条件なき「大学」とは?
このページは、条件のつかない「大学」とは可 能なのか?について考えます(資料:JDerrida_university_without_conditionJAP.pdf)。
かこ2世紀にわたる「民主国家」のもとでの近代大学 には、いくつかの要件があったと、ジャック・デリダ(2008:9)はいいます。
1)学問的自由
2)問題を提起し、命題を提示するための無条件の自 由
3)研究・真理・知についての思考が必要とされるた めの「すべてを公にいう権利」
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「完全に自由な」学問の自由を保証するための「条 件」——これは撞着語法でもあるが
1)人間の権利にかんする普遍的宣言 (Universal Declaration of Human Rights, UDHR; 俗に「世界人権宣言」と呼ばれているもの, 1948):マム語とスペイン語.
2)人道に反する罪(crime against humanity, 1945)
ここから導き出せるのは、人間という概念が必要不可欠であるということになる。これは「新たな人文学= ヒューマニティズ」を必要とする。
したがって、自由な大学のなかでは、この「新たな人 文学=ヒューマニティズ」が必要不可欠である。それは(上述の)人間の権利や人道に対する罪に関する議論がなされることが、条件のつかない大学を可能にす る。
だがこのような大学は、事実上は存在しない(デリダ 2008:12)。しかしながら、その「条件のない大学」のこそが必要であり、その途上にある試みの擁護と、それを妨害するものに対する無条件な抵抗こそ が必要である。
つまり、条件なき大学には、国家権力に対する無条件 な抵抗を権利を有する。つまり、大学ではおよそ問い直されないものはない。あらゆるものは、脱構築される必要(=条件)がある。それが条件なき大学の「条 件」ということになる(デリダ 2008:13)。
そのような条件なき大学が持ちうる権利(デリダ 2008:13)とは、
1)すべてを言う権利
2)すべての公的に言う権利
3)すべてを公にする権利
あらゆる条件から解放されている大学は、それゆえ (なにものからも保護されないゆえに)無限のオートノミーを持ちうると同時に、脆弱性を持ちうる(憲法9条みたいだな)のである(デリダ 2008:15)。
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●脱構築への権利
上掲のものとは矛盾するようだが——脱構築は矛盾の 解消のための逆説的手法——、人間の歴史、批判という観念の歴史、問いというものへの形や権威、思考の疑問形、などへの批判的な問いを立てるための無条件 な権利も必要とする。
特異な作品をもたらすことで、批判的な問いを立てる
権利を有する(デリダ 2008:12)
●人文学の概念の練りなおし(デリダ 2008:18)
セオリーのアングロサクソン起源
行為遂行的なスピーチアクト・事実確認的なスピーチ
アクトの区分
序文に相当する部分
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9 |
・信仰告白(profession de foi)は重要な概念 |
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"Le long titre proposé signifie d'abord que l'université moderne devrait être sans condition. Par « université moderne », entendons celle dont le modèle européen, après une histoire médiévale riche et complexe, est devenu prévalent, c'est-à-dire « classique », depuis deux siècles, dans des États de type démocratique. Cette université exige et devrait se voir reconnaître en principe, outre ce qu'on appelle la liberté académique, une liberté inconditionnelle de questionnement et de proposition, voire, plus encore, le droit de dire publiquement tout ce qu'exigent une recherche, un savoir et une pensée de la vérité. Si énigmatique qu'elle demeure, la référence à la vérité, paraît assez fondamentale pour se trouver, avec la lumière (Lux), sur les insignes symboliques de plus d'une université."(pp.) - J. Derrida, L'université sans condition. Galilée , 2001
"The long title
proposed means first of all that the modern university should be
unconditional. By 'modern university' we mean one whose European model,
after a rich and complex medieval history, has become prevalent, that
is to say say "classic", for two centuries, in democratic states. This
university requires and should be recognized in principle, in addition
to what is called academic freedom, an unconditional freedom of
questioning and proposing, even more , the right to say publicly
whatever is required for research, knowledge and thought of truth.
