On Narcissism in general
口語法としてのナルシストは、自惚れ屋的な意味で、否定的なニュアンスは含まれるものの、病理とまでは認定されていない。しかし、心理学あるい が精神医学では明らかに「病理」として捉えらている。あるいは、カラヴァッジョの「ナルキソス」のように、大人になるまでの心理的な時期であり、「発達」 の概念を通して、大人はナルシシズムを克服できる存在として措定されている。したがって、成人以降の存在が、ナルシストを自称することは憚られるものに なっている。ナルシズムを心理学的な異常として一番最初に認めたのはハヴェロック・エリス(Havelock Ellis) である(→「フロイト的ナルシシズムの理解」)。
クリストファー・ラッシュは『ナルシシズムの文化』(1979) においても、フロイトの路線を引き継ぎ、20世紀のアメリカ文化における病的ナルシシズムの 常態化の根源と影響を心理、文化、芸術、歴史の総合を通して探求している始末である。
インターネット時代には、どうやらユーザーのナルシシズムと関係すると思われるようなネット現象、たとえば「エコーチェンバー」や「フェイク情報」の拡散や炎上、あるいは、本人の人格とは遊離した「ミーム」など、がおこっており、現代人独特の明らかな「コミュニケーション不全」という状況を引き起こしている。
他方、ナルシシズムを(性愛)病理としていつまでも囲い込むことができるのだろうか?それはできない。その理由は明白である。フロイトのリビ ドーのエネルギーは他者へ向かうものと自己に向かうエネルギーの「均整のとれた調和」であり、その均整とれた調和の先には、正常位で慈しみ、性的冒険をお こなわず、性行為を愛の行為としてしか理解できない、《退屈でマンネリ気味のセックス》がテロスとして想定されているからである。このような、《正常位の 精神分析》は、フロイト左派と呼ばれる、ウィルヘルム・ライヒやハーバート・マルクーゼのような連中にとっても同じなのである。
このページの目的は、ナルシシズムを自我へのリビドー概念の過剰な傾斜として、まさに病理としてみるのではなく、進化学的心理の適応的キャラク
ターとして、捉え直す前哨として、ナルシシズムを分析することとするのである。
「ナルシシズムは心理的状況と文化的状
況の両方を説明する言葉である。個人のレベルにおいてはナルシシズムとは「自己」を犠牲にしてなされる自分のイメージへの過剰なのめり込みと特徴づけられ
るようなパーソナリティ障害である。……文化のレベルにおいては、人間的価値の喪失のうちに——つまり環境への関心、生活の質への関心、自己の同胞たる人
間たちに対する関心の喪失のうち——見出すことができる。(アレクサンダー・ローウェン 1991:1)※ローエンは、ニューエイジ系(→ライヒの弟子)のパーソナリティ心理学者.ただし、ローエンが指摘するナル
シシズムの問題点は「身体的感情の否定」であり、ナルシシズムの病理は、極めて観念論的であり、身体の欲望やその充足と精神的な満足がチグハグになってい
ることのように思える。 ウィキペディアの説明:「ナルシシズム(独: Narzissmus、希: ναρκισσισμός、英: narcissism)あるいは自己愛とは、自己を愛したり、自己を性的な対象とみなす状態を言う[1]。オートセクシャル、メトロセクシャルなどの総 称。転じて軽蔑の意味で使われることもある[1]。 個人的エスノセントリズム、自己愛性パーソナリティ障害と同一視される事もあるが、現代では否定的な意見もある。 語源はギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたというエピソードに由来している。ナルシシズムを呈する人をナルシシスト (英: narcissist)と言うが、日本においてはナルシスト(蘭: narcist)という言葉で浸透している。 一次性のナルシシズムは人格形成期の6ヶ月から6歳でしばしばみられ、多くは成長と共に失われていく。 二次性のナルシシズムは思春期から成年にみられる」ナルシシズム) "Narcissism is a mental disorder and the pursuit of gratification from vanity or egotistic admiration of one's idealised self-image and attributes. The term originated from Greek mythology, where a young man named Narcissus fell in love with his own image reflected in a pool of water. Narcissism or pathological self-absorption was first identified as a disorder in 1898 by Havelock Ellis[1] and featured in subsequent psychological models, e.g. in Freud's On Narcissism (1914). The American Psychiatric Association has listed the classification narcissistic personality disorder in its Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM) since 1968, drawing on the historical concept of megalomania. It is distinct from concepts of distinguishing the self (egocentrism or