かならず 読んでください

文化人類学者とは何をしているのか
How does the cultural anthropologist do? - Thought, activity and belief.

Fotos: Las Imagenes del trabajo del campo. Jovén Primatólogo Dr. Koshin Kimura trabajaba en la cuenca del Amazonas, ca. 1976-1977. Con probación por Dr. Kimura

池田光穂

文化人類学者の仕事はふたつの活動からなりたって い る。ひとつはフィールド ワークとよばれる社会調査で、他のひとつはエスノグラフィーとよばれる書物や論文を書くことである[最近はマルチメディア時 代を反映 して、民族誌は動画や音声をウェブページやビデオ映像などのメディアを介して公開されることもある(例:民族誌映像→映像人類学)]。

フィールド ワーク(field work)は研究対象となっている 人びとと共に生活をしたり、そのような人びとと対話したり、インタビューをしたりする社会調査活動のことである。

エスノグラフィー(ethnography)は、フィールドワークの記録を基 礎にした書物=論文[さらに映像・ウェブページなどの類するもの]である。エスノグラフィー(=民族誌)は、今世紀初頭(具体的には1922年)に定式化さ れたいくつかのものが英語で公刊されて以来、さまざまなスタイルの変化はあるものの、人類学者に書かれ読みつがれてきた。民族誌=エスノグラフィーの狭義 の意味は、対象の民族(エトノス)の記録(グラフィー)であるが、現在では、民族誌は人間の社会や文化について考えるための、文字記述を中心とした、人間 ないしは人間集団を対象にした実地調査にもとづく記録ということができよう。

——以下は私のウェブページで文化人類学者が何を やっているのかについて記述した箇所の断片である——

人類学者のフィールドワーク:学部高学年&大学院生向き(2014年が初出、その後は部分改訂、最終改訂 2020年)

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これから人類学者のフィールドワークについてお話します。


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人類学(anthropology)
は以下の4つの下位領域に分けることができます。

    1.    生物人類学(biological anthropology)
    2.    文化人類学(cultural anthropology)
    3.    考古学(archeology)
    4.    言語人類学(linguistic anthropology)
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文化人類学というよりも文化人類学者ですか、彼らの知的活動には次のようなものが含まれます。

1.民族誌=エスノグラフィー(実例の提示)の作成、

2.文化や民族に関する研究(比較民族学などと従来呼ばれてきたもの)をおこなう。

そして、
3.理論研究(文化理論や、社会集団に関する研究)をおこなうこと。

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文化の定義

「自らの世界を形づくるための固有の方法」であり集団や社会により「共有されるもの」( リオノール・ノラン)
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文化の意義

メンバー(成員)に対して経験を組織化する、理解し、他者に伝達することができる。生産性を高め、創造力を育む。環境や社会に対するメンバーの適応能力を高める。世界の構造化に寄与する。
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文化の構成要素

1.人工物 → 環境
2.行為  → 実践
3.知識  → 認知
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文化的差異

差異、現在では多様性とも言われる。人類における差異、文化における差異、社会の内部における差異、個人間の差異など
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習得の自然化

長い人生の生活のなかで獲得されたもの(=文化)は、自然化される、つまり、それが当たり前で、普通で、また他の集団の人のものよりも「良いもの・優れた もの」に見える(→自文化中心主義)。慣習は自然化されたものの典型であり、しばしば第2の自然(second nature)という。あるいは同語反復性:「豚は不潔だから豚と呼ばれるのである」(豚=不潔という結びつきが自然化されている。豚は動物行動学的には 〈知的で清潔な動物〉)
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自民族中心主義(ethnocentrism)

複数の民族的「他者」に対して、自己の民族とは異なった存在であり、かつ自分たちが他者よりも優越する価値を有するという倫理的態度のこと。倫理的とは、その態度が人々に対して価値判断を含む感情を生み出すから、善悪の判断もまた含まれるからである。
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文化的認識(cultural knowledge)

