文化学
Cultural Studies/Cultural Anthropology and related disciplines for young students
解説:池田光穂
文 化学とはどんな学問なの?
文化学とは、人間の人間らしさは、人間が生み出しつ たえていっている「文化」だという認識や確信にもとづいて、これまで言われてきた(=研究されて きた)「文化」について理論的に研究するのみならず、キャンパスの外の社会に出て、ひろく「文化 現象」について知り、学び、問いかけ、記録して、人間の文化の歴史的変化、社会的階層性、そして文化の多様性のあり方について考察する学問です。
文化学を研究する学問には、文化人類学、文化社会学、カ ルチュラルスタディーズ、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、 文学、言語学、などが含まれます(下記を参照)
文 化学をまなぶと は、 どんな勉強をすることなのでしょうか?
文化学には、教室で授業をうけたりする座学(デスクワークやデスクで学ぶ学問)のほかに、調
査実習などで、キャンパスの外にでかけ、人びとにインタビューをしたり、訪問したり、あるいは、一緒に活動に参加したりするフィールドワークという勉強の2つにわかれます。勉強がすすんでいくにつれて、フィールドワークの比重が高くなります。最近では、問題に基づく学習(PBL)と
か、プロジェクトに基づく学習(PjBL)など、フィールドワークを成功するために、机上の
実践演習などをとおして、フィール
ドワークの事前研修などもあります。座学も、純粋に知識や理論を学ぶ勉強から、
フィールドワークで使う方法論の勉強、実際のフィールドワークの試験的実施(パイロットスタディ)、そして、フィールドワークに関する研究倫理、学問の歴史=学説史、などを学んで、はじめ
て、指導者のもとで、キャンパスのなかで調査研究をおこないます。
文 化学を学んだ人の 卒業後の進路は?
文化に関する幅広い教養が身につきます。そ
のため、事務職では総合職などを中心に、現業で
は、金融、コンサルテーション、営業、旅行・観光業(→「観光研究/観光人類学」)、
接客対応、などさまざま分野が開けています。文化学を学んだ学生に期待されるのは、社会の文化に対する深い見識をもっているので、新しい職場という社会環
境に適応する能力が、他の領域の履修者よりも高いことが期待されます。人と出会い、話し合ったり、一緒に活動したりすることが好きな人に向いています。
大 学院に進学したい のですが?
4年間で「文化」に関する幅広い知識が得られるために——リベラルアーツの教養といいます——4年後に、文 化人類学、文化社会学、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、文学、言語学のそれぞれの専攻分野に進学しようとする人もいま す。ただし、それぞれの専攻領域での勉強が足りませんので、すくなくとも3年次に進級する時点では、指導教員の先生(教授)と相談して、それぞれの専攻分 野の研究者や、行きたい大学院に関する情報収集をしておくのがよいでしょう。大学院入試では、そのような専攻分野の「基礎知識」を事前に知っていることが 重要です。また、日本の文化学関連の学問は、高い語学の能力や対人コミュニケーション能力は、フィールドワークの際に、力を発揮します。したがって、大学 入学以前から、英語+他の外国語能力をつけておくことが重要です。日本への留学生は、日本語の能力+英語の能力を磨いておくことは重要です。その理由は、 大学院はもちろんのこと、大学の学部教育でも英語による授業がこれからどしどし増えていく傾向があるかです。
以下は、細かい解説です。興味のある生徒はよんでください。
Culturology or
the science of
culture is a branch of the social sciences concerned with the
scientific understanding, description, analysis, and prediction of
cultures as a whole. While ethnology and anthropology studied different
cultural practices, such studies included diverse aspects:
sociological, psychological, etc., and the need was recognized [by
whom?] for a discipline focused exclusively on cultural aspects.[1] |
文化学(culturology)または文化
の科学(science of culture)は、文化全体を科学的に理解し、記述し、分析し、予測することを目的とする社会科学の一分野である。民族学や人類学はさまざまな
文化的慣習を研究していたが、そうした研究には社会学的、心理学的など多様な側面が含ま
れており、文化的側面にのみ焦点を当てた学問分野の必要性が[誰によって]認識された[1]。 |
In Russia The notion of culturology (Russian: культурология), as an interdisciplinary branch of the humanities, may be traced in the Soviet Union to the late 1960s and associated with the work of Mikhail Bakhtin, Aleksei Losev, Sergey Averintsev, Georgy Gachev, Juri Lotman, Vyacheslav Ivanov, Vladimir Toporov, Edward Markarian, and others.[2] This kind of research challenged Marxist socio-political approach to culture. Between 1980 and 1990, culturology received official recognition in Russia and was legalized as a form of science and a subject of study for institutions of higher learning. After the dissolution of the Soviet Union, it was introduced into the Higher Attestation Commission's list of specialties for which scientific degrees may be awarded in Russia and is now a subject of study during the first year at institutions of higher education and in secondary schools.[3] Defined as the study of human cultures, their integral systems, and their influence on human behavior, it may be formally compared to the Western discipline of cultural studies, although it has a number of important distinctions. Over past decades the following basic cultural schools were formed: philosophy of culture (A. Arnold, G. V. Drach, N. S. Zlobin, M. S. Kagan, V. M. Mezhuyev, Y. N. Solonin, M. B. Turov and others) theory of culture (B. S. Yerasov, A. S. Karmin, V. A. Lukov, A. A. Pelipenko, E. V Sokolov, A. Ya. Fliyer and others), cultural history (S. N. Ikonnikova, I. V. Kondakov, E. A. Shulepova, I. G. Yakovenko and others), sociology of culture (I. Akhiezer, L. G. Ionin, L. N. Kogan, A. I. Shendrik and others), cultural anthropology (A. A. Belik, Ye. A. Orlova, A. S. Orlov-Kretschmer, Yu. M.. Reznik and others), applied cultural studies (O. Astaf'eva, I. M. Bykhovskaya and others), cultural studies art (K. E. Razlogov, N. A. Hrenov and others), semiotics of culture (Juri Lotman, V. N. Toporov, V. V. Ivanov, E. M. Meletinsky and others), cultural education (G. I. Zvereva, A. I. Kravchenko, T. F. Kuznetsova, L. M. Mosolova and others).[citation needed] From 1992, research was started by the Russian Institute for Cultural Research. Today, along the line of the central office located in Moscow, three branches of RIC have been opened – Siberian (opened in 1993 in Omsk), St. Petersburg Department (opened in 1997) and the Southern Branch (opened in 2012 in Krasnodar). Culturology studies at Moscow Lomonosov University In 1990, at the faculty of philosophy, a chair of the history and theory of world culture was created. Many prominent Soviet and Russian scholars like V. V. Ivanov, S. S. Averintsev, A. Y. Gurevich, M. L. Gasparov, G. S. Knabe, E. M. Miletinskiy, V. N. Romanov, T. V. Vasilyeva, N. V. Braginskaya, V. V. Bibikhin, Alexander Dobrokhotov have worked there.[4] Yuri Rozhdestvensky founded a school of Culturology at the Department of Language Studies of Moscow Lomonosov University. Rozhdestvensky's approach to the development of culture (accumulation and mutual influence of layers) can be compared to the approach used in media ecology.[citation needed] |
ロシア 文化学(ロシア語:культурология)という概念は、人文学の学際的な一分野として、ソ連では1960年代後半まで遡ることができ、ミハイル・ バフチン、アレクセイ・ロセフ、セルゲイ・アヴェリンツェフ、ゲオルギー・ガチョフ、ジュリ・ロトマン、ヴャチェスラフ・イヴァノフ、ウラジーミル・トポ ロフ、エドワード・マルカリアンなどの研究に関連している[2]。 1980年から1990年にかけて、文化学はロシアで公式に認められ、科学の一形態として、また高等教育機関の研究科目として法制化された。ソビエト連邦 の解体後、ロシアで科学的学位を授与することができる高等認証委員会の専門分野リストに導入され、現在では高等教育機関および中等学校の1年次に学習する 科目となっている[3]。人間の文化、その統合システム、およびそれらが人間の行動に及ぼす影響の研究として定義され、西洋の文化研究の学問分野と形式的 に比較することができるが、多くの重要な相違点がある。 過去数十年の間に、以下のような基本的な文化学派が形成された: 文化哲学(A.アーノルド、G.V.ドラハ、N.S.ズロビン、M.S.カガン、V.M.メジュエフ、Y.N.ソロニン、M.B.トゥーロフなど) 文化論(B. S. イェラソフ、A. S. カルミン、V. A. ルコフ、A. A. ペリペンコ、E. V. ソコロフ、A. Ya. Fliyerほか)、 文化史(S.N.イコニコワ、I.V.コンダコフ、E.A.シュレポワ、I.G.ヤコヴェンコなど)、 文化社会学(I. Akhiezer、L. G. Ionin、L. N. Kogan、A. I. Shendrikなど)、 文化人類学(A. A. Belik、Ye. A.オルロワ、A.S.オルロフ=クレッチマー、Yu. M.. Reznikなど)、 応用文化研究(O. Astaf'eva、I. M. Bykhovskayaなど)、 文化芸術学(K.E.ラズロゴフ、N.A.フレノフなど)、 文化の記号論(ジュリ・ロトマン、V.N.トポロフ、V.V.イワノフ、E.M.メレチンスキーなど)、 文化教育(G.I.ズヴェレワ、A.I.クラフチェンコ、T.F.クズネツォワ、L.M.モソロワなど)[要出典]。 1992年からは、ロシア文化研究所によって研究が開始された。現在、モスクワにある中央研究所のラインに沿って、シベリア支部(1993年にオムスクに 開設)、サンクトペテルブルク支部(1997年に開設)、南部支部(2012年にクラスノダールに開設)の3つの支部が開設されている。 モスクワ・ロモノーソフ大学で文化学を学ぶ 1990年、哲学部に世界文化史・理論講座が開設された。V.V.イワノフ、S.S.アヴェリンツェフ、A.Y.グレビッチ、M.L.ガスパロフ、 G.S.クナーベ、E.M.ミレチンスキー、V.N.ロマノフ、T.V.ワシーリエワ、N.V.ブラギンスカヤ、V.V.ビビヒン、アレクサンドル・ドブ ロホトフなど、多くの著名なソ連・ロシアの学者がそこで研究を行ってきた[4]。 ユーリ・ロジデストヴェンスキーは、モスクワ・ロモノーソフ大学言語学部に文化学部を設立した。文化の発展に対するロジデストヴェンスキーのアプローチ (層の蓄積と相互影響)は、メディア生態学で用いられているアプローチと比較することができる[要出典]。 |
Other uses In Anglophone contemporary social sciences the word culturology was coined by American anthropologist Leslie White, who defined it as a field of science dedicated to the study of culture and cultural systems.[5][6] White notices that culturology was earlier known as "science of culture" as defined by English anthropologist Edward Burnett Tylor in his book 1872 Primitive Culture.[1] White also notices that he introduced this term in 1939 and for the first time the term appeared in English dictionaries in 1954. He also remarks that the corresponding German term Kulturwissenschaft was introduced by Wilhelm Ostwald in 1909.[1] Following White, philosopher of science Mario Bunge defined culturology as the sociological, economic, political, and historical study of concrete cultural systems. "Synchronic culturology" is said to coincide with the anthropology, sociology, economics, and political ideology of cultures. By contrast, "diachronic culturology" is a component of history. According to Bunge, "scientific culturology" also differs from traditional cultural studies as the latter are often the work of idealist literary critics or pseudo-philosophers ignorant of the scientific method and incompetent in the study of social facts and concrete social systems.[7] Bunge's systemic and materialist approach to the study of culture has given birth to a variety of new fields of research in the social sciences. Fabrice Rivault, for instance, was the first scholar to formalize and propose international political culturology as a subfield of international relations in order to understand the global cultural system, as well as its numerous subsystems, and explain how cultural variables interact with politics and economics to impact world affairs.[8] This scientific approach differs radically from culturalism, constructivism, and cultural postmodernism because it is based on logic, empiricism, systemism, and emergent materialism.[9] International political culturology is being studied by scholars around the world.[10][11] |
その他の用法 英語圏の現代社会科学において、カルトゥロロジーという言葉はアメリカの人類学者レスリー・ホ ワイトによって作られたものであり、彼はカルトゥロロジーを 文化と文化システムの研究に特化した科学分野と定義した[5][6]。ホワイトは、カルトゥロロジーがそれ以前はイギリスの人類学者エドワード・バーネッ ト・タイラーがその著書『1872 Primitive Culture』において定義した「文化の科学」として知られていたことに注目している[1]。彼はまた、対応するドイツ語の Kulturwissenschaftと いう用語が1909年にヴィルヘルム・オストヴァルトによって紹介されたことを指摘している[1]。 ホワイトに続き、科学哲学者のマリオ・ブンゲは文化学を具体的な文化システムの社会学的、経済学的、政治学的、歴史学的研究であると定義した。「共時的文 化学」は、文化の人類学、社会学、経済学、政治思想と一致するとされる。対照的に、「通時的文化学」は歴史学の一部である。ブンゲによれば、「科学的文化 学」は伝統的な文化研究とも異なっており、後者はしばしば科学的方法を知らず、社会的事実や具体的な社会システムの研究に無能な観念論的な文芸批評家や似 非哲学者の仕事である[7]。 文化研究に対するブンゲの体系的で唯物論的なアプローチは、社会科学における様々な新しい研究分野を生み出した。例えば、ファブリス・リヴォーは、グロー バルな文化システムとその数多くのサブシステムを理解し、文化的変数が政治や経済とどのように相互作用して世界情勢に影響を与えるかを説明するために、国 際政治文化学を国際関係論のサブフィールドとして公式に提唱した最初の学者である。 [この科学的アプローチは、論理、経験主義、体系主義、創発的唯物論に基づいているため、文化主義、構成主義、文化的ポストモダニズムとは根本的に異なっ ている[9]。国際政治文化学は世界中の学者によって研究されている[10][11]。 |
Cultural studies Ethnology Cultural anthropology |
文
化研究(カルチュラル・スタディーズ) 民族学 文化人類学 |
https://en.wikipedia.org/wiki/Culturology |
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Kulturwissenschaft
(englisch Cultural studies) erforscht die materielle und symbolische
Dimension von Kulturen. Sie vereinigt die kulturellen Aspekte von
Anthropologie, Geschichts-, Kunst-, Musik-, Literatur-, Theater-,
Film-, Medien-, Kommunikations-, Sport-, Spiel- und Sprachwissenschaft
sowie Philosophie, Ethnologie etc. in unterschiedlichen Kombinationen
und bildet somit eine schnittmengenreiche Schwesterdisziplin vieler
Geisteswissenschaften. In Teilen beziehen sich Kulturwissenschaften
auch auf Sozial-, Wirtschafts- und Humanwissenschaften. Die
Kulturwissenschaften stellen somit einen stark interdisziplinär
ausgerichteten Forschungsbereich dar. Kulturwissenschaft wird in Deutschland je nach Institutionalisierung stärker als empirische Kulturwissenschaft (Ethnologie, Volkskunde) oder aber als historische Kulturwissenschaft (Kulturwissenschaft, Kulturgeschichte) gelehrt. |
カ
ルチュラル・スタディーズは、
文化の物質的・象徴的側面を研究する。人類学、歴史学、芸術、音楽、文学、演劇、映画、メディア、コミュニケーション、スポーツ、ゲーム、言語学、哲学、
民族学などの文化的側面をさまざまな組み合わせで統合し、多くの人文学の学際的姉妹分野を形成している。部分的には、カルチュラル・スタディーズは社会科
学、経済学、人文科学とも関連している。したがって、カルチュラル・スタディーズは学際的な研究分野といえる。 ドイツにおける文化研究は、その制度化によって、経験的文化研究(民族学、民俗学)として、あるいは歴史的文化研究(カルチュラル・スタディーズ、文化 史)として教えられている。 |
Geschichte Anfänge Kulturwissenschaft als eigenständige Disziplin entwickelte sich in Deutschland seit den 1920er-Jahren aus der Kulturphilosophie (Georg Simmel, Ernst Cassirer) und Kulturgeschichte, der historischen und philosophischen Anthropologie, Soziologie (Max Weber, Ferdinand Tönnies) und Kunstgeschichte (Aby Warburg). Auf Betreiben der Nationalsozialisten wurde 1934 die zuvor ausschließlich der kunsthistorischen Forschung gewidmete, nach ihrer jüdischen Stifterin Henriette Hertz benannte, Bibliotheca Hertziana in Rom umbenannt in „Kaiser-Wilhelm-Institut für Kunst- und Kulturwissenschaft“, wobei nach dem Willen der Nationalsozialisten wichtigste Aufgabe der neuen kulturwissenschaftlichen Abteilung war, deutsche Kultur und „deutschen Geist“ im faschistischen Italien zu vermitteln. 1960er-Jahre Seit den 1960er-Jahren hat die Kulturwissenschaft unter dem angelsächsischen Begriff „Cultural studies“ als fächerübergreifender Forschungsansatz, der die Bedeutung von Kultur als Alltagspraxis zu ergründen versucht, international an Bedeutung gewonnen. Stuart Hall (Soziologe) sieht ihre Entstehung in engem Zusammenhang mit der der Neuen Linken (New Left) um 1956, die zuerst in Großbritannien vom sowjetischen Modell des Kommunismus und zugleich von der orthodoxen marxistischen Theorie mit ihrem deterministischen Modell von Basis und Überbau und ihrem Konzept des „falschen“ Bewusstseins Abstand nahm.[1] Als Jamaikaner kritisierte Stuart Hall auch den Eurozentrismus der „alten“ Linken. „Cultural studies“ wurden in den 1960er-Jahren von Vertretern der britischen Erwachsenenbildung und Literaturwissenschaftlern mit Interesse an Alltagskultur und auch im Zusammenhang mit der aufkommenden Popularkultur entwickelt.[2] Sie betonten, auch in Anlehnung an die Frankfurter Schule, die Produktionsbedingungen von kulturellen Gütern und damit auch hegemonialen Bedeutungsmustern in Anlehnung an den Marxismus Louis Althussers und Antonio Gramscis. Die Forschung fand vor allem im Umfeld des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) unter der Leitung von Stuart Hall statt. Weitere wichtige Vertreter sind Edward P. Thompson sowie Raymond Williams, der die frühen Grundlagen mit erarbeitete, Paul Willis und später die selbst von der Jugendsubkultur, besonders dem britischen Punk geprägten Dick Hebdige und Angela McRobbie. 1980er-Jahre bis heute Mit den Forschungen von Pierre Bourdieu, aber auch John Fiske und der Verlagerung des Schwerpunkts der Forschung an US-amerikanische und kanadische Universitäten verschob sich der Fokus in den 1980er-Jahren. Produktion und Konsumtion werden nun theoretisch als gleichwertig betrachtet. In den Studien der 1980er- und 1990er-Jahre überwiegen jene, die die Aneignungspraktiken der Produkte in den Mittelpunkt stellen. Im Gegensatz zur Kulturkritik der Frankfurter Schule, in der die Konsumenten als von der Kulturindustrie betrogene und manipulierte Masse betrachtet werden, betonen die Cultural Studies stärker den kreativen Umgang der Konsumenten mit kulturellen Gegenständen. In den 1990er-Jahren wurde besonders das Thema Differenz ein Schwerpunkt der Cultural Studies. Spitzeninstitutionen, wie beispielsweise die in Gesundheitswissenschaften weltweit führende McGill University, begannen an eigenen Cultural Studies-Instituten erstmals breit auf dem Gebiet der Gendermedizin zu forschen. Neuere Ansätze der „cultural studies“ zielen unter anderem darauf ab, jenseits von signifizierenden ("signifying") Praktiken Kultur durch Affekte im Sinne von Gilles Deleuze zu rekonstruieren. Das Studium der Kultur wird zu einer Frage des Erfassens von Produktion, Mobilisierung und Affekt. Diese Bewegung geht mit einer Kritik am hegemonialen Verständnis von Politik einher und beschäftigt sich in Anschluss an Michel Foucault mit Fragen der Produktion des Alltagslebens durch Biopolitik. Hierzu gehört u. a. der Sport, da durch den Sportjournalismus eine Scheinwelt erzeugt wird, die dominierenden Gesellschaftsschichten hilft, Hegemonie zu erzeugen.[3] Demnach bestehen einige Überschneidungen zu den Forschungen von Tom Holert und Mark Terkessidis zur Sichtbarkeit und Subjektivität im Neoliberalismus. Auch in der Kriminologie lässt sich ein gewachsenes Interesse an einer gemeinsamen Artikulation von Kriminalität und Kultur feststellen. In der Tradition der klassischen Jugendkultur-Forschungen des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) oder Studien zu moralischen Paniken hat sich die sogenannte Cultural Criminology entwickelt. Im Zentrum der Fragestellung stehen, wie Jock Young es formulierte, Transgression und Rachsucht. Das Phänomen Kriminalität wird in diesem Sinne als Ausdruck der Alltagskultur verstanden und durch Sensibilitäten rekonstruiert. In den 1990er Jahren drängten die durch die Globalisierung ausgelösten oder beschleunigten sozialen Prozesse in vielen Praxisfeldern (Migration, ethnische Konflikte, kulturelle Mehrfachzugehörigkeiten, Entkolonialisierung) auf Ausdifferenzierung weiterer neuer Analysekategorien. |
