書評:花渕馨也『精霊の子供――コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年
『文化人類学』71巻2号、Pp.266-269、2006年9月 による変奏エッセイ
8.0 このようなジニと憑依される人々がつくりだすある種の道徳空間への接近に、読者が臨場感をもつならば、2回目のクライマックスすなわち、大団円をむかえる第6章「三つのマウ」は、本書の中でもっとも興味深いエピソード群として楽しむことができるだろう。それは一方では、1人のワナワリ(患者)の死が引き起こした2人フンディ(ジニの憑依を通して治療施術する者)たちの抗争が表面化し、他方のパラレルワールドでは、3つの種族の有力なジニ(精霊)の対立拮抗関係があった。物語は、それらの対立とその解消にむけての交渉が同時に進行するのである。あたかも3人以上の役者の同時多発発話の演劇という平田オリザの脚本のごとく、登場人物と登場ジニがさまざまなところで接触、交錯しながらも、それぞれの筋の通った発話(物語)は同時に進行する(p.390)。パラレルワールドと現実世界における民族誌の脚本は、それらの抗争に対して違反行為に対する制裁の措置である「マウ」(ここでも先に触れたシュング制度の存在は重要な意味をもつ)が時系列に沿って3度おこなわれることで交渉調停されてゆく。このような社会的葛藤が、ある種の多重論理的な複数の会話を通して調停されることは、我々の社会では例えば医事紛争の現場において見られることであり[この紛争では少なくとも法的/道徳的/文化的慣習の水準で有機的に調停される]、少し見方を変えることで、私はマウを打つことが、別の世界の異質な体験のようには思えなかった。これを可能にしたのは、著者のたぐいまれなる観察力とその洞察力がなせる技であろう。
書評:花渕馨也『精霊の子供――コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年、『文化人類学』71巻2号、Pp.266-269、2006年9月
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