文化的認識は、自分の文化に対する再帰的な知識のことである。まず文化的認識は、その文化に対する自己反省的な意識から生まれることがある。また、先の自 民族中心主義という自然化のために、他者や他文化の存在やその世界に異文化の人が飛び込むことが、そのような自然化を当たり前にしないという反省的経験を 形作ることがある(例:フランツ・ボアズの恋人に対する手紙にみる「文化相対主義」の誕生)。
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文化相対主義(Cultural relativism)

他者に対して、自己とは異なった存在であることを容認し、自分たちの価値や見解(=自文化)において問われていないことがらを問い直し、他者に対する理解と対話をめざす倫理的態度のこと。
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接触する諸文化

異文化の接触は、無知、無視、恐怖、衝突、寛容、融和などの反応を引き起こす(自文化中心主義から文化相対主義へのスペクトルに応じて)。異文化に対する 反応は、これらのリアクションのレパートリーが交互に現れるなど、歴史的に社会的に多様なパターンをとる。つまり「異文化間の人の集団ではかならず紛争を 引き起こす」という見解は必ずしも正しくない(類似の例として、万人の万人に対する闘争という「リバイアサン・テーゼ」)。逆に、人間は生まれながらの平 和的動物という理解も極論で正しくない。
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人類学者の行動や信条(credos)

1.フィールドワーク
2.参与観察
3.相対主義
4.全体論
5.領域分析



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フィールドワーク

フィールドワーク(field work)とは、研究対象となっている人びとと共に生活をしたり、そのような 人びと[インフォーマント]と対話したり、インタビューをしたりする社会調査活動のこと、である
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参与観察

参与観察(participant observation)とは文字通り、人びとがおこなうイベント(祭礼、儀礼、結社、偶発的行事など)に参加することを通して、観察データをえること。


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全体論

全体論(holism)とは、全体は部分の総和以上のものがあるという見解。要素論や、要素還元論(要素還元主義)と区分される。ただし、全体主義(totalitarianism)は政治学の用語で全体論とは無縁なので注意すること。
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領域分析

領域分析(domain analysis)とは 、文化領域(cultural domain)という仮説やビジョンにもとづいて、人間の経験を秩序づけるためのカテゴリーの文化領域をあぶりだす手続きのこと。では文化領域とは、ロー カルな社会習慣のなかで重要な意味をもつ生活領域や生活分野(area of life)のことをさす。
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領域分析の手順

1.領域を規定する
2.領域の構成要素を明らかにする
3.構成要素の関係を明らかにする
4.編制されている規則を明らかにする
5.関連する諸価値を探す
(Spradley 1979,1980; Nolan 2002:17)
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私のフィールドワーク経験

    •    宮崎県幸島のニホンザル1979-1980
    •    生化学の実験室1981-1982
    •    日蓮宗寺院、修験道寺院1982-1984
    •    ホンジュラス共和国保健省首都1984-1985
    •    ホンジュラス共和国西部高地農村1986-1987
    •    グアテマラ共和国西部高地マヤ系先住民1988-現在
    •    中米・カリブの観光地1993-1994
    •    コスタリカの生態学研究ステーション1997
    •    神経生理学の実験室2006-2007
    •    メキシコやグアテマラのマヤ系先住民2010-現在
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フィールド研究の面白さ

1.未知との遭遇やわくわく感
2.他者との出会いや会話の面白さ
3.異境の地でのグルメ経験
4.リピーターになると里帰り経験
5.他者を経由した自己の反省
6.内省経験
7.スリル経験
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フィールド研究の困難さ

1.想定したことと現実のギャップ
2.他者との別れや、日本に戻ること
3.病気になること
4.人種差別や偏見、ハラスメントに会う
5.自文化中心主義を克服できない壁
6.何も達成出来ない時のあせり
7.退屈やホームシック
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フィールドワーク

    •    フィールドワーク(field work)とは、「研究対象となっている人びとと共に生活をしたり、そのような人びと[=調査対象者であるインフォーマント]と対話したり、インタビュー をしたりする社会調査活動のこと」である。
    •    文化人類学者は、フィールドワークにもとづいて、人びとの生活に関する記述であり同時にその人類学的考察である記録(=質的情報や量的情報で構成される)である民族誌を著します。
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インフォーマント