歴史 始まり 1920年代以降のドイツでは、文化哲学(ゲオルク・ジンメル、エルンスト・カッシーラー)、文化史、歴史哲学的人類学、社会学(マックス・ヴェーバー、 フェルディナント・テニエス)、美術史(アビー・ヴァールブルク)などが、独立した学問分野としてカルチュラル・スタディーズを発展させた。 1934年、国家社会主義者の煽動により、それまで美術史研究のみに特化し、ユダヤ人後援者ヘンリエッテ・ヘルツの名を冠していたローマのヘルツィアーナ 図書館は、「カイザー・ヴィルヘルム芸術文化研究所」と改名され、国家社会主義者の意志により、新しい文化研究部門の最も重要な任務は、ファシズム下のイ タリアにおいてドイツ文化と「ドイツ精神」を伝えることであった。 1960s 1960年代以降、カルチュラル・スタディーズは、日常的な実践としての文化の意義を探求しようとする学際的な研究アプローチとして、アングロサクソン系 の「カルチュラル・スタディーズ」という用語の下で国際的な重要性を獲得した。スチュアート・ホール(社会学者)は、その出現を1956年前後の新左翼の それと密接な関係があると見ている。スチュアート・ホールは、ソ連の共産主義モデルから英国で最初に距離を置き、同時に、その決定論的な基層と上部構造の モデルや「誤った」意識の概念を持つ正統的なマルクス主義理論からも距離を置いた[1]。 「カルチュラル・スタディーズ」は、1960年代にイギリスの成人教育の代表者や、日常文化に関心を持つ文学者たちによって、また台頭しつつある大衆文化 との関連において発展した[2]。彼らは、フランクフルト学派との関連においても、ルイ・アルチュセールやアントニオ・グラムシのマルクス主義に倣い、文 化的商品の生産条件、ひいては意味のヘゲモニー的パターンを強調した。 研究は主にスチュアート・ホールの指導の下、現代文化研究センター(CCCS)の環境で行われた。その他の重要な代表者は、初期の基礎作りに貢献したエド ワード・P・トンプソンとレイモンド・ウィリアムズ、ポール・ウィリス、後にディック・ヘブディージュとアンジェラ・マクロビーで、彼ら自身も若者のサブ カルチャー、特にブリティッシュ・パンクの影響を受けている。 1980年代から今日まで 1980年代、ピエール・ブルデューとジョン・フィスクの研究や、アメリカやカナダの大学に研究の重心が移ったことで、焦点はシフトした。生産と消費が同 等の理論的価値を持つと考えられるようになったのである。1980年代から1990年代にかけての研究では、製品の流用実践を中心に据えたものが主流で あった。フランクフルト学派の文化批評では、消費者は文化産業に騙され、操られている大衆とみなされていたのとは対照的に、カルチュラル・スタディーズで は、消費者による文化的対象の創造的利用がより強く強調された。1990年代には、差異というトピックがカルチュラル・スタディーズで特に重視されるよう になった。健康科学の世界的リーダーであるマギル大学のようなトップレベルの研究機関は、自前のカルチュラル・スタディーズ研究所で初めて、ジェンダー医 学の分野で幅広い研究を行うようになった。 カルチュラル・スタディーズにおけるより最近のアプローチは、とりわけ、ジル・ドゥルーズの意味での意味づけの実践を超え、影響を通して文化を再構築する ことを目指している。文化研究は、生産、動員、影響を捉える問題となる。この動きは、覇権主義的な政治理解への批判と密接に関連し、ミシェル・フーコーに 倣って、生政治を通じた日常生活の生産に関する問題を扱う。スポーツジャーナリズムは、支配的な社会階層がヘゲモニーを生み出すのに役立つ幻想的な世界を 作り出しているため、これにはスポーツも含まれる[3]。したがって、ネオリベラリズムにおける可視性と主観性に関するトム・ホラートやマーク・ターケシ ディスの研究とも重なる部分がある。 犯罪学においても、犯罪と文化との共同作業に対する関心が高まっている。現代文化研究センター(CCCS)の古典的な若者文化研究やモラル・パニック研究 の伝統を受け継ぎ、いわゆる文化犯罪学が発展してきた。ジョック・ヤングが言うように、罪過と復讐心が研究の中心にある。この意味で、犯罪現象は日常文化 の表現として理解され、感性によって再構築される。 1990年代には、多くの実践分野でグローバル化が引き金となり、あるいは加速した社会的プロセス(移民、民族紛争、複数の文化的帰属、脱植民地化)が、 さらに新しい分析カテゴリーの分化を推し進めた。 |
Kulturwissenschaften versus
Geisteswissenschaften Seit den 1980er-Jahren steht die Bezeichnung „Kulturwissenschaften“ zudem für eine neue Selbstbeschreibung eines Großteils der in der Tradition Wilhelm Diltheys in Deutschland „Geisteswissenschaften“ genannten Disziplinen. Von den Kulturwissenschaften (im Plural), welche die Methode einzelner Geisteswissenschaften für die Untersuchung von Kultur behandeln, kann nach Hartmut Böhme die neuere Disziplin der Kulturwissenschaft als Disziplin unterschieden werden, welche zwar für die Untersuchung von Kultur auch auf die Ergebnisse der Einzelwissenschaften angewiesen ist, aber trotz allem versucht, durch Kulturreflexion und Kulturkritik übergreifende Zusammenhänge in den Blick zu bringen: „Dies unterscheidet die Kulturwissenschaft, jedenfalls in ihrer gegenwärtigen Phase, von den etablierten Geisteswissenschaften, die aufgrund ihrer hohen Spezialisierung den Kontakt zu jener Tradition weitgehend verloren haben, die Reinhart Koselleck (1973) als den für die Moderne charakteristischen Zusammenhang von ‚Kritik und Krise‘ beschrieben hat.“[4] Im Vergleich zu den Geisteswissenschaften kann die Kulturwissenschaft durch folgende Punkte unterschieden werden:[4] Einerseits nimmt sie die Verdrängung der Geisteswissenschaften durch den Nationalsozialismus zurück, andererseits schließt sie nicht unmittelbar an die deutsche Tradition der Geisteswissenschaften an, sondern nimmt auch Ideen aus den Cultural studies und Humanities mit auf. Gegenstand ihrer Untersuchung ist nicht ausschließlich die sogenannte Hochkultur, sondern sie bezieht alle Bereiche kulturellen Lebens mit ein. Aufmerksamkeit widmet sie daher allen Massenmedien (also nicht mehr nur dem Buch), da Kultur in verschiedenen Medien geschieht. Damit spielt nicht mehr nur die schriftliche Überlieferung eine zentrale Rolle, sondern alle kulturellen bildlichen Formen, d. h. performative Akte, Körperfiguren, Rituale und Habitus. Als kulturelles Gedächtnis zählt somit nicht mehr nur das Geschriebene, sondern alle Verkörperungen und Einbettungen von Kultur, die sich für ihren Erhalt ständig neu aktualisieren und einschreiben müssen. Die Kulturwissenschaft untersucht die Wanderungsbewegung der kulturellen Formen und Symbole über historische und ethnische Grenzen hinweg, wodurch zugleich ein Eurozentrismus vermieden wird. Im Anschluss an die Kultursemiotik versteht sie Kultur als Symboluniversum und textualen Zusammenhang: Die Bedeutung einzelner kultureller Momente ergibt sich immer nur im Zusammenhang mit anderen Stellen dieses Textes, Kultur ist ein Text, in dem die Kulturwissenschaft liest, aus dem sie das kulturell Bedeutsame herausliest. Typisch für die Kulturwissenschaften ist auch der Gebrauch von Begriffen wie Diskontinuität, Bruch oder Differenz anstelle der traditionellen „Kohärenzbegriffe“ wie Werk, Tradition, Geist, Mentalität oder Einfluss.[5] Kennzeichnend sind der Umschlag von Analysegegenständen (Texte, Räume, Bilder, Rituale, Kulturvergleich usw.) zu Analysekategorien (Kultur als Text, spatial turn, iconic turn, performativer Ansatz, translational turn usw.) sowie eine Metaphorisierung der Analysekategorien.[6] |
カルチュラル・スタディーズ〈対〉人文科学 1980年代以降、「カルチュラル・スタディーズ」という用語は、ドイツにおけるヴィルヘルム・ディルタイの伝統に基づき、「人文学」と呼ばれる学問分野 の大部分を新たに自己規定するものでもある。 ハルトムート・ベーメによれば、カルチュラル・スタディーズという新しい学問領域は、文化研究のための個々の人文科学分野の方法を扱うカルチュラル・スタ ディーズ(複数形)とは区別され、文化研究のための個々の科学分野の結果にも依存しながらも、文化的考察や文化批評を通じて、包括的な文脈を浮かび上がら せようとする学問領域である: このことは、少なくとも現在の段階において、カルチュラル・スタディーズを、その高度な専門性のために、ラインハルト・コゼレック(Reinhart Koselleck, 1973)が近代性の特徴である「批評と危機」の結びつきと表現した伝統との接点をほとんど失ってしまった既成の人文科学とは区別している。 "[4] 人文学との比較において、カルチュラル・スタディーズは以下の点で区別することができる[4]。 一方では、国家社会主義による人文学への抑圧を引き取り、他方では、ドイツの人文学の伝統をそのまま踏襲するのではなく、カルチュラル・スタディーズや人 文学の考え方も取り入れている。 彼女の研究の対象は、いわゆるハイカルチャーだけでなく、文化生活のあらゆる領域を含む。 したがって彼女は、文化はさまざまなメディアで行われるため、あらゆるマスメディア(つまり、もはや書物だけではない)に注意を払う。 つまり、文字による伝統だけでなく、あらゆる文化的視覚形態、すなわち演技的行為、身体像、儀式、ハビトゥスが中心的な役割を果たすのである。 したがって、文化的記憶はもはや文字に限定されるものではなく、文化のあらゆる体現や埋め込みを含み、それらは保存されるために常に更新され、再記刻され なければならない。 カルチュラル・スタディーズは、歴史的・民族的境界を越えた文化的形態やシンボルの移動を検証するものであり、ヨーロッパ中心主義を回避するものでもあ る。 個々の文化的瞬間の意味は、このテキストの他の部分との関連においてのみ現れるものであり、文化はカルチュラル・スタディーズが読み解くテキストであり、 そこから文化的に重要なものを抽出する。 また、カルチュラル・スタディーズに典型的なのは、作品、伝統、精神、メンタリティ、影響力といった伝統的な「一貫性の概念」の代わりに、不連続性、断 絶、差異といった用語を用いることである[5]。特徴的なのは、分析の対象(テクスト、空間、イメージ、儀式、文化比較など)から分析のカテゴリー(テク ストとしての文化、空間的転回、象徴的転回、パフォーマティブ・アプローチ、翻訳的転回など)への転換であり、分析のカテゴリーのメタファー化である [6]。 |
Internationaler Vergleich Insbesondere in den USA und Kanada wird in „cultural studies“ eine interdisziplinäre Fächerkombination jener Schwerpunktdisziplinen festgelegt, in denen eine wissenschaftliche Einrichtung forscht bzw. lehrt. Sogar innerhalb eines Forschungsgebietes können aufgrund der jeweiligen wissenschaftlichen Fragestellung unterschiedliche Kombinationen festgelegt sein. So wurde an der McGill-Universität ein interdisziplinäres „cultural studies“-Studium mit dem Forschungsbereich Gendermedizin und den Fächern Anthropologie, Psychologie, Kommunikationswissenschaft, Soziologie und Medizingeschichte eingerichtet. An anderen angloamerikanischen Universitäten und Forschungseinrichtungen mit beispielsweise politischen Schwerpunkten verstehen sich „cultural studies“ wiederum als dezidiert politische Wissenschaft oder auch als „Alternativ-Disziplin“, als entschiedene Parteigängerin der Popularkultur oder von Minderheitenkulturen.[7] Demgegenüber untersuchen die meisten Vertreter der deutschen Kulturwissenschaft auch politikfreie Wissensgebiete, was in der Geschichte der deutschen Kulturwissenschaft begründet ist.[8] So werden an der Fernuniversität in Hagen im Bachelorprogramm Kulturwissenschaften Geschichte, Literaturwissenschaft und Philosophie mit Betonung der handwerklich-philologischen Aspekte gelehrt. In Frankreich blieb die Kulturwissenschaft stets eng mit der Soziologie verbunden. Die russische „Kulturologie“ basiert hauptsächlich auf der Semiotik, wobei hier hauptsächlich die Tartuer (Juri Lotman) und Moskauer Schulen (Boris Uspenski) zu erwähnen sind. Michail Bachtin gehört zu ihren Vorläufern. |
国際比較 特にアメリカやカナダでは、「カルチュラル・スタディーズ」は、学術機関が研究したり教えたりする主な学問分野の学際的な組み合わせを定義している。ひと つの研究分野であっても、それぞれの研究課題に基づいて、さまざまな組み合わせが定義される。例えば、マギル大学では、ジェンダー医学という研究分野と、 人類学、心理学、コミュニケーション科学、社会学、医学史という科目との学際的な「カルチュラル・スタディーズ」プログラムを設けている。政治に重点を置 く他の英米の大学や研究機関では、例えば、カルチュラル・スタディーズは明らかに政治学として、あるいは「オルタナティブな学問」として、大衆文化やマイ ノリティ文化の支持者として捉えられている[7]。 これとは対照的に、ドイツのカルチュラル・スタディーズを代表する研究者の多くは、非政治的な知識分野も研究しており、これはドイツのカルチュラル・スタ ディーズの歴史に根ざしている[8]。例えば、ハーゲンのフェルヌン大学のカルチュラル・スタディーズ学士課程では、歴史、文学、哲学を専門的・言語学的 側面に重点を置いて教えている。 フランスでは、文化学は常に社会学と密接に結びついている。 ロシアの「文化学」は主に記号論に基づいており、タルトゥ学派(ユーリ・ロトマン)とモスクワ学派(ボリス・ウスペンスキー)は特に注目に値する。ミハイ ル・バフチンはその先駆者の一人である。 |
Kritik Friedrich Kittler kritisiert die „wunderbar vorgespielte, aber desto verlogenere wissenschaftliche Unschuld“ der Kulturwissenschaft, vor allem aber der angelsächsischen cultural studies. Statt sich im Standpunkt eines allem enthobenen Beobachters zu vermuten, fordert Kittler stattdessen „unsere eigene Wissenschaft“ als Sachverhalt „mit dessen eigenen Mitteln anzugehen.“[9] Indem er die Entstehung von Kulturwissenschaft und cultural studies historisiert, betont Kittler, dass auch die cultural studies nicht weltanschaulich neutral sind, sondern sich selbst als eine Form der gelebten Kultur erweisen. „Vor allem hat jede Theorie, die einer sogenannten Gesellschaft (und sei es zu deren sogenannter Verbesserung) dient, über ihre Grundbegriffe schon vorentschieden. Sie hält jene Leere nicht aus und offen, in deren dunklem Raum es im Gegensatz zu einer allgegenwärtigen fable convenue nie ausgemacht sein kann, daß es den Rausch und die Götter, die Tragödie und den Himmel nie und nimmer gibt. Keine Menschen, keine Gesellschaften befinden darüber, ob und wann im Geschenk des Gusses zumal Erde und Himmel, die Göttlichen und die Sterblichen weilen.“[10] Kittler hält hier dem sich neutral gebenden Wissenschaftsbetrieb zum Vergleich eine alternative Welt entgegen, wie er sie in Nietzsches Geburt der Tragödie und in Heideggers Spätphilosophie des Gevierts findet. Weder weltanschauliche Neutralität noch ein absoluter Standpunkt lassen sich für Kittler durch den Forscher herstellen, sondern werden durch die mediengeschichtliche Dynamik bestimmt, die sich der Verfügbarkeit des Menschen entzieht. Diese Erkenntnis auf sich selbst anzuwenden fordert Kittler von den cultural studies und der Kulturwissenschaft. In die entgegengesetzte Richtung zielt die konkrete methodische Kritik, wonach sich durch die Konzentration der Kulturwissenschaften auf aktuelle Diskussionsfelder wie Identität, Popularkultur, Globalisierung oder Dekolonisierung der bewährte, bei der Untersuchung der einzelnen Kulturobjekte angewandte Methodenkanon der disziplinären Geisteswissenschaften „zunehmend verflacht und in Vergessenheit geraten“ ist. Die Kulturwissenschaften seien in „Sackgassen durch Jargonbildung“ geraten. Begriffe wie Interkulturalität machten „ein ganzes Fass von Assoziationsmöglichkeiten auf“ und verstärkten den Eindruck von „Vagheit und Konturenlosigkeit kulturwissenschaftlicher Forschungen“. Als ein Ausweg wird diskutiert, das Studium einer sich als interdisziplinär verstehenden Kulturwissenschaft erst nach einer soliden disziplinären Ausbildung zu beginnen, was der Wissenschaftsrat in seinen Empfehlungen zu Lage der Geisteswissenschaften in Deutschland im Jahr 2006 vorschlug; eine andere Lösung wäre die Anreicherung der Einzeldisziplinen mit kulturwissenschaftlich-interdisziplinären Aspekten von Beginn an. Auch habe das postmoderne Aufweichen einer Gesellschaftsanalyse zugunsten der Orientierung auf die Welt der Zeichen in den Eklektizismus geführt.[11] Die neuen kulturtheoretischen Ansätze besitzen nicht mehr die Festigkeit und Kohärenz der alten Sozialtheorien wie etwa des Strukturfunktionalismus oder des Marxismus. Es handle sich vielmehr um approaches, nicht um Paradigmen im Sinne Thomas S. Kuhns, da es in den Kulturwissenschaften keine wissenschaftliche Community mehr gebe, die einen Theoriekern teilt. Die experimentellen kulturwissenschaftlichen Theorieansätze seien keinesfalls unumkehrbar;[12] immer wieder würde auf ältere Konzepte zurückgegriffen. Auch Mieke Bal, die den kritischen Impetus der Cultural Studies teilt, kritisiert ihre einseitige Parteinahme für die moderne Populärkultur sowie ihre mangelnde methodische Stringenz, die sich im Fehlen einer verbindlichen Methodik ebenso wie einer Theorie der Inter- bzw. Transdisziplinarität zeige. Sie laufe Gefahr, die Intersubjektivität dem politischen Engagement für Minderheiten unterzuordnen; ihre politischen und ethischen Ziele blieben ungeklärt.[13] Angesichts der schillernden Bedeutungsvielfalt des Kulturbegriffs gibt Wolfgang Müller-Funk dem Begriff der Kulturtheorie den Vorzug vor dem der Cultural Studies im Sinne einer „Kulturanalyse“ und besteht auf einer theoretischen Fundierung, um den Anschein einer „fröhlichen Wissenschaft“ ohne Methodenzwang im Sinne Paul Feyerabends zu vermeiden.[14] Julia Reuter und Diana Lengersdorf konstatieren eine antidisziplinäre und antiakademische Haltung der Cultural Studies.[15] Lutz Musner kritisiert die mangelnde Rückbindung der Kulturwissenschaften an das soziale Geschehen, wie er sie in seiner Studien über die Kultur der Stadt Wien und die daran geknüpften exemplarisch vorführte,[16] sowie die überhitzte Konjunktur und den selbstkritiklosen „Wandel von Theoriemoden“.[17] Doch lebt die totgesagte materiell-ökonomische Analyse immer wieder auf wie in Fredric Jamesons Rede von der Postmoderne als der cultural logic of late capitalism.[18] |
批判 フリードリヒ・キットラーは、カルチュラル・スタディーズ、とりわけアングロサクソンのカルチュラル・スタディーズの「素晴らしく見せかけられた、しか し、より狡猾な科学的無邪気さ」を批判している。キトラーは、自らをすべてから切り離された観察者であると仮定する代わりに、「私たち自身の科学」を「そ れ自身の手段を持つ」事実としてアプローチすることを求めている[9]。カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズの出現を歴史化すること で、キトラーはカルチュラル・スタディーズがイデオロギー的に中立でもなく、むしろそれ自体が生きた文化の一形態であることを証明していることを強調して いる。 「とりわけ、いわゆる社会に奉仕するあらゆる理論は(たとえそれがいわゆる社会の改善のためであったとしても)、その基本概念をすでに決定している。その 暗い空間では、遍在する寓話の道とは対照的に、酩酊と神々、悲劇と天国が決して存在しないことを明確にすることはできない。地と天、神と死すべきものが型 の贈与のなかに宿るかどうか、またいつ宿るかを決めるのは、いかなる人々でも、いかなる社会でもない」[10]。 ここでキットラーは、ニーチェの『悲劇の誕生』やハイデガーの後期広場哲学に見られるような、中立的な科学的確立と代替的な世界とを対比させている。キッ トラーにとって、イデオロギー的な中立性も絶対的な立場も研究者によって確立されるものではなく、むしろ人間の利用可能性を排除したメディアと歴史のダイ ナミズムによって決定される。キットラーは、カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズに、この認識を自らに適用することを要求している。 カルチュラル・スタディーズが、アイデンティティ、ポピュラー文化、グローバリゼーション、脱植民地化といった、現在議論されている分野に集中しているこ とは、学問的人文学において、個々の文化的対象を検討するために用いられてきた、試行錯誤を重ねた手法の規範が「ますます平板化し、忘れ去られている」こ とを意味する。カルチュラル・スタディーズは「専門用語の形成による行き詰まり」に陥っている。インターカルチュラリティのような用語は、「連想の可能性 を広げる」ものであり、「カルチュラル・スタディーズ研究の曖昧さと輪郭の欠如」という印象を強めている。一つの解決策として議論されているのは、 2006年にドイツ人文科学科学評議会がドイツの人文科学のあり方に関する提言の中で提案したように、学際的であると理解されているカルチュラル・スタ ディーズを、しっかりとした学問教育を受けた後に初めて学び始めるというものである。ポストモダンが社会分析を軟化させ、記号の世界を志向するようになっ たことも、折衷主義につながった[11]。新しい文化理論のアプローチは、構造機能主義やマルクス主義のような古い社会理論のような堅固さや一貫性をもは や持っていない。むしろ、それらはトーマス・S・クーンの意味でのパラダイムではなくアプローチであり、理論的中核を共有する科学的共同体がもはやカル チュラル・スタディーズには存在しないからである。カルチュラル・スタディーズにおける実験的な理論的アプローチは、決して不可逆的なものではない。 カルチュラル・スタディーズの批評的推進力を共有するミーケ・バルもまた、その近代大衆文化に対する一方的な党派性と方法論的厳格さの欠如を批判してい る。その政治的・倫理的目標は不明確なままである[13]。文化という概念の意味がめくるめくほど多様であることに鑑み、ヴォルフガング・ミュラー=フン クは、「文化分析」という意味でのカルチュラル・スタディーズよりも文化理論という概念を支持し、ポール・ファイヤーアーベントの意味での方法論的制約の ない「幸福な科学」の外観を避けるために、理論的基礎を主張している[14]。 Julia ReuterとDiana Lengersdorfは、カルチュラル・スタディーズの反学問的・反学問的態度を述べている[15]。 ルッツ・ムスナーは、ウィーン市の文化に関する研究とそれに関連するカルチュラル・スタディーズ[16]に例証されるように、カルチュラル・スタディーズ と社会的事象との間につながりがないこと、また過熱するブームと自己批判的な「理論的流行の変化」[17]を批判している。 しかし、フレデリック・ジェイムソンが後期資本主義の文化的論理としてポストモダニズムを語るように、死んだと宣言された物質経済学的分析は絶えず復活し ている[18]。 |
Studienorte Zahlreiche Universitäten in Deutschland bieten Studiengänge zu Kulturwissenschaften an.[19] |
学習場所 ドイツの数多くの大学が、文化研究の学位プログラムを提供している[19]。 |
https://de.wikipedia.org/wiki/Kulturwissenschaft |
★ここからは、もう附録になります。
文化学とはどんな学問なのか?
