生産様式
Modes of production
解説:池田光穂
マルクス主義経済学の中心的概念の一つであり、人間の財貨の生産の様相(モード)のことである。
マルクス主義は、人間による財貨の生産・流通・消費を、人間じしんの権原としてとらえ、それを人間じしんによる活動をとおして、次第に、そして やがて完璧に合理的かつ理性的に配分することができるというユートピア思想をもっていた。
そのため、人間の権原のひとつである財貨(=富)の生産に関して、なみなみならぬ関心をもった。すなわち財貨の生産は、その人間の社会の発展を 反映するものであると考えた。また、それを発展段階という時間的区分を導入し、人間の富の生産は、その社会の権力装置を中心とした社会の構成と関連し、段 階的に(ステップ・バイ・ステップに)低級なものから、より高度なものに進歩するものとしてとらえた。例えば『経済学批判』(1859)では、マルクスは アジア的生産様式、古代的生産様式、封建的生産様式、近代ブルジョア的生産様式という、4つの異なる生産様式を区分している。
(i)生産様式を構成するのは、(これまたマルクス主義経済学独特の概念なのだが)生産力(productive force)と生産関係(relations of production, 生産諸関係とも言う)である。
マルクス主義経済学は、生産力一般の多くの部分を、(ii)労働生産力という概念でとらえる。では労働生産力とはなんだろうか。それは、1人の 労働者が一定の時間内に生産する財貨の量のことをさす。労働生産力という考え方の基盤にあるのは(そのメタ的な解釈概念であるところの)社会的生産諸力で あり、これは人間が自然にはたらきかけて、自然をつくりかえ、なおかつそのような活動をとおして人間どうしの関係(つまり社会関係)をも変えてゆく力の総 体のことを指している。
にもかかわらず人間主体だけが労働力の源泉ではない。例えば、農業生産を考えてみると、農作物の生産には、土壌・天候・日照などの自然的生産力 が必要であり、農事労働には農機具やトラクターなどの道具的生産力などの助けが不可欠である。これらは、人間の労働力(=労働生産力)を有効に活用するた めの(人間主体から見るところの)手段にほかならない。そのため、人間の生産つまり財貨の生産に寄与する、労働生産力以外の要素を「生産手段」とよぶ。こ のように、自然にはたらきかけて財貨を得るプロセスに対するマルクス主義経済学の見方は、人間の労働を中心的なものとして見なす。
いずれにせよ、労働力(=労働生産力)と生産手段の関係は複雑で有機的な関係(=あたかも生き物のようにダイナミックで錯綜する)をもちつつ、 生産力というものを構成するが、労働力と生産手段の関係を「生産関係」とマルクス主義ではそう呼んできた。
このように考えると、生産様式と生産関係は、ほぼ同義語のように思われるが、先の説明(i)にあるように生産力一般と労働生産力の関係が不明確 である。その理由は、マルクス主義独特の人間の生産すなわち労働の概念を中心に特権 化して考える傾向にあり、人間労働がもつ自然的特性という峻別するこ と ができない自然的生産力を過少評価あるいはオカルト化(=不可知化)してきたからである。
自然を取り扱う際にみられるマルクス主義の労働生産力中心主義の弊害は、たとえば旧ソビエト連邦時代におけるルイセンコ学説のように、自然科学 そのものを非科学・迷信化するという逸脱まで生んだ。
にもかかわらずその時代(マルクス主義では社会のある発展段階)における財貨の生産様式は、その時代における芸術や創造的消費といった人びとの イメージやメタファー(隠喩)——ヴィクター・ターナー(1920-1983)の用語に倣うと「ルート・メタファー」——に 深く関わる産出(つまり生産)過程を反映することがある。ま た、さらに、情報科学の発達やインターネットネットの普及状況における金融商品の拡大のように、イマジナリーの生産様式が、現実の財貨の生産様式を逆に規 定してしまうという現象などもあり、生産様式からみる社会分析——例としてボー ドリヤール『物の体系』(1968)——は、すでに自壊したマルクス主義経 済学を超えたところで、興味深い展開を遂げている点で、まだまだその学問的活動を我々は期待することができる。
In "The devil and commodity fetishism in South America", Michael Taussig (1940- ) explores the social significance of the devil in the folklore of contemporary plantation workers and miners in South America. Grounding his analysis in Marxist theory, Taussig finds that the fetishization of evil, in the image of the devil, mediates the conflict between precapitalist and capitalist modes of objectifying the human condition. He links traditional narratives of the devil-pact, in which the soul is bartered for illusory or transitory power, with the way in which production in capitalist economies causes workers to become alienated from the commodities they produce. - #source.
