先住民
Indigenous People; せんじゅうみん
解説:池田光穂
(1)先住民[あるいは先住の民]あるいは先住民族(ともに indigenous people)とは、もともとその土地に居住していた人々であり、植民国家* による領有ないしは侵略を受け、国民国家成立後に行政制度などが確立して以降も、その言語、伝統的慣習あるいは社会組織など の文化的特徴をすべてもしくは一部を保有している[ある いは保有していた]人々のことで ある(→「先住民性」)。
そ れゆえ、先住民は、入植者により侵略されたり、条約や強制的取り決めを通して、彼らを異邦人としてみなす人々に運営される国家に組み込まれた歴史 をもつ経験を過去あるいは現在において経験する人びとのことである(キムリッカ 2005:504)。それゆえ、先住民と植民国家はそれぞれ別々の存在でありながら、同時的に存在し、さまざまな権力関係を取り結んできた人たちである。 したがって、そのような子 孫としての出自とそのアイデンティティを有する人は、先住の土地に住まわなくてもその出自アイデンティティを持てば、純血ないしは混血の有無にかかわらず 先住民として認定される権利をもつ人であるといえる。
し たがって「日本人は縄文人をおしのけて弥生文化を本島に定着させたが、もう3千年から1千8百年の歴史をもつので、日本人も先住民である」と いう主張は、(領有したり侵略したりする)植民国家の存在がないために上掲の定義からは外れる。さらに「(琉球人やアイヌ人の存在と彼らの歴史を知りなが ら)日本人は日本の先住民である」と主張するのは、誤り以上に、作為的な悪意とみなされても弁護される余地は完全にない。
なお、日本語によるindigenous people の翻訳としては「先住民」呼ぼうが「先住民族」と呼ぼうがどちらでもよいことになる[→関連言及ページ]
ただし、先住民族を呼ぶ「べき」だと主張する根拠には、ある種の社会的意義がある。その論者。上村英明(1998)は『平凡社世界大百科事 典』 の「先住民族」の項目のなかで、以下のように書いている。
「先住民族は、近代国家に自らの意思で統合されたかどうか、植民地政策がお
こなわれたかどうかによって確認される政治学の概念であり、民族
学や人類学の概念ではない」(上村 1998)
この立場を、先住民(または先住民族)の政治的意義を主張する立場と呼んでおこう(→「政治的アイデンティティと先住民運動」)。つまり、こういうことである。
(2)先住民・先住民族とは、近代の植民地政策を通して自らの意思なしに 国家に巻き込まれた 「すべての犠牲者とその末裔」のことである。
「先住民とは、伝統的土地が入植者によって侵略され、強制的に、あるいは条約を通じて、彼らが異邦人として見なす人々によって運営される国
家に組み込まれてきた人々である」(キムリッカ 2005:504)。
しかし、民族学や人類学の概念ではないとしても、民族学や人類学は「先住民(ないしは先住民族)」を自称したり、また他称されている人の集 団 (=民族)を研究するのであり、民族学や人類学が、上村英明のいう「政治的概念としての先住民族」を研究対象にできないわけではない。むしろ、上村の指摘 を、民族学者や人類学者が引き受けるとすると、それまでの民族学や人類学が、少数民族ないしは先住民族の「政治的問題」を避けてきており、政治学領内での 議論、あるいは政治学者たちと真摯な議論をおこなってこなかった歴史的可能性すらある——ただし上村の言挙げ(=近代の植民地政策を通して自らの意思なし に 国家に巻き込まれた 「すべての犠牲者とその末裔」)は先住民を「政治学的フランケンシュタイン」として表現するような奇矯な感じを払拭できない。そのために、この「先住民 か、先住民族か」という問題は、どちらの 呼称に「正しさ」があるのか、ということではなく、民族学者や人類学者は、「先住民(ないしは先住民族)」の政治的問題に果敢に取り組んでいくことが重要 なのである。
このような私の問題提起に対して遡ること 30年以上前の1986年に時間を巻き戻そう。国連の差別 予防と少数者の擁護作業部会(1986)[UN Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities (1986)]では、2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007)」に先立つ 21年前に先住民を次のように定義している——ただし、後者のそれは、先住民の定義は明確には避けている点が現在でもしばしば論争点になるのだが。
"Indigenous communities, peoples and nations are those which, having a historical continuity with preinvasion and pre-colonial societies that developed on their territories, consider themselves distinct from other'sectors of the societies now prevailing in those territories, or parts of them. They form at present non-dominant sectors of society and are determined to preserve, develop and transmit to future generations their ancestral territories, and their ethnic identity, as the basis of their continued existence as peoples, in accordance with their own cultural patterns, social institutions and legal systems."
