かならず読んでください

アメリカ先住民の教訓

On Extinction of an Indigenous Cultures, unlearning of indigenous people as ecologically harmonious people

池田光穂

1880年頃のラコタのキャンプ




インディアン側のコメント
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映画俳優として初出演したラッセル・ミーンズは、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動(AIM)」の運動家でもある。ラッセルはこの作品につ いてのインタビューに答え、こう述べている["Russell Means Freedom"(2009年5月20日付記事「Russell Means Interview with Dan Skye of High Times」)]。
●「コスナー監督がハリウッド的なインディアンのステレオタイプのう ち、「酔いつぶれたインディアン」以外のほとんどすべてのインディアン像を利用したのはいい狙いでした。インディアンをやたら持ち上げ過ぎてるきらいはあ るにしてもね。『アラビアのロレンス』という映画を覚えていますか?この作品のインディアンは、まるで(英雄虚像化された)『平原のロレンス』でした。/ この映画のおかしなところといえば、俳優たちにスー族の言葉を教えている女性がいたんですけどね、でも、ラコタ族には男言葉と女言葉があるんですよ。大勢 のインディアンやケビン・コスナーが、女言葉で話していました。私が大勢のラコタ族の人たちとそれを見に行ったとき、我々は笑い転げてたんですよ。
イ ンディアン女性運動家のスーザン・ショーン・ハルジョは、この映画について、子供の描写やケビン・コスナーの子供のような笑顔については評価しているが、 映画そのものについては次のように述べている["Los Angeles Times Interview"(Suzan Shown Harjo : Fighting to Preserve the Legacy --and Future--of Native Americans 1994年11月27日)]。
●「そのようなすべてが私たちとは程遠く、似ても似つかないものになって いて、どの部分においても私たちに当てはまらないものになっています。……こういった映画のほとんどが持つ問題は、白人が善良で、格好良い姿で登場するこ とです。インディアンは物語の脇役でしかありません。私は、白人が映画を作ることは理解しますけれど、それは彼ら以外の誰かに関する映画にはならないで しょう。……『シンドラーのリスト』は、ユダヤ人や、スピルバーグのような感性を持った人でなかったら作れなかったかもしれません。もしオリバー・ストー ンがベトナムに行っていなければ、彼はベトナムの映画を作れたでしょうか