認知症、痴呆症、ぼけ
ninchi-shoo, chihoo-shoo, boke (Dementia in Japanese)
William
Utermohlen, 1933-2007
解説:池田光穂
アメリカ精神医学会は痴呆あるいは痴呆症 (dementia)に入るものを以下の5つのカテゴリにわけている(DSM-IV-TR)。(DSM-5, 2013: Neurocognitive Disorder[pdf with password])
2. 血管性痴呆(以前には多発梗塞性痴 呆と呼ばれていた)/血管性認知症
3. 他の一般的疾患による痴呆症/認知 症
4. 物質誘発の持続的痴呆症/認知症
5. 複数の病因による認知症
次にインターネットで痴呆
(dementia)を検索すると、以下のような情報があらわれる。認知症とは痴呆のことである。
認知症の原因と分類は? 回答 認知症は様々な疾患や状態によって引き起こされます。DSM-5では、主要な神経認知障害(認知症)の病因論的サブタイプは、アルツハイマー病、前頭側頭 葉変性症、レビー小体病、血管障害、外傷性脳損傷、薬物/薬物使用、HIV感染、プリオン病、パーキンソン病、ハンチントン病、その他の医学的状態、複数 の病因、および特定不能から構成される。 コメントとエビデンス 多くの疾患や状態が認知症または認知症様症状を引き起こす可能性がある1)。 ICD-10では、認知症はアルツハイマー型認知症、血管性認知症、他に分類される疾患による認知症、および特定不能の認知症に分類される2)。 DSM-5の神経認知障害カテゴリーでは、大神経認知障害(認知症)と小神経認知障害(軽度認知障害)の病因論的サブタイプは以下のように記載されてい る: アルツハイマー病、前頭側頭葉変性症、レビー小体病、血管障害、外傷性脳損傷、物質・薬物使用、HIV感染、プリオン病、パーキンソン病、ハンチントン 病、その他の病状、複数の病因、特定不能3)。 これらの原因疾患・病態のうち、正常圧水頭症や慢性硬膜下血腫などの脳神経外科的疾患、甲状腺機能低下症やビタミンB12欠乏症などの内科的疾患は、治療 可能な認知症という概念で扱われており、早期診断と適切な治療・介入が望まれる。 参考文献 1) 「認知症治療ガイドライン」作成合同委員会(編)日本神経学会(監修). 認知症治療ガイドライン 2010.東京: 医学書院; 2010: 4-7. (東京: 医学書院; 2010: 4-7.) 2) 世界保健機関. 疾病及び関連保健問題の国際統計分類. 第10次改訂版. ジュネーブ: World Health Organization; 1993. 3) 米国精神医学会。精神障害の診断と統計マニュアル第5版: DSM-5. Arlington, VA: American Psychiatric Association; 2013. 検索式 PubMed検索: 2015年7月3日(金) https://www.neurology-jp.org/guidelinem/dementia/Capter01.html |
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痴呆の定義に関する、DSM-III-R からDSM-IVへの変更で興味深い点(現在はDSM-5, 2013)は、痴呆そのものの全体の定義をおこなうことを放棄し、修飾語・ 形容詞がつく痴呆の集合体を痴呆の疾病グループであると理解している点である。
これらの痴呆症ないしは後に詳しく説明す る認知症(どちらも dementia すなわち「意識状態が脱落した」という意味である)には、最大でAからFまでの診断基準が記載されているが、上にあげた5つの痴呆症にはすべてAとBの診 断基準が含まれている。すなわち、この診断基準による痴呆症とは以下の2つの規準に入るものをいう。
A. 多彩な認知欠損の発現で、それ以下の両方により明らかにされる。
(1)記憶障害(新しい情報を学習したり、以前に学習した情報を想起する能力の障害)
(2)以下の認知障害のひとつ(またはそれ以上)
(a)失語(言語の障害)
(b)失行(運動能力は損なわれていないにもかかわらず動作を遂行する能力の障害)
(c)失認(感覚機能が損なわれていないにもかかわらず対象を認識または同定できないこと)
(d)実行機能の障害[実行機能とは、計画を立てる、組織化する、順序立てる、抽象化する、ことである]
B. [上の]基準A(1)ならびにA (2)の認知欠損は、そのおのおのが、社会的または職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準 からの著しい低下を示す。
痴呆症(認知症)を説明する教科書には必 ずといっていいほど登場するのは、痴呆症が、人間の成長途上において知能が正常に発達しない「精神遅 滞」との区別である。つまり、痴呆症は、正常な知能を維持して日常生活を送っていたものが、何らかの原因で「著しい低下」を起こした病的な状態をさす病名 である。
病名としての痴呆症は、2004年末より 政府厚生労働省内部での議論をもとに、公的な用語としては、それまでの痴呆症を認知症と呼び変えること に決定し、2005年に改正された介護保険法では、その定義が行われている。 ただし、その改正では、それまでの「痴呆」を「認知症」に置き換えになっている。介護保険法では「認知症」を次のように定義している。