文化学という統合化された学問は現在のところ存在しません。にもかかわらず日本の多くの 大学に「文化」の名前を冠した教育組織(学系・学類・学群・学科など)が存在します。文化に対する市民の関心の高さと、多くの大学が学生に文化を学ばせる ことの意義を認識している証拠だと言えるでしょう。これだけ文化に関する教育組織があるから、それを支える公式の学問にも「文化」を冠したものがたくさん あるはずだと皆さんはお思いになるかもしれません。しかし、これらの領域において文化を冠した公式・準公式の学問は、文化人類学、カルチュラル・スタディーズ (文化研究)、文化史、文化社会学、文化経済学、国際文化学など、ほとんど数えるほどしか存在しません。
文化を定義してみよう!
ではここでは私の専門分野である文 化人類学から「文化」を定義してみたい。文化とは、人間が後天的に学ぶことが でき、集団が創造し継承している/いた認識と実践のゆるやかな体系のことである。他方で、文化の定義について考えれば、考えるほど「文化」が何をさすのか 専門家でも混乱することがある。その理由は、人々が考える文化の定義がきわめて多様であるからです。ざっくり言えば文化には決定的な定義がない、つまり決 められないという面があります。にもかかわらず「文化の定義」にかかわる議論は重要である。なぜなら、文化の定義を考えることは、人間の創造的営みの意義 とその多様性について考えることにほかならないからなのだ。したがって文化学を学ぶ意義とは、人間の文化の多様性(「複数の文化」と言う)と文化の普遍 性・共通点(「単数の文化」)を明らかにするという2つの作業からなりたちます。
なぜ、文化の学問に人気があるのか?
文化を冠する準公式学問は、まず文化人類学しかないことになります。だけど「文化」に関して 教育する大学はさまざまな学問名称を名乗っています。この理由をどのように考えるべきでしょうか。いくつかの仮説が考えられます。
期せずして結果的に総合文化学の王道(?)を歩んでしまった「文化人類学」の教育をおこなっ ている私の経験から申しましょう。つまり、この3つの仮説は大学の教育組織において、フィーバー気味の「文化を名前の一部につけたがる症候群」の原因とし ていずれもその可能性があります。だから「何となく総合文化学を学びたい!」という受験生の皆さんの気持ちは、激動する現代を生きている諸君の動機として 少数派の変わった選択では決してなく、むしろ多数派の由緒正しい選択であるということができるのです。
文化学が必要とされる現代
私は教え子たちから大学教師らしくない先生とよく言われます。それはたぶん総合文化学の基礎 学問とも言える文化人類学、その中でも医療人類学という一風変わった学問を勉強しているせいかも知れません。勉強したい分野を選ぶには、大学の先生方が言 う「これだけのことができる」という宣伝文句を信じるのではなく、その大学の先生方が「どんなことをやっているのか」ということをよく調べなさいと私は助 言します。総合文化学が学問全体の中でどのような状況にあるのか、そのことがわかれば、皆さんの総合文化学への関心もより具体的なテーマや個別学問分野に 着目し、最適の大学選択をおこなうことができるようになるでしょう。少し遠回りですが、こちらのほうが有益です。
学際科学/総合科学としての文化学
まず大学の学問が、文化系、理科系と分かれているのはご存じでしょう? じっさい高校の進学 指導は、この二つの分野に受験生を区分することからはじまります。理学部や工学部は理科系、文学や法学、経済学は文科系です。それは受験科目(数学、理 科、社会)の選択でこのように区分されているからです。ところが事実は小説より奇なりと言います。実際は、勉強は文理を分けず相互に必要なのです。例え ば、経済学や地理学では数学の知識が重要視されているどころか不可欠なものとされています。農学や工学あるいは医学部では、エンジニアの倫理、生命倫理学 や医事法学の知識が教えられるようになってきました。なぜなら、理系出身の技術者が社会の基本的な成り立ちを知らないために知らないうちに組織犯罪に手を 染めたり、倫理上のミスをすることが近年増加してきているからです。社会の仕組みをよく分からないと立派なエンジニアにはなれません。
本来、文科系理科系を問わず、このような人間が生きるための基本的な教育は高校までに教えら れるべきだと思いませんか? しかしながら、高校教育は大学 受験中心の教育に偏重しているし、多くの受験生にとっても大学が高等教育の最後の関門なので、教養を育む自分のための勉強をおこなう余裕はないことを痛感 されていると思います。
今後、社会はますます総合科学としての文化学への期待が高 まる!
そのため大学に入ってから一般教養の履修で、文科系理科系の区別無く学問をおこなうことの社 会的意味について学ぶ、ということになっているのでしょう。しかし、一般教養教育は大学教育の中でもっとも不成功に終わったシステムで、過去十数年間に多 くの教養部が廃止されたり、他の学部や大学院に吸収されてしまいました。しかしながら、実際には自然科学はバイオサイエンスやナノテクノロジーに代表され るようにどんどん進歩している反面、社会の常識すら知らない研究者が登場し、反倫理的な技術を開発したり、組織犯罪に発展するかもしれない深刻な事態は日 々増えつつあります。それどころか、情報技術の発達やテロリズムの暴発など、既存の人文科学や社会科学で解決できない新しい問題系への取り組みが要求され るようになってきました。 そこで総合文化学への期待が一気に高まってきたわけです。したがって、総合文化学を学ぶことに対して次のような期待がなされています。さまざまな社会状 況のダイナミックな変化に対して、(1)個々の社会文化現象を総合的に把握することができる、(2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言することがで きる、(3)またその中で安全で充実した人生を送るための生活実践上の技術を学ぶことができる。
関連する諸学問
では実際の総合文化学分野で、学生はどんなことを学んでいるのでしょうか。総合文化学では 「文化人類学」が中心になり、人文学の5大分野と言われる「哲学」「文学」「言語学」「歴史学」「地理学」さらには、社会科学の諸領域が統 合されたものになっています。総合文化学は、人間が創り出した有形無形を問わずほとんどあらゆる社会現象つまり「文化」が学問の対象になります。
● 練習問題(1):インターネットとその社会に及ぼす影響
■ 画像はイメージです
ここでひとつ事例を出してみよう。「インターネットを利用したツイッターやブログの利用 とそれが青年男女の生活にもたらす影響」です。ちなみにこの問題は、現在の総合文化学を学んでいる大学の多くの研究室で、学生と教師が議論をしているテー マと言えましょう。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索やネット検索(著名なサイトであるグーグルで検索すること=「ググ る」)によって、これらのサイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「リア充」「DQN」あるいは 「アンサイクロペディア」は日本の固有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
● 練習問題(2):コンビニエンスストア(=コンビニ)の研究
■ 画像はイメージです
コンビニエンスストアは、我々——とくに大学生を含む若者——の生活の 一部なるくらい「定着」しました。また各種の大学願書の請求や受験料 の振り込み窓口になるぐらい「進化」してきましたね。
このようなコンビニの利便性の向上が、我々の生活スタイルのみならず、 我々の考え方などに影響を与えていると考えるのは至極当然のことです。 コンビニのことを、もし文化人類学が調べるとするとどのようなことか ら勉強をはじめるでしょうか? たぶん次のようなことでしょう。
(a)そもそもコンビニとはなにか?(言葉の定義)
セブンイレブンやローソン(あるいは他のコンビニエンスストアチェーン名)という特 定のフランチャイズ店舗による小売 店のことでしょうか?、そうしたら、それ以外のチェーン店舗はそうでな いのでしょうか? コンビニの名前の由来、システム、歴史などについて 知らないと、コンビニそのものを研究の対象にすることができません。
(b)コンビニではなにがおこなわれているのか(実態の調査)
多種多様なサービスや人の動きなど、コンビニというひとつの店舗を中 心にそのお店がどのような人や人間の流れの中に組み込まれているのか、 その実態を知る必要があります。それは、ひろくシステム(体系)という 概念で理解することができます。文化人類学者は、社会システムという用 語で、そこに生きる人間の役割、性別、分業、モノと人の関係、お金の動 き(経済)、法律や政治との関係(マクロ権力)や細かい人間関係(ミクロ な権力関係)などに目配せをしてゆくでしょう。
(c)コンビニは我々の世界の中でどのような役割を果たしているのか (人に対する聞き取り調査)
先の実態の調査から浮かびあがるのは、コンビニという世界、つまり環境 のようなものです。しかし、そのような環境で生きている人間についての情報 が、これだけではわかりません。経営者、バイトしている人、流通業者、経営 指導する人たち、などコンビニを管理運営している人と、コンビニを利用する 消費者への直接インタビューして聞いて、それらの人たちがコンビニとどの ような関わりをもっているか調べます。文化人類学には参与観察というもの があります。自分自身がバイトして調査する方法もありますし、また企業人と して働くのであれば、仕事で知り得た秘密をどこまで公開できるのか(調査上の 守秘義務→調査研究の倫理)なども考える必要もあります。また、若者が多いからと言って 自分の身の回りの人だけを調査するだけでは不十分です。利用者の年齢分布や 性別などを考慮して、どのような意見が全体を代表するのかについてよく 考える必要があります。そのなかで、予想もしなかった事実が発見できたとき それを、どのように理論化するか、考える必要もでてくるかもしれません。
(d)コンビニ現象の文化人類学考察
コンビニのノウハウは東アジア、東南アジアをはじめとして、さまざまな ところで消費生活の中に浸透しつつあります。それらに、文化差が見られない わけがありません。コンビニの比較文化も文化人類学にとっての大きな課題です。 また、経済のグローバリゼーションとコンビニ文化や、消費生活の変化など さまざまな課題も考えられます。
このようなことをざっと考えただけでも、コンビニが文化人類学で分析でき ることがわかるでしょう。いやむしろ文化人類学はコンビニ現象を分析する 有益なルーツになるでしょう。
文献:日本からコンビニがなくな る日(池田光穂)
(付記)その後、現在(2009年4月)では、コンビニ業界はもともと親会社あるい は関連企業(ホールディングスと呼ばれる持ち株会社の系列に入る)であるスーパーマーケット業界や金融、運輸通信業などとの連携を強め、その生き残りをか けて、我々の生活の隙間の角までの消費に介入しようとしてきています。日本からコンビニがなくなるよりも、日本的生活らしさそのものが変化しているのかも しれません。
練習問題(3):出会い系サイトとその研究
■ 画像はイメージです
ちょっと古くなりましたが「インターネットを利用した出会い系サイトの利用とそれが青年 男女の生活にもたらす影響」はどうでしょうか。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索によって、出会い系サイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会 欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「出会い系サイト」は日本の固 有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
[もっと知りたい方に]
出会い系サイトについての調査研究は、政府の総務省[→リンク]にアクセスして、【出会い系サイト】+【調査】で検索をかけると、 pdf等の調査記録が見つかります。ネットに関する通信の管理運営や監督についての総務省の考え方や、出会い系サイトの実態把握などについてのデータを得 ることができます。
この学問の有用性の秘密は、文化人類学という理論がすばらしいという理由からでは なく、文化人類学が、人間の生活を経験的・実証的に分析してきたことに あります。コンビニのみらならず、文化人類学はおよそ人間の生活に関わる ことであれば、ほとんどの社会事象・文化事象についてアプローチすること ができます。それは方法論上のユニークさにあります。
文化学における芋蔓式(いもずるしき)探究法!
総合文化学は社会調査をおこなう際に、文化人類学や社会学の方法を使いますが、分析に際して は人文学の知識が総動員されます。
すなわち現代社会における人間観の考察に関しては哲学や倫理学の知識が不可欠です。青年男女 あり方をめぐる事柄は多くの場合文芸ジャンル——恋愛小説など——に登場しますから、文学の分析を通して世相の変化を調べます例えば「萌え」などの用例検 討です。
言語学は男性と女性の言葉のやりとりの中に性別による違いを明らかにしたり、言語使用の個人 差を客観的に測定することができます。
歴史的には、そもそも電子情報メディアの普及の前にはあり得なかったことですから、歴史学 (史学)は時代的変遷をチェックする際に有用です。
人文地理学の知見は、空間的分布や利用者の空間概念がネット利用でどのように変化するかを教 えてくれるでしょう。
そして、文化人類学は、文字どおり、世界のさまざまな青年男女のあり方の人類文化についての 比較資料の存在を教えてくれ、人間関係性のあり方や感情生活の変化を文化的に明らかにします。
どんな人に文化学は向いているか?
はっきり言って、文化人類学は誰でも学べる奥行きのひろい学問です。文化人類学の発祥の地ア メリカ合州国——正式名称は合衆国です、なぜ違うのか社会科の先生に聞いてみよう——は、より多くの人に文化人類学の有効性を理解してもらおうと過去百年 近く、人類学者たちが努力をしてきました。その結果、文化人類学のさまざまな知見は、人類の共通の財産として認識されるようになってきました。
総合文化学の根幹をなす文化人類学の勉強は、現代の世の中のさまざまな文化事象に、まず感動 している感受性豊かな学生に最もおすすめです。総合文化学という学問領域に属する教育制度は、その感動を、(1)総合的に把握するための知識を授け、 (2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言し、またその中で(3)安全で充実した人生を送るための生活実践上の指針をさまざまな形であなたに与えるこ とができるでしょう。総合文化学のキャンパスはあなたの生活上の何気ない感動の延長のすぐそこにあります。さあ、無限の興味と具体的な目的を持って私たち と一緒に勉強しましょう!
文化学を学べる大学の探し方
文化人類学の学問を教えたり、研究をしている先生のいる学部名や学科名には次のようなものが あります。
■ 大学選びよりももう先に文化人類学のマインドをもって大学(リンク先は大学院)の勉強をオンラインで、しちゃおう!
★著者紹介:池田光穂(いけだ・みつほ)先 生
別名:垂水源之介先生
憂歌団 おそうじおばちゃん(まぁ、これを聞いてくれ〜♪ )
★クレジット:「何を学ぶか(文化学分野)」【本ページはその改造版】『全国大学学部・学科案内号』蛍雪時代
2003〜2023年4月臨時増刊
号(毎年更新掲載中)、旺文社.
おさらいと質問コーナー
文化学
Cultural Studies/Cultural Anthropology and related disciplines for young students
解説:池田光穂
文 化学とはどんな学問なの?
文化学とは、人間の人間らしさは、人間が生み出しつ たえていっている「文化」だという認識や確信にもとづいて、これまで言われてきた(=研究されて きた)「文化」について理論的に研究するのみならず、キャンパスの外の社会に出て、ひろく「文化 現象」について知り、学び、問いかけ、記録して、人間の文化の歴史的変化、社会的階層性、そして文化の多様性のあり方について考察する学問です。
文化学を研究する学問には、文化人類学、文化社会学、カ ルチュラルスタディーズ、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、 文学、言語学、などが含まれます(下記を参照)
文 化学をまなぶと は、 どんな勉強をすることなのでしょうか?
文化学には、教室で授業をうけたりする座学(デスクワークやデスクで学ぶ学問)のほかに、調
査実習などで、キャンパスの外にでかけ、人びとにインタビューをしたり、訪問したり、あるいは、一緒に活動に参加したりするフィールドワークという勉強の2つにわかれます。勉強がすすんでいくにつれて、フィールドワークの比重が高くなります。最近では、問題に基づく学習(PBL)と
か、プロジェクトに基づく学習(PjBL)など、フィールドワークを成功するために、机上の
実践演習などをとおして、フィール
ドワークの事前研修などもあります。座学も、純粋に知識や理論を学ぶ勉強から、
フィールドワークで使う方法論の勉強、実際のフィールドワークの試験的実施(パイロットスタディ)、そして、フィールドワークに関する研究倫理、学問の歴史=学説史、などを学んで、はじめ
て、指導者のもとで、キャンパスのなかで調査研究をおこないます。
文 化学を学んだ人の 卒業後の進路は?
文化に関する幅広い教養が身につきます。そ
のため、事務職では総合職などを中心に、現業で
は、金融、コンサルテーション、営業、旅行・観光業(→「観光研究/観光人類学」)、
接客対応、などさまざま分野が開けています。文化学を学んだ学生に期待されるのは、社会の文化に対する深い見識をもっているので、新しい職場という社会環
境に適応する能力が、他の領域の履修者よりも高いことが期待されます。人と出会い、話し合ったり、一緒に活動したりすることが好きな人に向いています。
大 学院に進学したい のですが?
