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ドイツ観念論はやわかり

Rapid  Method for understanding of German idealism

池田光穂

★ドイツ観念論の呼称は誰が考えたか?(=誰がこさえたか?)

「「ドイツ観念論」期と呼ばれていた時代の人 々は、自らの哲学をドイツ観念論とは呼んでいなかった。「ドイツ観念論」という呼称は、20世紀初頭の新カント学派(Neukantianismus) や新ヘーゲル学派の哲学史の学者達(リヒャルト・クローナーやニコライ・ハルトマンなど)が、これら一連の思想家の総称として「ドイツ観念論」として紹介 したことにより、普及したものである。この名称は、同時代の哲学史家のローゼンツヴァイクが1917年に発見し「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」( Das älteste Systemprogramm des deutschen Idealismus)と呼んだ著者不明の哲学的断片(1796年から1797年の間に筆記)に拠っている。この名称自体は草稿の本文にはなくローゼンツ ヴァイクが付したものである。」

"German idealism (also known as post-Kantian idealism, post-Kantian philosophy, or simply post-Kantianism)was a philosophical movement that emerged in Germany in the late 18th and early 19th centuries. It began as a reaction to Immanuel Kant's Critique of Pure Reason. German idealism was closely linked with both Romanticism and the revolutionary politics of the Enlightenment./ The most notable thinkers in the movement were Johann Gottlieb Fichte, Friedrich Wilhelm Joseph Schelling, Georg Wilhelm Friedrich Hegel, and the proponents of Jena Romanticism (Friedrich Hölderlin, Novalis, and Karl Wilhelm Friedrich Schlegel). Friedrich Heinrich Jacobi, Gottlob Ernst Schulze, Karl Leonhard Reinhold, Salomon Maimon and Friedrich Schleiermacher also made major contributions." - German idealism.

●カントは、自分の哲学をどのように構想したか?

「お花をみた」ときに、ワタシの思考のなかで何が起こっているかを、カントはこう考えました!!!

『純粋理性批判』の図式を解説してみました。オリジナル画像は「インターネットにある情報」からですが、伝統的な用語をつかわずに、より日常的な用語に置き換えました。これであまりまちがってないと思います。上からはじまって反時計まわりで理解してください。

※ヒントになったページは、丸田一如「【空間論6】カント「空間と時間」」https://note.com/kuukan_recipe/n/n9532419cefb1 からです。

★『純粋理性批判』における思考のプロセス

1)お花を、感じているのは、自分の外的感覚(=空間概念のなかでの感覚)と内的感覚(=時間的経緯のなかでの経験)からなりたっています。

2)それらは、ワタシにとっての「現象」であり、その経験は感覚経験にもとづく直感からなりたっています。直感とは、あれはこれよりも美しいという判断は、他の人にも共感できるかどうかはわかりませんが、自分の中では、ゆるぎないものとして感覚されています。

3)このような感覚は、どうして、そう感じてるのか、また、それはなにか?という理解のフィ ルターにつぎにかけられます。次のプロセスは、感覚ではなく、知性をつかって、あーだ、こーだ、と考えることです。知性は、その対象を、さまざまな範疇 (カテゴリー)に分類します。量や、質、や関係、そのあり方つまり様態などです。つまり量(=お花の数や枝の本数)や、質(=お花の色や形、香りはどんな ものだったかなどのデータ)、や関係(お花の分類や、お花には花弁があるのか、葉っぱはどのように付いているのか)、そのあり方つまり様態(=フレッシュ なのか、萎れているのか、鉢植えのままなのか?切り花なのか)

4)そして、それを総合判断します。ワタシは、お花について考えるときに、どのような観点から、どのように理解したのかなどです。

5)物自体(モノそのもの)は、客観的実在ですので、それは自然科学の対象のように、存在するものです。他方、概念や、「社会」など抽象化されたものも、物自体のように観想の対象にすることが可能です。物自体は、つまり、客観的なデータとして扱うことが可能が実体です。

このようにして、ワタシタチの理性は、モノゴトについて、抽象的に考えることができます。カ ントは、このような思考のプロセスは、地球上どこにおいても、人間であれば誰でも、考えることができる、普遍的に可能なように、するには、どうすればいい のかを、さまざまな反論つまり批判を通して、明らかにしました。あるいはしたと理解しました。それが『純粋理性批判』という著作における「批判」という言葉の意味です。

★『実践理性批判』︎における思考のプロセス

第二批判の『実践理性批判』︎は、 定言命法(=自分の生き方や態度を普遍的なものになるように考えて、行動しなさい)に代表されるような、実践の論理をカントは考えます。そのような考え は、上の図における「感覚」の部分を抜きにして、最後の部分の「理解」だけで、きちんとまとまるように考えました。論理的に破綻がおこらないように、あー だ、こーだと考えて、つまり「批判」的に考えて、漏れのないようにカントは考察しつくしました。つまり、実践の原理は、自分がどう感じるのかということで はなく、カテゴリーにもとづいて分析し、総合判断を通して、自分はどう考え、どう行動できるのかという思考のパターンだけで導けるとカントは考えたわけで す。というわけで、この図は、第二批判もカバーしていることになります。

★『判断力批判』における思考のプロセス

自分が感じる美的な感覚概念をどのように考えるのかの、第三批判の『判断力批判』は、 反時計まわりの「感覚の部分」だけを考えます。感覚の経験(音楽ではなく絵画表象のようなもの)は、理解や総合判断はできないので(どうしても後知恵的な 解釈になってしまう)、趣味判断は理性判断じゃないとカントは主張しますので、この「純粋理性批判」の図式を理解することは、とても重要になるのですね。

★主観的世界、つまり、現象の世界を考えることが、なぜ重要かと追求したのが、「ドイツ観念論」なのです

さらに、余計な蘊蓄ですけど、この主観的世界は、これまで現象的世界あるいは現象界と呼んできたものです。これが、ヘーゲルに受け継がれ、『精神現象学』 の現象という言葉で、そのまま、精神という自立した一種の主体の物語をヘーゲルはつくりあげます。カントの主観的世界(現象界)での考察ならびに、ヘーゲ ルの精神現象学の議論など、精神の内的な世界での論理の構築をめざす学問体系をつくりあげようとした、これらの哲学者たちの潮流を、現代の我々はドイツ観 念論と呼ぶことになります。

●神と人間の位置付けをめぐる問題系

「イマヌエル・カントの批判哲学およびそれに対する フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービの批判に刺激され、神または絶対者と呼ばれる観 念的原理、の自己展開として世界および人間を捉えることをその特徴とする。 フランス革命の行動性に比して、宗教的観照という穏健さにある。プロテスタント神学に近接している。哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリ ヒ・シェリング、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルのほかカール・レオンハルト・ラインホルト、フリードリヒ・ヘルダーリン、カール・ヴィ ルヘルム・フェルディナント・ゾルガー、神学者フリードリヒ・シュライアマハーがドイツ観念論の主要な論者とみなされる」ドイツ観念論

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