青木保「文化の否定性」入門ノート
On Nagativity (Nagative Aspects) of Cuture, by Aoki Tamotsu, 1987
青 木保(Tamotsu AOKI, 1938- )は 日本の文化人類学者。大阪大学名誉教授、元文化庁長官、元国立新美術館館長。1938年、東京府生まれ。1962年に上智大学文学部独文科を卒業し、東京 大学教養学部に入学。1964年に東京大学教養学部を卒業し、教養学士号を取得。1967年、同大学大学院文化人類学専修修士課程修了し、社会学修士号を 取得。卒業後は、東京大学東洋文化研究所助手となった。立教大学文学部助教授、大阪大学人間科学部教授。1994年に学位論文『儀礼の象徴論的研究 -儀礼の基礎論を目指して』を大阪大学に提出して「博士 (人間科学)」の学位を取得[3]。1996年、東京大学先端科学技術研究センター教授となった。1999年からは政策研究大学院大学教授、2005年か らは法政大学企画・戦略本部特任教授、2006年からは早稲田大学 アジア研究機構アジア研究所 教授[4][5] 。この間にハーバード大学客員教授等も務めた。
「文 化の否定性」は1987年11月号の『中央公論』に掲載された、青木の論文である。正式な論題は「文化の否定性:反相対主義時代に見る」。平易な文章な がら、20世紀の最後の四半世紀における文化概念、とりわけ文化相対主義の衰退をとりあげてもなお、文 化相対主義の復権を唱える。ただし、その方法は、文 化の否定的な側面に着目して、「自文化」の過度な優越性を忘れる——青木の用語では「アムネジア(amnesia,記憶喪失)」——必要性があるのではな いかと締めくくる。
青木の心理主義的な「「自文化」の過度な優越性を忘れる」ことで、青木が憂慮している、反文化相対主義のウェーブが、当時もそして今も——つまり、普遍的に——克服されるとは、思われないが、当時も今もつづく、反文化相対主義の心理的錯乱を、フロイト的にコーピングするのは、ひとつの手立てだったのだろう。ちなみに、フロイト的忘却は、自分によって都合の悪いことや、超自我などによって「抑圧」されるものなので、「自文化」の過度な優越性を忘れることは、根本的な処方にはならず、当時からも現在においても、まったく無効な処方箋であることは言うまでもない。
こ の論文は、後に青木の単行本『文化の否定性』中央公論社、1988年に収載された。
各、 章立ては以下のとおり
1. 文化からの後退
2. 文化相対主義
3. 反文化相対主義
4.
文化の否定性
リ ンク
文 献
そ
の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099