    •    インフォーマント(informant)とは、調査において人類学者に情報(information)を提供してくれる人のことです。
    •    ジャーナリズムの用語で言うと、取材を受ける人、情報提供者、被調査者など、さまざまな言い換えが可能ですが、人類学は狭義のジャーナリズムではないの で、そのようには考えません。また、軍事作戦におけるインフォーマントは、「現地の情報に精通し、またスパイにもなる民間の協力者」(内部通報者)という ことになるかもしれなませんし、そのように使われています。

★そのため最近は一緒にフィールドワークにつきあってくれる現地の人々をインフォーマントと呼ばずに、友人や支援者と呼ぶことが多くなりました。
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  インフォーマントと情報的価値

    •    インフォーマントは、情報論的にはデータそのものであり、調査者はインタービューを通して、インフォーマントの情報すなわち地域や文化の情報を引き出すこ とになりますが、これもまた人類学の理論におけるインフォーマントのことではありません。
    •    では、インフォーマントとは誰のことか
    •    人類学におけるインフォーマントは、調査のプロセスで接触するすべての人々のことと考えてもらってもよいでしょう。現地の人と出会い、話し合うことを通し た自分の活動を内省的にみれば、人類学者自身もまた相手にとってインフォーマントとなりうる資格をもっています。したがって、人類学の調査では、あらゆる 人がインフォーマントのことになります。

★前のスライドのような理由で、最近は一緒にフィールドワークにつきあってくれる現地の人々をインフォーマントと呼ばずに、友人や支援者と呼ぶことが多くなりました
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狭義のインフォーマント

    •    他方、人類学では同時にインフォーマントを[今度は逆に]狭く厳密に捉えることがあります。この場合のインフォーマントは、人類学者の調査の趣旨を理解し てくれ、人類学者の対話の相手になる、同僚または先生のことでもあります。この狭義のインフォーマントは、人類学の著名な調査には人類学者の有能な助手と なるだけでなく、人類学者の導きの糸たる先生にもなり、人類学者の名声と共に人類学の歴史に名を残す人もいます。

★前のスライド(→23)のような理由で、最近は一緒にフィールドワークにつきあってくれる現地の人々をインフォーマントと呼ばずに、友人や支援者と呼ぶことが多くなりました
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インフォーマントの「搾取」について

    •    よく人類学という学問的枠組みに対する政治的批判において、人類学者がインフォーマントを知的あるいは経済的に「搾取」するイメージで語られることがあり ますが、先のように先生(=インフォーマント)と生徒(=人類学者)の関係のようにフィールドワークのプロセスにおいてその地位がしばしば逆転することが あったり、長く友愛の関係で結ばれることが〈経験的事実〉としてありますので、人類学者がインフォーマントを搾取するというイメージは(全くそのような危 険性がないとは言えないものの)不適切であることは、強調してもよいと思います。
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インタビュー

    •    インタビューとは、対話や問答を通して人にものを聴く・聞くことである。
    •    人類学的インタビューとは、人類学者や人類学を勉強する人たちが、インフォーマントとよばれる調査協力者に対して、人類学調査に関わるさまざまなものを聞くことである。
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インタビューの倫理性

    •    したがって、調査者は、その研究の目的のためにさまざまなインタビューをおこなうが、その方法は多様なものがある。また、友人との日常の会話から行政や司 法の場面における査問まで、それらの行為には調査者の倫理性が伴うことも忘れてはならない。
    •    また、通常、インタビューは対面調査でおこなうものをさすが、コミュニケーション技術の発達などにより、電話や電子メールなどでインタビューに準じたもの が行われることがある。これらの手続きや倫理に関する事象も、対面調査で行われるものに準拠した扱いでおこなわれるべきである。
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フィールドワークの倫理・壱

    •    人間を対象にする調査研究は、根元的に人体実験*的性質をまぬがれえない。
    •    そのために、調査研究において、調査する人間が調査される人間の尊厳を傷つけたり、される側の資源(人体の一部あるいはその隠喩[例:知識])をする側が搾取するという事態がおこりうる。
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フィールドワークの倫理・弐

