呪術で人は殺せるのか?
Is a fetish
able to kill other?: Anthropological inquiry
もくじ:呪術で人は殺せるのか?
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1.呪術の定義
超自然的な力のコントロールが呪術のミニマムな定義
では、超自然とはなにか? あるいはコントロール(制御や技術)とはなにか?
2.翻訳語の混乱は、その輸入の時期や学説上の変化に由来する。
呪術は、マジック(魔術)と翻訳されてきたり、魔女はウィッチ(人類学用語では妖術師)という用語法などは、その学問研究の歴史的産物であ る。
術語は、その定義と概念操作をきちっと抑えておけば、翻訳語の違いに目くじらを立てる必要もないし、理論的混乱に陥ることもない。
「妖術(ようじゅつ)とは、ザンデ語のマング (mangu)を、エヴァンズ=プリチャードが翻訳した際に与えた witchcraft
の翻訳語である。ウィッチクラフトつまり、中世ヨーロッパのウィッチ(魔女)がおこなう施術としてのwitchcraft
の用例は古く、OEDには11〜12世紀まで遡れるという。しかし人類学のいうウィッチクラフトは、エヴァンズ=プリチャードの独特のマングの用例で使わ
れるもので、マングという言葉と概念で理解するアザンデ人以外には、類似のものがみつからないという、ややこしい起源をもつ」(出典:「妖術を信じなくても妖術を理解することは可能である」)
3.重要な概念の紹介
呪術が包括的な意味でもっとも広義の概念範疇を形成する。
呪術、妖術(ウィッチクラフト)、妖術師、治療師、メディシンマン、呪薬、邪術(ソーサリー)、邪術師(ソーサラー)、リーチクラフト ([尚古的]医術)、シャーマン、薬草師(ハーバリスト)、シャーマニズム(=シャマニズム)
「ソーサリー(sorcery)と名づけている。この訳語は、社会人類学者の馬淵東一(まぶち・とういち 1909-1988)が日本語の「邪術(じゃじゅつ)」の翻訳語として定着させたらしい」(出典:「妖術を信じなくても妖術を理解することは可能である」)
ヴードゥー(ブードゥー)、オカルト、医術と宗教、癒しと治療
ASC(変性意識状態)、ネオシャーマニズム
■ ウィッチクラフトと感情経験(東アフリカのギリアマの人々)
「ウツング(utungu)は毒や苦さ、遺恨、怒りを一方で意味するとともに、他方では悲しみを意味 する。それは、愛するあるいは尊敬する親族や友人の葬式で経験する感情である。男性も女性もその人の損失を嘆き、それが起きたこと自体を恨みに思い、死を もたらした妖術使い(witch)に怒りを感じる。妖術使いは支払いを受けているので、感情は愛しい人をなくしたことの結果と、彼あるいは彼女の死への復 讐の意図の双方をともなったものとなる(Parkin 1984:118) 」(関連ページ)
■ 空飛ぶ妖術師
カビサワリ(トロブリアンド諸島)
■ 愛の呪術
Oracion de puro(中央アメリカのメスティソ大衆文化)
4.この問題に興味のある人類学徒は生理学の基礎を知っておかねばならない——キャノン『からだの知恵』(1932)
[重要なテーゼ]ホメオスタシス説(ウォルター・キャノン)——人間はストレスに遇うと、さまざまな身体の防御メカニズムが働き、システム を完全にブレイクダウンはさせない
5.呪術で人は殺せるのか?——その理論的説明
わら人形で人をのろい殺す:わら人形は犠牲者の「隠喩」(=全体で別の全体を表象すること)[→記号・表象・象徴]
犠牲者の衣服や髪の毛や爪を入手し、そこに呪術をかける:それらは犠牲者とは「換喩」(=部分を全体で表象すること)の関係にある。
隠喩や換喩の関係(=心理的諸力)で人を殺せるのか?[→隠喩/換喩] [→隠喩・換喩・提喩]
ヴードゥー死:先住民を近代法システムで裁くために収監すると、すぐに死んでしまう。
予告された死:呪術師に死を宣告された病人は早晩死んでしまう(→人々の呪術師に対するいよいよの尊敬の念)。
誰かのせいで私は病気になった。誰かのせいであの人は死んでしまった、という説明原理は、《不幸の原因を人為的な作用の結果》としてみなす
方法である。それを、医療人類学は長く《パーソナリスティック》な説
明、あるいは《パーソナリスティック医療体系》と呼んできた。
ストレス学説(ハンス・セリエ)によるヴードゥー死の説明:それに対して、現地の人々は「なにか人為的な説明(→パーソナリスティックな説明)」をしているけど、科学的には、その人の体の 中でおこった生理学的/病理学的/生物物理学的な原因によって死んだり病気になったりしたに違いないという説明や信条(信仰)を《ナチュラリスティック》 なあるいは《ナチュラリスティックな医療体系》という。
ホメオスタシス説(ウォルター・キャノン)——人間はストレスに遇うと、さまざまな身体の防御メカニズムが働き、システムを完全にブレイク
ダウンはさせない(承前)
ただし、犠牲者になストレスがかかるように、犠牲者は事前に十分に社会化されている必要がある。殺せるか?殺せるか?
呪術で人殺しや呪う相手を病気にさせる「力(ちから)A」は、人を救命したり、病気を治す「力(ちから)B」になりうるのか?(→「生と死の儀礼における分類の次元」)
6.結論:呪術で人は殺せるか?
理論的には可能。ただし、犠牲者が過去に出ている(=歴史的経験の共有)、犠牲者が十分に社会化されている、などの付帯条件がつく。
また、証明されなければならない医学的証拠が必要である。このようなことが認められたら「呪術によって人を殺すことができる」と言ってよ い。
社会実験は倫理的問題(=思考実験だがどのような倫理的問題があるだろうか)があり、実際には行われることはないし、また行うべきようなも のでもない。
理論的説明および過去の事例の文化的・生理学的・心理学的説明としては、よい思考実験になる。
類似の応用問題として「信仰で病気が治るのか?」「信仰で病気を治すことができるのか?」(→メキシコの神霊治療)
●クレジット:池田光穂「呪術で人は殺せるのか?」(旧称:わら人形で人は殺せるのか?):藁人形はある通販サイトからの映像をもとに作成しま
した
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文献
あとがき(2008年7月16日)
このことに関する医学的知見にもとづいて勉強される学生は、「心身医学」や「バイオフィードバック」という用語で検索して文献を探してくだ さい。私がすぐに思いつくのは次の文献です。
両方とも、オールドパラダイム(時代遅れ)という感じもしますが、逆から言えば、心身相関というのはパラダイム化——つまり通常科学の仲間 入りあるいは近代医学のレパートリーになった——しているともいえます。なかなか奥が深い学問であり、今後のバイオサイエンスの展開次第では再び新しい光 のもとで脚光を浴びるかもしれません。