egoism) and healthy forms of responsibility and care for oneself ("primary narcissism"). Narcissism by contrast is considered a problem for relationships with self and others and for maintaining a functional culture. In trait personality theory, it features in several self-report personality inventories including the Millon Clinical Multiaxial Inventory. It is one of the three dark triadic personality traits (the others being psychopathy and Machiavellianism)." |
|
フロイトのナルシシズム |
「ナルシシズムという語はフロイトの心
理学において初めて使われた。語の由来はギリシア神話に登場するナルキッソスである。ナルキッソスはギリシアの美しい青年で、エーコーというニンフの求愛
を拒んだ罰として、泉に映った自分の姿に恋するという呪いを受けた。彼はどうしても想いを遂げることができないので、やつれ果て水面に写った自分に接吻を
しようとして、泉に落下して溺死し、彼が死んだ泉にはスイセン(narcissus)の花が咲いた。
過去には、二次性のナルシシズムは病的な状態であって、思春期から成年にみられる、自己への陶酔と執着が他者の排除に至る思考パターンであると考えられて
いた。
主に、二次性ナルシシズムの特徴として、社会的地位や目標の達成により自分の満足と周囲の注目を得ようとすること、自慢、他人の感情に鈍感で感情移入が少
ないこと、日常生活における自分の役割について過剰に他人に依存すること、が挙げられ、二次性ナルシシズムは自己愛性パーソナリティ障害の核となるとされ
た。
現代では、セクシャルマイノリティのひとつとして、認められる動きもある。」 「ジークムント・フロイトはナルシシズムについて初めて一貫した理論を唱えた。フロイトは主体指導型リビドーから客体指導型リビドーへの移行が親の働きに 媒介されると説明した。 一次性ナルシシズムの発生は、子供が頼るべきものを探して手元にある自我を選び、満足したと感じる適応的な現象である。しかし、ナルシシズムが遷延する と、オートエロティシズムが成立する。ナルシシストは自我を刺激して喜びを得ることに慣れ、普通の性行為よりもマスターベーションと性的妄想を好むように なる。 フロイトは対象に一切のリビドーが向かっていない事をナルシシズムと命名した。それは、空想などの対象表象などにも一切のリビドーが向かっていないような 現象を指す。」 |
Horton, R. S.;
Bleau, G.; Drwecki, B. (2006). “Parenting Narcissus: What Are the Links
Between Parenting and Narcissism?”. Journal of Personality 74 (2):
345–76. doi:10.1111/j.1467-6494.2006.00378.x. See p. 347. |
ナルシシズムのパーソナリティ変数とし
て、リーダーシップ/権威、優位性/傲慢性、自己陶酔/自画自賛、搾取性/権利意識の、4要素が挙げられている[2]。 |
サンディ・ホチキスらのナルシズム・バッ
シング |
あまり科学的で公平な態度とは言えない
が、サンディ・ホチキスらは「7大罪」——モーゼの十戒と想起——とまで指摘している。 1. 恥知らず: 恥は、すべての不健全なナルシシストの下に潜む感情である。彼らは健全な方法で恥を処理できない。 2. 呪術的思考:ナルシシストは「魔法の思考」として知られる認知の歪みや錯覚を使って自分自身を完璧と見なす。彼らはまた、他人に恥を「掃き出す」た めに投影を用いる。 3. 傲慢:自我収縮を感じているナルシシストは、他人の衰退、脱走、堕落を知ることで、自我を「再膨張」させることができる。 4. 羨望:ナルシシストは「軽蔑」を使用して他人の存在や業績を最小化することで、他人の能力に直面した際に優位性を確保する。 5. 権利意識:自分が特別であると考えているため、ナルシシストは特別有利な扱いやノーチェック・パスなど、根拠のない期待をしている。彼らは求める承 服がなされないと、その優位性への攻撃だとみなすため、周囲からは「厄介な人」「困難な人」とみなされている。ナルシシストへの意志の抵抗は、自己愛の傷 つきとして自己愛憤怒を引き起こす。 6. 搾取:他者の気持ちや関心に関わらず、ナルシシストは常に他者を搾取する存在であり、それは様々な形となる。それはしばしば抵抗が難しいか、不可能 な立場の人をターゲットとする卑劣なものになりうる。時には従順になるがそれは本心からではない。 7. 境界線の不全:ナルシシストは他者との間に境界線があることを理解していない。他人とは別個の存在であり、自分の延長線ではないことが分からない。 己のニーズを満たさない他人は、存在しないのと同じである。ナルシシストに自己愛を供給する人々は、ナルシシストの一部として扱われ、主人の期待に応える ことが要求される。ナルシシストの心には自己と他者の境界はない。 |
ナルシシズムを維持するための病理的行動
のレパートリー |
1)自己破壊的行動とアクトアウト、
2)飲酒、3)薬物、4)社会の集合的価値観との離反、5)自己の品位に対する無自覚 |
ナルシシズムを個人の病理ではなく社会の
病理とした、クリストファー・ラッシュ |
・クリストファー・ラッシュは、現代文