    •    このような事態は、研究者じしんが道徳的であるか、よい人間であるかというとは関係なしに、行為が社会的にどのように意味づけられるかによって、構造的に 決定される性質のものである。調査者の倫理は、その人の内面を規定するものではなく、その人がどのような手続きをふんで調査をおこなおうとするのか、おこ なっているのか、おこなったのか、という観点からきめられる。
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フィールドワークの倫理・参

    •    したがって、調査者は調査をはじめる前に、その調査が、人間の倫理にかなっているか、調査をおこなう正当性をもちうるか、研究がもたらす社会的影響力等に ついて責任を負うであろうことに、十分な配慮をもたなければならない。
    •    反倫理行為は構造的に決定されるために、倫理の学習は、さまざまなケースを通して学ばれる必要がある。
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フィールドワーク倫理を考える要点

    •    誰のための、どんな研究か? ただしどんな研究でも「言ったこと」と「実践すること」には齟齬が不可避的に生じる。
    •    現場の人びとの個別情報には、大きくわけて(1)秘密や親密、(2)プライバシーや個人情報、(3)知的財産や個人の威信を維持するための利益情報、があ り、調査にはこれらの3つの性質に関して契約上の責任をもつ。
    •    説明責任(accountability)と応答責任(responsibility)
    •    倫理は社会的かつ歴史的に相対的だが、個人の責任はそのような相対化を超えて作働する宿命をもつことも理解すべし!
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困難克服回復法

1.理想と現実のギャップ→あるがままを受け入れる
2.他者との別れ→次なる出会いがあることを信じる
3.病気になること→現地で抗生物質や痛み止めなどのOTCで購入
4.人種差別やハラスメントに会う→クールダウン、トラブル回避
5.自文化中心主義の未克服→クールダウン、精神的逃避も重要
6.何も達成出来ない時のあせり→失敗もデータのうち、経験知と誤解せよ
7.ホームシック→お前には帰る故郷がある!亡命者やホームレスを想起せよ
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amigos con yugo


記念写真(リンドと, Dolores, Copan. ca.1986)
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遠い祖父母の思いで

この写真は1985年から87年にかけて中米のホンジュラスの農村に私が青年海外協力隊員として住んでいた時に、私の向かいの家に住んでいたアリタ一族の 族長? ドン・キンティン・アリタとそのアリシア夫人です。ドンは、わしらはインディオの末裔で、この村にオコテペケから移住してきたと言っていました。 移住してきた時には、この村にはわずか数軒の小屋しかなかったとも。ドンは若い時には、カリブ海地方のプランテーションで働いた経験があり、グリンゴ(米 国人)から学んだという怪しげな英語をはなしたこともありました。ドンの思い出でもっとも傑作なのは、この写真がとられたケサイリカのお祭りに出かけ、夜 半すぎに帰ってきた時には酒を呑んでべろべろによっぱらい、興奮してえんえんと話つづけたことでした。ドニャ・アリシアは、私が村に住んでいる時には、ほ とんど毎朝、パネラ砂糖のたっぶり入ったコーヒーを入れてくれたことでした。キンティンはすでにこの世にはいなく、数年前アリシアをたずねた時はひっそり と生活をしていました。私には、ほとんど祖父母と一緒に過ごした記憶がないので、彼らは私にとってほとんど祖父母のような存在でした。
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この写真(35)は1985年から87年にかけて中米のホンジュラスの農村に私が青年海外協力隊員として住んでいた時に、私の向かいの家に住んでいたアリ タ一族の族長? ドン・キンティン・アリタとそのアリシア夫人です。ドンは、わしらはインディオの末裔で、この村にオコテペケから移住してきたと言ってい ました。移住してきた時には、この村にはわずか数軒の小屋しかなかったとも。ドンは若い時には、カリブ海地方のプランテーションで働いた経験があり、グリ ンゴ(米国人)から学んだという怪しげな英語をはなしたこともありました。ドンの思い出でもっとも傑作なのは、この写真がとられたケサイリカのお祭りに出 かけ、夜半すぎに帰ってきた時には酒を呑んでべろべろによっぱらい、興奮してえんえんと話つづけたことでした。ドニャ・アリシアは、私が村に住んでいる時 には、ほとんど毎朝、パネラ砂糖のたっぶり入ったコーヒーを入れてくれたことでした。キンティンはすでにこの世にはいなく、数年前アリシアをたずねた時は ひっそりと生活をしていました。私には、ほとんど祖父母と一緒に過ごした記憶がないので、彼らは私にとってほとんど祖父母のような存在でした。
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人類学者とは誰のことか?

