はじめによんでください

植民地グアテマラと宗主国スペインのトランスアトランティックな音楽交流

Transatlantic musical exchange between colonial Guatemala and the suzerain state of Spain

A group of Renaissance musicians in The Concert (1623) by Gerard van Honthorst./ 28 de noviembre de 1585: Fallece el compositor español del Renacimiento Hernando Franco.

池田光穂

☆ グアテマラの音楽全般については、「グアテマラの音楽」を参照のこと。征 服前のマヤ時代の音楽や独立後の音楽は「グアテマラの音楽」を、またグア テマラのスペインによる征服(1524年〜1697年)は「グアテマラの 征服」を参照にしてください。ここでは「グアテマラおける植民地時代の音楽」を植民地グアテマラと宗主国スペインの間のトランスアトランティックな関係として描く。

グアテマラおける植民地時代の音楽は「(1)ルネンサンス期」と「(2)バロック期」に分けられる。なお、この時代以降(植民地が独立する以降)の音楽ジャンルは「(3)古典派と(4)ロマン主義」にわけられる。

★ グアテマラ(ヌエバ・エスパーニャ)とスペイン・イベリア半島(→「スペインの音楽」)のあいだの「トランスアトランティック」な関係

スペインの黄金時代(スペイン語:Siglo de Oro ; 黄金世紀」)は、スペインのカトリック両王とスペイン・ハプスブルク家の治世下でスペイン帝国が政治的に台頭した時代と一致する。


1524以前
1524 キチェ族の敗北
1525 メキシコにはじめてのカテドラルが建設【グアテマラ・メソア メリカ】
【スペイン・イベリア半島】
イサベル1世統治(1474-1504)——カスティリャ
・フェリペ1世統治(1506)
・「ヴィリャンシーコ(villancico [biʎanˈθiko])またはヴィランチェーテ(ポルトガル語 vilancete、発音)は、15世紀後 半から18世紀にかけて流行したイベリア半島とラテンアメリカの一般的な詩と音楽の形式である
1525-1550
1525 ペドロ・デ・アルバラドが現在のグ アテマラ地方に到達
1529 サン・マテオ・イクスタタン、サンタ・エウラリア、ハカルテナンゴが征服(ドミニコ会宣教師が入る)
エルナンド・フランコ(Galizuela, 1532 - Mexico, 28 November 1585)
カルロス1世統治(1516-1556)
初期ルネサンスでは、マテオ・フレチャ・エル・ビエホとカスティーリャ の劇作家フアン・デル・エンシーナが、アルス・ノヴァ後の時代における主要な作曲家の一人として挙げられる。ルネサンス期の歌集には、カンシオネロ・デ・ パラシオ、カンシオネロ・デ・メディナセリ、カンシオネロ・デ・ウプサラ(カロリナ・レティビバ図書館所蔵)、カンシオネロ・デ・ラ・コロンビーナ、およ び後世のカンシオネロ・デ・ラ・サブラノラなどがある。オルガニストのアントニオ・デ・カベソンは、鍵盤楽器の作曲と演奏で際立っている。(→出典「スペインの音楽」)
Tomás Luis de Victoria, 1548-1611
Alonso Lobo, 1555-1617
Luis de Milán, c.1500-c.1561
・1541 エル・グレコが生まれる(〜1614)
・1547 ミゲル・デ・セルバンテスが生まれる(〜1616)【スペインルネサンスの時代】(〜1600)
1551-1575
1570頃 ガスパール・フェルナンデスが生まれる。
・「16世紀後半から17世紀後半にかけて、ドミニコ会の宣教師たちはベラパスとペテン南部で平和的な改宗活動を行ったが、ささやかな成功にとどまった」


16世紀初頭にスペインで発展したポリフォニーの歌唱スタイルは、フラ ンドル・フランスの作曲家のスタイルと密接な関係があった。これらのスタイルの融合 は、神聖ローマ帝国とブルゴーニュがスペイン王カルロス1世(在位1516年~1556年)の領土の一部であった時代に起こった。北欧の作曲家たちがスペ インを訪れ、スペインの作曲家たちがオランダ、ドイツ、イタリアにまで広がっていた神聖ローマ帝国の領土内を旅したからである。ルイス・デ・ミラン、アロ ンソ・ムダーラ、ルイス・デ・ナルバエスがビウエラのために作曲した音楽は、この時代の主な成果のひとつである。アラゴン出身のガスパール・サンツは、ギ ターの最初の学習方法を著した。ルネサンス期のスペイン人作曲家には、フランシスコ・ゲレロ、クリストバル・デ・モラレス、トマス・ルイス・デ・ビクトリ ア(後期ルネサンス期)などがおり、彼らは皆、キャリアの大部分をローマで過ごした。後者は、ポリフォニーの完成度と表現力の強さにおいて、パレストリー ナやラッススに匹敵する、あるいはそれ以上のレベルに達していたと言われている。[要出典] スペインの作曲家の多くは、晩年になってから海外での旅から故郷に戻り、自国の音楽界に自らの音楽的知識を広めたり、16世紀後半にはフェリペ2世の宮廷 で仕えたりした。(→出典「スペイン の音楽」)
・1651 ルイス・デ・ゴンゴラが生まれる(〜1627)

