このページは、池田光穂『実践の医療人類学—中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開—』世界思想社、2001年(ISBN4-7907-0874-8)本体定価5,800円の著者が、出版社の協力のもとに、この著書を有効に活用するための256[最終予定]のヒントを提供するものです。
33項目 〜 48項目
このページでは33項目〜48項目について解説しています。[まえの項目にもどる][つぎの項目にすすむ]
33.“予防注射した子供の腕を切り落とす”
フランシス・コッポラの映画『地獄の黙示録』の中にカーツが、アメリカの特殊部隊が現地の子供たちにポリオの予防接種をしたところ、住民はその腕を切り落としたというエピソードを語るシーンがある。これは、フィクションかと思われるが、映画のガイドを書いたフランスによると、実際の経験者からの情報だというのである。しかし、これは“史実”にもとづく話とは言い難い。むしろ、西洋医療を拒絶する未開に対する賛美が屈折して登場するオリエンタリズムの一つであると思われる。
実際、映画の中ではカーツの発言は、未開の暴力に直面した時の畏怖と賛美が混淆した表現として登場する。また、カーツがウィラードに暗殺されるシーンには、未開人の王の儀礼、つまり王権のサクセッションとしての、水牛の供犠のスローモーション情景が登場し、カーツのこの事前の発言により映像は一層感動的になる。まさに両方とも腕と首の切断——未開人/人類学者/オリエンタリスト/文明人らによる認識的切断——が映像では語られる。
“史実”にもとづく話とは言い難いと私が考える根拠は次のとおりである。
医学史的にみてもおかしいは、ポリオの注射用ソークワクチンは55年に開発され、経口投与するセービンの生ワクチンは56年に開発、両者が数年間併用されていました。日本で61年に大規模に投与されたときは、注射用が国内で量産体制に入っていたのにかかわらず、セービンの生ワクチンが緊急輸入され使われています。60年初頭にはセービンの生ワクチンが主流になっていました。あるいは、そうだったはずです。 ケネディの南ベトナムの支援を開始するのは61年で、この当時は軍事顧問団の派遣からはじまりますので、もしアメリカ軍がかりにポリオ接種をこの時期の早期にやっていた(可能性は低い——公衆衛生なども含めた戦略村などはもっと後におこりました)としても、ソークワクチンではなくセービン生ワクチンの可能性が高いです。ただし、冷蔵庫など設備がいらないとか、アメリカの製薬産業が過剰なワクチンをベトナムで使ったという陰謀仮説を動員すれば話が別ですが・・・
ということは、ベトナムの未開性を語るために、このようなエピソードが米軍の特殊任務につく兵隊たちの間に語られていた可能性があります。これは、「未開の側」つまり現地人や先住民族が、意味もなく村落にやって来て福祉事業や戦闘行為やプロパガンダをおこなう連中を表象して、カニバリスト(人喰い人)や臓器盗人(organ stealer)と噂していたのと、同じような行為だと思われます。
◆ 地獄の黙示録、解説(池田光穂) ◆ ゆきゆきてベトコン!(池田光穂)
34.対位法的読解
前の項目(33.“予防注射した子供の腕を切り落とす”)の分析におけるポイントは、カーツの話はでっち上げということを告発することにはありません。このとんでもないホラーが、決して荒唐無稽なものではなく、ある種の植民地的想像力の結果ではないかということである。植民地的想像力とは、宗主国の白人ないしは支配者と殖民される民つまり植民地の現地住民や先住民族が交錯するコンタクトゾーンにおいて、双方に働く思念的力と実践のことである。
35.『実践の医療人類学』は重版されています! 皆様、これからも読めます。すぐ世界思想社に注文を!
★好評重版出来! 池田光穂 著 実践の医療人類学 中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける 医療の地政学的展開 →知の迷宮?魔窟? 著者公式サイトはこちら →著者による「『実践の医療人類学』を256倍使うページ」はこちら
http://www.sekaishisosha.co.jp/pastpickup.html(2003年3月31日)
36.アマゾン・ドット・コム(日本)のリストマニア「江戸っ子」さんにもリストあっぷ !
こちらです(2003年4月6日)
37.『実践の医療人類学』クロニクル
この本が出版された当時、はたしてどのような本が出版されたのでしょうか?
■ 人文系専門新刊情報サイト(2001年4月の新刊)
38.セイトとセンセ〜の しつぎおうとう
[しつもん]
先生の論文「「健康の開発」史ー医療援助と応用人類学」を入手したいのですが、ど うすればよいですか? HPで読むことはできますが、参考文献にさせて頂きたいと思いますので、よろしくお 願い致します。
[おこたえ]
私の著作の熱心な読者なら「あ〜その論文は、改稿されたものが、センセ〜の『実践の医療人類学』の第二章にあるわ〜〜」と答えるでしょう。初稿からの改変という文献学的な興味があれば差し上げますが、改良してよくなったほう(=本)をお読みください。
39.81サイトユーザーは必見!(本書に使われなかった資料発見!)
なぜか、2年前に本書を収載するつもりだったフィールドの農村の60年にわたる粗人口増加率の変化の表が段ボール箱から出てきました。オリジナルデータは、すでにどこかに散逸した可能性もあります。とりあえず情報公開のデータとしてアップします。ただし、これは81サイトのみの公開です。もし、ローカルサイトでリンクにより、画像が見られな場合は、2行目の行でリンクしてください。コンピュータを更新するというのは、こういうデータが失われてゆくのですね。
40.インターネットで本書を教科書に使うための画像資料をアップ!