4年間で「文化」に関する幅広い知識が得られるために——リベラルアーツの教養といいます——4年後に、文 化人類学、文化社会学、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、文学、言語学のそれぞれの専攻分野に進学しようとする人もいま す。ただし、それぞれの専攻領域での勉強が足りませんので、すくなくとも3年次に進級する時点では、指導教員の先生(教授)と相談して、それぞれの専攻分 野の研究者や、行きたい大学院に関する情報収集をしておくのがよいでしょう。大学院入試では、そのような専攻分野の「基礎知識」を事前に知っていることが 重要です。また、日本の文化学関連の学問は、高い語学の能力や対人コミュニケーション能力は、フィールドワークの際に、力を発揮します。したがって、大学 入学以前から、英語+他の外国語能力をつけておくことが重要です。日本への留学生は、日本語の能力+英語の能力を磨いておくことは重要です。その理由は、 大学院はもちろんのこと、大学の学部教育でも英語による授業がこれからどしどし増えていく傾向があるかです。
以下は、細かい解説です。興味のある生徒はよんでください。
Culturology or
the science of
culture is a branch of the social sciences concerned with the
scientific understanding, description, analysis, and prediction of
cultures as a whole. While ethnology and anthropology studied different
cultural practices, such studies included diverse aspects:
sociological, psychological, etc., and the need was recognized [by
whom?] for a discipline focused exclusively on cultural aspects.[1] |
文化学(culturology)または文化
の科学(science of culture)は、文化全体を科学的に理解し、記述し、分析し、予測することを目的とする社会科学の一分野である。民族学や人類学はさまざまな
文化的慣習を研究していたが、そうした研究には社会学的、心理学的など多様な側面が含ま
れており、文化的側面にのみ焦点を当てた学問分野の必要性が[誰によって]認識された[1]。 |
In Russia The notion of culturology (Russian: культурология), as an interdisciplinary branch of the humanities, may be traced in the Soviet Union to the late 1960s and associated with the work of Mikhail Bakhtin, Aleksei Losev, Sergey Averintsev, Georgy Gachev, Juri Lotman, Vyacheslav Ivanov, Vladimir Toporov, Edward Markarian, and others.[2] This kind of research challenged Marxist socio-political approach to culture. Between 1980 and 1990, culturology received official recognition in Russia and was legalized as a form of science and a subject of study for institutions of higher learning. After the dissolution of the Soviet Union, it was introduced into the Higher Attestation Commission's list of specialties for which scientific degrees may be awarded in Russia and is now a subject of study during the first year at institutions of higher education and in secondary schools.[3] Defined as the study of human cultures, their integral systems, and their influence on human behavior, it may be formally compared to the Western discipline of cultural studies, although it has a number of important distinctions. Over past decades the following basic cultural schools were formed: philosophy of culture (A. Arnold, G. V. Drach, N. S. Zlobin, M. S. Kagan, V. M. Mezhuyev, Y. N. Solonin, M. B. Turov and others) theory of culture (B. S. Yerasov, A. S. Karmin, V. A. Lukov, A. A. Pelipenko, E. V Sokolov, A. Ya. Fliyer and others), cultural history (S. N. Ikonnikova, I. V. Kondakov, E. A. Shulepova, I. G. Yakovenko and others), sociology of culture (I. Akhiezer, L. G. Ionin, L. N. Kogan, A. I. Shendrik and others), cultural anthropology (A. A. Belik, Ye. A. Orlova, A. S. Orlov-Kretschmer, Yu. M.. Reznik and others), applied cultural studies (O. Astaf'eva, I. M. Bykhovskaya and others), cultural studies art (K. E. Razlogov, N. A. Hrenov and others), semiotics of culture (Juri Lotman, V. N. Toporov, V. V. Ivanov, E. M. Meletinsky and others), cultural education (G. I. Zvereva, A. I. Kravchenko, T. F. Kuznetsova, L. M. Mosolova and others).[citation needed] From 1992, research was started by the Russian Institute for Cultural Research. Today, along the line of the central office located in Moscow, three branches of RIC have been opened – Siberian (opened in 1993 in Omsk), St. Petersburg Department (opened in 1997) and the Southern Branch (opened in 2012 in Krasnodar). Culturology studies at Moscow Lomonosov University In 1990, at the faculty of philosophy, a chair of the history and theory of world culture was created. Many prominent Soviet and Russian scholars like V. V. Ivanov, S. S. Averintsev, A. Y. Gurevich, M. L. Gasparov, G. S. Knabe, E. M. Miletinskiy, V. N. Romanov, T. V. Vasilyeva, N. V. Braginskaya, V. V. Bibikhin, Alexander Dobrokhotov have worked there.[4] Yuri Rozhdestvensky founded a school of Culturology at the Department of Language Studies of Moscow Lomonosov University. Rozhdestvensky's approach to the development of culture (accumulation and mutual influence of layers) can be compared to the approach used in media ecology.[citation needed] |
ロシア 文化学(ロシア語:культурология)という概念は、人文学の学際的な一分野として、ソ連では1960年代後半まで遡ることができ、ミハイル・ バフチン、アレクセイ・ロセフ、セルゲイ・アヴェリンツェフ、ゲオルギー・ガチョフ、ジュリ・ロトマン、ヴャチェスラフ・イヴァノフ、ウラジーミル・トポ ロフ、エドワード・マルカリアンなどの研究に関連している[2]。 1980年から1990年にかけて、文化学はロシアで公式に認められ、科学の一形態として、また高等教育機関の研究科目として法制化された。ソビエト連邦 の解体後、ロシアで科学的学位を授与することができる高等認証委員会の専門分野リストに導入され、現在では高等教育機関および中等学校の1年次に学習する 科目となっている[3]。人間の文化、その統合システム、およびそれらが人間の行動に及ぼす影響の研究として定義され、西洋の文化研究の学問分野と形式的 に比較することができるが、多くの重要な相違点がある。 過去数十年の間に、以下のような基本的な文化学派が形成された: 文化哲学(A.アーノルド、G.V.ドラハ、N.S.ズロビン、M.S.カガン、V.M.メジュエフ、Y.N.ソロニン、M.B.トゥーロフなど) 文化論(B. S. イェラソフ、A. S. カルミン、V. A. ルコフ、A. A. ペリペンコ、E. V. ソコロフ、A. Ya. Fliyerほか)、 文化史(S.N.イコニコワ、I.V.コンダコフ、E.A.シュレポワ、I.G.ヤコヴェンコなど)、 文化社会学(I. Akhiezer、L. G. Ionin、L. N. Kogan、A. I. Shendrikなど)、 文化人類学(A. A. Belik、Ye. A.オルロワ、A.S.オルロフ=クレッチマー、Yu. M.. Reznikなど)、 応用文化研究(O. Astaf'eva、I. M. Bykhovskayaなど)、 文化芸術学(K.E.ラズロゴフ、N.A.フレノフなど)、 文化の記号論(ジュリ・ロトマン、V.N.トポロフ、V.V.イワノフ、E.M.メレチンスキーなど)、 文化教育(G.I.ズヴェレワ、A.I.クラフチェンコ、T.F.クズネツォワ、L.M.モソロワなど)[要出典]。 1992年からは、ロシア文化研究所によって研究が開始された。現在、モスクワにある中央研究所のラインに沿って、シベリア支部(1993年にオムスクに 開設)、サンクトペテルブルク支部(1997年に開設)、南部支部(2012年にクラスノダールに開設)の3つの支部が開設されている。 モスクワ・ロモノーソフ大学で文化学を学ぶ 1990年、哲学部に世界文化史・理論講座が開設された。V.V.イワノフ、S.S.アヴェリンツェフ、A.Y.グレビッチ、M.L.ガスパロフ、 G.S.クナーベ、E.M.ミレチンスキー、V.N.ロマノフ、T.V.ワシーリエワ、N.V.ブラギンスカヤ、V.V.ビビヒン、アレクサンドル・ドブ ロホトフなど、多くの著名なソ連・ロシアの学者がそこで研究を行ってきた[4]。 ユーリ・ロジデストヴェンスキーは、モスクワ・ロモノーソフ大学言語学部に文化学部を設立した。文化の発展に対するロジデストヴェンスキーのアプローチ (層の蓄積と相互影響)は、メディア生態学で用いられているアプローチと比較することができる[要出典]。 |
Other uses In Anglophone contemporary social sciences the word culturology was coined by American anthropologist Leslie White, who defined it as a field of science dedicated to the study of culture and cultural systems.[5][6] White notices that culturology was earlier known as "science of culture" as defined by English anthropologist Edward Burnett Tylor in his book 1872 Primitive Culture.[1] White also notices that he introduced this term in 1939 and for the first time the term appeared in English dictionaries in 1954. He also remarks that the corresponding German term Kulturwissenschaft was introduced by Wilhelm Ostwald in 1909.[1] Following White, philosopher of science Mario Bunge defined culturology as the sociological, economic, political, and historical study of concrete cultural systems. "Synchronic culturology" is said to coincide with the anthropology, sociology, economics, and political ideology of cultures. By contrast, "diachronic culturology" is a component of history. According to Bunge, "scientific culturology" also differs from traditional cultural studies as the latter are often the work of idealist literary critics or pseudo-philosophers ignorant of the scientific method and incompetent in the study of social facts and concrete social systems.[7] Bunge's systemic and materialist approach to the study of culture has given birth to a variety of new fields of research in the social sciences. Fabrice Rivault, for instance, was the first scholar to formalize and propose international political culturology as a subfield of international relations in order to understand the global cultural system, as well as its numerous subsystems, and explain how cultural variables interact with politics and economics to impact world affairs.[8] This scientific approach differs radically from culturalism, constructivism, and cultural postmodernism because it is based on logic, empiricism, systemism, and emergent materialism.[9] International political culturology is being studied by scholars around the world.[10][11] |
その他の用法 英語圏の現代社会科学において、カルトゥロロジーという言葉はアメリカの人類学者レスリー・ホ ワイトによって作られたものであり、彼はカルトゥロロジーを 文化と文化システムの研究に特化した科学分野と定義した[5][6]。ホワイトは、カルトゥロロジーがそれ以前はイギリスの人類学者エドワード・バーネッ ト・タイラーがその著書『1872 Primitive Culture』において定義した「文化の科学」として知られていたことに注目している[1]。彼はまた、対応するドイツ語の Kulturwissenschaftと いう用語が1909年にヴィルヘルム・オストヴァルトによって紹介されたことを指摘している[1]。 ホワイトに続き、科学哲学者のマリオ・ブンゲは文化学を具体的な文化システムの社会学的、経済学的、政治学的、歴史学的研究であると定義した。「共時的文 化学」は、文化の人類学、社会学、経済学、政治思想と一致するとされる。対照的に、「通時的文化学」は歴史学の一部である。ブンゲによれば、「科学的文化 学」は伝統的な文化研究とも異なっており、後者はしばしば科学的方法を知らず、社会的事実や具体的な社会システムの研究に無能な観念論的な文芸批評家や似 非哲学者の仕事である[7]。 文化研究に対するブンゲの体系的で唯物論的なアプローチは、社会科学における様々な新しい研究分野を生み出した。例えば、ファブリス・リヴォーは、グロー バルな文化システムとその数多くのサブシステムを理解し、文化的変数が政治や経済とどのように相互作用して世界情勢に影響を与えるかを説明するために、国 際政治文化学を国際関係論のサブフィールドとして公式に提唱した最初の学者である。 [この科学的アプローチは、論理、経験主義、体系主義、創発的唯物論に基づいているため、文化主義、構成主義、文化的ポストモダニズムとは根本的に異なっ ている[9]。国際政治文化学は世界中の学者によって研究されている[10][11]。 |
Cultural studies Ethnology Cultural anthropology |
文
化研究(カルチュラル・スタディーズ) 民族学 文化人類学 |
https://en.wikipedia.org/wiki/Culturology |
|
Kulturwissenschaft
(englisch Cultural studies) erforscht die materielle und symbolische
Dimension von Kulturen. Sie vereinigt die kulturellen Aspekte von
Anthropologie, Geschichts-, Kunst-, Musik-, Literatur-, Theater-,
Film-, Medien-, Kommunikations-, Sport-, Spiel- und Sprachwissenschaft
sowie Philosophie, Ethnologie etc. in unterschiedlichen Kombinationen
und bildet somit eine schnittmengenreiche Schwesterdisziplin vieler
Geisteswissenschaften. In Teilen beziehen sich Kulturwissenschaften
auch auf Sozial-, Wirtschafts- und Humanwissenschaften. Die
Kulturwissenschaften stellen somit einen stark interdisziplinär
ausgerichteten Forschungsbereich dar. Kulturwissenschaft wird in Deutschland je nach Institutionalisierung stärker als empirische Kulturwissenschaft (Ethnologie, Volkskunde) oder aber als historische Kulturwissenschaft (Kulturwissenschaft, Kulturgeschichte) gelehrt. |
カ
ルチュラル・スタディーズは、
文化の物質的・象徴的側面を研究する。人類学、歴史学、芸術、音楽、文学、演劇、映画、メディア、コミュニケーション、スポーツ、ゲーム、言語学、哲学、
民族学などの文化的側面をさまざまな組み合わせで統合し、多くの人文学の学際的姉妹分野を形成している。部分的には、カルチュラル・スタディーズは社会科
学、経済学、人文科学とも関連している。したがって、カルチュラル・スタディーズは学際的な研究分野といえる。 ドイツにおける文化研究は、その制度化によって、経験的文化研究(民族学、民俗学)として、あるいは歴史的文化研究(カルチュラル・スタディーズ、文化 史)として教えられている。 |
Geschichte Anfänge Kulturwissenschaft als eigenständige Disziplin entwickelte sich in Deutschland seit den 1920er-Jahren aus der Kulturphilosophie (Georg Simmel, Ernst Cassirer) und Kulturgeschichte, der historischen und philosophischen Anthropologie, Soziologie (Max Weber, Ferdinand Tönnies) und Kunstgeschichte (Aby Warburg). Auf Betreiben der Nationalsozialisten wurde 1934 die zuvor ausschließlich der kunsthistorischen Forschung gewidmete, nach ihrer jüdischen Stifterin Henriette Hertz benannte, Bibliotheca Hertziana in Rom umbenannt in „Kaiser-Wilhelm-Institut für Kunst- und Kulturwissenschaft“, wobei nach dem Willen der Nationalsozialisten wichtigste Aufgabe der neuen kulturwissenschaftlichen Abteilung war, deutsche Kultur und „deutschen Geist“ im faschistischen Italien zu vermitteln. 1960er-Jahre Seit den 1960er-Jahren hat die Kulturwissenschaft unter dem angelsächsischen Begriff „Cultural studies“ als fächerübergreifender Forschungsansatz, der die Bedeutung von Kultur als Alltagspraxis zu ergründen versucht, international an Bedeutung gewonnen. Stuart Hall (Soziologe) sieht ihre Entstehung in engem Zusammenhang mit der der Neuen Linken (New Left) um 1956, die zuerst in Großbritannien vom sowjetischen Modell des Kommunismus und zugleich von der orthodoxen marxistischen Theorie mit ihrem deterministischen Modell von Basis und Überbau und ihrem Konzept des „falschen“ Bewusstseins Abstand nahm.[1] Als Jamaikaner kritisierte Stuart Hall auch den Eurozentrismus der „alten“ Linken. „Cultural studies“ wurden in den 1960er-Jahren von Vertretern der britischen Erwachsenenbildung und Literaturwissenschaftlern mit Interesse an Alltagskultur und auch im Zusammenhang mit der aufkommenden Popularkultur entwickelt.[2] Sie betonten, auch in Anlehnung an die Frankfurter Schule, die Produktionsbedingungen von kulturellen Gütern und damit auch hegemonialen Bedeutungsmustern in Anlehnung an den Marxismus Louis Althussers und Antonio Gramscis. Die Forschung fand vor allem im Umfeld des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) unter der Leitung von Stuart Hall statt. Weitere wichtige Vertreter sind Edward P. Thompson sowie Raymond Williams, der die frühen Grundlagen mit erarbeitete, Paul Willis und später die selbst von der Jugendsubkultur, besonders dem britischen Punk geprägten Dick Hebdige und Angela McRobbie. 1980er-Jahre bis heute Mit den Forschungen von Pierre Bourdieu, aber auch John Fiske und der Verlagerung des Schwerpunkts der Forschung an US-amerikanische und kanadische Universitäten verschob sich der Fokus in den 1980er-Jahren. Produktion und Konsumtion werden nun theoretisch als gleichwertig betrachtet. In den Studien der 1980er- und 1990er-Jahre überwiegen jene, die die Aneignungspraktiken der Produkte in den Mittelpunkt stellen. Im Gegensatz zur Kulturkritik der Frankfurter Schule, in der die Konsumenten als von der Kulturindustrie betrogene und manipulierte Masse betrachtet werden, betonen die Cultural Studies stärker den kreativen Umgang der Konsumenten mit kulturellen Gegenständen. In den 1990er-Jahren wurde besonders das Thema Differenz ein Schwerpunkt der Cultural Studies. Spitzeninstitutionen, wie beispielsweise die in Gesundheitswissenschaften weltweit führende McGill University, begannen an eigenen Cultural Studies-Instituten erstmals breit auf dem Gebiet der Gendermedizin zu forschen. Neuere Ansätze der „cultural studies“ zielen unter anderem darauf ab, jenseits von signifizierenden ("signifying") Praktiken Kultur durch Affekte im Sinne von Gilles Deleuze zu rekonstruieren. Das Studium der Kultur wird zu einer Frage des Erfassens von Produktion, Mobilisierung und Affekt. Diese Bewegung geht mit einer Kritik am hegemonialen Verständnis von Politik einher und beschäftigt sich in Anschluss an Michel Foucault mit Fragen der Produktion des Alltagslebens durch Biopolitik. Hierzu gehört u. a. der Sport, da durch den Sportjournalismus eine Scheinwelt erzeugt wird, die dominierenden Gesellschaftsschichten hilft, Hegemonie zu erzeugen.[3] Demnach bestehen einige Überschneidungen zu den Forschungen von Tom Holert und Mark Terkessidis zur Sichtbarkeit und Subjektivität im Neoliberalismus. Auch in der Kriminologie lässt sich ein gewachsenes Interesse an einer gemeinsamen Artikulation von Kriminalität und Kultur feststellen. In der Tradition der klassischen Jugendkultur-Forschungen des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) oder Studien zu moralischen Paniken hat sich die sogenannte Cultural Criminology entwickelt. Im Zentrum der Fragestellung stehen, wie Jock Young es formulierte, Transgression und Rachsucht. Das Phänomen Kriminalität wird in diesem Sinne als Ausdruck der Alltagskultur verstanden und durch Sensibilitäten rekonstruiert. In den 1990er Jahren drängten die durch die Globalisierung ausgelösten oder beschleunigten sozialen Prozesse in vielen Praxisfeldern (Migration, ethnische Konflikte, kulturelle Mehrfachzugehörigkeiten, Entkolonialisierung) auf Ausdifferenzierung weiterer neuer Analysekategorien. |
歴史 始まり 1920年代以降のドイツでは、文化哲学(ゲオルク・ジンメル、エルンスト・カッシーラー)、文化史、歴史哲学的人類学、社会学(マックス・ヴェーバー、 フェルディナント・テニエス)、美術史(アビー・ヴァールブルク)などが、独立した学問分野としてカルチュラル・スタディーズを発展させた。 1934年、国家社会主義者の煽動により、それまで美術史研究のみに特化し、ユダヤ人後援者ヘンリエッテ・ヘルツの名を冠していたローマのヘルツィアーナ 図書館は、「カイザー・ヴィルヘルム芸術文化研究所」と改名され、国家社会主義者の意志により、新しい文化研究部門の最も重要な任務は、ファシズム下のイ タリアにおいてドイツ文化と「ドイツ精神」を伝えることであった。 1960s 1960年代以降、カルチュラル・スタディーズは、日常的な実践としての文化の意義を探求しようとする学際的な研究アプローチとして、アングロサクソン系 の「カルチュラル・スタディーズ」という用語の下で国際的な重要性を獲得した。スチュアート・ホール(社会学者)は、その出現を1956年前後の新左翼の それと密接な関係があると見ている。スチュアート・ホールは、ソ連の共産主義モデルから英国で最初に距離を置き、同時に、その決定論的な基層と上部構造の モデルや「誤った」意識の概念を持つ正統的なマルクス主義理論からも距離を置いた[1]。 「カルチュラル・スタディーズ」は、1960年代にイギリスの成人教育の代表者や、日常文化に関心を持つ文学者たちによって、また台頭しつつある大衆文化 との関連において発展した[2]。彼らは、フランクフルト学派との関連においても、ルイ・アルチュセールやアントニオ・グラムシのマルクス主義に倣い、文 化的商品の生産条件、ひいては意味のヘゲモニー的パターンを強調した。 研究は主にスチュアート・ホールの指導の下、現代文化研究センター(CCCS)の環境で行われた。その他の重要な代表者は、初期の基礎作りに貢献したエド ワード・P・トンプソンとレイモンド・ウィリアムズ、ポール・ウィリス、後にディック・ヘブディージュとアンジェラ・マクロビーで、彼ら自身も若者のサブ カルチャー、特にブリティッシュ・パンクの影響を受けている。 1980年代から今日まで 1980年代、ピエール・ブルデューとジョン・フィスクの研究や、アメリカやカナダの大学に研究の重心が移ったことで、焦点はシフトした。生産と消費が同 等の理論的価値を持つと考えられるようになったのである。1980年代から1990年代にかけての研究では、製品の流用実践を中心に据えたものが主流で あった。フランクフルト学派の文化批評では、消費者は文化産業に騙され、操られている大衆とみなされていたのとは対照的に、カルチュラル・スタディーズで は、消費者による文化的対象の創造的利用がより強く強調された。1990年代には、差異というトピックがカルチュラル・スタディーズで特に重視されるよう になった。健康科学の世界的リーダーであるマギル大学のようなトップレベルの研究機関は、自前のカルチュラル・スタディーズ研究所で初めて、ジェンダー医 学の分野で幅広い研究を行うようになった。 カルチュラル・スタディーズにおけるより最近のアプローチは、とりわけ、ジル・ドゥルーズの意味での意味づけの実践を超え、影響を通して文化を再構築する ことを目指している。文化研究は、生産、動員、影響を捉える問題となる。この動きは、覇権主義的な政治理解への批判と密接に関連し、ミシェル・フーコーに 倣って、生政治を通じた日常生活の生産に関する問題を扱う。スポーツジャーナリズムは、支配的な社会階層がヘゲモニーを生み出すのに役立つ幻想的な世界を 作り出しているため、これにはスポーツも含まれる[3]。したがって、ネオリベラリズムにおける可視性と主観性に関するトム・ホラートやマーク・ターケシ ディスの研究とも重なる部分がある。 犯罪学においても、犯罪と文化との共同作業に対する関心が高まっている。現代文化研究センター(CCCS)の古典的な若者文化研究やモラル・パニック研究 の伝統を受け継ぎ、いわゆる文化犯罪学が発展してきた。ジョック・ヤングが言うように、罪過と復讐心が研究の中心にある。この意味で、犯罪現象は日常文化 の表現として理解され、感性によって再構築される。 1990年代には、多くの実践分野でグローバル化が引き金となり、あるいは加速した社会的プロセス(移民、民族紛争、複数の文化的帰属、脱植民地化)が、 さらに新しい分析カテゴリーの分化を推し進めた。 |
