かならず読んでください

父さんのからだを返して;とうさんのからだをかえして!!!

Give me my father's body, by Kenn Harper

1910年ごろのMinik Wallace

池田光穂

「こ こにいるのは、盗みをはたらき、殺人を犯し、拷問にかけておきながら、祈りを捧げ、『科学』を口にする文明人です」ミニック1909年5,6月?(パー パー 2001:210)

From book revies: "In his search for the North Pole at the turn of the twentieth century, the renowned Robert E. Peary (1856-1920), long celebrated as an icon of modern exploration, used the Eskimos of northwestern Greenland as the human resources for his expeditions. Sailing aboard a ship called Hope in 1897, Peary entered New York harbor with six Eskimos as his cargo. Depositing them with the American Museum of Natural History as live "specimens" to be poked, measured, and observed by the paying public, Peary abruptly abandoned any responsibility for their care. Four of the Eskimos died within a year. One managed to gain passage back to Greenland. Only the sixth, a boy of six or seven with a precociously solemn smile, remained, orphaned and adrift in a bewildering metropolis. His name was Minik Wallace, 1890-1918. Here, a century after the fact, is his story. A searing true tale of extraordinary darkness told with intensity and vigilance, Give Me My Father's Body is Kenn Harper's absorbing, intricately documented account of ruthless imperialism in the name of science, of cruel deceptions and false burials, and of the short, strange, and tragic life of the boy known as the New York Eskimo." Minik Wallace, 1890-1918.

【「お父さんのからだを返して」年表】※数字は邦訳書のページ。

書籍案内:「1897年、北極探検家ロバート・ピアリー(1856-1920) は、幾多の“手土産”とともにニューヨークに華々しく凱旋した。そのなかには、珍種動物同然の扱い を受けることになる6人のエスキモー( Inughuaq, Inuit)がいた。彼らはニューヨーク自然史博物館の学者たちが追究する「人類学」のために連れて来られたのである。北極地方とはかけ離れた暑 さと湿気に冒され、エスキモーたちは次々と倒れてゆく。ともに来た父に死なれたエスキモーの少年ミニック(Minik Wallace, 1890-1918)は 異邦で孤児の身になってしまう。ある日、埋葬されたはずの父が、博物館で骨格標本として陳列されている姿を見つけたミニックは、遺骨を取り戻そうと、絶望 に陥りそうになりながらも懸命に手を尽くすが…文明の傲慢さと無理解に翻弄され、肉親も故郷も失い、北極とアメリカという二つの世界に引き裂かれてしまっ た少年の彷徨を、20世紀初頭の探検熱と人類学のありようを批判的に俯瞰しながら描 き出した衝撃の物語。ケヴィン・スペイシーによる序文。」BOOK database

1887  フランツ・ボアズ Frans Boas(1858-1942)ニューヨークに移住、米国市民権取得。

1888  ボアズ『中央エスキモー(The central Eskimo)』U.S. Govt. Print. Off., 1888.

1888  7月8日〜9月3日小金井良精、アイヌ人墳墓の発掘による人骨収集旅行(→「日本文化人類学史」)

1890  ミニック・ウォーレス(Minik Wallace, 1890-1918)は、Northern Greenland で生まれる。 The Inughuit.

1893  ボアズ、同年開催のシカゴ世界万博(World's Columbian Exposition)の北米先住民の展示に関わる(1892-1894 人類学助手、キュレーター)。

1895  ボアズ、アメリカ自然史博物館スタッフ

1896  

ボ アズ、アメリカ自然史博物館にアシスタント・キュレーターを務めながら、コロンビア大学で教鞭(講師)。ボアズはピアリーに1,2年間滞在できるエス キモーを連れくるように依頼。その年はできなかった。

そ の経緯「アメリカ自然史博物館で働く人類学者フランツ・ボアズは、 ピアリーに研 究のためにイヌイットを持ち帰るよう要請していた[42][43][44]。 ケープ・ヨーク隕石を回収するための遠征中、ピアリーはキスクという男とその子供ミニクを含む6人を、道具、武器、贈り物を年内に持って帰れると約束して 一緒にアメリカに旅するように説得している[1][44]。 [1] ピアリーは1897年にヨーク岬の隕石を持ち帰る際、人々を博物館に預けたが、彼らは祖国と違って湿気の多い環境で「飼育」された。数ヶ月のうちに4人が結核 で死亡した。彼らの遺骨は解剖され、ミニクが偽の埋葬を見せられた後、キスクの骨が展示されるようになった[44][43]」ロバート・ピアリー)。

