人工知能としての人間の身体
The Human Body as Artificial Intelligence
解説:池田光穂
「機械が、どのようにし て、その感覚器官にぶつ かる外部の物体によって刺激され、その結果として肢体を多様なしかたで動かすのかを理解するためには次のことを考えていただきたい。……脳の最も内奥から きて神経の髄を構成する細糸は、感覚器官の役を果たす部位のすべての神経のところで、感覚の対象により極めて容易に動かされるような仕組みになっている。 そして、この細糸は、ほんの少しでも強く動かされると、同時にもう一方の端にある脳の部分を引っ張り、このことによって脳の内表面にあるいくつかの孔の入 口を開ける。すると脳の空室の中の動物精気は、この入口を通ってただちに神経の中に流れ出し、さらに筋肉のところまで行って。この機械に、われわれ人間の 感覚が、同様に刺激された時におのずと行う運動にきわめてよく似た運動を行わせる」(伊東・塩川訳、240ページ)ルネ・デカルト「人間論」から(→「人間機械論・再考」)
人工知能(AI)とは、計算科学では、連合学習 (Federated learning)を機械におこなわせることである。また、一般的には、人工知能とは、(1)人間の知性・ 知能を計算機によって作り出すこと、(2)作り出され た〈実体〉、あるいは、(3)このことに関 する学問分野や実践、さらには欲望など、を指す多義的な意味をもつ言葉である。俗にいう人工知能(artificial intelligence)とは、コンピュータ科学が定義する、「機械学習」+ 「デープラーニング」+「連合学習=フェデレーティッド・ラーニング」の3つの様態の人工的な学習プロセスのことであり、これは有機体としての人間がおこ なっている「人間学習(human learning)」とは根本的異なっている代物である。その意味で、人間学習は、非人工知能学習(natural learning)のことであり、人工知能がシリコンチップによる無機学 習だとすれば、有機学習であるとも言える。英 語のウィキペディアはそのことを正しく定義している;"Artificial intelligence (AI) is intelligence demonstrated by machines, as opposed to the natural intelligence displayed by humans or animals."(人工知能(AI)とは、人間や動物が示す自然な知能とは異なり、機械が示す知能のことである)(→「人工知能(辞書的定義)」「人工知能の定義をめぐる支離滅裂さ」)
こ こで言う知性・知能とは、単に計算能力だけでなく、推論や学習などの高度の知的能力(それゆえ インテリジェンスの語がつく)のことである。この知的能力の様式をもった[あるいは類似の]活動が計算機=コンピュータにある時[あるいは、あるように思 える時]、技術者は人工知能(AI)を使っていると表現する。計算科学者のジャン=ガブリエル・ガナシアはこういう:「そもそも知能とは、単純作業を実施 するスピードのことでも、メモリに保存された情報量のことでもない。演算能力が向上したり記憶容量が増えたりしたからといって、自動的に知能が生じるわけ ではない」(ガナシア 2019:60)。
人間の知性・知能と計算機のそれは、同じであるのか、そうでないのか。あるいは、将来可能になる のか、ならないのかという学問的議論は、人工知能論争(じんこうちのう・ろんそう, AI論争)と呼ばれており、その決着はついていない(知性・知能の定義次第で、議論は大幅に変わりうるので、永遠に決着が着かないという表現も、もう決着 はついているという表現もともに可能である)。人間と同じ能力をもつ人工知能は、汎用人工知能(Artificial general intelligence)と呼ばれる。
人工知能(artificial
intelligence)の用語は、1955年にジョン・マッカーシー(John McCarthy; computer scientist, 1927-2011)らによって初めて使われた(ガナシア 2019:82)。
John McCarthy, an American computer scientist. and Marvin Minsky was visiting the OLPC offices and picked up a Firefox wrist band.
リンク
文献
その他の情報
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Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099