Kulturwissenschaften versus
Geisteswissenschaften Seit den 1980er-Jahren steht die Bezeichnung „Kulturwissenschaften“ zudem für eine neue Selbstbeschreibung eines Großteils der in der Tradition Wilhelm Diltheys in Deutschland „Geisteswissenschaften“ genannten Disziplinen. Von den Kulturwissenschaften (im Plural), welche die Methode einzelner Geisteswissenschaften für die Untersuchung von Kultur behandeln, kann nach Hartmut Böhme die neuere Disziplin der Kulturwissenschaft als Disziplin unterschieden werden, welche zwar für die Untersuchung von Kultur auch auf die Ergebnisse der Einzelwissenschaften angewiesen ist, aber trotz allem versucht, durch Kulturreflexion und Kulturkritik übergreifende Zusammenhänge in den Blick zu bringen: „Dies unterscheidet die Kulturwissenschaft, jedenfalls in ihrer gegenwärtigen Phase, von den etablierten Geisteswissenschaften, die aufgrund ihrer hohen Spezialisierung den Kontakt zu jener Tradition weitgehend verloren haben, die Reinhart Koselleck (1973) als den für die Moderne charakteristischen Zusammenhang von ‚Kritik und Krise‘ beschrieben hat.“[4] Im Vergleich zu den Geisteswissenschaften kann die Kulturwissenschaft durch folgende Punkte unterschieden werden:[4] Einerseits nimmt sie die Verdrängung der Geisteswissenschaften durch den Nationalsozialismus zurück, andererseits schließt sie nicht unmittelbar an die deutsche Tradition der Geisteswissenschaften an, sondern nimmt auch Ideen aus den Cultural studies und Humanities mit auf. Gegenstand ihrer Untersuchung ist nicht ausschließlich die sogenannte Hochkultur, sondern sie bezieht alle Bereiche kulturellen Lebens mit ein. Aufmerksamkeit widmet sie daher allen Massenmedien (also nicht mehr nur dem Buch), da Kultur in verschiedenen Medien geschieht. Damit spielt nicht mehr nur die schriftliche Überlieferung eine zentrale Rolle, sondern alle kulturellen bildlichen Formen, d. h. performative Akte, Körperfiguren, Rituale und Habitus. Als kulturelles Gedächtnis zählt somit nicht mehr nur das Geschriebene, sondern alle Verkörperungen und Einbettungen von Kultur, die sich für ihren Erhalt ständig neu aktualisieren und einschreiben müssen. Die Kulturwissenschaft untersucht die Wanderungsbewegung der kulturellen Formen und Symbole über historische und ethnische Grenzen hinweg, wodurch zugleich ein Eurozentrismus vermieden wird. Im Anschluss an die Kultursemiotik versteht sie Kultur als Symboluniversum und textualen Zusammenhang: Die Bedeutung einzelner kultureller Momente ergibt sich immer nur im Zusammenhang mit anderen Stellen dieses Textes, Kultur ist ein Text, in dem die Kulturwissenschaft liest, aus dem sie das kulturell Bedeutsame herausliest. Typisch für die Kulturwissenschaften ist auch der Gebrauch von Begriffen wie Diskontinuität, Bruch oder Differenz anstelle der traditionellen „Kohärenzbegriffe“ wie Werk, Tradition, Geist, Mentalität oder Einfluss.[5] Kennzeichnend sind der Umschlag von Analysegegenständen (Texte, Räume, Bilder, Rituale, Kulturvergleich usw.) zu Analysekategorien (Kultur als Text, spatial turn, iconic turn, performativer Ansatz, translational turn usw.) sowie eine Metaphorisierung der Analysekategorien.[6] |
カルチュラル・スタディーズ〈対〉人文科学 1980年代以降、「カルチュラル・スタディーズ」という用語は、ドイツにおけるヴィルヘルム・ディルタイの伝統に基づき、「人文学」と呼ばれる学問分野 の大部分を新たに自己規定するものでもある。 ハルトムート・ベーメによれば、カルチュラル・スタディーズという新しい学問領域は、文化研究のための個々の人文科学分野の方法を扱うカルチュラル・スタ ディーズ(複数形)とは区別され、文化研究のための個々の科学分野の結果にも依存しながらも、文化的考察や文化批評を通じて、包括的な文脈を浮かび上がら せようとする学問領域である: このことは、少なくとも現在の段階において、カルチュラル・スタディーズを、その高度な専門性のために、ラインハルト・コゼレック(Reinhart Koselleck, 1973)が近代性の特徴である「批評と危機」の結びつきと表現した伝統との接点をほとんど失ってしまった既成の人文科学とは区別している。 "[4] 人文学との比較において、カルチュラル・スタディーズは以下の点で区別することができる[4]。 一方では、国家社会主義による人文学への抑圧を引き取り、他方では、ドイツの人文学の伝統をそのまま踏襲するのではなく、カルチュラル・スタディーズや人 文学の考え方も取り入れている。 彼女の研究の対象は、いわゆるハイカルチャーだけでなく、文化生活のあらゆる領域を含む。 したがって彼女は、文化はさまざまなメディアで行われるため、あらゆるマスメディア(つまり、もはや書物だけではない)に注意を払う。 つまり、文字による伝統だけでなく、あらゆる文化的視覚形態、すなわち演技的行為、身体像、儀式、ハビトゥスが中心的な役割を果たすのである。 したがって、文化的記憶はもはや文字に限定されるものではなく、文化のあらゆる体現や埋め込みを含み、それらは保存されるために常に更新され、再記刻され なければならない。 カルチュラル・スタディーズは、歴史的・民族的境界を越えた文化的形態やシンボルの移動を検証するものであり、ヨーロッパ中心主義を回避するものでもあ る。 個々の文化的瞬間の意味は、このテキストの他の部分との関連においてのみ現れるものであり、文化はカルチュラル・スタディーズが読み解くテキストであり、 そこから文化的に重要なものを抽出する。 また、カルチュラル・スタディーズに典型的なのは、作品、伝統、精神、メンタリティ、影響力といった伝統的な「一貫性の概念」の代わりに、不連続性、断 絶、差異といった用語を用いることである[5]。特徴的なのは、分析の対象(テクスト、空間、イメージ、儀式、文化比較など)から分析のカテゴリー(テク ストとしての文化、空間的転回、象徴的転回、パフォーマティブ・アプローチ、翻訳的転回など)への転換であり、分析のカテゴリーのメタファー化である [6]。 |
Internationaler Vergleich Insbesondere in den USA und Kanada wird in „cultural studies“ eine interdisziplinäre Fächerkombination jener Schwerpunktdisziplinen festgelegt, in denen eine wissenschaftliche Einrichtung forscht bzw. lehrt. Sogar innerhalb eines Forschungsgebietes können aufgrund der jeweiligen wissenschaftlichen Fragestellung unterschiedliche Kombinationen festgelegt sein. So wurde an der McGill-Universität ein interdisziplinäres „cultural studies“-Studium mit dem Forschungsbereich Gendermedizin und den Fächern Anthropologie, Psychologie, Kommunikationswissenschaft, Soziologie und Medizingeschichte eingerichtet. An anderen angloamerikanischen Universitäten und Forschungseinrichtungen mit beispielsweise politischen Schwerpunkten verstehen sich „cultural studies“ wiederum als dezidiert politische Wissenschaft oder auch als „Alternativ-Disziplin“, als entschiedene Parteigängerin der Popularkultur oder von Minderheitenkulturen.[7] Demgegenüber untersuchen die meisten Vertreter der deutschen Kulturwissenschaft auch politikfreie Wissensgebiete, was in der Geschichte der deutschen Kulturwissenschaft begründet ist.[8] So werden an der Fernuniversität in Hagen im Bachelorprogramm Kulturwissenschaften Geschichte, Literaturwissenschaft und Philosophie mit Betonung der handwerklich-philologischen Aspekte gelehrt. In Frankreich blieb die Kulturwissenschaft stets eng mit der Soziologie verbunden. Die russische „Kulturologie“ basiert hauptsächlich auf der Semiotik, wobei hier hauptsächlich die Tartuer (Juri Lotman) und Moskauer Schulen (Boris Uspenski) zu erwähnen sind. Michail Bachtin gehört zu ihren Vorläufern. |
国際比較 特にアメリカやカナダでは、「カルチュラル・スタディーズ」は、学術機関が研究したり教えたりする主な学問分野の学際的な組み合わせを定義している。ひと つの研究分野であっても、それぞれの研究課題に基づいて、さまざまな組み合わせが定義される。例えば、マギル大学では、ジェンダー医学という研究分野と、 人類学、心理学、コミュニケーション科学、社会学、医学史という科目との学際的な「カルチュラル・スタディーズ」プログラムを設けている。政治に重点を置 く他の英米の大学や研究機関では、例えば、カルチュラル・スタディーズは明らかに政治学として、あるいは「オルタナティブな学問」として、大衆文化やマイ ノリティ文化の支持者として捉えられている[7]。 これとは対照的に、ドイツのカルチュラル・スタディーズを代表する研究者の多くは、非政治的な知識分野も研究しており、これはドイツのカルチュラル・スタ ディーズの歴史に根ざしている[8]。例えば、ハーゲンのフェルヌン大学のカルチュラル・スタディーズ学士課程では、歴史、文学、哲学を専門的・言語学的 側面に重点を置いて教えている。 フランスでは、文化学は常に社会学と密接に結びついている。 ロシアの「文化学」は主に記号論に基づいており、タルトゥ学派(ユーリ・ロトマン)とモスクワ学派(ボリス・ウスペンスキー)は特に注目に値する。ミハイ ル・バフチンはその先駆者の一人である。 |
Kritik Friedrich Kittler kritisiert die „wunderbar vorgespielte, aber desto verlogenere wissenschaftliche Unschuld“ der Kulturwissenschaft, vor allem aber der angelsächsischen cultural studies. Statt sich im Standpunkt eines allem enthobenen Beobachters zu vermuten, fordert Kittler stattdessen „unsere eigene Wissenschaft“ als Sachverhalt „mit dessen eigenen Mitteln anzugehen.“[9] Indem er die Entstehung von Kulturwissenschaft und cultural studies historisiert, betont Kittler, dass auch die cultural studies nicht weltanschaulich neutral sind, sondern sich selbst als eine Form der gelebten Kultur erweisen. „Vor allem hat jede Theorie, die einer sogenannten Gesellschaft (und sei es zu deren sogenannter Verbesserung) dient, über ihre Grundbegriffe schon vorentschieden. Sie hält jene Leere nicht aus und offen, in deren dunklem Raum es im Gegensatz zu einer allgegenwärtigen fable convenue nie ausgemacht sein kann, daß es den Rausch und die Götter, die Tragödie und den Himmel nie und nimmer gibt. Keine Menschen, keine Gesellschaften befinden darüber, ob und wann im Geschenk des Gusses zumal Erde und Himmel, die Göttlichen und die Sterblichen weilen.“[10] Kittler hält hier dem sich neutral gebenden Wissenschaftsbetrieb zum Vergleich eine alternative Welt entgegen, wie er sie in Nietzsches Geburt der Tragödie und in Heideggers Spätphilosophie des Gevierts findet. Weder weltanschauliche Neutralität noch ein absoluter Standpunkt lassen sich für Kittler durch den Forscher herstellen, sondern werden durch die mediengeschichtliche Dynamik bestimmt, die sich der Verfügbarkeit des Menschen entzieht. Diese Erkenntnis auf sich selbst anzuwenden fordert Kittler von den cultural studies und der Kulturwissenschaft. In die entgegengesetzte Richtung zielt die konkrete methodische Kritik, wonach sich durch die Konzentration der Kulturwissenschaften auf aktuelle Diskussionsfelder wie Identität, Popularkultur, Globalisierung oder Dekolonisierung der bewährte, bei der Untersuchung der einzelnen Kulturobjekte angewandte Methodenkanon der disziplinären Geisteswissenschaften „zunehmend verflacht und in Vergessenheit geraten“ ist. Die Kulturwissenschaften seien in „Sackgassen durch Jargonbildung“ geraten. Begriffe wie Interkulturalität machten „ein ganzes Fass von Assoziationsmöglichkeiten auf“ und verstärkten den Eindruck von „Vagheit und Konturenlosigkeit kulturwissenschaftlicher Forschungen“. Als ein Ausweg wird diskutiert, das Studium einer sich als interdisziplinär verstehenden Kulturwissenschaft erst nach einer soliden disziplinären Ausbildung zu beginnen, was der Wissenschaftsrat in seinen Empfehlungen zu Lage der Geisteswissenschaften in Deutschland im Jahr 2006 vorschlug; eine andere Lösung wäre die Anreicherung der Einzeldisziplinen mit kulturwissenschaftlich-interdisziplinären Aspekten von Beginn an. Auch habe das postmoderne Aufweichen einer Gesellschaftsanalyse zugunsten der Orientierung auf die Welt der Zeichen in den Eklektizismus geführt.[11] Die neuen kulturtheoretischen Ansätze besitzen nicht mehr die Festigkeit und Kohärenz der alten Sozialtheorien wie etwa des Strukturfunktionalismus oder des Marxismus. Es handle sich vielmehr um approaches, nicht um Paradigmen im Sinne Thomas S. Kuhns, da es in den Kulturwissenschaften keine wissenschaftliche Community mehr gebe, die einen Theoriekern teilt. Die experimentellen kulturwissenschaftlichen Theorieansätze seien keinesfalls unumkehrbar;[12] immer wieder würde auf ältere Konzepte zurückgegriffen. Auch Mieke Bal, die den kritischen Impetus der Cultural Studies teilt, kritisiert ihre einseitige Parteinahme für die moderne Populärkultur sowie ihre mangelnde methodische Stringenz, die sich im Fehlen einer verbindlichen Methodik ebenso wie einer Theorie der Inter- bzw. Transdisziplinarität zeige. Sie laufe Gefahr, die Intersubjektivität dem politischen Engagement für Minderheiten unterzuordnen; ihre politischen und ethischen Ziele blieben ungeklärt.[13] Angesichts der schillernden Bedeutungsvielfalt des Kulturbegriffs gibt Wolfgang Müller-Funk dem Begriff der Kulturtheorie den Vorzug vor dem der Cultural Studies im Sinne einer „Kulturanalyse“ und besteht auf einer theoretischen Fundierung, um den Anschein einer „fröhlichen Wissenschaft“ ohne Methodenzwang im Sinne Paul Feyerabends zu vermeiden.[14] Julia Reuter und Diana Lengersdorf konstatieren eine antidisziplinäre und antiakademische Haltung der Cultural Studies.[15] Lutz Musner kritisiert die mangelnde Rückbindung der Kulturwissenschaften an das soziale Geschehen, wie er sie in seiner Studien über die Kultur der Stadt Wien und die daran geknüpften exemplarisch vorführte,[16] sowie die überhitzte Konjunktur und den selbstkritiklosen „Wandel von Theoriemoden“.[17] Doch lebt die totgesagte materiell-ökonomische Analyse immer wieder auf wie in Fredric Jamesons Rede von der Postmoderne als der cultural logic of late capitalism.[18] |
批判 フリードリヒ・キットラーは、カルチュラル・スタディーズ、とりわけアングロサクソンのカルチュラル・スタディーズの「素晴らしく見せかけられた、しか し、より狡猾な科学的無邪気さ」を批判している。キトラーは、自らをすべてから切り離された観察者であると仮定する代わりに、「私たち自身の科学」を「そ れ自身の手段を持つ」事実としてアプローチすることを求めている[9]。カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズの出現を歴史化すること で、キトラーはカルチュラル・スタディーズがイデオロギー的に中立でもなく、むしろそれ自体が生きた文化の一形態であることを証明していることを強調して いる。 「とりわけ、いわゆる社会に奉仕するあらゆる理論は(たとえそれがいわゆる社会の改善のためであったとしても)、その基本概念をすでに決定している。その 暗い空間では、遍在する寓話の道とは対照的に、酩酊と神々、悲劇と天国が決して存在しないことを明確にすることはできない。地と天、神と死すべきものが型 の贈与のなかに宿るかどうか、またいつ宿るかを決めるのは、いかなる人々でも、いかなる社会でもない」[10]。 ここでキットラーは、ニーチェの『悲劇の誕生』やハイデガーの後期広場哲学に見られるような、中立的な科学的確立と代替的な世界とを対比させている。キッ トラーにとって、イデオロギー的な中立性も絶対的な立場も研究者によって確立されるものではなく、むしろ人間の利用可能性を排除したメディアと歴史のダイ ナミズムによって決定される。キットラーは、カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズに、この認識を自らに適用することを要求している。 カルチュラル・スタディーズが、アイデンティティ、ポピュラー文化、グローバリゼーション、脱植民地化といった、現在議論されている分野に集中しているこ とは、学問的人文学において、個々の文化的対象を検討するために用いられてきた、試行錯誤を重ねた手法の規範が「ますます平板化し、忘れ去られている」こ とを意味する。カルチュラル・スタディーズは「専門用語の形成による行き詰まり」に陥っている。インターカルチュラリティのような用語は、「連想の可能性 を広げる」ものであり、「カルチュラル・スタディーズ研究の曖昧さと輪郭の欠如」という印象を強めている。一つの解決策として議論されているのは、 2006年にドイツ人文科学科学評議会がドイツの人文科学のあり方に関する提言の中で提案したように、学際的であると理解されているカルチュラル・スタ ディーズを、しっかりとした学問教育を受けた後に初めて学び始めるというものである。ポストモダンが社会分析を軟化させ、記号の世界を志向するようになっ たことも、折衷主義につながった[11]。新しい文化理論のアプローチは、構造機能主義やマルクス主義のような古い社会理論のような堅固さや一貫性をもは や持っていない。むしろ、それらはトーマス・S・クーンの意味でのパラダイムではなくアプローチであり、理論的中核を共有する科学的共同体がもはやカル チュラル・スタディーズには存在しないからである。カルチュラル・スタディーズにおける実験的な理論的アプローチは、決して不可逆的なものではない。 カルチュラル・スタディーズの批評的推進力を共有するミーケ・バルもまた、その近代大衆文化に対する一方的な党派性と方法論的厳格さの欠如を批判してい る。その政治的・倫理的目標は不明確なままである[13]。文化という概念の意味がめくるめくほど多様であることに鑑み、ヴォルフガング・ミュラー=フン クは、「文化分析」という意味でのカルチュラル・スタディーズよりも文化理論という概念を支持し、ポール・ファイヤーアーベントの意味での方法論的制約の ない「幸福な科学」の外観を避けるために、理論的基礎を主張している[14]。 Julia ReuterとDiana Lengersdorfは、カルチュラル・スタディーズの反学問的・反学問的態度を述べている[15]。 ルッツ・ムスナーは、ウィーン市の文化に関する研究とそれに関連するカルチュラル・スタディーズ[16]に例証されるように、カルチュラル・スタディーズ と社会的事象との間につながりがないこと、また過熱するブームと自己批判的な「理論的流行の変化」[17]を批判している。 しかし、フレデリック・ジェイムソンが後期資本主義の文化的論理としてポストモダニズムを語るように、死んだと宣言された物質経済学的分析は絶えず復活し ている[18]。 |
Studienorte Zahlreiche Universitäten in Deutschland bieten Studiengänge zu Kulturwissenschaften an.[19] |
学習場所 ドイツの数多くの大学が、文化研究の学位プログラムを提供している[19]。 |
https://de.wikipedia.org/wiki/Kulturwissenschaft |
★ここからは、もう附録になります。
文化学とはどんな学問なのか?
文化学という統合化された学問は現在のところ存在しません。にもかかわらず日本の多くの 大学に「文化」の名前を冠した教育組織(学系・学類・学群・学科など)が存在します。文化に対する市民の関心の高さと、多くの大学が学生に文化を学ばせる ことの意義を認識している証拠だと言えるでしょう。これだけ文化に関する教育組織があるから、それを支える公式の学問にも「文化」を冠したものがたくさん あるはずだと皆さんはお思いになるかもしれません。しかし、これらの領域において文化を冠した公式・準公式の学問は、文化人類学、カルチュラル・スタディーズ (文化研究)、文化史、文化社会学、文化経済学、国際文化学など、ほとんど数えるほどしか存在しません。
文化を定義してみよう!
ではここでは私の専門分野である文 化人類学から「文化」を定義してみたい。文化とは、人間が後天的に学ぶことが でき、集団が創造し継承している/いた認識と実践のゆるやかな体系のことである。他方で、文化の定義について考えれば、考えるほど「文化」が何をさすのか 専門家でも混乱することがある。その理由は、人々が考える文化の定義がきわめて多様であるからです。ざっくり言えば文化には決定的な定義がない、つまり決 められないという面があります。にもかかわらず「文化の定義」にかかわる議論は重要である。なぜなら、文化の定義を考えることは、人間の創造的営みの意義 とその多様性について考えることにほかならないからなのだ。したがって文化学を学ぶ意義とは、人間の文化の多様性(「複数の文化」と言う)と文化の普遍 性・共通点(「単数の文化」)を明らかにするという2つの作業からなりたちます。
なぜ、文化の学問に人気があるのか?
文化を冠する準公式学問は、まず文化人類学しかないことになります。だけど「文化」に関して 教育する大学はさまざまな学問名称を名乗っています。この理由をどのように考えるべきでしょうか。いくつかの仮説が考えられます。
期せずして結果的に総合文化学の王道(?)を歩んでしまった「文化人類学」の教育をおこなっ ている私の経験から申しましょう。つまり、この3つの仮説は大学の教育組織において、フィーバー気味の「文化を名前の一部につけたがる症候群」の原因とし ていずれもその可能性があります。だから「何となく総合文化学を学びたい!」という受験生の皆さんの気持ちは、激動する現代を生きている諸君の動機として 少数派の変わった選択では決してなく、むしろ多数派の由緒正しい選択であるということができるのです。
文化学が必要とされる現代
私は教え子たちから大学教師らしくない先生とよく言われます。それはたぶん総合文化学の基礎 学問とも言える文化人類学、その中でも医療人類学という一風変わった学問を勉強しているせいかも知れません。勉強したい分野を選ぶには、大学の先生方が言 う「これだけのことができる」という宣伝文句を信じるのではなく、その大学の先生方が「どんなことをやっているのか」ということをよく調べなさいと私は助 言します。総合文化学が学問全体の中でどのような状況にあるのか、そのことがわかれば、皆さんの総合文化学への関心もより具体的なテーマや個別学問分野に 着目し、最適の大学選択をおこなうことができるようになるでしょう。少し遠回りですが、こちらのほうが有益です。
学際科学/総合科学としての文化学
まず大学の学問が、文化系、理科系と分かれているのはご存じでしょう? じっさい高校の進学 指導は、この二つの分野に受験生を区分することからはじまります。理学部や工学部は理科系、文学や法学、経済学は文科系です。それは受験科目(数学、理 科、社会)の選択でこのように区分されているからです。ところが事実は小説より奇なりと言います。実際は、勉強は文理を分けず相互に必要なのです。例え ば、経済学や地理学では数学の知識が重要視されているどころか不可欠なものとされています。農学や工学あるいは医学部では、エンジニアの倫理、生命倫理学 や医事法学の知識が教えられるようになってきました。なぜなら、理系出身の技術者が社会の基本的な成り立ちを知らないために知らないうちに組織犯罪に手を 染めたり、倫理上のミスをすることが近年増加してきているからです。社会の仕組みをよく分からないと立派なエンジニアにはなれません。
本来、文科系理科系を問わず、このような人間が生きるための基本的な教育は高校までに教えら れるべきだと思いませんか? しかしながら、高校教育は大学 受験中心の教育に偏重しているし、多くの受験生にとっても大学が高等教育の最後の関門なので、教養を育む自分のための勉強をおこなう余裕はないことを痛感 されていると思います。
今後、社会はますます総合科学としての文化学への期待が高 まる!
