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コミュニケーションデザインの思想史的意義
The Institute of
Communication Design, iCD
池田光穂・野村一夫
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コミュニケーションデザインの思想史的意義(→出典)
- 現今のデザイン論的転回について述べる。そして、そこで何が授業の現場で起こっているのかを思想史的に解明——人類学・社会学的に
理解——
するこ
とである。
- デザイン論的転回の起源や、そこで現代人が何を考えているのかについて抽出する
- デザイン的発想の対極にある、エマージェンス(emergence,
創発)/エマージェント(emergent)な事態を「対照化」する
- デザイン的発想の歴史的根源に、超越論的な神の創意をみる。近代以降は、神の役割を人間が担うようになった。それが近代啓蒙の発想
の起源
- 生命現象、組織現象、情報工学(セルオートマトン等)における「エマージェントなもの」と「デザイン的発想や制御思想」を二元論的
に見る
観方が古くある
- 他方、その発想を調和させる発想としての、コミュニケーションデザインがある。コミュニケーションは創発的なもの、デザインは制御
や設計
の発想である。
- 従って、コミュニケーションデザインとは、創発性の管理思想である。
- 他方、創発性には必ず「制御できない」「予測できない」性質がある——だから、それを人は創発性と呼ぶのである。
- 創発性万歳の思想をつきつめれば、なんでもあり(anything goes)である(→科学において認識論的アナーキスト、ができるまで)またそのことに畏れてはな
らない。
- 管理の発想を推し進めれば、従来の講義室でのレクチャー一辺倒の授業に戻ってしまう。だから、創発性をデザインしようという発想が
登場す
る。
- コミュニケーションデザインは、創発性万歳の思想には強い親和性を持たず、むしろ、「よき管理」に傾斜することを余儀なくさせる。
なんで
もあり(anything goes)への畏れがある。
- なんでもあり(anything
goes)への畏れは、同時に、より上位の権力管理者(ないしはエージェント)から管理されないようにする防衛から生まれている。
- このような防衛こそが、コミュニケーションデザインを、管理された中での自由と創発性を「制度的に」保証する強力な場を形成するこ
とにな
る。
- 証明終わり(Quod
Erat Demonstrandum)
リ
ンク
文
献
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