精神分析の倫理
Le séminaire de Jacques Lacan. Livre 7: L'éthique de la
psychanalyse, Ethics of Psychoanalysis. 1960.
Jacques Marie Émile Lacan, 1901-1981, 通称:★ジャッキー羅漢.
「精神分析における倫理とはなにか」をテーマに掲げ た1960年の挑発的なセミネール。上巻は、独自の「もの Das Ding」という概念を導入しつつ、主体における欲望のメカニズムや、欲望の対象と主体との関係という、精神分析の根幹に関わる問題を論じる。聖書の十戒 に見られるような規範が持つ構造を、精神分析の視点から明らかにしようとするラカンの意気込みが、カントやサド、聖書などの豊富な引用を交えた講義から生 き生きと浮かび上がってくる。下巻では、ソフォクレスの『アンティゴネ』を導きの糸としながら、フロイトによって切り拓かれた精神分析の本質を探究してい く。主体の欲望を突きつめることを推奨し、「汝、欲望することなかれ」とは正反対の 「汝、欲望に関して譲歩することなかれ」という倫理格率をうち立てるに いたるまでの白熱した議論」https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA57544217.
“もの”の導入(快楽と現実;『草稿Entwurf』の再読;「もの das Ding」; 道徳的法則について)
昇華の問題(諸欲動とルアー;対象と“もの”;「無からex nihilo」の創造につい て;余白の短い注釈;アナモルフォーズする宮廷愛;ベルンフェルト批判)
享楽のパラドックス(神の死;隣人愛;侵犯の享楽;死の欲動;善の機能;美の機能)
悲劇の本質ソフォクレスの『アンティゴネ』への注釈(アンティゴネの輝き;この戯曲の組み立 て;二つの死の間におけるアンティゴネ)
精神分析の悲劇的次元(幸福の要求と精神分析の約束;精神分析の道徳的諸目標;倫理の諸パラ ドックス—あるいは「汝は汝の欲望に従って行動したか」)
★伊藤 正博(2013)「アーテーの彼岸の
アンティゴネー : ジャック・ラカン『セミネール第7巻』読解の試み」『芸術 : 大阪芸術大学紀要』(36):2013.12,
p.35-44.
「1959年秋から60年夏にかけての年度のセミ
ネールにジャッ
ク・ラカンは「精神分析の倫理(lʼéthique de la psychanalyse)」
というタイトルを掲げた。そこで中心的に論じられているのは、
タイトルから連想されるような慎ましい主題、たとえば分析家が
遵守すべき職業上の倫理的諸規範といった主題ではない。
ラカンはまず、倫理学的問題設定の内に前エディプス的・多形
倒錯的な諸欲動の次元を組み込むことによって、従来の哲学
的な倫理学が抑圧し、考察の外に追いやっていたものを明る
みに出す。つまりラカンの「精神分析の倫理」は「倫理の精神
分析」から出発する。それは倫理学の領域一般に破壊的な
効果を及ぼす。たとえばそれはアリストテレスが切り捨てた人
間の「獣性」(1)
を視野の内にとり戻すことを通して、『ニコマコ
ス倫理学』のうちに持ち込まれている人間の理想化とそれが
もたらす思想的限界とを浮かび上がらせる。またそれは「快」
の彼岸にある「享楽」(2)
を勘定に繰り入れることによって功利
主義的な幸福の計算を混乱に陥れ、カントの道徳的意志とサ
ドの倒錯的欲望との識別不可能性を明らかにする。けれど
も、ただ既成の倫理学を批判すること、人間の欲望の事実を
直視せよと命じることだけが精神分析の倫理だというわけで
はない。それはまだラカンにとって準備作業にすぎない。積
極的な意味での精神分析の倫理はこの作業を通してならさ
れた地盤の上に姿を現すことになる。そのような場所に、つま
り一連の議論がそこへと収斂するところに、ラカンはソフォクレ
スの悲劇『アンティゴネー』の注釈を置く。しかし身を以てラン
ガージュと現実界との関係を示すかのように喋れば喋るほど説明不足なところが増えてゆくラカンの語り口は、そのアンティ
ゴネー像に謎めいた曖昧さを与えている。」(伊藤正博 2013:35)
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1. 我々のプログラム
“もの”の導入
昇華の問題
享楽のパラドックス
悲劇の本質——ソフォクレスの『アンティゴネ』への注釈
精神分析の悲劇的次元
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悲劇の本質——ソフォクレスの『アンティゴネ』への注釈
* 19. アンティゴネの輝き
* 20. この戯曲の組み立て
* 21. 二つの死の間におけるアンティゴネ
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