃない、自転車を降りて、檻の外に出て、新鮮な空気を胸一杯吸 い込み、何年かぶりに、外の世界をよおく見ることができる。それが、テニュア(終身在職権)を得るってことだ。でもしばらくすると、またまわれ右して、自 転車に戻るんだ。前とちがうのは、ずっとのんびり、じっくりしたペースで漕げるってことだけ」『選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義』櫻 井祐子訳,東京:文藝春秋 , 2010.11,330ページ( The art of choosing / Sheena Iyengar, London : Little, Brown , 2010)。
端的に熾烈なラット・レースのプレイヤーが喘ぎなが
ら呼吸しているのが、大学キャンパスの空気なのである。そこには、いくら新鮮な空気を送り込んでも、またダイキンの優秀な空調機をもってしても、それは決
してよくならない。この空気とは空調機が送り出す新鮮な空気ではなく、雰囲気や社会的文脈のことだからである。したがって、雰囲気や社会的文脈を空気とし
て表現し、後者をいくら比喩表現において「換気」したり「清浄」にしても、雰囲気や社会的文脈の改善にはまったく繋がらないのである。
このようなことを確認した後に、我々共同研究会のメンバーは次のような結論に達した。つまり「空気とは雰囲気を感じる前に、我々が呼吸する息の「源(み
なもと)」である生命(いのち)のことにほかならない」ことだった。ダイキン「空気で答えを出す会社」だという。しかし息ができなければ空気をきれいにし
たり、「空気で答え」を出しても、答えが出た時に、人が死んでしまっては意味がないではないか? この自問は自明である。そのために、ダイキン工業は「空
気で答えを出した」後には、息の源である生命を育むということを、会社の次なる命題にしなければならない。これもまた(我々が到達した)自明の解答=ソ
リューションである。ウィキペディアの「息(いき, ドイツ語 Atem)」はこういう。
「古代ギリシアでは息は「Ψυχή(プシュケー)」と言ったが、この語はやがて命や魂・心まで指すようになった。(日本語でも「いき (息)」から派生して、「いきる(生きる)」という表現が生まれたという)。古くから息はいのちのもっとも明らかなしるしだとされていたわけである。ヘブ ライ語では「 רוח(ルーアハ)」という語があったが、それが古典ギリシア「語に翻訳される時は別のギリシア語、πνευμα(プネウマ)が当てられたが、この語は πνεω を語源としており、「大いなるものの息」という意味である。ラテン語に訳される時はspiritus(スピリトゥス)の語が当てられ、この語感は現代英語 のspirit(スピリット)へと継承されている。生死を見分ける基本的な方法としてまず息をしているかどうかを確かめるという方法は現在でも広く行われ ている。「まだ、いきがある」「だめだ、もういきをしていない」などと言う。作品が影響力や“いのち”を持っている場合に「息が通った作品」などと言う。 作品などが長く生命を保っていることを「息が長い」と言うことがある。英語ではinspiration インスピレーションと言うと神の息吹を吹き込まれること、つまり霊感を吹き込まれることを言い、expiration エクスピレーションと言うと、息を吐くこと(抜けること)や、いのちが無くなること(=死)などを意味する」と。
息に関する『エゼキエル書』拾遺
「37:1主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の 霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。 37:2彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。 37:3彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。 37:4彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 37:5主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。 37:6わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを 悟る」」。
「37:7わたしは命じられたように預言したが、わ たしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。 37:8わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。 37:9時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者た ちの上に吹き、彼らを生かせ」。 37:10そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった」。
「37:11そこで彼はわたしに言われた、「人の子
よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。
37:12それゆえ彼らに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民よ、見よ、わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓からとりあげて、イスラ
エルの地にはいらせる。
37:13わが民よ、わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓からとりあげる時、あなたがたは、わたしが主であることを悟る。
37:14わたしがわが霊を、あなたがたのうちに置いて、あなたがたを生かし、あなたがたをその地に安住させる時、あなたがたは、主なるわたしがこれを言
い、これをおこなったことを悟ると、主は言われる」」。
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