化が消費文化を通してナルシシズム化していくことに警鐘をならすが、その背景にあるのが、ラッシュ自身が、啓蒙の落とし子としてナルシシズムに抵抗しよう
とする「意思」のあらわれだと理解できる。 |
アーネスト・ベッカーにみる『死の拒絶』
とナルシシズム |
書籍紹介「人はなぜ死を恐れ、それを否
認・拒絶しようとするのか?フロ
イト、ランク、キルケゴールらの思想を手がかりにその意味を追求した〈死の精神分析〉」といわれる本書が、死への拒絶を可能にするナルシシズムであるとす
ると、それ(=ナルシシズム)は、称揚すべきイデオロギーになるのか? |
クリステヴァにみられるナルシシズム論 |
『初めに愛があった―精神分析と信仰
(Au commencement était l'amour : psychanalyse et
foi)』の書籍紹介には「精神分析と信仰の心的空間を人間精神の深層において比較考察しつつ,エディプス空間(欲望)に代わるナルシシズム空間の再構築による「愛の理論」の
構想を語る」とある。 |
フロイト的ナルシシズムの理解 |
「ナルシシズム入門」Zur
Einführung des
Narzißmusは、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud,
1856-1939)の1914年(58歳時)に発表された著作である。ナルシシズムの定義に始まり、今日でいうところの統
合失調症(スキゾフレニー)——フロイトが好んで使った用語はパラフレニー——患者に見られるリビドー理論を検証するために、ナルシシズムを様態を観察を
通して検証する理論的考察という体裁をとる。3部構成で、冒頭の第1部は、リビドー概念の検証で、自我リビドーと性の欲動リビドー(あるいは対象リビ
ドー)が検証されるが、袂を分かったカール・ユングの解釈が批判される。第2部は、ナルシシズムを1)器質的疾患、2)ヒポコンデリー、3)男性女性の両
性の愛情生活の観察から考察しようとするものである。特に3番目の男女のナルシシズムの違いを説明するのに、冒頭でザドガーが、同性愛者にナルシシズム傾
向があるという指摘に着目して、男性と女性の欲動の対象化パターン(ナルシシズム型と依存型の2類型がある)の非対称性について言及している(留意点:同
性愛嗜好は現在ではノーマライズされているので病理で説明する必要はもはやないが、男性と女性の振る舞い=パフォーマンスという点を考慮して同性愛の欲動
なリビドー概念で説明すれば現在でも通用する主張がある)。第3部ではアドラーのコンプレックス概念からヒントを得ながらも距離をとりつつ、自我概念、昇
華、検閲などの心的機能概念が検討される。リビドーと自我のダイナミックスはナルシシズムの表出形態にさまざまな影響を与えることをフロイトは比較的自由
奔放に記述している。最後は7つほどの自我論の命題が列挙されて、唐突に終えられている印象は避けがたい(→「フロイト的ナルシシズムの理解」)。 |
「自分自身の像に幻惑されたナルシス
は,ラカンが 「鏡像 段階」において描き出した鏡像による主体の籠絡の瞬間を 見事に例証するものである。しかし,この言葉をしゃべれ
ない子ども(infans)が虚像とその背後にある種の像への いわば二重の同一化を被るこの段階の経過とは異なり,ナ
ルシスという人物は,外的な準拠を何も持たない無知な状 態で,恋の幻影——その情熱的な基調は自我とモデルとの
間の完全な混乱を明らかにしている——の中に浸り込むの である。実際,鏡像は自我の投影の場の境界を画定し,自
我は,一つの形態の知覚において他者との関係の恒常性を 得,それにまなざしを付与する。この関係がないと,主体
は彼自身の「誇大妄想的」像——無限に反射しあう合わせ 鏡の戯れのように彼を見る像——に驚愕したままになるの である。 ……こうしてラカンは,彼のセミネールI 『フロイ トの技法論』にお いてフロイトのこの論文を解説し次のよ うに述べている。 「自我に比肩しうるものとしてのこの原 型(Urbild)は主体の歴史のある限定された瞬間に構成さ れ,それ以後自我がその機能を果たし始めるのです。つま り,人間の自我は想像的な関係を基盤として構成されるの です。フロイトは書いています,自我の機能は,ある新し い心的(eine neue psychische)……形態(Gestalt)を 持たなければならない。精神の発達において,何か新しい ものが現れる。その機能は,ナルシシズムに形を与えるこ とである。ここには自我の機能の想像的起源が示されては いないでしょうか」(→「ラカン的ナルシシズムの理解」) |
|
フロイトのナルシシズムの理解(再考) |
・リビドー(性的エネルギー)による解釈図式をまず、容認する必要があ
る。 ・リビドーは、自分以外の性対象に向かえば、ナルシシズムがおこらないと、フロイトは考える ・フロイトが考える「自分以外の性対象」は、基本的に異性愛なので、近しい親族、同 性、あるいは、動物やモノなどのものは「適切な性対象」ではないとフロイトは考えていた。 ・ただし、幼児期の自己愛(=第一次ナルシシズム)は、正常な発達と考えていたので、「過渡期としてのナルシシズム」はフロイトにも容認可能なナルシシズ ムのようだ。 ・フロイトによると、第二次ナルシシズムは、やっかいなもの、つまり病理としてとらえられていたようだ。 ・リビドーは、対象リビドーと自我リビドーがあり、これらのバランスが壊れると、つまり対象リビドーが優位すると、恋愛(=精神の軽度の錯乱状態)をおこ し、自我リビドーが優位すると、パラノイア(=恋愛の過度の錯乱状態)になるという。※これは池田の表現である。 ・つまり、恋愛は、自我の理想状態(=自我リビドーが給備されるので)と関係することが指摘できる。 |
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099