1897  

1898

1899  

1900

1901  ハードリチカ(あるいは、アレッシュ・ヘルドリチカ)「エスキモーの脳」の発表(157)

1903  

1904  3月29日レッタ・ウォレス死亡(140)

1906  New York papers published a story that stated Qisuk's skeleton was displayed in the museum. Minik learned through classmates' comments as the story circulated.

n.d.

1907  

1908  

1909  

1910

1911

1913-1917

1916

1918  10月29日 ミニック、スペイン風邪(インフルエンザで死亡)(337)

1920  1Robert E. Peary 死亡(340)

1933  ラスムッセン、デンマークで死亡

1940  フレデリック・クック、75歳で死亡(340)。

1941  ウィリアム・ウォレス、精神病療養所で死亡(341)

1950  フロイヘン、アラスカで死亡。

1977  ケン・ハーパー、「ナヴァラナ」という女性と結婚(345)

1979  ハーパー、ミニックの墓と出会う(345)

1986

1990  Native American Graves Protection and Repatriation Act, Pub. L. 101-601, 25 U.S.C. 3001 et seq., 104 Stat. 3048.(349)

1992  自然史博物館の代理として、デンマーク国立博物館ヨルゲン・メルゴールと、アメリカの人類学者エドマンド・カーペンターが、カーナークに派遣される。

1993  はじめて、遺骨返還の要求が通じ る。7月28日4人の遺骨は、チューレ空軍基地に運ばれる(350)。

"In 1986, Kenn Harper wrote a book about Minik, entitled Give Me My Father's Body. Convinced that the remains of Qisuk and the three adult Inuit should be returned to Greenland, he tried to persuade the Museum of Natural History to do this, as well as working through the "red tape" of the US and Canadian governments. In 1993, Harper succeeded in having the Inuit remains returned. In Qaanaaq, he witnessed the Inuit funeral ceremony for the remains of Qisuk and the three tribesmen that had been taken to New York." -Minik Wallace.

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登場人物

関連用語

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章立て

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テキスト(with password)

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●01:日本語:givememyfathersbody-01.pdf// 英語:01-KHarper_Story_of_Mimik.pdf

0. 序、はじめに
1. ピアリーの家来
2. 鉄の山
3. アメリカ到着

●02:日本語:givememyfathersbody-02.pdf// 英語:02-KHarper_Story_of_Mimik-2.pdf

4. ニューヨークで孤児になったエスキモー
5. アメリカ人ミニック
6. ウォレス事件
7. 詐欺

●03:日本語:givememyfathersbody-03.pdf// 英語:03-KHarper_Story_of_Mimik-3.pdf

8. 「涙の人生に運命づけられて」
9. 父さんのからだを返して
10. 科学のために
11. 「とても哀れなミニックの境遇」

●04:日本語:givememyfathersbody-04.pdf// 英語:04-KHarper_Story_of_Mimik-4.pdf

12. 「絶望的な流浪の境遇」
13. 北極計画
14. 逃亡
15. 「破棄できない契約」

●05:日本語:givememyfathersbody-05.pdf// 英語:05-KHarper_Story_of_Mimik-5.pdf

16. グリーンランドへの帰郷
17. ふたたびエスキモーとして
18. チューレ基地
19. ウィサーカッサク:大嘘つき

●07:日本語:givememyfathersbody-06.pdf// 英語:06-KHarper_Story_of_Mimik-6.pdf

20. 指名手配:生死を問わず
21. クロッカーランド探検隊
22. ふたたびブロードウェイに
23. 北の国・エピローグ

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右のものは1910年撮影

リンク

文献

その他の情報:For Minik and all souls of the Eskimo people, from past via present to future.

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

左よりケン・ハーパーの著書、同書からミニックたちの出身地の地図、リスボンのCarmo修道院にある900年前のペルーのミイラ

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