民主主義の経済理論
A political economy of democracy
"An Economic Theory of Democracy is a treatise of economics written by Anthony Downs, published in 1957. The book set forth a model with precise conditions under which economic theory could be applied to non-market political decision-making. It also suggested areas of empirical research that could be tested to confirm the validity of his conclusions in the model. Much of this offshoot research eventually became integrated into the Public Choice School. Downs' theory abstains from making normative statements about public policy choices and instead focuses on what is rational, given the relevant incentives, for government to do."- An Economic Theory of Democracy(Wiki)
1) A two-party democracy cannot provide stable and effective government unless there is a large measure of ideological consensus among its citizens. |
2) Parties in a two-party system deliberately change their platforms so that they resemble one another; whereas parties in a multi-party system try to remain as ideologically distinct from each other as possible. |
3) If the distribution of ideologies in a society's citizenry remains constant, its political system will move toward a position of equilibrium in which the number of parties and their ideological positions are stable over time. |
4) New parties can be most successfully launched immediately after some significant change in the distribution of ideological views among eligible voters. |
5) In a two-party system, it is rational for each
party to encourage voters to be irrational by making its platform vague
and ambiguous. Source: https://bit.ly/3wRhimN |
「テキストに合理的選択論が入っていないと、それは政治学を紹介していないということになってし まいます。それが入っていないと、全体像がないということになってしまいます。今は合理的選択論がわからないと政治学者とは言えません。……「ゲーム理論は、いま進化ゲーム理論が進んでいるのです。最新のアメリカのテキストの中では、合 理性ということには全然こだわっていません。……「従来のゲーム理論は、合理選択の均衡状態のことしか興味がない。……進化ゲーム理論者、どうい うふうに動くのですか、こういうふうに動く、ということに興味がある。「それ(=進化ゲーム理論)は最新でやりすぎです。……。そうそう、それは一年生に紹介するよう なものではない」。出典:リード、スティーヴン・R.(2004):出典は『書斎の窓』有斐閣の広報誌、No.532, p.4. 2004.
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《旧ページのクレジットは、戦後民主主義の「失敗」あるいは現代「政治」学入門》戦後民主主義は、自由主義史観*によって蚕食・価値下落・倒壊 されたのだろうか。自由主義史観なんかの生半可な批判よりも、自らの誤った歴史認識によって、戦後民主主義は構成さ れてきたのではないか?あるいは、輝かしい成果を生みながらも、揺るぎないスタンダードな歴史観を持ち得なかった戦後民 主主義(ないしは、それにもとづく史観)は、そもそも最初の前提の中にその「失敗」の種子が含まれていたのではないか?もし、そうだとしたら、戦後民主主 義は「未だ生まれていない」未完のプロジェクトではないのか?戦後民主主義は、御陀仏してしまう前のロートルではなく、いまだ胎盤の中にいるピチピチした 赤子 ではないのか?いまだ生まれていない戦後民主主義に生命を与える作業を、この自主ゼミでは試みよう。(受講学生は「民主主義がなぜよいのか・必要なのか」 という問題をすでにクリアしていることが必 要です)(封建主義者の方には、別の教育プログラム[建設中:リンクしません]を用意しております)
【課題】
(1)政治経済システムの継承性の問題
日本の政治経済システムは、1945年8月15日を境に根本的に変化したのか?
崩壊したのは戦争機械として機能していた日本の政治経済システムで、軍事中心から経済中 心へと世界ヘゲモニーを目指す流れは、この半世紀変化しなかった。
→これを傍証する証拠は?
→これに反論する証拠は?
(2)民主主義を確立する主体性の問題
戦後民主主義というものは、本当に勝ち取られたものなのか?
なぜある人びとは、天皇の録音による敗戦の知らせを聞いて自殺し、他方でなぜある人びと は解放感を得ることが可能であったのか? 人びとの意識は決して一枚岩ではなかった。そこから、生まれた民主主義はコンセンサスをえるための出発点を欠い ていた。
戦後民主主義は、戦勝国、具体的にはGHQによってもたらされたのであって、その定着に 寄与した左翼政党や戦後のリベラル知識人によってではない。
→あらゆる民主主義はいつも「勝ち取られる」つまり常に暴力的にもたらされるものなの か?
→あらゆる政治システムと同様に、民主主義は確立されたら終わりではなく、それは人為的 に維持されていかねばならない。維持されていかねばならないことにまつわる難問は、生みを苦しみの味わった人とそれを遺産として継承する人との間の「民主 主義に対する思い入れの落差(温度差)」である。このことについて、皆さんの身近な実例を検討しなさい。
(3)民主主義の象徴的——正確には神学的——側面にまつわる問題
「象徴の〜」という形容詞がつく天皇制を定める規則「皇室典範」は、身分差別・女性差別・障 害者差別を謳う憲法や民主主義の原則に違反するものではないのか?
→戦後民主主義者たちは、なぜ天皇制に触れる議論を徐々に避けるようになったのか?
→戦後の保守主義者(戦後の民主主義に敵対した人たち)もまた、天皇制に触れる議論をお こなわなくなったのか?[天皇の親政や制度の讃美は聞かれるが、洗練された政治的議論とは言えない代物であった]
→皇室典範から、身分 制・女性差別・障害者差別に抵触する項目——つまり反民主主義的思 考——があるかチェックしてみよう。
→あるなら、その議論を論証するための別の歴史的な資料を探してこの主張を補強してみよ う。
→ないなら、この上の命題を証拠をもって徹底的に論破してみよう。
→そして、最後の審問「福沢諭吉はレイシスト(人種差別主義者)か?」
[文献]このページを造る原動力になった本、ただし、読んでも上の質問には答えられないでしょう:安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』高文研、2000年
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