ジェンダー・トラブル 第1章
Gender as one of sociological categories
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『ジェンダー・トラブル』ポータル(正面玄関)はこちらです!!! |
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解説:池田光穂
クレジット:ジェンダートラブル、あるいはジェンダーはとらぶっている(→Gender Trouble)【ポータル】
1999年版の序文"1/2 Butler's Preface of Bender Trouble (1999)"+"2/2 Butler's Preface of Bender Trouble (1999)" →pdf withpassword JB_GT_preface1999.pdf |
第1章 セックス/ジェンダー/欲望の主体 One: Subjects of Sex/Gender/Desire |
第2章 禁止、精神分析、異性愛のマトリクス の生産 Two: Prohibition, Psychoanalysis, and the Production of the Heterosexual Matrix |
第3章 撹乱的な身体行為 Three: Subversive Bodily Acts |
竹村和子あとがき(kazuko_takemura1999.pdf)with password |
●ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』Butler_gendertrouble_full.pdf
第1章 セックス/ジェンダー/欲望の主 体 | Preface
(1999) Preface (1990) |
One: Subjects of
Sex/Gender/Desire |
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1. フェミニズムの主体としての「女」 | I. "Women" as the
Subject of Feminism |
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2. セックス/ジェンダー/欲望”の強 制的秩序 | II. The Compulsory
Order of Sex/Gender/Desire |
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3. ジェンダー—現代の論争の不毛な循
環 |
III. Gender: The
Circular Ruins of Contemporary Debate |
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4. 二元体、一元体、そのかなたの理論 |
IV. Theorizing the
Binary, the Unitary, and Beyond |
||
5. アイデンティティ、セックス、実体
の形而上学 |
V. Identity, Sex,
and the Metaphysics of Substance |
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6. 言語、権力、置換戦略 |
VI. Language,
Power, and the Strategies of Displacement |
||
第2章 禁止、精神分析、異性愛のマトリ
クスの生産 |
Two: Prohibition,
Psychoanalysis, and the Production of the Heterosexual Matrix |
||
7. 構造主義の危うい交換 |
I. Structuralism's
Critical Exchange |
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8. ラカン、リヴィエール、仮装の戦略 |
II. Lacan,
Riviere, and the Strategies of Masquerade |
||
9. フロイトおよびジェンダーのメラン
コリー |
III. Freud and the
Melancholia of Gender |
||
10. ジェンダーの複合性、同一化の限
界 |
IV. Gender
Complexity and the Limits of Identification |
||
11. 権力としての禁止の再考 |
V. Reformulating
Prohibition as Power |
||
第3章 撹乱的な身体行為 |
Three: Subversive
Bodily Acts |
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12. ジュリア・クリステヴァの身体の
政治 |
I. The Body
Politics of Julia Kristeva |
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13. フーコー、エルキュリーヌ、セッ
クスの不連続の政治 |
II. Foucault,
Herculine, and the Politics of Sexual Discontinuity |