「「南米における悪魔と商品フェティシズム」において、マイケル・タウシグ(1940-)は、南米における現代のプランテーション労働者と鉱山
労働者の民間伝承における悪魔の社会的意義を探求している。マルクス主義理論に立脚して分析するタウシグは、悪魔のイメージにおける悪のフェティシズム化
が、人間の状態を客観化する前資本主義的様式と資本主義的様式の対立を媒介することを発見する。彼は、魂が幻想的あるいは一時的な権力と引き換えにされる
伝統的な悪魔の物語を、資本主義経済における生産が労働者を生産する商品から疎外させる方法と結びつけている。」
"The Devil and Commodity Fetishism in South America is both a polemic about anthropology and an analysis of a set of seemingly magical beliefs held by rural and urban workers in Colombia and Bolivia. His polemic is that the principal concern of anthropology should be to critique Western (specifically, capitalist) culture. He further argues that people living in the periphery of the world capitalist economy have a critical vantage point on capitalism, and articulate their critiques of capitalism in terms of their own cultural idioms. He thus concludes that anthropologists should study peoples living on the periphery of the world capitalist economy as a way of gaining critical insight into the anthropologists' own culture. In short, this polemic shifts the anthropologists' object of study from that of other cultures to that of their own, and repositions the former objects of anthropological study (e.g. indigenous peoples) as valued critical thinkers./ Taussig applies this approach to two beliefs, one based on both his own field research and that of anthropologist June Nash, the second based on his own research. The first is the belief held by semi-proletarianized peasants in Colombia (with an analogous case among Bolivian tin miners) that proletarianized sugar-cane cutters can make a contract with the devil that will cause them to make a good deal of money, but that this money can be spent only on frivolous consumer goods, and that the cutter will die an early miserable death. Taussig suggests that earlier anthropologists might have argued that this belief is a hold-over from pre-capitalist culture, or serves as a leveling mechanism (ensuring that no individual become significantly wealthier than any of his or her fellows). Taussig, however, argues that through the devil, peasants express their recognition that capitalism is based on the magic belief that capital is productive, when in fact capitalism breeds poverty, disease, and death. The second belief provides another example of peasants representing their own understanding of capitalism's claim that capital is productive: the belief that some people engineer a switch that results in a peso, rather than a baby, being baptized. The consequence is that the money, alive, will return to its original owner no matter how it is spent, and bring more money back with it." #Wiki.
「『南米における悪魔と商品フェティシズム』は、人類学についての極論であると同時に、コロンビアとボリビアの農村と都市の労働者が抱く、一見
魔術的な一連の信仰についての分析でもある。彼の極論は、人類学の主要な関心事は西洋(特に資本主義)文化を批判することであるべきだというものだ。さら
に彼は、世界の資本主義経済の周縁部に住む人々は資本主義に対して批判的な視点を持っており、資本主義に対する批判を彼ら自身の文化的イディオムの観点か
ら明確に表現していると主張する。こうして彼は、人類学者は、人類学者自身の文化に
対する批判的洞察を得る方法として、世界資本主義経済の周縁に生きる人々を研究すべきだと結論づける。要するにこの極論は、人類学者の研究
対象を他文化から自文化へとシフトさせ、かつての人類学研究の対象(例えば先住民)
を価値ある批判的思想家として位置づけ直すものである/タウシグはこのアプローチを2つの信念に適用している。1つは彼自身のフィールド調
査と人類学者ジューン・ナッシュの調査の両方に基づくもので、もう1つは彼自身の調査に基づくものである。ひとつは、コロンビアの半農民(ボリビアの錫鉱
山労働者にも類似の事例がある)が抱いている信念で、プロレタリア化したサトウキビ刈り労働者は悪魔と契約することで大金を手にすることができるが、その
金は軽薄な消費財にしか使うことができず、刈り労働者は早期に悲惨な死を迎えるというものである。タウシッグは、以前の人類学者たちは、この信仰は資本主義以前の文化から持ち越されたものであ
り、あるいは平準化メカニズム(どの個人もその仲間の誰よりも著しく裕福になることがないようにする)の役割を果たしていると主張していたかもしれないと
指摘する。しかしタウシッグは、農民は悪魔を通じて、資本主義は資本が生産的であるという魔法のような信念に基づいているが、実際には資本主義は貧困、病
気、死を生み出しているという認識を表明していると主張する。第二の信念は、資本は生産的であるという資本主義の主張に対する農民自身の理
解を表現するもう一つの例を示している。ある人々がスイッチを操作し、赤ん坊ではなくペソが洗礼を受けるという信念である。その結果、生きているお金は、
どのように使われようとも元の持ち主のもとに戻り、さらに多くのお金を持って帰ってくるのである。」
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