認知症とは、「脳血管疾患、アルツハイ マー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他 の認知機能が低下した状態」
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日本語の日常的用語としての「ぼけ・惚 け・呆け」や「痴呆」は、病名というよりも、当事者の老化にともなう生理的変化が、周りの人たちによって 問題化された時のスティグマのラベルとして使われることが多い[→医療化]。
もちろん、当時の日本人の言語感覚から 言って、より日常語にちかい「ぼけ」と、医学用語としてすでに確立していた「痴呆」ではスティグマの度合 いは異なり、種々のアンケートによっても、専門家は痴呆に対してそれほどスティグマ(烙印)の印象を持たないのに対して、一般の人たちはより強いスティグ マの意識をもっていたことがわかる。
そのため、病名として痴呆症 (dementia)を使っていた老年精神医学を中心とした医師や研究者たちが、病名の変更に関する協議を2004 年から開始した。
その経緯は、2004年3月 高齢者痴呆介護研究・研修大府センター(現在の、認知症介護研究・研修大府センター)長・柴山漠人から問題提起がなされ、6月に日本老年精神医学会(松下 正明理事長——都立松沢病院長)の中に委員会が設置された。この組織の正式名称は「痴呆名称に関する検討委員会」といい、松下が座長を務めた。11月にお ける厚労省検討会へのヒアリングには文書において松下個人が意見書を書き「認知症」がふさわしい旨の意見表明をおこなっている。小澤勲も同時期に認知症名 称に賛同している。
このグループは、2004年4月「吉日」 に、長谷川和夫(高齢者痴呆介護・研究・研修東京センター長)・柴山漠人・長嶋紀一(高齢者痴呆介護・ 研究・研修仙台センター長)による3名の連名で「「痴呆」の呼称の見直しに関する要望書」という文書を作成し、坂口力・厚生労働大臣(当時)に提出した。 この文書中には「したがって、この際、できれば呼称の見直しを希望するところであります」との文言があり、痴呆の呼称変更は、これらの権威者たちによって すでに規定の方針であったことがわかる。
これと同じ時期(04年4月)、老健局計 画課に「痴呆対策推進室」が設置される。痴呆の名称変更は、この設立されたばかりの推進室にとっても、 その組織の存在感をアピールし、政策を円滑に進めるためにも不可欠な課題のひとつになっていたようだ。
厚生労働省では「「痴呆」に替わる用語に関する検討会」——この委員会名称からは組織された時点で改称することが前提になっていたように思 われる——(座長:高久史麿)を2004年6月21日(1回)、9月2日(2回)、9月13日から10月29日パブリックコメントとして自治体・学会・家 族会・医療福祉関係者等に意見をもとめて集約し、11月19日(3回)、12月24日(4回)——ただし最後は、新しい用語の決定と報告書のとりまとめに ついて報告されただけで実質議論はなかったものと思われる——にわけて開催した。
この時のメンバーは、高久座長(自治医科大学長・日本医学会長、肩書当時)の他に、井部俊子(聖路加看護大学長)、高島俊男(エッセイス ト)——1937年生、中国文学者で岡山大学助教授時代に親の看病のため辞職し文筆業に転じた——、辰濃和夫(1930年生、元朝日新聞論説委員)、野中 博(日本医師会常任理事)、長谷川和夫(高齢者痴呆介護研究・研修東京センター長、聖マリアンナ医科大学理事長)——痴呆症研究の第一人者で長谷川式ス ケール考案者——、堀田力(さわやか福祉財団理事長)である。なお厚労省老健局長は中村秀一(当時)。
同年 9月から10月にかけて 厚生労働省が一般の人たちに意見を募集した。その際、約半数[6333件の有効回答のうち56.2%]の回答者が「痴呆」に不快感を持っていることが判明 した。新呼称の候補としては「認知障害」(22.4%)「認知症」(18.4%)が上位に選ばれた。
このことから、痴呆から認知症への名称変 更は、制度的には老健局——局長の私的研究会を「高齢者介護研究会」(座長:堀田力)といっていたがこ れは名称問題については関与しておらず、検討会議事録からは堀田は最後まで認知症への改称には抵抗を示していた——が取りまとめたようになっているが、実 質的にその議論を開始させ、また名称変更に具体的に介入したのが、日本老年精神医学会であると、当該の学会が公称するのもゆえなしとは言えない——高久 「長谷川先生は本当はこの[厚労省の]検討会の仕掛け人であられるから……」『替わる用語検討会第1回議事録』。
2004年12月24日づけで厚労省検討 会は、正式に認知症への名称変更を勧告した。
公開されている検討会の議事録ならびにパ ブリックコメントなどをまとめると、この検討会の議事進行と名称変更経緯は以下のようになる。
(1)病名を変更するか否かではなく、変更を前提にどのような代替案を出すかという検討会であった。
(2)認知症と認知障害という2つの用語が長谷川から当初から出されており、後者は既存の診断概念と抵触するので後に放棄された。
(3)医療や福祉の現場での意見などは変更の必要なしというものが多かったが、パブリックコメントなどでは両者の意見は均衡ないしは変更を 容認する意見が多かった。座長の高久はこれを変更をおこなうための議事進行の正当化に使っている。
(4)議事録をみるかぎり第4回目会議直前に出された松下正明の意見書において認知症という名称を推薦する旨の意見の威力は甚大で長谷川な らびに座長による認知症への名称変更の議事進行に決定的な役目を果たした。
