はじめによんでください
社会経済的地位
Socio-economic Status, SES
解説:池田光穂
社会経済的地位。資本主義経済が浸透した社会では、社会階層(「身分」や「階級」などの社会的文化的尺度で峻別される)と経済的階層(財産 や所得などで峻別できる集団)の関係がほぼ平行関係にあり、社会階層で高い地位に占めるものは同時に経済的地位も高く、その逆もなりたつ(これを相関性が あるという)。
そのためこの両方の要素をまとめて、社会経済地位(SES)が高い/低いと いう。ただし、社会集団の構成やそれが多世代にわたって続いてゆ く(これを階層の再生産という)性格があるために、経済的特徴だけでは実際には社会階層を識別することができない(例:「一世代で富を築き上げた成金は、 身のこなしや趣味に品がない」という世間的常識)。
富を再生産するための元の資金を「資本(capital)」と呼ぶが、この資本の考え方を経済のみならず〈文化〉という概念にまで拡張し、階層 の再生産の問題 を考えたのがピーエル・ブルデュである(→『ディスタンクション』)。
エリートには、文化ブルジョアと経済ブルジョアがいる。つまり文化ブルジョアは文化資本が豊かであるが経済資本は乏しい。他方経済ブルジョ アは、経済資本は豊かであるが文化資本は乏しい。ここでは、エリートの資本構成が捻 れていると考えるのである。このような捻れがエリートの社会空間と権力 の場、およびエリート校の区分がなされる。
これらの捻れは社会集団において未来永劫(つまり時系列のなかで)固定的なものではない。
例えば芸術家を考えてみよう。芸術家の卵は、文化資本の蓄積に邁進するが、経済資 本の蓄積にはハンディがある。つまり才能があるにも関わらず美術学校の学費にも事欠く状態である。しかし、才能が開花してゆくと文化資本の蓄積は次第に豊 富になる。公募展覧会での受賞したり、それをもとに個展を開催することは、その文化 資本の拡大につながる(例:著名な芸術家としての名声の確立)。さらに教授したり作品が高額で売れることで、経済資本は高まってゆ く(例:過去の作品の市場取引の値段が上がる。受賞後の制作に対する報酬が上昇する)。しかし、この蓄積の方向は文化資本の蓄積が〈結果的〉に経済資本の増大につながったもので、すべての芸術 家がそのようなトラックを歩むわけではない(例01:ゴッホのように生前まったく作品が売れずに没後に世界的名声を得る/例02:ピカソは生前からも注目 を浴び死ぬまで巨匠の名をほしいままにした)。
経済の実業家はどうであろうか。新興の実業家は経済資本に比べて文化資本 は乏しい(その理由は、文化資本は家族単位で世代を継承して陶冶される必要があるが、市場主義経済では経済の浮沈は短時間の間に起こりえ る)。しかし、経済的社交界において〈洗練された〉企業家になるため には、送ればせながら、文化資本の蓄積や場合によってはカモフラージュにつとめる必要性がある(例:「アルマーニ(高級紳士服)の着こなしで新興経済ヤク ザかエリート貴族なのかがわかってしまう」)。
では両者の中間というものは存在しないのだろうか。知識専門職は、文化資本においても経済資本においてもそこそこである。専門職は、そもそも マーケットの規模や拡大の可能性ーーつまり経済資本の長期的増大の可能性ーーが限られているが、社会が必要とする職業であるので、経済資本の蓄積は保証さ れている。この場合、知識専門職は、自分が育てられた教育への親からの投資と自己努力の結果、学歴資本(=文化資本のひとつ)を蓄積し、それを知的専門性にもとづく知的活動 で、知的経済活動において知的資本を再生産していると考える。この場合、学歴資本(文化資本)と経済資本には相互に関係しているが、トレードオフの関係と いう知的階級という独特のエリート階級を形成する。
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「社会的な人間にとって初めて、その自然な生活が人間的な生活となり、自然が人間化される。だとすれば、社会とは、人間と自然とをその本質 において統一するものであり、自然の真の復権(復活)であり。人間の自然主義の達成であり、自然の人間主義の達成である」——カール・マル クス (1844)
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ブルデューによる定義では資本とは「交換が成立するシステム内において社会的関係として機能するもの」であり、それは「物質あるいは非物質といった区別なく、特定の社会的な枠組みにおいて追求する価値と希少性があることを示すもの」という[ウィキ(文化資本)]。通常の訓練を受けた文化人類学者ならば、このように「物質/非物 質」を区別しないのならば、それは、いわゆる「未開社会」に おける「呪術」や「妖術」あるいはその「能力」と変わらないのではないかと考えることができ、また、実際にその通りである。呪術的性格をもつ文化資本とい う点では、(文化資本が学歴や学位など学校制度で陶冶されるという点を除けば)、いわゆる「未開社会」もブルデュが活躍して見事に分析した「現代」フラン ス社会にもそれほど大きな違いはない。
文化資本と経済資本の二軸のマトリクスで構成される四象限に、それぞれの階層に属する人がどのような趣味と選好をもつのか?(→「ディスタンクション」)
未開社会(みかい・しゃかい)とは、ヨーロッパや北米の移民たちが、自分たちとは違う素朴な社
会形態をもつ人たち(=未開人)の手段を、自己の集団と呼ぶために苦心して「創造」した操作的概念である。
用語集(ウィキペディア等)
リンク
【参考文献】
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099