そのため大学に入ってから一般教養の履修で、文科系理科系の区別無く学問をおこなうことの社 会的意味について学ぶ、ということになっているのでしょう。しかし、一般教養教育は大学教育の中でもっとも不成功に終わったシステムで、過去十数年間に多 くの教養部が廃止されたり、他の学部や大学院に吸収されてしまいました。しかしながら、実際には自然科学はバイオサイエンスやナノテクノロジーに代表され るようにどんどん進歩している反面、社会の常識すら知らない研究者が登場し、反倫理的な技術を開発したり、組織犯罪に発展するかもしれない深刻な事態は日 々増えつつあります。それどころか、情報技術の発達やテロリズムの暴発など、既存の人文科学や社会科学で解決できない新しい問題系への取り組みが要求され るようになってきました。 そこで総合文化学への期待が一気に高まってきたわけです。したがって、総合文化学を学ぶことに対して次のような期待がなされています。さまざまな社会状 況のダイナミックな変化に対して、(1)個々の社会文化現象を総合的に把握することができる、(2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言することがで きる、(3)またその中で安全で充実した人生を送るための生活実践上の技術を学ぶことができる。
関連する諸学問
では実際の総合文化学分野で、学生はどんなことを学んでいるのでしょうか。総合文化学では 「文化人類学」が中心になり、人文学の5大分野と言われる「哲学」「文学」「言語学」「歴史学」「地理学」さらには、社会科学の諸領域が統 合されたものになっています。総合文化学は、人間が創り出した有形無形を問わずほとんどあらゆる社会現象つまり「文化」が学問の対象になります。
● 練習問題(1):インターネットとその社会に及ぼす影響
■ 画像はイメージです
ここでひとつ事例を出してみよう。「インターネットを利用したツイッターやブログの利用 とそれが青年男女の生活にもたらす影響」です。ちなみにこの問題は、現在の総合文化学を学んでいる大学の多くの研究室で、学生と教師が議論をしているテー マと言えましょう。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索やネット検索(著名なサイトであるグーグルで検索すること=「ググ る」)によって、これらのサイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「リア充」「DQN」あるいは 「アンサイクロペディア」は日本の固有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
● 練習問題(2):コンビニエンスストア(=コンビニ)の研究
■ 画像はイメージです
コンビニエンスストアは、我々——とくに大学生を含む若者——の生活の 一部なるくらい「定着」しました。また各種の大学願書の請求や受験料 の振り込み窓口になるぐらい「進化」してきましたね。
このようなコンビニの利便性の向上が、我々の生活スタイルのみならず、 我々の考え方などに影響を与えていると考えるのは至極当然のことです。 コンビニのことを、もし文化人類学が調べるとするとどのようなことか ら勉強をはじめるでしょうか? たぶん次のようなことでしょう。
(a)そもそもコンビニとはなにか?(言葉の定義)
セブンイレブンやローソン(あるいは他のコンビニエンスストアチェーン名)という特 定のフランチャイズ店舗による小売 店のことでしょうか?、そうしたら、それ以外のチェーン店舗はそうでな いのでしょうか? コンビニの名前の由来、システム、歴史などについて 知らないと、コンビニそのものを研究の対象にすることができません。
(b)コンビニではなにがおこなわれているのか(実態の調査)
多種多様なサービスや人の動きなど、コンビニというひとつの店舗を中 心にそのお店がどのような人や人間の流れの中に組み込まれているのか、 その実態を知る必要があります。それは、ひろくシステム(体系)という 概念で理解することができます。文化人類学者は、社会システムという用 語で、そこに生きる人間の役割、性別、分業、モノと人の関係、お金の動 き(経済)、法律や政治との関係(マクロ権力)や細かい人間関係(ミクロ な権力関係)などに目配せをしてゆくでしょう。
(c)コンビニは我々の世界の中でどのような役割を果たしているのか (人に対する聞き取り調査)
先の実態の調査から浮かびあがるのは、コンビニという世界、つまり環境 のようなものです。しかし、そのような環境で生きている人間についての情報 が、これだけではわかりません。経営者、バイトしている人、流通業者、経営 指導する人たち、などコンビニを管理運営している人と、コンビニを利用する 消費者への直接インタビューして聞いて、それらの人たちがコンビニとどの ような関わりをもっているか調べます。文化人類学には参与観察というもの があります。自分自身がバイトして調査する方法もありますし、また企業人と して働くのであれば、仕事で知り得た秘密をどこまで公開できるのか(調査上の 守秘義務→調査研究の倫理)なども考える必要もあります。また、若者が多いからと言って 自分の身の回りの人だけを調査するだけでは不十分です。利用者の年齢分布や 性別などを考慮して、どのような意見が全体を代表するのかについてよく 考える必要があります。そのなかで、予想もしなかった事実が発見できたとき それを、どのように理論化するか、考える必要もでてくるかもしれません。
(d)コンビニ現象の文化人類学考察
コンビニのノウハウは東アジア、東南アジアをはじめとして、さまざまな ところで消費生活の中に浸透しつつあります。それらに、文化差が見られない わけがありません。コンビニの比較文化も文化人類学にとっての大きな課題です。 また、経済のグローバリゼーションとコンビニ文化や、消費生活の変化など さまざまな課題も考えられます。
このようなことをざっと考えただけでも、コンビニが文化人類学で分析でき ることがわかるでしょう。いやむしろ文化人類学はコンビニ現象を分析する 有益なルーツになるでしょう。
文献:日本からコンビニがなくな る日(池田光穂)
(付記)その後、現在(2009年4月)では、コンビニ業界はもともと親会社あるい は関連企業(ホールディングスと呼ばれる持ち株会社の系列に入る)であるスーパーマーケット業界や金融、運輸通信業などとの連携を強め、その生き残りをか けて、我々の生活の隙間の角までの消費に介入しようとしてきています。日本からコンビニがなくなるよりも、日本的生活らしさそのものが変化しているのかも しれません。
練習問題(3):出会い系サイトとその研究
■ 画像はイメージです
ちょっと古くなりましたが「インターネットを利用した出会い系サイトの利用とそれが青年 男女の生活にもたらす影響」はどうでしょうか。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索によって、出会い系サイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会 欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「出会い系サイト」は日本の固 有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
[もっと知りたい方に]
出会い系サイトについての調査研究は、政府の総務省[→リンク]にアクセスして、【出会い系サイト】+【調査】で検索をかけると、 pdf等の調査記録が見つかります。ネットに関する通信の管理運営や監督についての総務省の考え方や、出会い系サイトの実態把握などについてのデータを得 ることができます。
この学問の有用性の秘密は、文化人類学という理論がすばらしいという理由からでは なく、文化人類学が、人間の生活を経験的・実証的に分析してきたことに あります。コンビニのみらならず、文化人類学はおよそ人間の生活に関わる ことであれば、ほとんどの社会事象・文化事象についてアプローチすること ができます。それは方法論上のユニークさにあります。
文化学における芋蔓式(いもずるしき)探究法!
総合文化学は社会調査をおこなう際に、文化人類学や社会学の方法を使いますが、分析に際して は人文学の知識が総動員されます。
すなわち現代社会における人間観の考察に関しては哲学や倫理学の知識が不可欠です。青年男女 あり方をめぐる事柄は多くの場合文芸ジャンル——恋愛小説など——に登場しますから、文学の分析を通して世相の変化を調べます例えば「萌え」などの用例検 討です。
言語学は男性と女性の言葉のやりとりの中に性別による違いを明らかにしたり、言語使用の個人 差を客観的に測定することができます。
歴史的には、そもそも電子情報メディアの普及の前にはあり得なかったことですから、歴史学 (史学)は時代的変遷をチェックする際に有用です。
人文地理学の知見は、空間的分布や利用者の空間概念がネット利用でどのように変化するかを教 えてくれるでしょう。
そして、文化人類学は、文字どおり、世界のさまざまな青年男女のあり方の人類文化についての 比較資料の存在を教えてくれ、人間関係性のあり方や感情生活の変化を文化的に明らかにします。
どんな人に文化学は向いているか?
はっきり言って、文化人類学は誰でも学べる奥行きのひろい学問です。文化人類学の発祥の地ア メリカ合州国——正式名称は合衆国です、なぜ違うのか社会科の先生に聞いてみよう——は、より多くの人に文化人類学の有効性を理解してもらおうと過去百年 近く、人類学者たちが努力をしてきました。その結果、文化人類学のさまざまな知見は、人類の共通の財産として認識されるようになってきました。
総合文化学の根幹をなす文化人類学の勉強は、現代の世の中のさまざまな文化事象に、まず感動 している感受性豊かな学生に最もおすすめです。総合文化学という学問領域に属する教育制度は、その感動を、(1)総合的に把握するための知識を授け、 (2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言し、またその中で(3)安全で充実した人生を送るための生活実践上の指針をさまざまな形であなたに与えるこ とができるでしょう。総合文化学のキャンパスはあなたの生活上の何気ない感動の延長のすぐそこにあります。さあ、無限の興味と具体的な目的を持って私たち と一緒に勉強しましょう!
文化学を学べる大学の探し方
文化人類学の学問を教えたり、研究をしている先生のいる学部名や学科名には次のようなものが あります。
■ 大学選びよりももう先に文化人類学のマインドをもって大学(リンク先は大学院)の勉強をオンラインで、しちゃおう!
★著者紹介:池田光穂(いけだ・みつほ)先 生
別名:垂水源之介先生
憂歌団 おそうじおばちゃん(まぁ、これを聞いてくれ〜♪ )
★クレジット:「何を学ぶか(文化学分野)」【本ページはその改造版】『全国大学学部・学科案内号』蛍雪時代
2003〜2023年4月臨時増刊
号(毎年更新掲載中)、旺文社.
おさらいと質問コーナー
文 化学
Cultural Studies/Cultural Anthropology and related disciplines for young students
解説:池田光穂
文 化学とはどんな学問なの?
文化学とは、人間の人間らしさは、人間が生み出しつ たえていっている「文化」だという認識や確信にもとづいて、これまで言われてきた(=研究されて きた)「文化」について理論的に研究するのみならず、キャンパスの外の社会に出て、ひろく「文化 現象」について知り、学び、問いかけ、記録して、人間の文化の歴史的変化、社会的階層性、そして文化の多様性のあり方について考察する学問です。
文化学を研究する学問には、文化人類学、文化社会学、カ ルチュラルスタディーズ、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、 文学、言語学、などが含まれます(下記を参照)
文 化学をまなぶと は、 どんな勉強をすることなのでしょうか?
文化学には、教室で授業をうけたりする座学(デスクワークやデスクで学ぶ学問)のほかに、調
査実習などで、キャンパスの外にでかけ、人びとにインタビューをしたり、訪問したり、あるいは、一緒に活動に参加したりするフィールドワークという勉強の2つにわかれます。勉強がすすんでいくにつれて、フィールドワークの比重が高くなります。最近では、問題に基づく学習(PBL)と
か、プロジェクトに基づく学習(PjBL)など、フィールドワークを成功するために、机上の
実践演習などをとおして、フィール
ドワークの事前研修などもあります。座学も、純粋に知識や理論を学ぶ勉強から、
フィールドワークで使う方法論の勉強、実際のフィールドワークの試験的実施(パイロットスタディ)、そして、フィールドワークに関する研究倫理、学問の歴史=学説史、などを学んで、はじめ
て、指導者のもとで、キャンパスのなかで調査研究をおこないます。
文 化学を学んだ人の 卒業後の進路は?
文化に関する幅広い教養が身につきます。そ
のため、事務職では総合職などを中心に、現業で
は、金融、コンサルテーション、営業、旅行・観光業(→「観光研究/観光人類学」)、
接客対応、などさまざま分野が開けています。文化学を学んだ学生に期待されるのは、社会の文化に対する深い見識をもっているので、新しい職場という社会環
境に適応する能力が、他の領域の履修者よりも高いことが期待されます。人と出会い、話し合ったり、一緒に活動したりすることが好きな人に向いています。
大 学院に進学したい のですが?
4年間で「文化」に関する幅広い知識が得られるために——リベラルアーツの教養といいます——4年後に、文 化人類学、文化社会学、文化地理学、文化史などの文化を関した学問の他に、歴史学、哲学、文学、言語学のそれぞれの専攻分野に進学しようとする人もいま す。ただし、それぞれの専攻領域での勉強が足りませんので、すくなくとも3年次に進級する時点では、指導教員の先生(教授)と相談して、それぞれの専攻分 野の研究者や、行きたい大学院に関する情報収集をしておくのがよいでしょう。大学院入試では、そのような専攻分野の「基礎知識」を事前に知っていることが 重要です。また、日本の文化学関連の学問は、高い語学の能力や対人コミュニケーション能力は、フィールドワークの際に、力を発揮します。したがって、大学 入学以前から、英語+他の外国語能力をつけておくことが重要です。日本への留学生は、日本語の能力+英語の能力を磨いておくことは重要です。その理由は、 大学院はもちろんのこと、大学の学部教育でも英語による授業がこれからどしどし増えていく傾向があるかです。
以下は、細かい解説です。興味のある生徒はよんでください。
Culturology or
the science of
culture is a branch of the social sciences concerned with the
scientific understanding, description, analysis, and prediction of
cultures as a whole. While ethnology and anthropology studied different
cultural practices, such studies included diverse aspects:
sociological, psychological, etc., and the need was recognized [by
whom?] for a discipline focused exclusively on cultural aspects.[1] |
文化学(culturology)または文化
の科学(science of culture)は、文化全体を科学的に理解し、記述し、分析し、予測することを目的とする社会科学の一分野である。民族学や人類学はさまざまな
文化的慣習を研究していたが、そうした研究には社会学的、心理学的など多様な側面が含ま
れており、文化的側面にのみ焦点を当てた学問分野の必要性が[誰によって]認識された[1]。 |
In Russia The notion of culturology (Russian: культурология), as an interdisciplinary branch of the humanities, may be traced in the Soviet Union to the late 1960s and associated with the work of Mikhail Bakhtin, Aleksei Losev, Sergey Averintsev, Georgy Gachev, Juri Lotman, Vyacheslav Ivanov, Vladimir Toporov, Edward Markarian, and others.[2] This kind of research challenged Marxist socio-political approach to culture. Between 1980 and 1990, culturology received official recognition in Russia and was legalized as a form of science and a subject of study for institutions of higher learning. After the dissolution of the Soviet Union, it was introduced into the Higher Attestation Commission's list of specialties for which scientific degrees may be awarded in Russia and is now a subject of study during the first year at institutions of higher education and in secondary schools.[3] Defined as the study of human cultures, their integral systems, and their influence on human behavior, it may be formally compared to the Western discipline of cultural studies, although it has a number of important distinctions. Over past decades the following basic cultural schools were formed: philosophy of culture (A. Arnold, G. V. Drach, N. S. Zlobin, M. S. Kagan, V. M. Mezhuyev, Y. N. Solonin, M. B. Turov and others) theory of culture (B. S. Yerasov, A. S. Karmin, V. A. Lukov, A. A. Pelipenko, E. V Sokolov, A. Ya. Fliyer and others), cultural history (S. N. Ikonnikova, I. V. Kondakov, E. A. Shulepova, I. G. Yakovenko and others), sociology of culture (I. Akhiezer, L. G. Ionin, L. N. Kogan, A. I. Shendrik and others), cultural anthropology (A. A. Belik, Ye. A. Orlova, A. S. Orlov-Kretschmer, Yu. M.. Reznik and others), applied cultural studies (O. Astaf'eva, I. M. Bykhovskaya and others), cultural studies art (K. E. Razlogov, N. A. Hrenov and others), semiotics of culture (Juri Lotman, V. N. Toporov, V. V. Ivanov, E. M. Meletinsky and others), cultural education (G. I. Zvereva, A. I. Kravchenko, T. F. Kuznetsova, L. M. Mosolova and others).[citation needed] From 1992, research was started by the Russian Institute for Cultural Research. Today, along the line of the central office located in Moscow, three branches of RIC have been opened – Siberian (opened in 1993 in Omsk), St. Petersburg Department (opened in 1997) and the Southern Branch (opened in 2012 in Krasnodar). Culturology studies at Moscow Lomonosov University In 1990, at the faculty of philosophy, a chair of the history and theory of world culture was created. Many prominent Soviet and Russian scholars like V. V. Ivanov, S. S. Averintsev, A. Y. Gurevich, M. L. Gasparov, G. S. Knabe, E. M. Miletinskiy, V. N. Romanov, T. V. Vasilyeva, N. V. Braginskaya, V. V. Bibikhin, Alexander Dobrokhotov have worked there.[4] Yuri Rozhdestvensky founded a school of Culturology at the Department of Language Studies of Moscow Lomonosov University. Rozhdestvensky's approach to the development of culture (accumulation and mutual influence of layers) can be compared to the approach used in media ecology.[citation needed] |
ロシア 文化学(ロシア語:культурология)という概念は、人文学の学際的な一分野として、ソ連では1960年代後半まで遡ることができ、ミハイル・ バフチン、アレクセイ・ロセフ、セルゲイ・アヴェリンツェフ、ゲオルギー・ガチョフ、ジュリ・ロトマン、ヴャチェスラフ・イヴァノフ、ウラジーミル・トポ ロフ、エドワード・マルカリアンなどの研究に関連している[2]。 1980年から1990年にかけて、文化学はロシアで公式に認められ、科学の一形態として、また高等教育機関の研究科目として法制化された。ソビエト連邦 の解体後、ロシアで科学的学位を授与することができる高等認証委員会の専門分野リストに導入され、現在では高等教育機関および中等学校の1年次に学習する 科目となっている[3]。人間の文化、その統合システム、およびそれらが人間の行動に及ぼす影響の研究として定義され、西洋の文化研究の学問分野と形式的 に比較することができるが、多くの重要な相違点がある。 過去数十年の間に、以下のような基本的な文化学派が形成された: 文化哲学(A.アーノルド、G.V.ドラハ、N.S.ズロビン、M.S.カガン、V.M.メジュエフ、Y.N.ソロニン、M.B.トゥーロフなど) 文化論(B. S. イェラソフ、A. S. カルミン、V. A. ルコフ、A. A. ペリペンコ、E. V. ソコロフ、A. Ya. Fliyerほか)、 文化史(S.N.イコニコワ、I.V.コンダコフ、E.A.シュレポワ、I.G.ヤコヴェンコなど)、 文化社会学(I. Akhiezer、L. G. Ionin、L. N. Kogan、A. I. Shendrikなど)、 文化人類学(A. A. Belik、Ye. A.オルロワ、A.S.オルロフ=クレッチマー、Yu. M.. Reznikなど)、 応用文化研究(O. Astaf'eva、I. M. Bykhovskayaなど)、 文化芸術学(K.E.ラズロゴフ、N.A.フレノフなど)、 文化の記号論(ジュリ・ロトマン、V.N.トポロフ、V.V.イワノフ、E.M.メレチンスキーなど)、 文化教育(G.I.ズヴェレワ、A.I.クラフチェンコ、T.F.クズネツォワ、L.M.モソロワなど)[要出典]。 1992年からは、ロシア文化研究所によって研究が開始された。現在、モスクワにある中央研究所のラインに沿って、シベリア支部(1993年にオムスクに 開設)、サンクトペテルブルク支部(1997年に開設)、南部支部(2012年にクラスノダールに開設)の3つの支部が開設されている。 モスクワ・ロモノーソフ大学で文化学を学ぶ 1990年、哲学部に世界文化史・理論講座が開設された。V.V.イワノフ、S.S.アヴェリンツェフ、A.Y.グレビッチ、M.L.ガスパロフ、 G.S.クナーベ、E.M.ミレチンスキー、V.N.ロマノフ、T.V.ワシーリエワ、N.V.ブラギンスカヤ、V.V.ビビヒン、アレクサンドル・ドブ ロホトフなど、多くの著名なソ連・ロシアの学者がそこで研究を行ってきた[4]。 ユーリ・ロジデストヴェンスキーは、モスクワ・ロモノーソフ大学言語学部に文化学部を設立した。文化の発展に対するロジデストヴェンスキーのアプローチ (層の蓄積と相互影響)は、メディア生態学で用いられているアプローチと比較することができる[要出典]。 |
Other uses In Anglophone contemporary social sciences the word culturology was coined by American anthropologist Leslie White, who defined it as a field of science dedicated to the study of culture and cultural systems.[5][6] White notices that culturology was earlier known as "science of culture" as defined by English anthropologist Edward Burnett Tylor in his book 1872 Primitive Culture.[1] White also notices that he introduced this term in 1939 and for the first time the term appeared in English dictionaries in 1954. He also remarks that the corresponding German term Kulturwissenschaft was introduced by Wilhelm Ostwald in 1909.[1] Following White, philosopher of science Mario Bunge defined culturology as the sociological, economic, political, and historical study of concrete cultural systems. "Synchronic culturology" is said to coincide with the anthropology, sociology, economics, and political ideology of cultures. By contrast, "diachronic culturology" is a component of history. According to Bunge, "scientific culturology" also differs from traditional cultural studies as the latter are often the work of idealist literary critics or pseudo-philosophers ignorant of the scientific method and incompetent in the study of social facts and concrete social systems.[7] Bunge's systemic and materialist approach to the study of culture has given birth to a variety of new fields of research in the social sciences. Fabrice Rivault, for instance, was the first scholar to formalize and propose international political culturology as a subfield of international relations in order to understand the global cultural system, as well as its numerous subsystems, and explain how cultural variables interact with politics and economics to impact world affairs.[8] This scientific approach differs radically from culturalism, constructivism, and cultural postmodernism because it is based on logic, empiricism, systemism, and emergent materialism.[9] International political culturology is being studied by scholars around the world.[10][11] |
その他の用法 英語圏の現代社会科学において、カルトゥロロジーという言葉はアメリカの人類学者レスリー・ホ ワイトによって作られたものであり、彼はカルトゥロロジーを 文化と文化システムの研究に特化した科学分野と定義した[5][6]。ホワイトは、カルトゥロロジーがそれ以前はイギリスの人類学者エドワード・バーネッ ト・タイラーがその著書『1872 Primitive Culture』において定義した「文化の科学」として知られていたことに注目している[1]。彼はまた、対応するドイツ語の Kulturwissenschaftと いう用語が1909年にヴィルヘルム・オストヴァルトによって紹介されたことを指摘している[1]。 ホワイトに続き、科学哲学者のマリオ・ブンゲは文化学を具体的な文化システムの社会学的、経済学的、政治学的、歴史学的研究であると定義した。「共時的文 化学」は、文化の人類学、社会学、経済学、政治思想と一致するとされる。対照的に、「通時的文化学」は歴史学の一部である。ブンゲによれば、「科学的文化 学」は伝統的な文化研究とも異なっており、後者はしばしば科学的方法を知らず、社会的事実や具体的な社会システムの研究に無能な観念論的な文芸批評家や似 非哲学者の仕事である[7]。 文化研究に対するブンゲの体系的で唯物論的なアプローチは、社会科学における様々な新しい研究分野を生み出した。例えば、ファブリス・リヴォーは、グロー バルな文化システムとその数多くのサブシステムを理解し、文化的変数が政治や経済とどのように相互作用して世界情勢に影響を与えるかを説明するために、国 際政治文化学を国際関係論のサブフィールドとして公式に提唱した最初の学者である。 [この科学的アプローチは、論理、経験主義、体系主義、創発的唯物論に基づいているため、文化主義、構成主義、文化的ポストモダニズムとは根本的に異なっ ている[9]。国際政治文化学は世界中の学者によって研究されている[10][11]。 |
Cultural studies Ethnology Cultural anthropology |
文
化研究(カルチュラル・スタディーズ) 民族学 文化人類学 |
https://en.wikipedia.org/wiki/Culturology |
|
Kulturwissenschaft
