書評:花渕馨也『精霊の子供――コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年
『文化人類学』71巻2号、Pp.266-269、2006年9月 による変奏エッセイ
7.0 さてサリム・アベディに導かれてうかがい知ることのできた、すばらしきジニの世界であるが、彼(精霊)は、彼女(ファティマ)の身体を通して村落において病気治療に長きにわたり従事しており、その社会的責任を自他ともに[そして精霊じしんも]十分に認識している。憑依される人間どうしの社会関係が道徳的であるのと同様にジニの社会関係もまた道徳的である。私(読者)はマヘジャという女性に憑依するダダというジニ(精霊)が口癖にするmwanadamu na robo mbi!(人間というのは性悪だ!, p.310)という言葉にすっかり捕らわれてしまい、思わず「その通り!」と叫んでしまった。民族誌を読む行為のなかに、民族誌家が描く世界とその読者(同業者)のメンタルワールドとの共生関係というものもあるのではなかろうか。
書評:花渕馨也『精霊の子供――コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年、『文化人類学』71巻2号、Pp.266-269、2006年9月
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