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14. モニク・ウィティッグ—身体の解
体と架空のセックス |
III. Monique
Wittig: Bodily Disintegration and Fictive Sex |
||
15. 身体への書き込み、パフォーマ
ティブな撹乱 |
IV. Bodily
Inscriptions, Performative Subversions |
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16. 結論——パロディからの政治へ |
Conclusion: From
Parody to Politics |
第1章 セックス/ジェンダー/欲望の主体 0_ch01-Butler_gendertrouble.pdf
1. フェミニズムの主体としての「女」
2. セックス/ジェンダー/欲望”の強制的秩序
3. ジェンダー—現代の論争の不毛な循環
4. 二元体、一元体、そのかなたの理論
5. アイデンティティ、セックス、実体の形而上学
6. 言語、権力、置換戦略
第2章 禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産 ch02_Butler_gendertrouble-2.pdf
7. 構造主義の危うい交換
8. ラカン、リヴィエール、仮装の戦略
9. フロイトおよびジェンダーのメランコリー
10. ジェンダーの複合性、同一化の限界
11. 権力としての禁止の再考
第3章 撹乱的な身体行為 ch03-Butler_gendertrouble-3.pdf
12. ジュリア・クリステヴァの身体の政治
13. フーコー、エルキュリーヌ、セックスの不連続の政治
14. モニク・ウィティッグ—身体の解体と架空のセックス
15. 身体への書き込み、パフォーマティブな撹乱
16. 結論——パロディからの政治へ
竹村和子「訳者解説」kazuko_takemura1999.pdf
●序文
ページ |
パラグラフ |
0_ch01-Butler_gendertrouble.pdf |
7 |
1 |
権力の巧妙な策略に注意せよ ・サルトルの欲望概念はすべてトラブル |
8 |
2 |
認識論と存在論の体制に疑問符を付せ ・Female Trouble: Spare Me Your Morals John Waters(ジョン・ウォーターズ)——Devineの女装 |
9-10 |
3 |
系譜学の手法を使う |
4 |
・フェミの問題はアイデンティティの問
題じゃない |
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5 |
・言語は男根ロゴス中心主義(イリガラ
イ) |
|
6 |
・第二章の解説 |
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7 |
・最終章の解説 |
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8 |
・フェミ、ジェンダーに関するゲイ=レズビアン、ポスト構造主義 |
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9 |
・謝辞 |
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15 |
10 |
・ウェンディ・オーウェン |
01 第1章 セックス/ジェンダー/欲望の主 体 0_ch01-Butler_gendertrouble.pdf
1. フェミニズムの主体としての「女」
2. セックス/ジェンダー/欲望”の強制的秩序
3. ジェンダー—現代の論争の不毛な循環
4. 二元体、一元体、そのかなたの理論
5. アイデンティティ、セックス、実体の形而上学
6. 言語、権力、歴換戦略
シモーヌ・ド・ボーヴォワール |
Simone Lucie
Ernestine Marie Bertrand de Beauvoir, 1908-1986 |
女は作られる |
ジュリア・クリテヴァ |
Yuliya Stoyanova
Krasteva, 1941- |
女という記号 |
リュス・イリガライ |
Luce Irigaray,
1930- |
女は不在。女性には主体も客体もない。
そもそも男根的秩序が異常。 |
ミッシェル・フーコー |
Paul-Michel
Foucault, 1926-1984 |
セクシュアリティは歴史 |
モニック・ウィティッグ |
Monique Wittig,
1935-2003 |
レズビアンが中心で標準、異性愛は脱中
心的でアノマリー、強制的な体制。《個人の向上と欲求の解放が性カテゴリーの廃止を余儀なくさせる》 |
異性愛のマトリクス |
Heterosexual matrix |
身体の性的差異(すなわちセックス)を
基軸としてエロスの交換を規範として強制する性の体制(sexual
institution)をいう。のちに、異性愛のヘゲモニー(heterosexual hegemony) |
※(A)真に禁止されているのは近親姦であり同性愛ではない,(B)近親姦以外の同性愛も異性愛も禁止されていない,(C)禁止されていないが
ゆえに同性愛は異性愛である - モ
ニック・ウィティッグの愉快な三段論法.
