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先住民について知るための基本用語集

Basic Glossary of Terms to Learn About Indigenous Peoples

先住民か?先住民族か?: ま ず両方とも同じ内容を指していますのでその定義から;「先住民あるいは先住民族(ともに indigenous people)とは、もともとその土地に居住していた人々であり、植民国家* による領有ないしは侵略を受け、国民国家成立後に行政制度などが確立して以降も、その言語、伝統的慣習あるいは社会組織など の文化的特徴をすべてもしくは一部を保有している[あるいは保有していた]人々のことで ある」先住民(先住民族)より。

先住民(先住民族): (1)先住民あるいは先住民族(ともに indigenous people)とは、もともとその土地に居住していた人々であり、植民国家* による領有ないしは侵略を受け、国民国家成立後に行政制度などが確立して以降も、その言語、伝統的慣習あるいは社会組織など の文化的特徴をすべてもしくは一部を保有している[ある いは保有していた]人々のことで ある。それゆえ、先住民は、入植者により侵略されたり、条約や強制的取り決めを通して、彼らを異邦人としてみなす人々に運営される国家に組み込まれた歴史 をもつ経験を過去あるいは現在において経験する人びとのことである(キムリッカ 2005:504)。それゆえ、先住民と植民国家はそれぞれ別々の存在でありながら、同時的に存在し、さまざまな権力関係を取り結んできた人たちである。 したがって、そのような子 孫としての出自とそのアイデンティティを有する人は、先住の土地に住まわなくてもその出自アイデンティティを持てば、純血ないしは混血の有無にかかわらず 先住民として認定される権利をもつ人であるといえる。

先住民とは誰か?について真剣に考えてみよう!: の国際作業グループ(the International Work Group for Indigenous Affairs, IWGIA)」によると、全世界に3億7千万人の人がいると言われています。先住民(idigenous people)という名称の他に、「インディアン」「インディヘナ」「インディオ」「トライブ」「トライバル・ピープル」「アボリジナル(アボリジ ニー)」や「現地人(ネイティブ)」など、先 住民を表現する語彙が数多くあります。これらの語彙は、時に非先住民の人たちからの差別語(蔑称)であったりするという否定的な意味をもつこともあります が、当事者やまた支援者たちから誇り高い名称だと言われることもあります。言葉ですので、どの言葉を使えば差別なりうるのか、またそうではないのかは、そ れらの用語がどのような脈絡=文脈のなかで誰が、誰に対して使われるのかによって、決まります。また、差別がおこった後に、その言葉の使われ方が検証され る場合にも、真意はそうではないと弁解されることもありますので、明らかな差別語や、その言葉が吐かれる時に他には考えれないような——十中八九そう思わ れる——使い方には留意する必要があります。

先住民の世界;先住民/先住民族の定義において、欠かせないのが2007年(9月 13日)に 国連で採択された「先住民(族)の権利に関する国際連合宣言」です。しかし、興味深いことに、この宣言では、明確な先住民の定義はおこなわず、《先住民が その 外側の世界からどのような扱いを受けてきたか?》ということが、比較的延々と述べられています。以下ではその前文(北海道大学アイヌ・先住民研究センター 訳,Ver.2.2, 2008年8月)の部分を引用し、番号を付して、下線を示します。つまり、その外側の世界から歴史的にそのようにあつかわれてきた /あつかわれている《実際の具体的に存在する集団》であることが、この宣言から読み取れる《先住民/先住民族の潜在的定義》ということになります。

世界の先住民について知る: 先住民学(Indigenous Studies) は、19世紀に北米ではじまる北米先住民の民族学研究からはじまるが、長く「先住民(先住民族)」 を研究対象にする非先住民あるいは(先住民の参加に おいても)民族学/民俗学の専門教育をうけた専門家による研究であり、それらの研究の成果が「直接」先住民への知識や福利に寄与することは稀であった。し かしながら、先住民の人権、法的権利についての長い間の論争や(犠牲者を伴う)抵抗運動という長い歴史的経験を通して、先住民学はたんに先住民を研究する という自己目的のみならず、先住民による/先住民のための/先住民の研究であるべきだと、国際社会はようやく認識しつつある。現在では、先住民の当事者が 自らの来歴を知り、そのアイデンティティを探求する権利を行使する学習の場としても、ま た先住民/非先住民の区分の違いを超えて、先住民による/先住民の ための/先住民の研究への学問的かつ実践的介入の必要性を、世界の国家は認識せざるをえない。

