ユダヤ人問題について
On the Jewish
question
Spinoza, Excommunicated by Samuel Hirszenberg, 1907
モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn, 1729-1786)「感覚と信仰の上に立つ哲学——数学の証明と形而上学に関する論文(1763)——を説きカントの批判哲学」を批判した。ユダヤ人問題については、「ユダヤ教徒に権利として市民権が与えられるべきこ とを訴え、……尊厳を持って生きることが必要であると説」く。「貧しいソーフェル(聖書筆写師)の子としてドイツのデッサウに生まれた。母語は西方イ ディッシュ語であった。父は名をメンデル・ハイマン (Mendel Heymann) といい、「デッサウのメンデル」という意味でメンデル・デッサウと呼ばれていた。モーゼスもモーゼス・メンデル・デッサウなどと呼ばれていたが、後に「メ ンデルの息子」という意味でドイツ語風にメンデルスゾーン姓を名乗るようになった。ユダヤ人の貧困階層のため就学できず、父親とラビのダーフィト・フレン ケル(英語版)(David ben Naphtali Fränkel (1704 - 1762) [1])から聖書やマイモニデスの哲学、タルムードなどの(すぐれてユダヤ的な)教育を施される。このフレンケルがベルリンへ移住したため、後を追って同 地へ移り住んだ。同地で貧困と戦いながら、ほぼ独学で哲学等を修得した。その他、ラテン語、英語、フランス語なども修めた。また、ジョン・ロック、ヴォル フ、ライプニッツ、スピノザなどの哲学に親しみ、これらの教養がかれの哲学の下地となった。 21歳の時、裕福なユダヤ商人イサーク・ベルンハルトから子どもたちの家庭教師を依頼され、この任を4年務めた後、ベルンハルトの絹織物工場の簿記係と なった(後には社員、そして共同経営者となった)。1754年には、ドイツの劇作家レッシングを知る。また、カントとも文通で交流を深めた。レッシングの 数々の劇作において、ユダヤ人は非常に高貴な人物として描かれていた(なお、レッシングの代表作「賢者ナータン」のモデルはメンデルスゾーンである)。こ れらはメンデルスゾーンに深い感動を与えるとともに、メンデルスゾーンを啓蒙思想へと導き、信仰の自由を確信せしめた。その後、処女作としてレッシングを 賞賛する著作を書き、レッシングもメンデルスゾーンに対する哲学の著作を書き、互いに親交を深めた。その後、メンデルスゾーンの名声は高まり、1763年 にはベルリン・アカデミー懸賞論文で、数学の証明と形而上学に関する論文でカントに競り勝つ。後にカント哲学を論難する人物とみなされるに至った。晩年に は主として神の存在の証明に関する研究に没頭し、『暁 − 神の現存についての講義』(Morgenstunden oder Vorlesungen über das Dasein Gottes) を著した。また、生涯を通じての親友レッシングを巡ってヤコービらと汎神論論争を起こした。その反論書『レッシングの友人たちへ』 (Moses Mendelssohn an die Freunde Lessings) を刊行中、風邪をこじらせて他界した」モーゼス・メンデルスゾーン)。
モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-1875)「彼の社会主義は「道徳的」な前提に立てられたものであり続け、これがマルクスやマルクス主義者たちにより「抽象的」「モラリスト」 と批判される根拠」となっている。「ヘスは1860年代に「ユダヤ人問題」について、「ヨーロッパ社会でユダヤ人が同化できる可能性は全くなく、ユダヤ人 は自分の民族性を否定することによって他の民族の軽蔑を招いている、ユダヤ人はパレスチナに自分たちの国家を持つべきである」と主張し」、テオドール・ヘルツル(Binyamin Ze'ev Herzl, 1860-1904)に影響を与える。また「モーゼス・メンデルスゾーン(上掲)が鼓吹したユダヤ教の改革はヨーロッパ哲学への迎合であると非難し、逆にハシディズムを偉大な信仰再興運動であると評価」する。
1841年ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas von Feuerbach, 1804-1872)は『キリスト教の本質』を刊行し、師匠のヘーゲルの抽象的な理念や精神とその自己展開——理念そのもの疎外をみる見方——により歴史 を捉える姿勢を批判し、抽象的な精神は人間の働きによるもので、神のなかに「人間の自己疎外」を認識し、人間は愛の宗教を実践すべきだと説いた。
ユダヤ人の社会的解放は、社会のユダヤ教からの解放なのである——カール・マルクス(1844)
「マルクスはクロイツナッハから、「ユダヤ人問題について」と題する論文をたずさえてきたが、これはその年の夏に彼がしたフランスとアメリカに ついての読書の一成果であった。彼の中心問題は、依然として、国家の市民社会からの現代的分離と、その結果自由主義政策では社会問題を解決しえないという ことにあった。ユダヤ人の開放問題はいまやプロイセンにおける一般的な関心の的であって、そこでは1816年以来ユダヤ人はキリスト教徒に比べてずっと不 十分な権利しか享受していなかった」(マクレナン1976:76)
1842年夏、マルクスは、オッペンハイムに「ケルン新聞」編集者のヘルメスの反ユダヤ論文を「すべて」送るように依頼
「レーニンは予言者などではなく、ファシズムにまで指先を伸ばした帝国主義反革命の状況下におけるユダヤ人問題というまったく新しい布陣を予見 できていなかった」(1936.08.21のアーレント宛書簡)——ハインリッヒ・ブリュッヒャー