Enigmatic as it remains, the reference to truth seems fundamental
enough to be found, with the light (Lux), on the symbolic badges of
more than one university. " - by Google translator
"Appelons ici pensée ce qui parfois commande, selon une loi au-dessus des lois, la justice de cette résistance ou cette dissidence. C'est aussi ce qui met en oeuvre ou inspire la déconstruction comme justice '. Cette loi, ce droit fondé sur une justice qui le dépasse, nous devrions leur ouvrir un espace sans limite, et nous autoriser ainsi à déconstruire toutes les figures déterminées que cette inconditionnalité souveraine a pu prendre dans l'histoire."(pp.21-22)
"Let us call thought here what sometimes commands, according to a law above the law, the justice of this resistance or this dissent. It is also what implements or inspires deconstruction as justice." This law, this right founded on a justice which surpasses it, we should open to them an unlimited space, and thus authorize ourselves to deconstruct all the determined figures that this sovereign unconditionality could take in history. " - by Google translator
頁 |
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22 |
(I) ・あたかも労働の終焉が世界の起源である かのように、の出典はなにか? ・ヴァーチャルな政治ではなく、ヴァーチャルなるものの政治について論じる |
comme si |
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・サイバーデモクラシーの戦場としての大学 ・かのように、語法など |
サイバーデモクラシーはマーク・ポスターの用語 |
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・かのようにの語法 (1)夢想的なものにゆだねる (2)反省的判断力 |
かのようにの語法は、判断力批判から。 「かのようにの語法」の3つの可能性 1)ユートピアにゆだねる 2)反省的判断力にゆだねる 3)学問領域の構造や様態に特徴づける27 |
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・かのように語法により、撹乱させる対立が、基本的諸概念を形成する ・カント |
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・カント第三批判の、アメリカへの影響力? |
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27 |
(3)かのようには、人文学の特性や特徴 |
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28 |
・かのように語法は、カントのものであることが明かされる。 |
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・不可能なかのような語法 |
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・大学のなかで可能なこと ・行為遂行的な作品としての思想→という大学の存在様態 ・またしても、信仰告白の意味 |
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・プロフェッサーという語の意味(信仰告白を受けて) ・職業としての宣言=宗門に入るための誓願を声に出すこと |
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32 |
・自分が何になりたいのかを宣言する ・公言すること ・キケロ『トゥスクルム荘対談集』Tusculanae disputationes ・ |
・公的な約束の意味 |
33 |
・公言することと、労働すること ・「約束が寓話、虚言、虚構に近接し、「かのように」に近接していることは常に恐るべきこと」33 |
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(II) ・労働とはなにか? ・労働の終焉が世界の起源(デリダ)、って、共産主義革命が「成功」した翌日。あるいは新婚初夜の次の日の朝 |
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・学生は勉強しても労働とはみなされないし、学生は労働者でもない。 ・残余 ・影の労働者たち(36ページへ) |
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36 |
・作品(フランス語としてしか表現されない) ・精神に作用する作品は、芸術作品 ・人文学の労働→労働の概念の拡張 |
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37 |
・(1)あらゆる労働が行為遂行的ではない ・単に教えることは、作品制作行為とはいえぬ ・労働は出来事をうみだすわけではない→38ページへ |
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38 |
・(2)遂行的行為はなにかを生み出す ・(3)大学という空間、そしてサイバースペース |
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《学説の種類》 A:中立的な理論主義、多くの大学と大学人の立場 B:無条件的な理論主義(40ページにつづく) |
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40 |
・人文学の古典的限界。判断力批判 「予備教育」第60節 |
conditio sine qua non(欠くことのできない条件) modusはあるが、methodus はない(60節) |
41 |
・カント『諸学部の争い』 ・哲学部に対する、国家不介入の権利や、学問の自由の権利の主張 |
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42 |