先住民とは誰か?02: その前に、先住民の定義を紹介しておこう。国連の差別 予防と少数者の擁護作業部会(1986)[UN Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities (1986)]では、2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007)」に先立つ 21年前に先住民を次のように定義している——ただし、後者のそれは、先住民の定義は明確には避けている点が現在でもしばしば論争点になるのだが。 "Indigenous communities, peoples and nations are those which, having a historical continuity with preinvasion and pre-colonial societies that developed on their territories, consider themselves distinct from other'sectors of the societies now prevailing in those territories, or parts of them. They form at present non-dominant sectors of society and are determined to preserve, develop and transmit to future generations their ancestral territories, and their ethnic identity, as the basis of their continued existence as peoples, in accordance with their own cultural patterns, social institutions and legal systems."
先住民表象と先住民運動: 民族(または民族集団)とは、社会文化的特徴と価値を共有する人たちの集団である。民族表象とはしばしば、言語、衣装、遺跡モニュメント、生活 習慣のような眼に見えて顕示的な徴であるものから詩歌や文学作品さらには思想やアイデンティティという見えにくいものまで多種多様にわたる。人類学者の多 くは、民族や民族表象の定義や規定をする際に、本質主義(essentialism)的なものよりも構成主義(constructivism)的なことを 採用する傾向が強くなってきた。社会集団の成員は、しばしば超時間的に人々が維持している共通項よりも、国家や隣接する集団との関係の中でおこった「出来 事」の中で取捨選択されてきたものを、その民族の固有の特徴や成員のアイデンティティとして理解することが多いからである。ただし、このような歴史は容易 に忘却されてしまい、一度何らかの理由で廃絶した民族表象が復興される際には、現実には想像的に復元されたにも関わらず、当事者自身にも本質主義的なもの として普遍的な価値が主張されるという、文化の客体化(objectification of culture)ないしは文化の再領域化(re-territorialization of culture)という現象が広く認められる。民族や文化の定義をめぐって古典的合意が崩壊し、これまでの学術的議論の枠を超えて、現代政治をも巻き込ん だ社会的な論争的なテーマとして、今日浮上してきているのである。

先住民概念の擁護について: 先住民概念の擁護、あるいは 「西洋」と「非西洋」世界をわけて、自らの認識論的な優位を主張することの論拠の無さとその危うさ、について. これは、まさに西洋文明と先住民文化での、2つの間 での「ある」という意味の捉えかたにおいて混乱を起こしているのではないでしょうか。レヴィ=ブリュ ルの「前論理」概念の提唱に似て、論理とロジックを別物として取り扱うという認識論上の誤謬があるのかもしれません。常識で考えればわかるように、先住民 と近代国家が、文化主権や土地所有権などをめぐって「交渉」できるのは、論理とロジックが同一のものとして扱われ(でないと両者は共通の土俵に立って論争 できません)、両者の間でさまざまな情報のやり取り、解釈さらには論争がおこなわれていることの「証左」ではないでしょうか。つまり、論理とロジックをわ けて別物として表現するような、文法上の正当性も、また現実の現象における正当性もないように思われます。

新しい「先住民学」の提唱: 先住民学 (Indigenous Studies) は、19世紀に北米ではじまる北米先住民の民族学研究からはじまるが、長く「先住民ない しは先住民族」を研究対象にする非先住民あるいは(先住民の参加に おいても)民族学/民俗学の専門教育をうけた専門家による研究であり、それらの研究の成果が「直接」先住民への知識や福利に寄与することは稀であった。し かしながら、先住民の人権、法的権利についての長い間の論争や(犠牲者を伴う)抵抗運動という長い歴史的経験を通して、先住民学はたんに先住民を研究する という自己目的のみならず、先住民による/先住民のための/先住民の研究であるべきだと、国際社会はようやく認識しつつある。現在では、先住民の当事者が 自らの来歴を知り、そのアイデンティティを探求する権利を行使する学習の場としても、また先住民/非先住民の区分の違いを超えて、先住民による/先住民の ための/先住民の研究への学問的かつ実践的介入の必要性を、世界の国家は認識せざるをえない。(→「先住民学への招待」)