ユダヤ人問題に寄せて」(1843)「バウアーは、政治的解放が宗教にいかなる隙間をも与えない世俗国家でのみで可能となる以上、ユダヤ人は棄教によってでしか政治的解放を成し遂げられないと述べている。バウアーによると、こうした宗教上の要求が「人間の権利」と矛盾するため、真の政治的解放とは宗教の廃絶にあるという。しかしマルクスは、「世俗国家」で宗教が卓越した役割を果たしていないというバウアーの仮定に誤りがあることを、プロイセンと異なり国教が存在しないアメリカでも宗教が浸透している例を示して反論した。/マルクスの分析では、「世俗国家」が宗教と対立することなく、むしろ前提条件とする点に重点が置かれている。市民から宗教ないしは私的所有を剥奪することが宗教なり私的所有の廃止を意味するものではなく、それらからの分離に道を開くものに過ぎないと いう…。…宗教的自由に対する疑問を離れてバウアーの「政治的解放」へと関心を移したことも特色と言える。マルクスは個人が世俗国家において「精神的に」 も「政治的に」も自由となりうる一方で、未だ経済的不平等により物質的な限界に直面していると結論付け、これが後に資本主義批判の基礎を築く」と言われて いる。
しかしながら「ヘーゲル法哲学批判序説」(1843)にいたると、宗教は私的所有とならんで、克服すべき課題に位置づけられることになり、歴史の変革の主人公としてのプロレタリアートに焦点があてられる。
「ヘーゲル法哲学批判序説」論文において、「宗教における惨状は、ひとつには現実の惨状の表現にある、また他方には現実の不幸にたいする抗議にある。宗教は、悩める生き物のうめき声であり、心なき状態の心情であると共に無常な世界の精神だ。それ(=宗教)は民衆の阿片である」 と、宗教を私的所有とならんで、克服すべき課題に位置づける。それに続けて「民衆の幻覚の幸福としての宗教の廃止は民衆の現実的な幸福の要求である。民衆 の状態に関して幻覚を捨てるよう要求することは、幻覚を必要とする状態をやめるよう要求することである。ゆえに宗教の批判は萌芽では、神聖な光が宗教であ る涙の谷の批判である」ヘーゲル法哲学批判序説) と書く。そして、その社会の変革の主人公はプロレタリアートである。「プロレタリアートは従来の世界秩序の事実上の崩壊であるから、プロレタリアートがこ の世界秩序の崩壊を告知するとき、プロレタリアートはただ自分自身の現存の秘密を述べているに過ぎない。プロレタリアートが私的所有の否定を要求すると き、プロレタリアートは、すでに自らの手を貸すまでもなく自らに社会の否定的な結果として体現されているもの、社会がプロレタリアートの原理に高めたもの を、ただ社会の原理へとを高めているに過ぎない。そのときプロレタリアは、ドイツ国王が馬を自分の馬と呼ぶように、国民を自分の国民と呼ぶとき、ドイツ国 王が生まれた世界に関して持っている権利と同じ権利を、生まれる世界に関して持っているのだ。国王は、国民が自分の私的所有だと宣言することによって、た だ私的所有者が国王だと述べているに過ぎない」ヘーゲル法哲学批判序説)。
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1843年「ユダヤ人問題に寄せて」のなかでマルクスは、ユダヤ人がキリスト教国家と調停するために[国家制度によるユダヤ人の保証と見返り に]ユダヤ教の棄教を考慮すべきであるという考えを展開するヘーゲル左派であったB・バウアーを批判して、国家が人間の解放を保証するあり方を〈政治的〉 とするならば、ユダヤ人性を保証しつつ国家と交渉するユダヤ人は政治のカテゴリーで自らを考えているとした。ロバート・マイスター[1990] (Robert Meister, 1947- )によると、ヨーロッパにおける政治的アイデンティティの議論はここにまで遡れるとした[太田 2009:251-252]。
ブルーノ・バウアー(Bruno Bauer 1809〜1882)
"[O]n the Jewish question (Die Judenfrage, 1843); Bauers later article "Jewism abroud" (Das Judentum in der Fremde) in "Staats- und Gesellschaftslexicon" was even more radical and extensive, mixing arguments of racism, religion and "voelkisch" ideology"(Wikipedia in English, Bruno Bauer).[http://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Bauer]
"Bauer argued that Jews can achieve political emancipation only if they relinquish their particular religious consciousness, since political emancipation requires a secular state, which he assumes does not leave any "space" for social identities such as religion. According to Bauer, such religious demands are incompatible with the idea of the "Rights of Man." True political emancipation, for Bauer, requires the abolition of religion" (Wikipedia in English, The Jewish Question).[http://en.wikipedia.org/wiki/The_Jewish_Question]
●フロイトによる宗教(キリスト教)批判:Sigmund Freud, The future of an illusion.JAMES STRACHEY(trans.) W.W. Norton, 1961.
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