ハンセン病文学とコロニアリズム想像力について
On Colonial
Imagination in Literature by Hansen's disease sufferers
まず、昵懇の友人(松岡秀明氏)への手紙から……
ハンセン病文学とコロニアリズム想像力について考える ためには、どのようなことが必要なのでしょうか?(→「ハ ンセン病と癩(らい)を考えるページ」)
「癩を癒すな/あまりにたやすく癩をなおすな/祭りのなかでも確かな証しが必要なように/私たちの とざされた瞳孔のなかで/夜の画帳を開かねばならぬのだ」(西羽四郎「癩を癒すな」より[一部]谺 2014:118)
「文化人類学、歴史学、文学」の架橋としては、文化人類学と歴史学のポイントを忘れるわけにはいきません。つまり、文化人類学=フィールド ワーク、 歴史学=文書資料の発掘、と考える他に、異なる人類学と歴史学の架橋を考えてなくてはなりません。
たとえば、M・サーリンズの「構造」概念と歴史的事象の解釈との節 合とか、ジーン・コマロフらの「植民地的想像力」をハンセン病の「治療空間や想像力の世界」に拡張するとか——短い期間ですが朝鮮での療養所(とその後の 経緯)に関する、詳細な研究はまだ少ないのではないでしょうか?
※療養所の中では療友どうしの「病い語り」が「癩文学」や「癩短歌」ないしは「らい文芸」というカテゴリーの中で思想的に飼いならされてゆく。
ましてやハンセン病では猪飼さんら歴史研究。大江健三郎や鶴見俊輔は文学全集を編んだが、そ の成果をつかった後継の若い研究者が出てきたでしょうか?——荒井裕樹(あらい・ゆき)さんなどの例外を除いて。ハンセン病文学というジャンル化は、逆 に、文学的想像力を(編者らの思惑とは逆に)その「魂の 治療空間」の中に閉じこめてしまった=《文学のハンセン病療養所化》が起こりつつあるかもしれません。
しかし、ここで翻って、そもそも、癩文学(ハンセン病文学)、疾病文学(岡野 2006:169)というジャンルは可能なのか?と、根本的に考えることも重要かもしれません。村井紀(む らい・おさむ;1945- )が『明石海人歌集』の解説において、海人はハンセン病歌人として評価されてきたが、普遍的な文学者として評価されてきただろうかと疑問を呈しています。 なぜ、疾病文学と非疾病(健常?)の文学を峻別する必要があるのかと。いやそうではない!、《疾患と作者の実存は切り離すことができない》んだという命題 (テーゼ)化をすると、その焦点は明らかに、作者の実存よりも疾患がもつテーマ性のほうがどうしても前面に出てきてしまう。そのようなジレンマを、癩文学 (ハンセン病文学)や疾病文学というジャンル化には孕んでいるのみならず、このことについて真面目に取り組む人も意外と少ないのではないかと、私は危惧す るものです。
1938年1月から公刊される改造社の『新万葉集』に明石海人の歌11首が収載される(全10巻だが、作者名の五十音順のために明石は第1巻に収載される)。この「事件」により、癩歌人(ハンセン病歌人)というものが、非癩者の評論家や歌人たちに初めて発見される
あるいは、病者の中の本物の病者こそが真実を言う(パレーシア)からだろうか?1936(昭和11)年9月号の『日本歌人』(第3巻9号)で明石海人は次の2首の歌、......
反亂罪死刑宣告十五名日出づる國の今朝のニュースだ
死をもって行ふものを易々と功利の輩があげつらひする
で、発禁処分を受けた。この2首は、『明石海人全集』『明石海人全歌集』にも収載されていない。
"The fascinating thing is that anthropology is anti-hegemonic in
many of the questions it asks, and is threatened in many places. But
the ideas produced within anthropology are still generative far beyond
the discipline." - Jean Comaroff, Nov. 2008
蘭由岐子さんは、なぜハンセン病療養所入所者の聞き取りするようになったのか、次のように述べています。
「ふたつ目のきっかけは、帰国後暮らしていた熊本で、明治中頃からハンセン病救済に尽くした英国人女性、ハンナ・リデルとエダ・ライトの顕
彰記念催事に出くわしたことであった。1993年の春のことである。その催事で上映された、ハンセン病に対する偏見・差別の様態を描いた映画『あつい壁』
がとくにわたしの興味を喚起した。映画のモチーフとなった「事件」は、わたしの勤め先の看護学校が付属する療養所、菊池恵楓園(きくちけいふうえん)で
1954年に起こった事件であった。入所者の子弟(ハンセン病患者でない)がハンセン病者への偏見ゆえに地域の小学校への入学を拒否されるという「黒髪公
校事件」(加筆:昭和29年)であった。しかし、この映画を見て、わたしはこの映画の主題である「ハンセン病をめぐる偏見・差別」について考える前に、そ
のもととなったハンセン病という病気についてまず知りたいと思った。それは、映画の中ではハンセン病が「所与のもの」——説明なしでも当然皆が知っている
もの——として描かれていて、詳細が明らかになっていなかったからである。また、発病後入所する療養所についてもあまりはっきりとは描かれていなかった
(ように思えた)。そこでどんな生活が行われているのか。療養所は、ひとつの囲われた空間として存在し、そのなかに何百人もが暮らしているのだ。ひとつの
下位社会として存在しているはずだ。しかし、わたしはその「現在」も知らなければ、「事件」のあった「過去」も知らない。わたしを含め一般の人たちほとん
ど知らない療養所、じゃあ、「調査」してみたらいいのではないか、と単純に考えたのだ」——出典:蘭由岐子「ハンセン病療養所入所者のライフヒストリー実
践」、好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』(pp.82-100)せりか書房、2000年、p.85(引用はこちらからです)
■蘭由岐子さん『「病いの経験」を聞き取る——ハンセン病者のライフヒストリー 』,皓星社,392p.2004年を精査する(情報源:http://www.arsvi.com/b2000/0404ay.htm)
第1部 ライフヒストリーを聞き取るということ
序章 フィールドに出る、ライフヒストリーを聞き取る—「わたし」の経験 3
第一章 ハンセン病者研究の方法論的視座 37
第2部 ハンセン病者の「病いの経験」
第二章 ハンセン病者にとっての「家族」 79
第三章 「悔い」を生きる 105
第四章 「正直に」生きる 129
第五章 「六つの名前」を生きる 177
第六章 「社会」に生きる 197
第七章 「訴訟期」を生きる 253
第八章 「訴訟期療養所」というフィールドで 273
むすびにかえて 309
補遺
ハンセン病政策史の概要 323
文献一覧 357
資料
あとがき 386
■青山陽子さんの『病いの共同体—ハンセン病療養所における患者文化の生成と変容』新曜社、2014年を精査する。
■有薗真代さんの『ハンセン病療養所を生きる — 隔離壁を砦に』世界思想社、2017年を精査する
■「癩文芸」というジャンルの誕生は1939年2月
1939年2月、明石海人の歌集『白描』改造社。最終的に25万5千部のベストセラー。後に、河上徹太郎は「広く文壇を通じて近来の絶品」、下村海南は「経典である」と絶賛。/厚生省主催「癩文芸座談会」が銀座ニューグランドで開催され、光田と内田が出席する。主催は、日本癩予防協会(1931年設立)と長崎次郎書店主(岡野 2006:57-58)。
■多磨全生園地図(1957年)(pdf: Zensho_map1957.pdf )
Zensho_map1957.pdf
●「病いの語り」としての短歌と「植民地的想像力」——第45回日本保健医療社会学会大会(東京慈恵会医科大学(調布市)2019年5月18日)
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