(englisch Cultural studies) erforscht die materielle und symbolische
Dimension von Kulturen. Sie vereinigt die kulturellen Aspekte von
Anthropologie, Geschichts-, Kunst-, Musik-, Literatur-, Theater-,
Film-, Medien-, Kommunikations-, Sport-, Spiel- und Sprachwissenschaft
sowie Philosophie, Ethnologie etc. in unterschiedlichen Kombinationen
und bildet somit eine schnittmengenreiche Schwesterdisziplin vieler
Geisteswissenschaften. In Teilen beziehen sich Kulturwissenschaften
auch auf Sozial-, Wirtschafts- und Humanwissenschaften. Die
Kulturwissenschaften stellen somit einen stark interdisziplinär
ausgerichteten Forschungsbereich dar. Kulturwissenschaft wird in Deutschland je nach Institutionalisierung stärker als empirische Kulturwissenschaft (Ethnologie, Volkskunde) oder aber als historische Kulturwissenschaft (Kulturwissenschaft, Kulturgeschichte) gelehrt. |
カ
ルチュラル・スタディーズは、
文化の物質的・象徴的側面を研究する。人類学、歴史学、芸術、音楽、文学、演劇、映画、メディア、コミュニケーション、スポーツ、ゲーム、言語学、哲学、
民族学などの文化的側面をさまざまな組み合わせで統合し、多くの人文学の学際的姉妹分野を形成している。部分的には、カルチュラル・スタディーズは社会科
学、経済学、人文科学とも関連している。したがって、カルチュラル・スタディーズは学際的な研究分野といえる。 ドイツにおける文化研究は、その制度化によって、経験的文化研究(民族学、民俗学)として、あるいは歴史的文化研究(カルチュラル・スタディーズ、文化 史)として教えられている。 |
Geschichte Anfänge Kulturwissenschaft als eigenständige Disziplin entwickelte sich in Deutschland seit den 1920er-Jahren aus der Kulturphilosophie (Georg Simmel, Ernst Cassirer) und Kulturgeschichte, der historischen und philosophischen Anthropologie, Soziologie (Max Weber, Ferdinand Tönnies) und Kunstgeschichte (Aby Warburg). Auf Betreiben der Nationalsozialisten wurde 1934 die zuvor ausschließlich der kunsthistorischen Forschung gewidmete, nach ihrer jüdischen Stifterin Henriette Hertz benannte, Bibliotheca Hertziana in Rom umbenannt in „Kaiser-Wilhelm-Institut für Kunst- und Kulturwissenschaft“, wobei nach dem Willen der Nationalsozialisten wichtigste Aufgabe der neuen kulturwissenschaftlichen Abteilung war, deutsche Kultur und „deutschen Geist“ im faschistischen Italien zu vermitteln. 1960er-Jahre Seit den 1960er-Jahren hat die Kulturwissenschaft unter dem angelsächsischen Begriff „Cultural studies“ als fächerübergreifender Forschungsansatz, der die Bedeutung von Kultur als Alltagspraxis zu ergründen versucht, international an Bedeutung gewonnen. Stuart Hall (Soziologe) sieht ihre Entstehung in engem Zusammenhang mit der der Neuen Linken (New Left) um 1956, die zuerst in Großbritannien vom sowjetischen Modell des Kommunismus und zugleich von der orthodoxen marxistischen Theorie mit ihrem deterministischen Modell von Basis und Überbau und ihrem Konzept des „falschen“ Bewusstseins Abstand nahm.[1] Als Jamaikaner kritisierte Stuart Hall auch den Eurozentrismus der „alten“ Linken. „Cultural studies“ wurden in den 1960er-Jahren von Vertretern der britischen Erwachsenenbildung und Literaturwissenschaftlern mit Interesse an Alltagskultur und auch im Zusammenhang mit der aufkommenden Popularkultur entwickelt.[2] Sie betonten, auch in Anlehnung an die Frankfurter Schule, die Produktionsbedingungen von kulturellen Gütern und damit auch hegemonialen Bedeutungsmustern in Anlehnung an den Marxismus Louis Althussers und Antonio Gramscis. Die Forschung fand vor allem im Umfeld des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) unter der Leitung von Stuart Hall statt. Weitere wichtige Vertreter sind Edward P. Thompson sowie Raymond Williams, der die frühen Grundlagen mit erarbeitete, Paul Willis und später die selbst von der Jugendsubkultur, besonders dem britischen Punk geprägten Dick Hebdige und Angela McRobbie. 1980er-Jahre bis heute Mit den Forschungen von Pierre Bourdieu, aber auch John Fiske und der Verlagerung des Schwerpunkts der Forschung an US-amerikanische und kanadische Universitäten verschob sich der Fokus in den 1980er-Jahren. Produktion und Konsumtion werden nun theoretisch als gleichwertig betrachtet. In den Studien der 1980er- und 1990er-Jahre überwiegen jene, die die Aneignungspraktiken der Produkte in den Mittelpunkt stellen. Im Gegensatz zur Kulturkritik der Frankfurter Schule, in der die Konsumenten als von der Kulturindustrie betrogene und manipulierte Masse betrachtet werden, betonen die Cultural Studies stärker den kreativen Umgang der Konsumenten mit kulturellen Gegenständen. In den 1990er-Jahren wurde besonders das Thema Differenz ein Schwerpunkt der Cultural Studies. Spitzeninstitutionen, wie beispielsweise die in Gesundheitswissenschaften weltweit führende McGill University, begannen an eigenen Cultural Studies-Instituten erstmals breit auf dem Gebiet der Gendermedizin zu forschen. Neuere Ansätze der „cultural studies“ zielen unter anderem darauf ab, jenseits von signifizierenden ("signifying") Praktiken Kultur durch Affekte im Sinne von Gilles Deleuze zu rekonstruieren. Das Studium der Kultur wird zu einer Frage des Erfassens von Produktion, Mobilisierung und Affekt. Diese Bewegung geht mit einer Kritik am hegemonialen Verständnis von Politik einher und beschäftigt sich in Anschluss an Michel Foucault mit Fragen der Produktion des Alltagslebens durch Biopolitik. Hierzu gehört u. a. der Sport, da durch den Sportjournalismus eine Scheinwelt erzeugt wird, die dominierenden Gesellschaftsschichten hilft, Hegemonie zu erzeugen.[3] Demnach bestehen einige Überschneidungen zu den Forschungen von Tom Holert und Mark Terkessidis zur Sichtbarkeit und Subjektivität im Neoliberalismus. Auch in der Kriminologie lässt sich ein gewachsenes Interesse an einer gemeinsamen Artikulation von Kriminalität und Kultur feststellen. In der Tradition der klassischen Jugendkultur-Forschungen des Centre for Contemporary Cultural Studies (CCCS) oder Studien zu moralischen Paniken hat sich die sogenannte Cultural Criminology entwickelt. Im Zentrum der Fragestellung stehen, wie Jock Young es formulierte, Transgression und Rachsucht. Das Phänomen Kriminalität wird in diesem Sinne als Ausdruck der Alltagskultur verstanden und durch Sensibilitäten rekonstruiert. In den 1990er Jahren drängten die durch die Globalisierung ausgelösten oder beschleunigten sozialen Prozesse in vielen Praxisfeldern (Migration, ethnische Konflikte, kulturelle Mehrfachzugehörigkeiten, Entkolonialisierung) auf Ausdifferenzierung weiterer neuer Analysekategorien. |
歴史 始まり 1920年代以降のドイツでは、文化哲学(ゲオルク・ジンメル、エルンスト・カッシーラー)、文化史、歴史哲学的人類学、社会学(マックス・ヴェーバー、 フェルディナント・テニエス)、美術史(アビー・ヴァールブルク)などが、独立した学問分野としてカルチュラル・スタディーズを発展させた。 1934年、国家社会主義者の煽動により、それまで美術史研究のみに特化し、ユダヤ人後援者ヘンリエッテ・ヘルツの名を冠していたローマのヘルツィアーナ 図書館は、「カイザー・ヴィルヘルム芸術文化研究所」と改名され、国家社会主義者の意志により、新しい文化研究部門の最も重要な任務は、ファシズム下のイ タリアにおいてドイツ文化と「ドイツ精神」を伝えることであった。 1960s 1960年代以降、カルチュラル・スタディーズは、日常的な実践としての文化の意義を探求しようとする学際的な研究アプローチとして、アングロサクソン系 の「カルチュラル・スタディーズ」という用語の下で国際的な重要性を獲得した。スチュアート・ホール(社会学者)は、その出現を1956年前後の新左翼の それと密接な関係があると見ている。スチュアート・ホールは、ソ連の共産主義モデルから英国で最初に距離を置き、同時に、その決定論的な基層と上部構造の モデルや「誤った」意識の概念を持つ正統的なマルクス主義理論からも距離を置いた[1]。 「カルチュラル・スタディーズ」は、1960年代にイギリスの成人教育の代表者や、日常文化に関心を持つ文学者たちによって、また台頭しつつある大衆文化 との関連において発展した[2]。彼らは、フランクフルト学派との関連においても、ルイ・アルチュセールやアントニオ・グラムシのマルクス主義に倣い、文 化的商品の生産条件、ひいては意味のヘゲモニー的パターンを強調した。 研究は主にスチュアート・ホールの指導の下、現代文化研究センター(CCCS)の環境で行われた。その他の重要な代表者は、初期の基礎作りに貢献したエド ワード・P・トンプソンとレイモンド・ウィリアムズ、ポール・ウィリス、後にディック・ヘブディージュとアンジェラ・マクロビーで、彼ら自身も若者のサブ カルチャー、特にブリティッシュ・パンクの影響を受けている。 1980年代から今日まで 1980年代、ピエール・ブルデューとジョン・フィスクの研究や、アメリカやカナダの大学に研究の重心が移ったことで、焦点はシフトした。生産と消費が同 等の理論的価値を持つと考えられるようになったのである。1980年代から1990年代にかけての研究では、製品の流用実践を中心に据えたものが主流で あった。フランクフルト学派の文化批評では、消費者は文化産業に騙され、操られている大衆とみなされていたのとは対照的に、カルチュラル・スタディーズで は、消費者による文化的対象の創造的利用がより強く強調された。1990年代には、差異というトピックがカルチュラル・スタディーズで特に重視されるよう になった。健康科学の世界的リーダーであるマギル大学のようなトップレベルの研究機関は、自前のカルチュラル・スタディーズ研究所で初めて、ジェンダー医 学の分野で幅広い研究を行うようになった。 カルチュラル・スタディーズにおけるより最近のアプローチは、とりわけ、ジル・ドゥルーズの意味での意味づけの実践を超え、影響を通して文化を再構築する ことを目指している。文化研究は、生産、動員、影響を捉える問題となる。この動きは、覇権主義的な政治理解への批判と密接に関連し、ミシェル・フーコーに 倣って、生政治を通じた日常生活の生産に関する問題を扱う。スポーツジャーナリズムは、支配的な社会階層がヘゲモニーを生み出すのに役立つ幻想的な世界を 作り出しているため、これにはスポーツも含まれる[3]。したがって、ネオリベラリズムにおける可視性と主観性に関するトム・ホラートやマーク・ターケシ ディスの研究とも重なる部分がある。 犯罪学においても、犯罪と文化との共同作業に対する関心が高まっている。現代文化研究センター(CCCS)の古典的な若者文化研究やモラル・パニック研究 の伝統を受け継ぎ、いわゆる文化犯罪学が発展してきた。ジョック・ヤングが言うように、罪過と復讐心が研究の中心にある。この意味で、犯罪現象は日常文化 の表現として理解され、感性によって再構築される。 1990年代には、多くの実践分野でグローバル化が引き金となり、あるいは加速した社会的プロセス(移民、民族紛争、複数の文化的帰属、脱植民地化)が、 さらに新しい分析カテゴリーの分化を推し進めた。 |
Kulturwissenschaften versus
Geisteswissenschaften Seit den 1980er-Jahren steht die Bezeichnung „Kulturwissenschaften“ zudem für eine neue Selbstbeschreibung eines Großteils der in der Tradition Wilhelm Diltheys in Deutschland „Geisteswissenschaften“ genannten Disziplinen. Von den Kulturwissenschaften (im Plural), welche die Methode einzelner Geisteswissenschaften für die Untersuchung von Kultur behandeln, kann nach Hartmut Böhme die neuere Disziplin der Kulturwissenschaft als Disziplin unterschieden werden, welche zwar für die Untersuchung von Kultur auch auf die Ergebnisse der Einzelwissenschaften angewiesen ist, aber trotz allem versucht, durch Kulturreflexion und Kulturkritik übergreifende Zusammenhänge in den Blick zu bringen: „Dies unterscheidet die Kulturwissenschaft, jedenfalls in ihrer gegenwärtigen Phase, von den etablierten Geisteswissenschaften, die aufgrund ihrer hohen Spezialisierung den Kontakt zu jener Tradition weitgehend verloren haben, die Reinhart Koselleck (1973) als den für die Moderne charakteristischen Zusammenhang von ‚Kritik und Krise‘ beschrieben hat.“[4] Im Vergleich zu den Geisteswissenschaften kann die Kulturwissenschaft durch folgende Punkte unterschieden werden:[4] Einerseits nimmt sie die Verdrängung der Geisteswissenschaften durch den Nationalsozialismus zurück, andererseits schließt sie nicht unmittelbar an die deutsche Tradition der Geisteswissenschaften an, sondern nimmt auch Ideen aus den Cultural studies und Humanities mit auf. Gegenstand ihrer Untersuchung ist nicht ausschließlich die sogenannte Hochkultur, sondern sie bezieht alle Bereiche kulturellen Lebens mit ein. Aufmerksamkeit widmet sie daher allen Massenmedien (also nicht mehr nur dem Buch), da Kultur in verschiedenen Medien geschieht. Damit spielt nicht mehr nur die schriftliche Überlieferung eine zentrale Rolle, sondern alle kulturellen bildlichen Formen, d. h. performative Akte, Körperfiguren, Rituale und Habitus. Als kulturelles Gedächtnis zählt somit nicht mehr nur das Geschriebene, sondern alle Verkörperungen und Einbettungen von Kultur, die sich für ihren Erhalt ständig neu aktualisieren und einschreiben müssen. Die Kulturwissenschaft untersucht die Wanderungsbewegung der kulturellen Formen und Symbole über historische und ethnische Grenzen hinweg, wodurch zugleich ein Eurozentrismus vermieden wird. Im Anschluss an die Kultursemiotik versteht sie Kultur als Symboluniversum und textualen Zusammenhang: Die Bedeutung einzelner kultureller Momente ergibt sich immer nur im Zusammenhang mit anderen Stellen dieses Textes, Kultur ist ein Text, in dem die Kulturwissenschaft liest, aus dem sie das kulturell Bedeutsame herausliest. Typisch für die Kulturwissenschaften ist auch der Gebrauch von Begriffen wie Diskontinuität, Bruch oder Differenz anstelle der traditionellen „Kohärenzbegriffe“ wie Werk, Tradition, Geist, Mentalität oder Einfluss.[5] Kennzeichnend sind der Umschlag von Analysegegenständen (Texte, Räume, Bilder, Rituale, Kulturvergleich usw.) zu Analysekategorien (Kultur als Text, spatial turn, iconic turn, performativer Ansatz, translational turn usw.) sowie eine Metaphorisierung der Analysekategorien.[6] |
カルチュラル・スタディーズ〈対〉人文科学 1980年代以降、「カルチュラル・スタディーズ」という用語は、ドイツにおけるヴィルヘルム・ディルタイの伝統に基づき、「人文学」と呼ばれる学問分野 の大部分を新たに自己規定するものでもある。 ハルトムート・ベーメによれば、カルチュラル・スタディーズという新しい学問領域は、文化研究のための個々の人文科学分野の方法を扱うカルチュラル・スタ ディーズ(複数形)とは区別され、文化研究のための個々の科学分野の結果にも依存しながらも、文化的考察や文化批評を通じて、包括的な文脈を浮かび上がら せようとする学問領域である: このことは、少なくとも現在の段階において、カルチュラル・スタディーズを、その高度な専門性のために、ラインハルト・コゼレック(Reinhart Koselleck, 1973)が近代性の特徴である「批評と危機」の結びつきと表現した伝統との接点をほとんど失ってしまった既成の人文科学とは区別している。 "[4] 人文学との比較において、カルチュラル・スタディーズは以下の点で区別することができる[4]。 一方では、国家社会主義による人文学への抑圧を引き取り、他方では、ドイツの人文学の伝統をそのまま踏襲するのではなく、カルチュラル・スタディーズや人 文学の考え方も取り入れている。 彼女の研究の対象は、いわゆるハイカルチャーだけでなく、文化生活のあらゆる領域を含む。 したがって彼女は、文化はさまざまなメディアで行われるため、あらゆるマスメディア(つまり、もはや書物だけではない)に注意を払う。 つまり、文字による伝統だけでなく、あらゆる文化的視覚形態、すなわち演技的行為、身体像、儀式、ハビトゥスが中心的な役割を果たすのである。 したがって、文化的記憶はもはや文字に限定されるものではなく、文化のあらゆる体現や埋め込みを含み、それらは保存されるために常に更新され、再記刻され なければならない。 カルチュラル・スタディーズは、歴史的・民族的境界を越えた文化的形態やシンボルの移動を検証するものであり、ヨーロッパ中心主義を回避するものでもあ る。 個々の文化的瞬間の意味は、このテキストの他の部分との関連においてのみ現れるものであり、文化はカルチュラル・スタディーズが読み解くテキストであり、 そこから文化的に重要なものを抽出する。 また、カルチュラル・スタディーズに典型的なのは、作品、伝統、精神、メンタリティ、影響力といった伝統的な「一貫性の概念」の代わりに、不連続性、断 絶、差異といった用語を用いることである[5]。特徴的なのは、分析の対象(テクスト、空間、イメージ、儀式、文化比較など)から分析のカテゴリー(テク ストとしての文化、空間的転回、象徴的転回、パフォーマティブ・アプローチ、翻訳的転回など)への転換であり、分析のカテゴリーのメタファー化である [6]。 |
Internationaler Vergleich Insbesondere in den USA und Kanada wird in „cultural studies“ eine interdisziplinäre Fächerkombination jener Schwerpunktdisziplinen festgelegt, in denen eine wissenschaftliche Einrichtung forscht bzw. lehrt. Sogar innerhalb eines Forschungsgebietes können aufgrund der jeweiligen wissenschaftlichen Fragestellung unterschiedliche Kombinationen festgelegt sein. So wurde an der McGill-Universität ein interdisziplinäres „cultural studies“-Studium mit dem Forschungsbereich Gendermedizin und den Fächern Anthropologie, Psychologie, Kommunikationswissenschaft, Soziologie und Medizingeschichte eingerichtet. An anderen angloamerikanischen Universitäten und Forschungseinrichtungen mit beispielsweise politischen Schwerpunkten verstehen sich „cultural studies“ wiederum als dezidiert politische Wissenschaft oder auch als „Alternativ-Disziplin“, als entschiedene Parteigängerin der Popularkultur oder von Minderheitenkulturen.[7] Demgegenüber untersuchen die meisten Vertreter der deutschen Kulturwissenschaft auch politikfreie Wissensgebiete, was in der Geschichte der deutschen Kulturwissenschaft begründet ist.[8] So werden an der Fernuniversität in Hagen im Bachelorprogramm Kulturwissenschaften Geschichte, Literaturwissenschaft und Philosophie mit Betonung der handwerklich-philologischen Aspekte gelehrt. In Frankreich blieb die Kulturwissenschaft stets eng mit der Soziologie verbunden. Die russische „Kulturologie“ basiert hauptsächlich auf der Semiotik, wobei hier hauptsächlich die Tartuer (Juri Lotman) und Moskauer Schulen (Boris Uspenski) zu erwähnen sind. Michail Bachtin gehört zu ihren Vorläufern. |
国際比較 特にアメリカやカナダでは、「カルチュラル・スタディーズ」は、学術機関が研究したり教えたりする主な学問分野の学際的な組み合わせを定義している。ひと つの研究分野であっても、それぞれの研究課題に基づいて、さまざまな組み合わせが定義される。例えば、マギル大学では、ジェンダー医学という研究分野と、 人類学、心理学、コミュニケーション科学、社会学、医学史という科目との学際的な「カルチュラル・スタディーズ」プログラムを設けている。政治に重点を置 く他の英米の大学や研究機関では、例えば、カルチュラル・スタディーズは明らかに政治学として、あるいは「オルタナティブな学問」として、大衆文化やマイ ノリティ文化の支持者として捉えられている[7]。 これとは対照的に、ドイツのカルチュラル・スタディーズを代表する研究者の多くは、非政治的な知識分野も研究しており、これはドイツのカルチュラル・スタ ディーズの歴史に根ざしている[8]。例えば、ハーゲンのフェルヌン大学のカルチュラル・スタディーズ学士課程では、歴史、文学、哲学を専門的・言語学的 側面に重点を置いて教えている。 フランスでは、文化学は常に社会学と密接に結びついている。 ロシアの「文化学」は主に記号論に基づいており、タルトゥ学派(ユーリ・ロトマン)とモスクワ学派(ボリス・ウスペンスキー)は特に注目に値する。ミハイ ル・バフチンはその先駆者の一人である。 |