ページ(和訳) |
パラグラフ |
第1章 セックス/ジェンダー/欲望の 主体 0_ch01-Butler_gendertrouble.pdf |
19 |
1 |
・政治とか表象(代表)という用語に注
意警戒せよ |
19-20 |
2 |
・女という主体は安定的なものじゃない |
3 |
・フーコーによると、権力の法システム
は主体を生産し、そののちに表象するといった。 |
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21 |
4 |
・主体の問題は重要だ |
5 |
・法の前に存在する主体は可能か? |
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6 |
・女たちという厄介な用語 |
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7 |
・フェミの普遍性を準備するための家父長概念、また、その文化相対的な
無力化により破綻。 |
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8 |
・問題性のある家父長制の概念を、捨てるにすてられない、ジレンマ |
|
9 |
・フェミニズムの統一性や普遍性は、主体が確立するプロセスのなかでは
空洞化されざるをえない |
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10 |
・言語や政治の法構造についての理解と介入こそが重要 |
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11 |
・ポスフェミと「文化と政治性」 |
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12 |
・フェミの法的主体といわれているものの「追跡」の重要性 |
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13 |
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14 |
2. セックス/ジェンダー/欲望”の強制的秩序 ・単一な女のカテゴリーの生産 |
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15 |
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28 |
16 |
・セックスやジェンダーがどのように所与のものになるかと問いかけた後
に、所与のセックスやジェンダーを問いかけることは可能なのか? |
29 |
17 |
・★セックスそのものがジェンダー化されたカテゴリーとすると、ジェン
ダーをセックスの文化的解釈と定義することはナンセンスである ・ジェンアーはセックスそのものが生産される装置のようなもの |
18 |
18 |
3. ジェンダー—現代の論争の不毛な循環 ・ジェンダーは所有可能なのか?——ジェンダーやセックスは与えられるもの? |
19 |
・ボーヴォワールの構築主義的主張 |
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20 |
・ボーヴォワールの構築主義的主張→哲学上の自由意志論と決定論 ・ボディ一般 |
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32 |
21 |
・ジェンダーやセックスが、自由だ/固定だという問題の立て方、ある種
のヒューマニズムを擁護する機能をもつ |
22 |
社会科学者とジェンダー概念 |
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33 |
23 |
イリガライの議論 ・アイデンティティに関わる議論をはじめると、女(という概念)は逆説を生み出す ・おんなはひとつではないセックスである ・表象不能な概念 ・おんなは思考できないセックス ・おんなは名づけ得ない、複数のセックスである。 ・おんなは他者であるが、排除することにより、男根中心主義の意味の経済(エコノミー)を産出する ・ひとつのもとに像を結ばない表象になる——という矛盾(アイデンティティは一つのものに回帰するゆえに) |
34 |
24 |
・実体の形而上学とはなにか |
25 |
・おんなというセックスは言語上の不在の点である。 ・おんなというセックスはひとつではない主体 |
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26 |
・ボーヴォワール |
|
27 |
・ボーヴォワールの女性蔑視の実存分析=主体はつねに男 ・ジェンダーの非対称性 |
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37 |
28 |
・ボーヴォワール弁によると、女の身体は自由になるために場や手段にな るべきだ。そして、女の境界づけたり、限界づける女の本質になってはならない。 |
38 |
29 |
・ボーヴォワール:身体は言説の構築物、自由とは無縁。 ・おんなの身体は、しるしづけられ、おとこの身体はしるしづけられない ・女は無効にされている |
39 |
30 |
4. 二元体、一元体、そのかなたの理論 |
31 |
・フェミニズム批評 |
|
32 |
・本質主義にまつわる現在のフェミ論争 |
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41-42 |
33 |
・連帯の政治の可能性と限界 |
34 |
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35 |
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36 |
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37 |
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45 |
38 |