遺骨や副葬品を取り戻しつつある先住民のための試論: 世界の先住民遺骨返還運動を調べると、遺骨が地元の埋葬地から「収奪」されてきた経緯や、それを正当化する「科学の論理」、そして「遺骨はすべからく返還 すべし」という結論に運動の当事者たちが到達するまでは、長く複雑な経緯がありました。遺骨や副葬品を「取り戻す」先住民の思想も実践(作戦)も日々深化 していると言っても過言ではありません。その理由は、世界の先住民同胞が、時には先住民が帰属する国家を巻き込んで、先住民への搾取や差別の実態、そして 略奪行為がなされてきたことを訴えて、博物館や大学・研究機関に遺骨や「文化的略奪物(cultural loot)」の返還を要求してきたことにあります(池田 2000)。またそのような返還要求が現在の政治哲学や国際関係論という観点からみてもまったく正義に叶ったものであることが明らかになってきました (シャプコット 2012)。

Work_Place: 先住民の視点からグ ローバル・スタディーズを再考する: 本研究は、日本と海外を研究対象地域として、先住民が実践し ている(1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、博物館における先住民による文化提示の際の敬意への要求といった(2)「文化復興運動」、および先住民アイデ ンティティの復興のシンボルとなった(3)「先住民言語教育運動」という、3つの大きなテーマの現状を探る。この現象は、世界の均質化が引き起こすグロー バル化現象とは異なり、グローバル化現象が先住民をして自らのアイデンティティを再 定義し、国民国家が求める同化政策に抗して、言語的文化的多様性を担保しつつ、国家との連携や和解を求める動きとして捉えられる。グローバル文脈のなか で、先住民をエージェンシーと捉えれば、実践者としての研究者と先住民との研究倫理的枠組みが変化する。先住民による先住民ための学としての新しい「先住 民学」の教育の場をデザインできるような知識基盤コミュニティの構築をめざす。再掲:(学振の公式サイト→「先住民の視 点からグローバル・スタディーズを再構築する領域横断研究(KAKEN)」課題番号:18KT0005)

アメリカ先住民の教訓:この2年 [1991-92年当時]ほど,私は私立大学で文化人類学の講義を担当している。学生たちが, なるべく退屈しないようにと劇場用映画を資料に使う。昨年[1991年]の講義のなかで学生たちにその要望を取ると,一番人気が高かったのは,ケビン・コ スナー監督・主演の『ダンス・ウイズ・ウルブス』だった。これは,1863年ごろの平原インディアン(=北米の先住民、近年ではネイティブ・アメリカンと いうことが多い)の有力なグループで あったダコタ※の人たち(通称スー族)と南 北戦争下の北軍から任地をフロンティア に求めたすこし変わり者の中尉ダンバーとの交流を中心に,追いつめられゆくインディアンの生活を大自然のなかで描いたものだ。※原作は、マイケル・ブレイ クの小説で、その中での先住民族はコマンチの人たちであり、 ダコタへの変更は、あくまでもロケ地の都合によるものらしい。映画のなかの19世紀中頃のダコタ(あるいはラコタ)の人たちは,馬を駆使して勇壮に野牛を 狩っていた が,もともと彼らは野生の米やトウモロコシを栽培する農耕民であったといわれている。

我が国(日本国政府)のアイヌならびに先住民に関する認識の現状: 以下のやりとりは、参議院員・紙智子が同院に提出した2007年11月9日づけの質問主意書(しつもんしゅいしょ:通常の日本語漢字表記で は同音語の「質問趣意書」と理解すべきものだが)と、同年11月20日の政府答弁書である。このやりとりから、現在の日本政府のアイヌならびに「先住民」 (indigenous people)に対する公的見解をうかがい知ることができる。なお出典は、紙議員のウェブページ(http://www.kami- tomoko.jp/sitsumon/168/071109.htm 最終確認日 2009年5月29日)よりとった。このページの【原文】以前の文書 は、同議員の質問と政府の答弁を問答形式で理解するために、編集を行っている。
世界の先住民族の課題
現 在世界の先住民族が、政府や国家あるいは非先住民族の人たちに遇い対する時には「差異のジレ ンマ」に直面している。。その差異のジレンマとは「文化的差異があるため中央政府(国民)と先住民族の和解は不可能なのではないか」というものだ。宥和政 策は先住民族側に「政府による文化破壊への危惧」を感じさせる一方で政府には「先住民族文化は国民文化に包摂されるべき」と見なされ、多文化共生と異文化 異民族への寛容の精神を削ぐという危険性をもつ。
The United Nations Declaration on the Rights of Indigenous Peoples (UNDRIP)
UNDRIP先住民族の権利に関する国際連合宣言 (市民外交センター仮訳)先住民(ないしは先住の民)の諸権利の国連宣言(2007)

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