・学問の自由がデフォルトある「かのように」宣言しなければならない。 ・自由や免疫の要求 |
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・問いの二つの形式 1)規範的な行為遂行性と、大学での研究は、疎遠なまま 2)人文学に何が到来したのか? |
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・コンフェッションの意義 ・カントにおける技術と学問などの位相 |
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45 |
・労働は生きている身体を前提にして、これを拘束し、位置付ける ・労働は拷問道具である ・カントは労働=贖罪観で説明する ・労働は生きている身体を対象にする |
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46 |
・では「仕事」は? ・報酬をともなわない職業は自由を獲得する=公言された責任への関与を含んでいる |
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・誓約された信 |
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(III) ・あたかも労働の終焉が世界の起源である かのように ・現在的とヴーチャル的 |
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・「かのように命題」=世界と労働は共存し得ない |
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・聖パウロ:贖罪としての労働という意味をづけをキリスト教世界にもたらす=コスモス概念の転換 ・世界=内=存在の概念を、ギリシアおよびキリスト教的位置付けより解放する |
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51 |
・ジェミー・リフキン「労働の終焉」 ・第三次産業革命のドクサ(臆見) ・ICTは自由をもたらすとともに世界も崩壊させる。つまり善も悪ももつ |
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52 |
・労働の問題 ・ヴァーチャルな労働 |
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・レーニンは、労働日数の低減を国家の消滅にいたる.(フランシス・フクヤマの先駆形態?) ・ロボットによる革命 |
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54 |
・遠隔労働の存在、では遠隔学習の存在はなにか? |
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55 |
・労働の終焉や、世界化は、殺し文句か?→そこから排除される労働とはなにか?(スウェットショップ) |
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56 |
・仕事と職業の区分 ・労働の終焉は、アウグスチヌス的安息日ではない ・リフキンがいう労働の終焉の後にくる、福音主義的な主張を、デリダは批判 |
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57 |
・ジャック・ルゴフ ・ユマニスト ・虚構は象徴し、つくりだされるものである(デリダは「作り出すもの」と表現) |
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58 |
・大学の単位は時間数で測定される ・脱構築は時間を問いに付すことだ——これはナイス! ・仕事と職業は区別しないとならない |
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・アベラール「汝は永遠の教師となろう」 ・哲学者の形相と名 ・大学・哲学(部)・人文学 ・哲学的特権的場から人文学へ(後者が民主的であるとデリダは言いたいのか?) ・学問に従事することが「仕事」となる |
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・公言する行為……「かのように」 ・どのような学部にも、条件なき大学の姿がやがて求められる。 |
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(IV) ・7つのテーゼ、7つの命題、7つの信仰告白 |
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・(1)人文学は、人間本性を扱う |
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・(2)人文学は、民主主義や主権の歴史をあつかう |
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64 |
・(3)公言する=職業公言することの歴史 ・(4)文学の歴史を扱う |
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65 |
・(5)人文学は、職業、信仰告白、専門職化、教授職の歴史を扱う |
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66 |
・(6)「かのように」歴史をとりあつかう |
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67 |
・(7)第七の論点——知・公言=職業、かのように作品の実現 | |
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・不可能なものだけが、到来する |
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69 |
・「おそらく」用語はニーチェである模様、おそらく表現。おそらく思考 ・出来事の力は協力 |
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70 |
・思考・脱構築・正義・人文学・大学 ・無条件な独立は「分割不可能な主権および主権的な統制のあらゆる幻像から切り離されるべき」 |
・あなたの気持ち次第のようにも読める |
71 |
・人文学の必要性 |
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72 |
・大学の外の力に抵抗せよ |
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73 |
・条件なき大学について考えよ:信仰告白、人文学、行為遂行的 |
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アナスタシアの御加護により、マクロ ウィキノミクスの議論は出尽くした感あり。残されたテーマは(1)「ICTにおける悪」の具体的な諸相を枚挙すること、次に(2)それらに対する処方せん (複数)を考えること、そして(3)その悪の本質をなすものはなにかについて考察すること、となっています。