本書をお持ちでない方にはわかりません。この画像の意味が・・・。しかし、本書「第13章 健康の概念」を穴のあくほど読んだ方は、この図像の意味を一般のひとに対して講釈することができるかもやしれません。また、筆者の主張を補強したり、あるいは時に反論するために、この図像を他の人たちと一緒に検討することをつよくおすすめします。それでは画像公開!
健康の概念レクチャー図像資料(160kほどです)
41.ウェブキャットの書誌紹介に「著者の肖像あり」!という表現が登場!です。
皆さん、大学の学生・研究者なら一日に一度は触れることがある国立情報学研究所の大学図書館検索システムウェブキャット(Webcat)の検索画面で「実践の医療人類学」で引いてみましょう。
【ウェブキャットの検索結果からの引用】
実践の医療人類学 : 中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政 学的展開 / 池田光穂著 <ジッセン ノ イリョウ ジンルイガク : チュウオウ アメリカ ヘルスケア システム ニオケル イリョウ ノ チセイガクテキ テン カイ>. -- (BA5151231X) 京都 : 世界思想社, 2001.3 xi, 390p ; 22cm 注記: 文献目録: p360-381 ; 著者の肖像あり ISBN: 4790708748 著者標目: 池田, 光穂(1956-)<イケダ, ミツホ> 分類: NDC8 : 498.0257 ; NDC9 : 498.0257 件名: 医療 -- 中央アメリカ ; 文化人類学 ; Anthropology ; Sociology, Medical 大学図書館への収書状況:96冊(2003.07.24) |
書誌データの「注記」の部分に「著者の肖像あり」の記載が!! 最近の新刊本ではカバーに著者の写真が掲載されることはありますが、本体の書籍に入っているものは珍しいのです。
レアな奇書をご家族に一冊——子供にも安心して見させられます——ご用意ください。
42.『民族学研究』に拙著の書評が登場!
行け!セミナーの池田光穂です。
『民族学研究』の最新号(68巻1号、2003)に、やっと拙著『実践の医療人類学』の 書評が載りました。細谷広美さん(神戸大学国際文化学部/大学院研究科の文化人類学の先生)という書評子が注文をつけた部分 は、民族医療における病因論の文化的説明が中途半場でおざなり だ、ということでしょうか。
このことに関する自己弁明は、当時はR・アダムスの疾病類型論 などの限界を感じていました(実際、アダムス以上の深みのある 議論をしていない)ので、そのことに必要な説明をもとめようと もしなかった、ということになりましょうか。
というか、それはアダムスの疾病病因論のコピーともいえる模倣 的解釈で学問的になっていないことは、私も感じていたのです。 そして、次にアダムスと邂逅したのは第15章のアダムス理論の 歴史的相対化ですから、そもそもこの書籍は、私の医療人類学者 としてのアイデンティティ形成における自己矛盾をはらんだ不協和 音的なものなのです。本の改善についてのさまざまなアイディアや示唆がありました。細野さんどうもありがとう!
(メールアドレスが今わからないので、後でご本人におくることにします)
このほかにインドのTBA(伝統的出産介助者)の論文——松尾瑞穂さんという総研大の博士課程の院生の人——で、拙著 の議論、サボタージュとしての住民<無知>を抵抗というふうに 解釈することの限界を指摘されてありました。まあ、その文脈で よめばそのとおりなのですが、本書のあとがきにある「そうあの懐かしい 民衆的抵抗!」(341頁)が皮肉であることをわかっていただ いたり、77頁の抵抗の解釈が誰がおこなうのかについての示唆 を思い出していただければ、そんな批判をする気もおこなくなる はずなのですが、どうもそのようには読んでくれなかったよう です。
ま、本は、著者が読んでほしいように、読者には必ずしも 読まれるわけではないので(当然だ!——私じしんも異様な読解のほうが好きだから、まあ、苦笑して受け入れるべきか もしれません。
拙著を読んでくださって、どうもありがとう!
熊本大学の学部生で私の研究に興味のある人には、拙著(5800円!) を(自己負担1000円で)残りの費用はプレゼントします。 ただし、ちゃんと読んでくれる人のみです。
それでは!
43.実践の定義
アリストテレスによれば、プラクシスはポイエーシスとは対照的に、動作主(つまり実践する主体)から離別した、いかなる行為をも生み出さないものである。実践の考え方は、動作主の存在の形式を考慮するのみならず、他ならない動作主そのもの延長(内包)する行為=概念である。したがって、実践は、その動作主から切り離して、〜するかのごとく、というマニュアル化したり、解釈をおこなったりすることで十全にはならない。実際にそれをおこなうことが大切(=生きられた意味をもつ)なのである。
44.とうとうカラー写真が登場しました!
お待たせしました!
池田光穂『実践の医療人類学』世界思想社、2001年で使った写真のカラー版です。キャプションの説明は、本書 を参考にしてください。
45.〈民衆の抵抗〉について
民衆の抵抗の解釈の妥当性については、42番で出てきましたが、本文にも収載されている抵抗の解釈に対して、私自身がアイロニカルな態度であることは、下記の引用でもわかります。
46.抵抗論と言えば、ジェームズ・スコットですね。
47.最近、帝国医療について考えはじめました。
私の〈帝国と医療〉のポータルには入りにくいという指摘があります。垂水亭日帖(たるみずていにちじょう)というところから入ればよいのですが、どうも説明不足でした。下記でリンクしてください。
48.実践の医療人類学の地政学的展開を歴史的に考えると……
Copyright Mitsuho Ikeda, 2002