    •    看護師とならんで〈天職〉的性格の強い職業
    •    かなり病的な実証主義者で(それとは矛盾するが)かなり病的な文化構築主義者
    •    質的調査の擁護者あるいは番犬
    •    他者とのコミュニケーションを渇望するさみしがり屋
    •    文化理論に対する誇大妄想的傾向がつよい
    •    来世のことよりも現世に関心、だが心霊的にもつよい関心をもつ
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語りの伝搬者:01

ミルナと交霊術者(グアテマラ市):人類学者のミルナ(仮名)がマサテナンゴ市サマヤックにいるエスピリトゥイスタつまり交霊術者のところに出かけたの は、1980年代の中ごろだという。というのは、当時は「とても暴力的(muy violento)」な社会状況の中で、同じ職場の同僚で、当時26歳の秘書が「誘拐」されたという。どうして「行方不明」ではなくて、「誘拐」と言える のでしょうか、と私が質問したら、ちょうど彼女が失踪した時に目撃者がいて、数人の男が彼女を自動車に押し込め連行したというからである。
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語りの伝搬者:02

秘書が誘拐されて彼女の家族は手をつくして探したが彼女はいっこうに戻ってこなかった。ミルナは、この失踪した秘書について手がかりを得るために、サマ ヤックにいる著名な女性の交霊術者のところを、他の職場の同僚とともに訪れたという。ミルナは、探している秘書が「誘拐」されたということを隠して、この 女性交霊術者に相談したが、交霊術者はすぐに彼女が誘拐されていることを指摘した。ミルナは、彼女に相談している間にエスピリトゥイスタが、憑依している ことに気づいた。交霊術者の声色が変わり、やがて<彼女>が呻きながら「お、お・・・私は痛い」と言い始めた。そして「皆さん、私を探すのはもう止めてく ださい・・・・私は、もう遠いところにいます・・私はもう休みにつきました・・・」と途切れ途切れに発話するようになった。ミルナの表現によると、彼女 は、その時には「研究者でも人類学者でもなくミルナ自身その人」になって、涙を流しながら聞いていたという。
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語りの伝搬者:03

犠牲者の父親は、彼女の失踪後、軍隊の事務所にある調査申請記録簿に娘の名前を記載し、娘の写真を拡大してポスターにして、さまざまなところで彼女の消息 をいろいろなところに訊ねていたが、とうとう娘の消息を知ることなく、死んでいったという。ミルナによると、彼は失踪した娘を探すことで、命を縮めて死ん でいった。ミルナは、犠牲者の父親には、このエスピリトゥイスタへの相談の内容を一切話はしなかった。「話すことなどできるものですか!」
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語りの伝搬者:04

これが、サマヤックにおけるミルナと交霊術者との出会いであり、彼女は、この種の話をたくさん知悉しているが、現在(1999年初頭)でもなお、グアテマ ラ人として公表することには、「恐怖」を覚えるという。だから、外国人である私が、この種の話を発掘して、より多くの海外の人に伝えて、このような恐怖 が、二度と起こらないように、知らしめてほしいと話終えた。
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最初のヴァージョンのクレジットです。

★おまけ!!!

「ある学問について知りたければ、その分野の学者がどういうことをやっているのか調べればよい」——クリフォード・ギアーツ

残念なことに、すでに亡くなっていますが、クリフォード・ギアーツさんという先生は次のよう なお姿の方でした。


リンク

文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099


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