(5)患者家族を中心とする支援グループの参考人——典型例は「呆け老人をかかえる家族の会」[2006年6月以降(社)認知症の人と家族 の会と改称]の高見国生代表——や医師会の野中委員が主張する性急な変更の必要がないという少数意見は、議事録において明らかなように正面から取り上げら れることはなかった。
(6)冒頭の高久座長の提案では、行政用語としての痴呆を議論するという限定で始まったが、議論においては、医学的・法的・社会支援的議論 を分けることができなかった——当然である。また、会議の終盤では、老健局から認知症の総合的な取組に関する構想——老健局では2005年度の介護保険の 総費用を6兆8千億円と試算している——が提示されるなど、名称変更が政策のリニューアルを国民に提示する重要なイベントであったことが明らかである。
12月 日本老年精神医学会第4回検討会で,全会一致で「認知症」に決定され、翌2005年6月16日の総会において可決された。
これにより学術用語としての「痴呆」につ いては,私的レベル——医学界新聞の用語——では容認するものの,学会公式の場では使用しないことが正 式に決定したという。
同検討会の報告書の末尾には2005年4 月からの1年間を「例)認知症を知る1年」としてキャンペーンイヤーとすべきであると提言している。
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痴呆症の用語の放棄と認知症という新用語 の採用と普及促進の背景には、認知症に対する社会啓蒙と超高齢化社会に臨む医療界からの情報宣伝の意義 を当局者が十分に認識していたことがわかる。
【参考文献】
池田光穂「認知症の医療人類学」(要パス ワード)『認知症ケアの創造』阿保順子・池田光穂編、pp.49-70、雲母書房、2010年[pdf情報::ただし解除パスワードが必要です:学術目的で必要な方は池田まで問い合わせください]
(コメント:フィールドワークに もとづくものではないが、日本初の認知症に関するアームチェア医療人類学のレビュー)。
「超高齢化社会——老年学の課題が議論に」『医学界新聞』第2641号 2005年7月11日
日本医師会、1999『老年性痴呆診断マニュアル[第2版]』東京:日本医師会(販売:南山堂)
(コメント:痴呆症=認知症治療に関するデファクトスタンダードの知識が収載されてい る)。
灰田宗孝、2005『「認知症」とはどんな病気?:「認知症」の正しい理解のために』東京:東海大学出版会。
(コメント:認知症について幅広く書かれているが、科学的知見に関する説明は中途半端な 記述が多い。特に病理に関するものは、水谷[1994]や小阪[1988]などの記述がより正確である)
水谷俊雄、1994『脳の老化とアルツハイマー病』岩波科学ライブラリー14、東京:岩波書店。
(コメント:アルツハイマー病に関する病理学の説明はわかりやすい。アミロイドの代謝が 関与すると言われている老人班や、それ以外の神経細胞の変性——例えば「アルツハイマー神経原変化」などは、アルツハイマー病に固有のものではなく、通常 の加齢によっても生じることなど、まだまだ分からないことが多いことを的確に示してくれる点で有益な本である)
小阪憲司、1988『老化性痴呆の臨床』東京:金剛出版。
(コメント:出版年は20年近く遡るが、老人性痴呆の病理に関しては詳しく明解に説明し てあり、それ以降の学説の展開などをチェックする上でも、その資料的価値は十分にあると思える。)
長谷川和夫、2006『認知症の知りたいことガイドブック』東京:中央法規出版。
(コメント:Q&A形式で、しろうとにもわかりやすく書かれてある。おもに介護を前提に 認知症の理解をまず最初にするには、簡便で、これほどわかりやすい本はないだろう。なお同じ著者による名医に学ぶと副題のついた『認知症診療のこれまでと これから』永井書店、2006年は、内容的にほとんど同じで多少専門家[医師や看護師あるいは福祉系の教員]向けと考えればよいだろう)。
Traphagan, J.W. 1998. Localizing senility: Illness and agency among older Japanese. Journal of Cross-Cultural Gerontology 13(1):81-98.
【ウェブ情報】
介護保険法用語集・定義集(池田光穂)
「痴呆」に替わる用語に関する検討会 『「痴呆」に替わる用語に関す る検討会報告書』厚生労働省・老健局計画課痴呆対策推進室
IKEDA Mitsuho, Popular images on "Boke" (senile dementia and other related symptoms) in Japan.
(DSM-5, 2013: Neurocognitive Disorder[pdf with password])(DSM-IVからDSM-5へのクライテリアへの変更:DSM-5_dementia_criteria.pdf[パスワー ド])
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野村亜由美「ぼ け老人のいない島 : 過疎高齢化社会の表象産出に関する試論」熊本大学学術リポジトリー
池田光穂「老人問題・研究叢書」
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