5. アイデンティティ、セックス、実体の形而上学 |
46 |
39 |
・理解可能なジェンダー |
40 |
・セックスの真実があるかもしれない、というはかない希望(フーコー) |
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41 |
・理解可能のマトリックスについて考えよ |
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42 |
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43 |
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49 |
44 |
・イリガライにとっての文法 |
45 |
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50 |
46 |
・おんなをセックスにした瞬間におんなから失われるもの |
47 |
【引用文】 |
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51 |
48 |
・セックスの粉砕を要求するウィティッグ |
51 |
49 |
・ミッシェル・アールの説明 |
50 |
【引用文】ミッシェル・アール | |
51 |
||
53 |
52 |
【引用文】ウィティッグ |
53 |
・ジェンダーは哲学に属する ・アリサ・フランクリン「あなたのせいで当たり前の女のように感じる」 |
|
54 |
54 |
・セックス、ジェンダー、欲望の三者の位相 |
55 |
||
55 |
56 |
・フーコーの引用する、エルキュリーヌ・バルバン |
56 |
57 |
エルキュリーヌは、アイデンティティではなく、アイデンティティの性的 不可能性である |
58 |
||
57 |
59 | ・ジェンダーの核(ロバート・ストーラー) |
58 |
60 |
・ジェンダーはパフォーマンスである |
60 |
61 |
6. 言語、権力、歴換戦略 ・行為の背景に行為する人を「想定」 |
62 |
・自然の生産 ・ウィティッグ |
|
63 |
・ウィティッグ | |
64 |
・ウィティッグ | |
63 |
65 |
・ウィティッグ |
66 |
・ラカン |
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67 |
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65 |
68 |
唯物論とラカン派 |
66 |
69 |
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67 |
70 |
・ポスト性器的セクシュアリティとフェミニズム |
67-69 |
71 |
|
69 |
72 |
・フェミニズムの性理論 |
73 |
||
70 |
74 |
・権力のマトリクスより逃れられない概念 |
75 |
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73 |
76 |
ボーヴォワールをうけて、おんなは(パフォーマンス的)プロセスである
という見解を提示。 ・おんなは進行中の概念である ・本書は、ジェンダー・トラブルを拡散拡大していく試み |
・フェミニズム概念の多元化
・わかりやすい政治的目標のとしての男女の賃金格差の是正と、哲学的議論としてのオントロジー(存在論)ならびにエピステモロジー(認識論)へ の切り込み
・アイデンティティの操作的概念こそが、アイデンティティ・ポリティクスの可能性
最
後の晩餐ならぬ、最初の晩餐、あるいはヲトコ時代の終わり(フェミズムの夜明け), The First Supper 1988 acrylic
on panel, 120 x 240 cm by Susan Dorothea White
リュス・イリガライ(Luce Irigaray、1930年5月3日 - )は、ベルギー出身の哲学者、言語学者。専門は、フェミニズム思想、精神分析学。 60年代初頭に渡仏し、パリ第8大学でジャック・ラカンに師事する。1964年から、フランス国立科学研究センターで研究生活を行う。2004年から2006年までノッティンガム大学客員教授。 |
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思想 イリガライの特徴は男女の性差を強調するところ、とくに言語に関して、「男性的論理」や「男性的表象体系」とは異なる「女として語る言語」の可能性と実現を模索したところにある。 ジークムント・フロイトによる男性器と女性器に対する視座はそれ自体が男性的であり、そこではヴァギナは「(ペニスが挿入される)受動的なもの」として、 クリトリスは「小さなペニス」として、言い換えればペニスの「陰画」として存在する。それに対してイリガライは「絶え間なく口づけしあっている二つの唇で 出来ている」ものとしての女性器をしばしば語り、男女器の挿入は女性器のこうした「自体愛」にとって暴力的だと見なす。言語に関してもこの認識に言及し、 「男根主権、意味の男根的論理、男根的表象体系は、ことごとく女性性器をそれ自身から引き離して、女性から自己愛を奪う方法である[1]」。 既存の言説がそもそも男性的であるなら、女性が言葉を話すことがすなわち、男性的体系への女性の従属になる。そのためイリガライは「女性的に語ること」を 模索する。「女性的に語ること」は言説体制の逆転ではない。イリガライはこの種の逆転を目的とはしない[2]。いわばそれは女性の男性化である。男性であ れ女性であれ、基準となる一つの性を設定し、その性の欠如態や陰画としてもう一つの性を語るなら、たとえフロイトとは反対の仕方で女性を基準として男性を 欠如態として語っても、それは同一者への他者の従属という男根的論理であるとイリガライは言う。 「女性的に語ること」についてイリガライはつぎのように言う。「もし私が話したり書いたりして明らかにしたいと思うことが、この「私はひとりの女性です」 という確信から出発しているのだと主張すれば、私は再び男根支配的な言説の中に入ってしまうでしょう」。さらに「女性的統辞」にはもはや「主体(主語)」 も「客体(目的語)」もない[3]。 |