Kritik Friedrich Kittler kritisiert die „wunderbar vorgespielte, aber desto verlogenere wissenschaftliche Unschuld“ der Kulturwissenschaft, vor allem aber der angelsächsischen cultural studies. Statt sich im Standpunkt eines allem enthobenen Beobachters zu vermuten, fordert Kittler stattdessen „unsere eigene Wissenschaft“ als Sachverhalt „mit dessen eigenen Mitteln anzugehen.“[9] Indem er die Entstehung von Kulturwissenschaft und cultural studies historisiert, betont Kittler, dass auch die cultural studies nicht weltanschaulich neutral sind, sondern sich selbst als eine Form der gelebten Kultur erweisen. „Vor allem hat jede Theorie, die einer sogenannten Gesellschaft (und sei es zu deren sogenannter Verbesserung) dient, über ihre Grundbegriffe schon vorentschieden. Sie hält jene Leere nicht aus und offen, in deren dunklem Raum es im Gegensatz zu einer allgegenwärtigen fable convenue nie ausgemacht sein kann, daß es den Rausch und die Götter, die Tragödie und den Himmel nie und nimmer gibt. Keine Menschen, keine Gesellschaften befinden darüber, ob und wann im Geschenk des Gusses zumal Erde und Himmel, die Göttlichen und die Sterblichen weilen.“[10] Kittler hält hier dem sich neutral gebenden Wissenschaftsbetrieb zum Vergleich eine alternative Welt entgegen, wie er sie in Nietzsches Geburt der Tragödie und in Heideggers Spätphilosophie des Gevierts findet. Weder weltanschauliche Neutralität noch ein absoluter Standpunkt lassen sich für Kittler durch den Forscher herstellen, sondern werden durch die mediengeschichtliche Dynamik bestimmt, die sich der Verfügbarkeit des Menschen entzieht. Diese Erkenntnis auf sich selbst anzuwenden fordert Kittler von den cultural studies und der Kulturwissenschaft. In die entgegengesetzte Richtung zielt die konkrete methodische Kritik, wonach sich durch die Konzentration der Kulturwissenschaften auf aktuelle Diskussionsfelder wie Identität, Popularkultur, Globalisierung oder Dekolonisierung der bewährte, bei der Untersuchung der einzelnen Kulturobjekte angewandte Methodenkanon der disziplinären Geisteswissenschaften „zunehmend verflacht und in Vergessenheit geraten“ ist. Die Kulturwissenschaften seien in „Sackgassen durch Jargonbildung“ geraten. Begriffe wie Interkulturalität machten „ein ganzes Fass von Assoziationsmöglichkeiten auf“ und verstärkten den Eindruck von „Vagheit und Konturenlosigkeit kulturwissenschaftlicher Forschungen“. Als ein Ausweg wird diskutiert, das Studium einer sich als interdisziplinär verstehenden Kulturwissenschaft erst nach einer soliden disziplinären Ausbildung zu beginnen, was der Wissenschaftsrat in seinen Empfehlungen zu Lage der Geisteswissenschaften in Deutschland im Jahr 2006 vorschlug; eine andere Lösung wäre die Anreicherung der Einzeldisziplinen mit kulturwissenschaftlich-interdisziplinären Aspekten von Beginn an. Auch habe das postmoderne Aufweichen einer Gesellschaftsanalyse zugunsten der Orientierung auf die Welt der Zeichen in den Eklektizismus geführt.[11] Die neuen kulturtheoretischen Ansätze besitzen nicht mehr die Festigkeit und Kohärenz der alten Sozialtheorien wie etwa des Strukturfunktionalismus oder des Marxismus. Es handle sich vielmehr um approaches, nicht um Paradigmen im Sinne Thomas S. Kuhns, da es in den Kulturwissenschaften keine wissenschaftliche Community mehr gebe, die einen Theoriekern teilt. Die experimentellen kulturwissenschaftlichen Theorieansätze seien keinesfalls unumkehrbar;[12] immer wieder würde auf ältere Konzepte zurückgegriffen. Auch Mieke Bal, die den kritischen Impetus der Cultural Studies teilt, kritisiert ihre einseitige Parteinahme für die moderne Populärkultur sowie ihre mangelnde methodische Stringenz, die sich im Fehlen einer verbindlichen Methodik ebenso wie einer Theorie der Inter- bzw. Transdisziplinarität zeige. Sie laufe Gefahr, die Intersubjektivität dem politischen Engagement für Minderheiten unterzuordnen; ihre politischen und ethischen Ziele blieben ungeklärt.[13] Angesichts der schillernden Bedeutungsvielfalt des Kulturbegriffs gibt Wolfgang Müller-Funk dem Begriff der Kulturtheorie den Vorzug vor dem der Cultural Studies im Sinne einer „Kulturanalyse“ und besteht auf einer theoretischen Fundierung, um den Anschein einer „fröhlichen Wissenschaft“ ohne Methodenzwang im Sinne Paul Feyerabends zu vermeiden.[14] Julia Reuter und Diana Lengersdorf konstatieren eine antidisziplinäre und antiakademische Haltung der Cultural Studies.[15] Lutz Musner kritisiert die mangelnde Rückbindung der Kulturwissenschaften an das soziale Geschehen, wie er sie in seiner Studien über die Kultur der Stadt Wien und die daran geknüpften exemplarisch vorführte,[16] sowie die überhitzte Konjunktur und den selbstkritiklosen „Wandel von Theoriemoden“.[17] Doch lebt die totgesagte materiell-ökonomische Analyse immer wieder auf wie in Fredric Jamesons Rede von der Postmoderne als der cultural logic of late capitalism.[18] |
批判 フリードリヒ・キットラーは、カルチュラル・スタディーズ、とりわけアングロサクソンのカルチュラル・スタディーズの「素晴らしく見せかけられた、しか し、より狡猾な科学的無邪気さ」を批判している。キトラーは、自らをすべてから切り離された観察者であると仮定する代わりに、「私たち自身の科学」を「そ れ自身の手段を持つ」事実としてアプローチすることを求めている[9]。カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズの出現を歴史化すること で、キトラーはカルチュラル・スタディーズがイデオロギー的に中立でもなく、むしろそれ自体が生きた文化の一形態であることを証明していることを強調して いる。 「とりわけ、いわゆる社会に奉仕するあらゆる理論は(たとえそれがいわゆる社会の改善のためであったとしても)、その基本概念をすでに決定している。その 暗い空間では、遍在する寓話の道とは対照的に、酩酊と神々、悲劇と天国が決して存在しないことを明確にすることはできない。地と天、神と死すべきものが型 の贈与のなかに宿るかどうか、またいつ宿るかを決めるのは、いかなる人々でも、いかなる社会でもない」[10]。 ここでキットラーは、ニーチェの『悲劇の誕生』やハイデガーの後期広場哲学に見られるような、中立的な科学的確立と代替的な世界とを対比させている。キッ トラーにとって、イデオロギー的な中立性も絶対的な立場も研究者によって確立されるものではなく、むしろ人間の利用可能性を排除したメディアと歴史のダイ ナミズムによって決定される。キットラーは、カルチュラル・スタディーズとカルチュラル・スタディーズに、この認識を自らに適用することを要求している。 カルチュラル・スタディーズが、アイデンティティ、ポピュラー文化、グローバリゼーション、脱植民地化といった、現在議論されている分野に集中しているこ とは、学問的人文学において、個々の文化的対象を検討するために用いられてきた、試行錯誤を重ねた手法の規範が「ますます平板化し、忘れ去られている」こ とを意味する。カルチュラル・スタディーズは「専門用語の形成による行き詰まり」に陥っている。インターカルチュラリティのような用語は、「連想の可能性 を広げる」ものであり、「カルチュラル・スタディーズ研究の曖昧さと輪郭の欠如」という印象を強めている。一つの解決策として議論されているのは、 2006年にドイツ人文科学科学評議会がドイツの人文科学のあり方に関する提言の中で提案したように、学際的であると理解されているカルチュラル・スタ ディーズを、しっかりとした学問教育を受けた後に初めて学び始めるというものである。ポストモダンが社会分析を軟化させ、記号の世界を志向するようになっ たことも、折衷主義につながった[11]。新しい文化理論のアプローチは、構造機能主義やマルクス主義のような古い社会理論のような堅固さや一貫性をもは や持っていない。むしろ、それらはトーマス・S・クーンの意味でのパラダイムではなくアプローチであり、理論的中核を共有する科学的共同体がもはやカル チュラル・スタディーズには存在しないからである。カルチュラル・スタディーズにおける実験的な理論的アプローチは、決して不可逆的なものではない。 カルチュラル・スタディーズの批評的推進力を共有するミーケ・バルもまた、その近代大衆文化に対する一方的な党派性と方法論的厳格さの欠如を批判してい る。その政治的・倫理的目標は不明確なままである[13]。文化という概念の意味がめくるめくほど多様であることに鑑み、ヴォルフガング・ミュラー=フン クは、「文化分析」という意味でのカルチュラル・スタディーズよりも文化理論という概念を支持し、ポール・ファイヤーアーベントの意味での方法論的制約の ない「幸福な科学」の外観を避けるために、理論的基礎を主張している[14]。 Julia ReuterとDiana Lengersdorfは、カルチュラル・スタディーズの反学問的・反学問的態度を述べている[15]。 ルッツ・ムスナーは、ウィーン市の文化に関する研究とそれに関連するカルチュラル・スタディーズ[16]に例証されるように、カルチュラル・スタディーズ と社会的事象との間につながりがないこと、また過熱するブームと自己批判的な「理論的流行の変化」[17]を批判している。 しかし、フレデリック・ジェイムソンが後期資本主義の文化的論理としてポストモダニズムを語るように、死んだと宣言された物質経済学的分析は絶えず復活し ている[18]。 |
Studienorte Zahlreiche Universitäten in Deutschland bieten Studiengänge zu Kulturwissenschaften an.[19] |
学習場所 ドイツの数多くの大学が、文化研究の学位プログラムを提供している[19]。 |
https://de.wikipedia.org/wiki/Kulturwissenschaft |
★ここからは、もう附録になります。
文化学とはどんな学問なのか?
文化学という統合化された学問は現在のところ存在しません。にもかかわらず日本の多くの 大学に「文化」の名前を冠した教育組織(学系・学類・学群・学科など)が存在します。文化に対する市民の関心の高さと、多くの大学が学生に文化を学ばせる ことの意義を認識している証拠だと言えるでしょう。これだけ文化に関する教育組織があるから、それを支える公式の学問にも「文化」を冠したものがたくさん あるはずだと皆さんはお思いになるかもしれません。しかし、これらの領域において文化を冠した公式・準公式の学問は、文化人類学、カルチュラル・スタディーズ (文化研究)、文化史、文化社会学、文化経済学、国際文化学など、ほとんど数えるほどしか存在しません。
文化を定義してみよう!
ではここでは私の専門分野である文 化人類学から「文化」を定義してみたい。文化とは、人間が後天的に学ぶことが でき、集団が創造し継承している/いた認識と実践のゆるやかな体系のことである。他方で、文化の定義について考えれば、考えるほど「文化」が何をさすのか 専門家でも混乱することがある。その理由は、人々が考える文化の定義がきわめて多様であるからです。ざっくり言えば文化には決定的な定義がない、つまり決 められないという面があります。にもかかわらず「文化の定義」にかかわる議論は重要である。なぜなら、文化の定義を考えることは、人間の創造的営みの意義 とその多様性について考えることにほかならないからなのだ。したがって文化学を学ぶ意義とは、人間の文化の多様性(「複数の文化」と言う)と文化の普遍 性・共通点(「単数の文化」)を明らかにするという2つの作業からなりたちます。
なぜ、文化の学問に人気があるのか?
文化を冠する準公式学問は、まず文化人類学しかないことになります。だけど「文化」に関して 教育する大学はさまざまな学問名称を名乗っています。この理由をどのように考えるべきでしょうか。いくつかの仮説が考えられます。
期せずして結果的に総合文化学の王道(?)を歩んでしまった「文化人類学」の教育をおこなっ ている私の経験から申しましょう。つまり、この3つの仮説は大学の教育組織において、フィーバー気味の「文化を名前の一部につけたがる症候群」の原因とし ていずれもその可能性があります。だから「何となく総合文化学を学びたい!」という受験生の皆さんの気持ちは、激動する現代を生きている諸君の動機として 少数派の変わった選択では決してなく、むしろ多数派の由緒正しい選択であるということができるのです。
文化学が必要とされる現代
私は教え子たちから大学教師らしくない先生とよく言われます。それはたぶん総合文化学の基礎 学問とも言える文化人類学、その中でも医療人類学という一風変わった学問を勉強しているせいかも知れません。勉強したい分野を選ぶには、大学の先生方が言 う「これだけのことができる」という宣伝文句を信じるのではなく、その大学の先生方が「どんなことをやっているのか」ということをよく調べなさいと私は助 言します。総合文化学が学問全体の中でどのような状況にあるのか、そのことがわかれば、皆さんの総合文化学への関心もより具体的なテーマや個別学問分野に 着目し、最適の大学選択をおこなうことができるようになるでしょう。少し遠回りですが、こちらのほうが有益です。
学際科学/総合科学としての文化学
まず大学の学問が、文化系、理科系と分かれているのはご存じでしょう? じっさい高校の進学 指導は、この二つの分野に受験生を区分することからはじまります。理学部や工学部は理科系、文学や法学、経済学は文科系です。それは受験科目(数学、理 科、社会)の選択でこのように区分されているからです。ところが事実は小説より奇なりと言います。実際は、勉強は文理を分けず相互に必要なのです。例え ば、経済学や地理学では数学の知識が重要視されているどころか不可欠なものとされています。農学や工学あるいは医学部では、エンジニアの倫理、生命倫理学 や医事法学の知識が教えられるようになってきました。なぜなら、理系出身の技術者が社会の基本的な成り立ちを知らないために知らないうちに組織犯罪に手を 染めたり、倫理上のミスをすることが近年増加してきているからです。社会の仕組みをよく分からないと立派なエンジニアにはなれません。
本来、文科系理科系を問わず、このような人間が生きるための基本的な教育は高校までに教えら れるべきだと思いませんか? しかしながら、高校教育は大学 受験中心の教育に偏重しているし、多くの受験生にとっても大学が高等教育の最後の関門なので、教養を育む自分のための勉強をおこなう余裕はないことを痛感 されていると思います。
今後、社会はますます総合科学としての文化学への期待が高 まる!
そのため大学に入ってから一般教養の履修で、文科系理科系の区別無く学問をおこなうことの社 会的意味について学ぶ、ということになっているのでしょう。しかし、一般教養教育は大学教育の中でもっとも不成功に終わったシステムで、過去十数年間に多 くの教養部が廃止されたり、他の学部や大学院に吸収されてしまいました。しかしながら、実際には自然科学はバイオサイエンスやナノテクノロジーに代表され るようにどんどん進歩している反面、社会の常識すら知らない研究者が登場し、反倫理的な技術を開発したり、組織犯罪に発展するかもしれない深刻な事態は日 々増えつつあります。それどころか、情報技術の発達やテロリズムの暴発など、既存の人文科学や社会科学で解決できない新しい問題系への取り組みが要求され るようになってきました。 そこで総合文化学への期待が一気に高まってきたわけです。したがって、総合文化学を学ぶことに対して次のような期待がなされています。さまざまな社会状 況のダイナミックな変化に対して、(1)個々の社会文化現象を総合的に把握することができる、(2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言することがで きる、(3)またその中で安全で充実した人生を送るための生活実践上の技術を学ぶことができる。
関連する諸学問
では実際の総合文化学分野で、学生はどんなことを学んでいるのでしょうか。総合文化学では 「文化人類学」が中心になり、人文学の5大分野と言われる「哲学」「文学」「言語学」「歴史学」「地理学」さらには、社会科学の諸領域が統 合されたものになっています。総合文化学は、人間が創り出した有形無形を問わずほとんどあらゆる社会現象つまり「文化」が学問の対象になります。
● 練習問題(1):インターネットとその社会に及ぼす影響
■ 画像はイメージです
ここでひとつ事例を出してみよう。「インターネットを利用したツイッターやブログの利用 とそれが青年男女の生活にもたらす影響」です。ちなみにこの問題は、現在の総合文化学を学んでいる大学の多くの研究室で、学生と教師が議論をしているテー マと言えましょう。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索やネット検索(著名なサイトであるグーグルで検索すること=「ググ る」)によって、これらのサイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「リア充」「DQN」あるいは 「アンサイクロペディア」は日本の固有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
● 練習問題(2):コンビニエンスストア(=コンビニ)の研究
■ 画像はイメージです
コンビニエンスストアは、我々——とくに大学生を含む若者——の生活の 一部なるくらい「定着」しました。また各種の大学願書の請求や受験料 の振り込み窓口になるぐらい「進化」してきましたね。
このようなコンビニの利便性の向上が、我々の生活スタイルのみならず、 我々の考え方などに影響を与えていると考えるのは至極当然のことです。 コンビニのことを、もし文化人類学が調べるとするとどのようなことか ら勉強をはじめるでしょうか? たぶん次のようなことでしょう。
(a)そもそもコンビニとはなにか?(言葉の定義)
セブンイレブンやローソン(あるいは他のコンビニエンスストアチェーン名)という特 定のフランチャイズ店舗による小売 店のことでしょうか?、そうしたら、それ以外のチェーン店舗はそうでな いのでしょうか? コンビニの名前の由来、システム、歴史などについて 知らないと、コンビニそのものを研究の対象にすることができません。
(b)コンビニではなにがおこなわれているのか(実態の調査)
多種多様なサービスや人の動きなど、コンビニというひとつの店舗を中 心にそのお店がどのような人や人間の流れの中に組み込まれているのか、 その実態を知る必要があります。それは、ひろくシステム(体系)という 概念で理解することができます。文化人類学者は、社会システムという用 語で、そこに生きる人間の役割、性別、分業、モノと人の関係、お金の動 き(経済)、法律や政治との関係(マクロ権力)や細かい人間関係(ミクロ な権力関係)などに目配せをしてゆくでしょう。
(c)コンビニは我々の世界の中でどのような役割を果たしているのか (人に対する聞き取り調査)
先の実態の調査から浮かびあがるのは、コンビニという世界、つまり環境 のようなものです。しかし、そのような環境で生きている人間についての情報 が、これだけではわかりません。経営者、バイトしている人、流通業者、経営 指導する人たち、などコンビニを管理運営している人と、コンビニを利用する 消費者への直接インタビューして聞いて、それらの人たちがコンビニとどの ような関わりをもっているか調べます。文化人類学には参与観察というもの があります。自分自身がバイトして調査する方法もありますし、また企業人と して働くのであれば、仕事で知り得た秘密をどこまで公開できるのか(調査上の 守秘義務→調査研究の倫理)なども考える必要もあります。また、若者が多いからと言って 自分の身の回りの人だけを調査するだけでは不十分です。利用者の年齢分布や 性別などを考慮して、どのような意見が全体を代表するのかについてよく 考える必要があります。そのなかで、予想もしなかった事実が発見できたとき それを、どのように理論化するか、考える必要もでてくるかもしれません。
(d)コンビニ現象の文化人類学考察
コンビニのノウハウは東アジア、東南アジアをはじめとして、さまざまな ところで消費生活の中に浸透しつつあります。それらに、文化差が見られない わけがありません。コンビニの比較文化も文化人類学にとっての大きな課題です。 また、経済のグローバリゼーションとコンビニ文化や、消費生活の変化など さまざまな課題も考えられます。
このようなことをざっと考えただけでも、コンビニが文化人類学で分析でき ることがわかるでしょう。いやむしろ文化人類学はコンビニ現象を分析する 有益なルーツになるでしょう。
文献:日本からコンビニがなくな る日(池田光穂)
(付記)その後、現在(2009年4月)では、コンビニ業界はもともと親会社あるい は関連企業(ホールディングスと呼ばれる持ち株会社の系列に入る)であるスーパーマーケット業界や金融、運輸通信業などとの連携を強め、その生き残りをか けて、我々の生活の隙間の角までの消費に介入しようとしてきています。日本からコンビニがなくなるよりも、日本的生活らしさそのものが変化しているのかも しれません。
練習問題(3):出会い系サイトとその研究
■ 画像はイメージです
ちょっと古くなりましたが「インターネットを利用した出会い系サイトの利用とそれが青年 男女の生活にもたらす影響」はどうでしょうか。
この問題に関心のある学生は、まず身の回りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞きま す。そして自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにします。
さらに新聞記事検索によって、出会い系サイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会 欄で取り上げられる——を収集し、それを分析します。
また図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでにおこなわれた研究——これを 先行研究と言います——のリストを作成します。その中で学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強をはじめます。「出会い系サイト」は日本の固 有の用語ですが、インターネットの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べます。
もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じが否 かを調べる必要があります。
社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともありますし、またインタビューによる 調査も企画します。それまでの予備的な勉強を通して、自分が調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて少しずつ明きらか にしてゆきます。
実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象 にするわけですから倫理問題はクリアしているか、などを検討します。
[もっと知りたい方に]
出会い系サイトについての調査研究は、政府の総務省[→リンク]にアクセスして、【出会い系サイト】+【調査】で検索をかけると、 pdf等の調査記録が見つかります。ネットに関する通信の管理運営や監督についての総務省の考え方や、出会い系サイトの実態把握などについてのデータを得 ることができます。
この学問の有用性の秘密は、文化人類学という理論がすばらしいという理由からでは なく、文化人類学が、人間の生活を経験的・実証的に分析してきたことに あります。コンビニのみらならず、文化人類学はおよそ人間の生活に関わる ことであれば、ほとんどの社会事象・文化事象についてアプローチすること ができます。それは方法論上のユニークさにあります。
文化学における芋蔓式(いもずるしき)探究法!
総合文化学は社会調査をおこなう際に、文化人類学や社会学の方法を使いますが、分析に際して は人文学の知識が総動員されます。
すなわち現代社会における人間観の考察に関しては哲学や倫理学の知識が不可欠です。青年男女 あり方をめぐる事柄は多くの場合文芸ジャンル——恋愛小説など——に登場しますから、文学の分析を通して世相の変化を調べます例えば「萌え」などの用例検 討です。
言語学は男性と女性の言葉のやりとりの中に性別による違いを明らかにしたり、言語使用の個人 差を客観的に測定することができます。
歴史的には、そもそも電子情報メディアの普及の前にはあり得なかったことですから、歴史学 (史学)は時代的変遷をチェックする際に有用です。
人文地理学の知見は、空間的分布や利用者の空間概念がネット利用でどのように変化するかを教 えてくれるでしょう。
そして、文化人類学は、文字どおり、世界のさまざまな青年男女のあり方の人類文化についての 比較資料の存在を教えてくれ、人間関係性のあり方や感情生活の変化を文化的に明らかにします。
どんな人に文化学は向いているか?
はっきり言って、文化人類学は誰でも学べる奥行きのひろい学問です。文化人類学の発祥の地ア メリカ合州国——正式名称は合衆国です、なぜ違うのか社会科の先生に聞いてみよう——は、より多くの人に文化人類学の有効性を理解してもらおうと過去百年 近く、人類学者たちが努力をしてきました。その結果、文化人類学のさまざまな知見は、人類の共通の財産として認識されるようになってきました。
総合文化学の根幹をなす文化人類学の勉強は、現代の世の中のさまざまな文化事象に、まず感動 している感受性豊かな学生に最もおすすめです。総合文化学という学問領域に属する教育制度は、その感動を、(1)総合的に把握するための知識を授け、 (2)理解にもとづいて来るべき社会の姿を提言し、またその中で(3)安全で充実した人生を送るための生活実践上の指針をさまざまな形であなたに与えるこ とができるでしょう。総合文化学のキャンパスはあなたの生活上の何気ない感動の延長のすぐそこにあります。さあ、無限の興味と具体的な目的を持って私たち と一緒に勉強しましょう!
文化学を学べる大学の探し方
文化人類学の学問を教えたり、研究をしている先生のいる学部名や学科名には次のようなものが あります。
■ 大学選びよりももう先に文化人類学のマインドをもって大学(リンク先は大学院)の勉強をオンラインで、しちゃおう!
★著者紹介:池田光穂(いけだ・みつほ)先 生
別名:垂水源之介先生
憂歌団 おそうじおばちゃん(まぁ、これを聞いてくれ〜♪ )
★クレジット:「何を学ぶか(文化学分野)」【本ページはその改造版】『全国大学学部・学科案内号』蛍雪時代
2003〜2023年4月臨時増刊
号(毎年更新掲載中)、旺文社.
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