1576-1600
1598 ペドロ・ベルムーデスがサンティアゴ・デ・グアテマラに到着
1599-1606 Gaspar Fernández, Maestro de capilla de la Catedral de Guatemala

1601-1625
1611 エルナンド・フランコ合唱曲集を提出
1609頃 ガスパール・フェルナンデスは聖歌集を作曲
マイティネス(maitines)のヴィリャンシーコが好まれるようになる
・「 17世紀、フランシスコ会の宣教師たちは、ペテン・イッツァ湖のイツァ王国が独立したままである限り、マヤの平和化とキリスト教への改宗は不可能であると いう結論に達した」
バロック音楽の時代】(1600〜1750)
1626-1650
1648 ソル・ファナ・イネス・デ・ラ・クルスが生まれる(〜1695)
1651-1675

・1659年ピレネー条約(西仏戦争の終戦条約)
スペインでは交響曲はあまり重要視されてこなかったが、室内楽、独奏楽 器(主にギターとピアノ)、声楽、オペラ(伝統的なオペラとスペイン版ジングシュピール)は、地元の作曲家によって作曲された。スペイン語のオペラである サルスエラは、セリフを含むオペラの一種で、17世紀半ばに発展した世俗音楽のジャンルであった。(→出典「スペインの音楽」)
1676-1700
・ 「1695年、フランシスコ会の修道士アンドレス・デ・アベンダニョはイツァ族を改宗させようと2度目の試みを行い、1696年か1697年に始まるマヤ 暦 の20年周期であるクアトゥン8アジャウが、イツァ族が最終的にキリスト教を受け入れ、スペイン王を自分たちの支配者として受け入れる適切な時期であると イツァ族の王を説得しようとした。 しかし、イツァ族にはこの改宗に反対する地元マヤの敵がいたため、1696年にアベンダニョは再び命からがら逃げ出さなければならなかった」
・1681年ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカPedro Calderón de la Barca, 1600-1681)が死ぬ。これをもってスペイン黄金時代は終わるといわれる。
17世紀末には、スペインの「古典的」音楽文化は衰退し、19世紀まで その状態が続いた。スペインにクラシック音楽が到来した際には、アントニオ・ソレールの作品に見ら れるように、イタリアのモデルからインスピレーションを受けていた。ドメニコ・スカルラッティルイジ・ボッケリーニといっ た傑出したイタリア人作曲家もマドリードの王宮に迎えられた。短命に終わったフアン・ク リストバル・アリアガは、スペインにおけるロマン派交響主義の主な開拓者として評価されている。[要出典](→出典「スペインの音楽」)
Giuseppe Domenico Scarlatti (26 October 1685 – 23 July 1757)
1701-1725


1726-1750
1738 マヌエル・ホセ・デ・キロスはサンティアゴ・デ・グアテマラ 大聖堂のマエストロ・デ・カピージャに任命される
1740 ラファエル・アントニオ・カステジャーノスが声楽曲を作曲
【古典派音楽の時代】(1730-1820)
Ridolfo Luigi Boccherini ( 19 February 1743 – 28 May 1805)
Antoni Soler i Ramos (baptized 3 December 1729 – died 20 December 1783)
1751-1775
1773 サンティアゴ・デ・グアテマラは地震で壊滅的被害、グアテマ ラシティへの遷都

1776-1800
1780 ペドロ・ノラスコ・エストラーダ・アリストンドの最初の作曲
Fernando Sor (baptised 14 February 1778 – 10 July 1839)
Dionisio Aguado y García (8 April 1784 – 29 December 1849)
・このころまでヴィリャンシーコが流行していた。
1801-1825

【ロマン派音楽の時代】(1800-1910)
Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola (27 January 1806 – 17 January 1826)
1826-1850

Felip Pedrell Sabaté (Spanish: Felipe) (19 February 1841 – 19 August 1922)
Francisco Asenjo Barbieri (3 August 1823 – 19 February 1894)
1851-1875

セリフのあるスペイン独自のオペラであるサルスエラは、 17世紀半ばに発展した世俗的な音楽ジャンルであり、1850年以降に最も盛んになった。フランシスコ・アセンホ・バルビエリはロマン派のサルスエラの発 展に重要な役割を果たした。一方、ルペルト・チャピ、フェデリコ・チュエカ、トマス・ブレットンといった後世の作曲家たちは、19世紀末にサルスエラを絶 頂期へと導いた。20世紀を代表するサルスエラの作曲家には、パブロ・ソロサバルやフェデリコ・モレノ・トロバなどがいる。(→出典「スペインの音楽」)
Francisco de Asís Tárrega y Eixea (21 November 1852 – 15 December 1909)
Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual (Spanish pronunciation: [iˈsak alˈβeniθ]; 29 May 1860 – 18 May 1909)
1876-1900

Miguel Llobet Solés (18 October 1878 – 22 February 1938)
1901-1925

【モダニズム音楽の時代】(1890-)

1926-1950


1951-1975

【コンテンポラリー音楽の時代】(1945-)

1976-2000



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