|
批判 ジュディス・バトラーは、弁証法的な取り込みや他者弾圧は、男中心の意 味機構のみが行う戦法ではないと言う。様々な他者の文化を、世界規模の男根ロゴス中心主義が多様に拡大したものとしてしか見ず、それに包括してしまうこと は、全体化の概念に疑義を突きつけたかもしれない様々な差異を、同一性の記号のもとに植民地化することになる。したがってそれは、男根ロゴス中心主義の勢 力拡大の身振りを、みずから反復してしまう危険性をもつ行為ーーあらゆるものを自分のなかに取り込もうとする占有行為ーーである[4]。 バトラーはイリガライによる「二つの唇が触れ合う」外陰唇の構造から女 特有のセクシュアリティを導きだそうとする主張は、「生物学は宿命ではない」とするフェミニズムの前提を無効にすると思われる[5]と言い、たとえその主 張が戦略的な理由からであれ問題が残ると指摘する。そういったセクシュアリティを自分のものと見なせなかったり、自分のセクシュアリティの或る部分は男根 的な機構のなかで構築されていると思う女な、このような理論のもとでは、「男に同一化している[6]」とか「啓蒙されていない」といって抹殺される可能性 があるからだ。 内田樹は『レヴィナスと愛の現象学』第3章でイリガライに言及している。イリガライは論文「エマニュエル・レヴィナスへの質問」[7]をインディアナ大学 で1991年に発表しており、内田はイリガライによるレヴィナス批判を上掲書で検討している。内田は、「女性的に有性化した語法がないために、彼女たちは いわゆる中性の言語を練り上げるために利用されている[8]」などのイリガライによる文を引用しつつ、次のようにまとめる。 「「女性的に有性化した語法」をもってしか女性的主体としては記述できないとイリガライは言う。だとすれば、そのような語法をもっては語らなかったレヴィ ナスは非とされてしかるべきだろう。だが、それが批判として成立するためには、その語法は「このようなものである」ということを誰かが身を以て示してくれ なくては話にならない。しかし、イリガライ自身が「女として語る言語はまだ存在しない」と言う。まだ存在しない言語でレヴィナスが語っていないことを告発 する権限が彼女にあるのだろうか[9]」。 |
|
著書 Speculum, de l'autre femme, Éditions de Minuit, 1974. Ce sexe qui n'en est pas un, Éditions de Minuit, 1977. 『ひとつではない女の性』、棚沢直子・小野ゆり子・中嶋公子訳、勁草書房、1987年 Et l'une ne bouge pas sans l'autre, Minuit, 1979. Amante marine: de Friedrich Nietzsche, Editions de minuit, 1980. Le corps-à-corps avec la mère, Editions de la pleine lune, 1981. Passions élémentaires, Éditions de Minuit, 1982. 『基本的情念』、西川直子訳、日本エディタースクール出版部、1989年 L'oubli de l'air: chez Martin Heidegger, Editions de Minuit, 1983. La croyance même, Galilée, 1983. Éthique de la différence sexuelle, Editions de Minuit, 1984. 『性的差異のエチカ』、浜名優美訳、産業図書、1986年 Parler n'est jamais neutre, Éditions de Minuit, 1985. Sexes et parentés, Minuit, 1987. Le temps de la différence: pour une révolution pacifique, Libr. générale française, 1989. Je, tu, nous: pour une culture de la différence, B. Grasset, 1990. 『差異の文化のために――わたし、あなた、わたしたち』、浜名優美訳、法政大学出版局、1993年 J'aime à toi: esquisse d'une félicité dans l'histoire, B. Grasset, 1992. Être deux, B. Grasset, 1997. Entre orient et occident: de la singularité à la communauté, B. Grasset, 1999. Le partage de la parole, Legenda, 2001. 邦訳論文 「エマニュエル・レヴィナスへの質問」上村くにこ訳『思想』1997年4月号所収 「人間=男 (オム) の言語」尾河直哉訳『現代詩手帖』1997年3月号所収 「他者の問題」浜名優美訳, 棚沢直子編『女たちのフランス思想』(勁草書房, 1998) 所収 「二人で一人 ― 母と娘」大野雅子訳『早稲田文学』1983年10月号所収 https://x.gd/5Tlou |
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● 用語法
シ
スジェンダー(Cisgender)とは、性
自認(自分の性をどのように認識しているか)と生まれたときに割り当てられた性別が一致している人のことを指す。
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
軍艦ですら船のジェンダーは女性
Andy Warhol, Marilyn Monroe, 1967./Andy Warhol, Brillo Box (Soap
Pads), 1964(MoMA)
Columbia, personification of the United States, wearing a warship
bearing the words "World Power" as her "Easter bonnet" on the cover of
Puck, 6 April 1901.