書評:花渕馨也『精霊の子供——コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年
『文化人類学』71巻2号、Pp.266-269、2006年9月 による変奏エッセイ
9.0 このような読者の多幸感も終章では多少トーンダウンするような気がする。著者の次のような台詞が浴びせられるからである。「結論などな い。ある社会に生きる人々が、ある生き方をし、ある現実を作り上げている。それだけである。その世界に生きない私にできることといえば、可能な限り正確に 彼らの現実を翻訳、記述するという無謀な試みだけなのかもしれない」(p.400)。綿密な民族誌を書いた後に、不肖私もまた一度はこのように大見得を 切ってみたい。しかし、著者じしんが体験し書かれたものが正確かつ誠実であると読者は感じるがゆえに、この台詞は皮肉を効かせた謙遜か、追いすがる読者に 向かって偽悪者ぶっていう聖者の警句のようにも聞こえる(noli me tangere!)。それとも彼(著者)の声ではなく、彼が関係を築いている抽象的な人類学的世界に住む怜悧なジニの声色なのだろうか。
書評:花渕馨也『精霊の子供——コモロ諸島における憑依の民族誌』横浜:春風社、2005年、『文化人類学』71巻2号、Pp.266-
269、2006年9月
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