「先
住民コミュニティ、民族、国家とは、その領土で発展した侵略前および植民地化前の社会との歴史的連続性を有し、現在その領土で優勢となっている社会の他部
門、またはその一部とは異なるものと自らを認識するものである。彼らは現在、社会の非支配的な集団を形成しており、民族としての存続の基盤として、独自の
文化的パターン、社会制度、法制度に従い、先祖伝来の領土と民族としてのアイデンティティを維持、発展させ、将来の世代に伝えていくことを固く決意してい
る」。
UN Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities (1986), Study of the Problem of Discrimination against Indigenous Populations, UN Doc. ElCN.4/Sub.2/198617/Add. 4, para. 379 (Jose Martinez Cobo, Special Rapporteur) (hereinafter UN Indigenous Study). This study was authorized by the UN Economic and Social Council in its Resolution 1589(L), 17 May 1971. The resulting multi-volume work was issued originally as a series of partial reports from 1982 to 1983. The original documents comprising the study are, in order of publication: UN Docs. ElCN.4/Aub. 21 476/Adds. 1-6 (1981); E/CN.4/Sub.21198212IAdds. 1-7 (1982); and ElCN.4/Sub.2/19831211Adds. 1-7 (1983). - この引用は Anaya (2003:xi)よりとった。
そして、先住民/先住民族の定義におい て、欠かせないのが2007年(9月13日)に 国連で採択された「先住民(族)の権利に関する国際連合宣言」である。しかし、興味深いことに、この宣言では、明確な先住民の定義はおこなわず、《先住民が その 外側の世界からどのような扱いを受けてきたか?》ということが、比較的延々と述べられている。以下ではその前文(北海道大学アイヌ・先住民 研究センター 訳,Ver.2.2, 2008年8月)の部分を引用し、番号を付して、下線を示そう。つまり、その外側の世界から歴史的にそのようにあつかわれてきた /あつかわれている《実際の具体的に存在する集団》であることが、この宣言から読み取れる《先住民/先住民族の潜在的定義》ということになる。(→こ の議論は「先住民の世界」 「政治的アイデンティティ」で展開されます)
* 植民国家(settler state):開拓移民国家ともいい、国家主権や領土を確立する際に、先にそこに存在していた人々すなわち先住民を、排他的にあるいは包摂する形で、成立 が保証される国家のこと。この定義によると、近代の国家形態の成立経緯は、ほとんどこの植民国家としての性格をもつことになる。
つまり、この宣言には、先住民(ないしは
先住の民、あるいは
先住民族)の定義がない。DRIPS策定までの複雑な歴史的経緯、そして、宣言の中で先住民を定義しないことが、逆にその宣言が指し示すものとして
の「先住民の出現」を2007年以降に予期するというものである。それは、あらゆる普遍的な人権の概念が、天賦であるかのようにもはや自然化した現代世界
では、紛争/係争の国際社会での不正義を告発する国際的な権力レジームなかでの武力介入を正当化のが当たり前のような現況に対する文化人類学者の反省をも
たらすかのようである。人権の概念は、それを踏みにじる圧力の歴史のなかから彫琢されてでてきたものであることを、再認識しよう!(→当サイト内の「The United Nations Declaration on the Rights of
Indigenous Peoples (UNDRIP)」)
The United
Nations Declaration on the Rights of Indigenous
Peoples, does not define "indigeneity."
But it's working
group (UN-WGIP, 1983) had defined provisionally
as follows;
"Indigenous
populations are composed of the existing descendants
of the peoples who inhabited the present territory of a country wholly
or partially at the time when persons of a different culture or ethnic
origin arrived there from other parts of the world, overcame them, by
conquest, settlement or other means, reduced them to a non-dominant or
colonial condition;who today live more in conformity with their
particular social, economic and cultural customs and traditions than
with the institutions of the country of which they now form part, under
a state structure which incorporates mainly national, social and
cultural characteristics of other segments of the population which are
predominant.
In 1983, they added following important phrase; "any individual who identified himself or herself as indigenous and was accepted by the group or the community as one of its members was to be regarded as an indigenous person (E/CN.4/Sub.2/1986/7/Add.4.para.381)"
Source: http://johansandbergmcguinne.wordpress.com/official-definitions-of-indigeneity/
先住民にまつわる定義の多様化の原因は、
明確な先住民性(文化的特色)と独自の権利主張をおこなってきた「代表的な」の先住民運動の継承が現在
でもあるからである。つまり、西洋世界(中南米を含む)における生存してきた多様な先住民族、北方圏におけるイヌイットやアリュート、オーストラリアのア
ボリジナル(アボリジニー)、アオテオロア(ニュージーランドのマオリ語名称)のマオリ、そしてアジア、アフリカあるいはその他の地域に住む、アイデン
ティティを共有する集団的なまとまりをもって見なされている人たちの存在である。
【リンク】
【文献】
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099